人形と少女と約束と願い
コレットには友達がいない。母親が『えらいひと』だからだ。
母親は女性ながらに財産を築いた立派な町の名士だとかで、大人も子どももみんなコレットに優しい。けれど、あそこのお嬢さんと遊んで怪我をさせたらどうする、失礼があったら大変だと、誰も遊びには誘ってくれない。そもそも町に子どもが少なかった。
だからコレットのお友達は、ずっと人形だった。
大人になったらまた違うと母親は言っている。だからさみしくなんかないけれど――でも、ずっと願っていた。
「あなたの名前はね、今日からアンよ。素敵でしょう」
だから人形に名づけることも、花畑で人形と遊ぶことも、誰にも言えない願いを口にするのもいつものことだった。
「本当の友達になれたらいいのに。一緒に花冠を作ったりして、遊ぶのよ」
言ったところで、何が変わるわけでもない。だが、誕生日にもらったばかりの人形は違った。
いきなり光り出したのだ。
世の中には人間の願いを叶える恐ろしい道具があるとおとぎ話で知ってはいたけれど、少女になった人形はこういった。
「では、花冠を作りますか?」
驚いた。
だが驚きよりすぐ興奮が勝った。静かにコレットの返事を待っているこの少女が、おとぎ話で聞かされたような恐ろしい道具だとも思えなかった。
「あなた……人間? 人形?」
「人形です。あなたは、何がお望みですか?」
これは、望みを叶えたらいなくなってしまうやつではないだろうか。少し考えたコレットは、だまされないぞと笑う。
「お友達になってくれたら、いつかコレットのお願いを教えてあげる」
「お友達――定義確認。互いに心を許しあい交流する、対等な存在。こちらでよろしいですか?」
「難しくてわかんないわ。一緒に遊ぶの。花冠を作ったり!」
「了解しました」
そうして、ぐちゃぐちゃの、花冠とも呼べないものを一緒に作った。
「あなたの名前は、アンでいいの?」
黙々と花冠を作るだけのアンに確認すると、意外な答えが返ってきた。
「わかりません。今の主人がわかりませんので」
「コレットじゃないの?」
「違います。あなたはお友達です」
自分が持ち主でないと断言されるのは少々ショックだったが、友達だというなら主人というのもおかしい。すぐに納得して、コレットは尋ねた。
「ご主人様に会いたい?」
「はい、ですが私は今、メンテナンスが足りておらず識別が……」
と答えたと思ったら、ぼんっと音を立ててアンは人形に戻った。びっくりして固まるコレットの前で、作りかけの花冠を頭からかぶったアンがぼやく。
「ちょっとうまく、動けてません……故障の可能性、アリ」
「そ、それって大変じゃない? 壊れちゃう?」
「いずれは。人形は、しゃべらないので」
あっさりした答えに、コレットはびっくりして何も言えなくなる。
「人形がお友達は、無理でしょうか」
だが人形の姿のまま尋ねてくれたアンは、誰がなんといおうとコレットの友達だった。
一緒にご飯を食べようと、屋敷に連れ帰った。人形に戻ったアンを自室に置いて、台所からこっそりお菓子を部屋に持ち帰ったら、誰かが慌てて出ていく音がした。
なんだろう。そう思って扉を覗きこもうとしたら、部屋の中に引きずり込まれて突然喉を締められた。見開いた目に映ったのは、アンそっくりの人形だった。血の通わない小さな手に締め上げられる強さと、真っ暗な部屋で光るその瞳と視線が合ったときの恐怖を、コレットは覚えている。助けてとも言えない中で、その人形を蹴り飛ばしてくれたもうひとつの人形――アンの姿も。
蹴られて床に転がった人形は、ぎらりと目を光らせるとアンの腕に噛みついた。もはや悲鳴もあげられないコレットの前で、アンの腕がちぎれてごとりと落ちる。だがアンはそのままもう一度、人形を蹴り飛ばした。
床にぶつかった人形は、形勢不利を悟ったのだろう。そのまま扉の隙間から影のように飛び出して逃げていった。
「ご無事ですか」
「アン、あなた、う、腕が」
「平気です。これくらいなら、じこ、シュウフク、可能」
人形から人間になったアンには腕が戻っていた。だが調子のおかしくなった口調に不安を覚えて、コレットはアンに抱きつく。
「どうしたの、アン」
「――魔力汚染確認。模造品。危険。緊急避難モードニ移行しマす、疑似目標、設定。一部機能ヲ遮断、回路封鎖。再起動。シバラクオマチクダサイ」
ばちっと音がして、アンはすぐ人形に戻ってしまった。仰向けに倒れたアンを急いで抱き直す。
「アン、大丈夫。しっかりして、アン!」
「だいじょうぶ、です。しばらくの、あいだは、保全」
「それって、大丈夫なの。ねえ、どうしたらいいの? お医者さん?」
「いいえ。ご主人さま、でないと……」
ご主人さま。そのひとでないと直せないのか。
「ねえ、じゃあどこにいるのご主人さま。コレットが、つれていってあげるから」
「わかり……ません」
泣き出しそうなコレットに、まばたきも視線も動かさないまま、人形のアンが答えた。
「それより、あいつ狙いは、あなたです。気を、つけて」
「き、気をつけてって言われても……どうしたらいいの、お母様に言えばいい?」
「そうすれば、お母様も、狙われ、ます」
ならどうしたらいいのだ。ついにしゃくりあげ始めたコレットの手を、冷たい人形の手が取った。
さっきコレットの首を絞めたのと同じ、血の通わない手だ。でも、あたたかい気がした。
「守り、ますので。おともだちは」
「……守る……」
「そのように、目標を再設定しました。ご主人さまがくるまでは、わたしを肌身離さずお持ちください。守ります」
ぎしっと少し軋んだ音を立てて、アンが立ちあがった。難しいことはわからないが、本調子でないことはわかった。
「……あいつが、またきたら」
「またきます。そして私が、排除します」
「でも、あなたが負けちゃったら」
「負けません。ご主人様が、くれば」
「ご主人様は、あなたをさがしてる?」
「きっと」
淡々とした口調に熱はないけれど、友達のコレットを守ろうとしてくれている。だからコレットも涙を拭って決めた。
「なら、コレットも、頑張る」
アンのご主人さまがくるまでは、コレットがアンを守るのだ。だって友達だから。
アンが不可思議な人形であると噂が立てば、ご主人様に見つけてもらいやすくなるだろう。だから噂は放置して、母親にどんなに怒られようがアンを手放さないようにした。人形が時折屋敷を徘徊して怖がらせているのを知っていたが、本調子でないアンもコレットを狙ってやってくる人形を追っ払ったはいいものの突然動けなくなって廊下に落ちていたりもするので、屋敷の人間からすればどちらがアンでどちらが人形かわからない状態だ。間違えて捨てられてしまえば、それこそ人形の目論見通りになる。だから捨てることには断固反対した。
アンが人形に戻れなくなって、屋敷の外で待機しているときは、こっそり屋敷から抜け出して花畑で遊んだ。それを母親も屋敷の人間もよく思っていなかったが、コレットは楽しかった。
そう、楽しかったのだ――人形は怖かったけれど、アンは守ってくれる。
でも、そんな日が長く続かないこともわかっていた。
人形が襲いにくるたびに、アンは弱る。人形はコレットを狙いながら、少しずつアンの力を奪って強くなっていくのだ。
「ご主人様がくれば勝てる?」
コレットの質問に、アンは迷わず頷いた。
「勝てます。ですが、ひとつ、問題があります。私はきっと、オーバーホールされるでしょう」
「おーばー……何?」
「分解されて、生まれ変わります。記憶もなくします。コレットを、忘れます。アンという名前もきっと、違う名前になるでしょう」
常に無表情のアンが珍しく眉根をぎゅっとよせた。
「困りました。困り……ます。お友達、なのに」
アンがそんな表情をして訴えることのほうに驚いてしまって、コレットは慌てる。
「大丈夫、コレットが覚えてるもの!」
「ですが、私が忘れてはお友達と言えないのでは」
「だったら、またお友達になればいいのよ」
ぱちりとまばたいたアンの表情がおかしくて、コレットは笑ってしまう。アンに忘れられてしまう。いなくなってしまう。悲しいわけではないのに、笑顔になれるなんて不思議だ。
だから心の底から願える。
「どうか、アンのご主人様が、アンを迎えにきてくれますように」
願いは、叶った。
代償は、少女の命だ。