探偵、がっかりする
アシュトンが選んだのは商会の四階にある会議室だった。どうも五階と四階を警察が陣取って捜査と警備に使っているらしい。
「怪盗クロウの予告状は偽物だ」
中央に集めた机の角にレイヴンと並んで腰かけるなり、アシュトンが声を潜めてそう言った。
ぱちりとまばたいて、オクタヴィアは叫ぶ。
「偽物ぉ!?」
「おい静かにしろ! 一応、伏せてる情報なんだよ。捜査情報!」
「す、すまない」
慌てて口をふさぎ、中腰になりかけた腰を下ろす。
「で、でもどういうことなんだ。偽物って……」
アシュトンは首筋をなでる。答えるかどうか迷っているようだ。ふっとオクタヴィアの横でレイヴンが笑った気配がした。
「いつもと予告状が違った、とか?」
首筋をなでる手を止めて、アシュトンが目を細める。
「なんでわかる」
「怪盗クロウの予告状は特別仕様だって有名じゃないか。予告状しかきてない状況で偽者だっていうなら、判断材料はそこしかない」
レイヴンの回答に、アシュトンは観念したように口を動かす。
「まあ、知ってる奴は知ってる話か……そいつの言うとおり、怪盗クロウの予告状ってのは特殊なんだよ。偽者防止なんだろうな、カードに仕掛けがあるんだ。魔力を持ってる奴がカードを持つと透かしみたいに、羽の模様が光る」
アシュトンがポケットから一枚カードを取り出し、机に置いた。
『今夜九時、コレット嬢の人形を頂きに参ります』――綺麗な筆致でそう書いてある。
「これが今回の予告状だ。一応、警察に魔力の心得がある奴はいるんだが、そいつに持たせたら光らなかった。デザインもよく見ると違う。だから偽物ってわけだ」
「わたしも魔力を持ってる。触ってもいいか?」
「どーぞ」
そっとカードの端を触る。光らない。
「至って普通のカードだな。だから偽物か……」
「そう判断した。あと、筆跡も違う」
「確かに、列車のときに見た字と違う気がする」
探偵オクタヴィアへ、愛を込めて。
屈辱極まりないあの文言は目に焼き付いている。オクタヴィアは両肩を落とした。
「なんだ、あいつはこないのか……」
「残念そうだな?」
「怪盗クロウを捕まえたいんだ。なのに本人がこないのでは、話にならない」
「へえ、捕まえるとはまた、なんのために」
「男としての責任を取らせるためだ!」
「は?」
肘を突いてこちらを細目で観察していたアシュトンが、ほうけた。頭上でハットが『待て落ち着けポンコツ娘』と慌てているが、かまわず拳を握って力説する。
「あいつはよりによって、わたしの唇を奪ったんだぞ!」
「は!?」
「やられっぱなしで逃がせるわけないだろう! あの男、必ず捕まえて――」
「オクタヴィア、落ち着いて。警部さんも困るだろう、そんな話されても」
隣のレイヴンに声をかけられ、オクタヴィアに少し冷静さが戻った。なぜだろう、レイヴンの声はオクタヴィアの耳によく届く。警戒心が刺激されるからだろうか。
「すまない、私情だった」
「いや……まあ、そうだな……私情すぎてコメントできん」
「このカードが偽物だとは理解した。確かに怪盗クロウはもっと綺麗な字だったよ」
今度は隣のレイヴンが突然、咽せた。驚いてオクタヴィアは振り向く。
「大丈夫か」
「ん、んんっ……ご、ごめん。何か喉に、入ったみたいで。は、話を戻そうか」
「……そうしてくれ」
嘆息と一緒にアシュトンがうながす。オクタヴィアはこほんと咳払いをした。
「じゃあ、この予告状は出したのは誰なんだ。警察は調べているのか?」
「一応はな。ちなみに、お前らに心当たりは? スマイル夫人か、あるいはコレット嬢から何か聞いてないか」
「わたしは何も」
「スマイル夫人からは、厄介な人形を売った責任を取ってコレットお嬢さんと結婚しろ、という話しかされてないよ」
レイヴンの答えに、アシュトンが呆れた顔をする。
「滅茶苦茶だな、そりゃ。一応同情するぜ、コレット嬢はまだ六歳だろ?」
「どうもありがとう。でも、人形は入れ替えられたとわかれば話はまったく変わる」
「そう、その話だよ。あやうく忘れるところだった――確かなのか」
アシュトンが机に肘をついて身を乗り出す。レイヴンはどこか涼しげな表情で答えた。
「確かだよ。あの人形を用意したのは誰なのかそれがわかれば、怪盗クロウの偽者もその目的もわかるだろうね」
「人形の経歴は調べられるか?」
「できないわけじゃないけれど、時間がたりない。怪盗クロウの予告状は今夜なんだろう? 現物を取られたら、いくらでも言い逃れができてしまう。今とれる確実な対策は、怪盗クロウの偽者をつかまえること――あるいは、人形を取られないことだ」
アシュトンが天上を仰いで、椅子の背に全体重を預けた。
「やっぱそうなるか~……待ちの一手って苦手なんだよなあ」
「それ以外に何かできることはないのか、レイヴン。お前なら考えつくだろう」
オクタヴィアの質問に、レイヴンがまばたいた。それから少し顎を引いて、考える。
「そうだね……コレットお嬢さんとスマイル夫人が人形の入れ替えに気づいてるかどうかがわかれば、ヒントになるかもしれない」
「ああ、そうか。入れ替わったときに何か気づいたことがあってもおかしくはないな」
「あるいは、あのふたりが主犯の可能性もあるしね」
首をかしげてから、オクタヴィアは気づく。
「そうか、お前との結婚話か」
動機としてはおかしくない。六歳だというコレットが企むのは難しいだろうが、スマイル夫人ならあり得ない話ではないだろう。レイヴンは頷き返した。
「偽者でもなんでも、怪盗クロウがあの人形を盗むのは、何か利があるからだ。その利を受ける人間があやしい以上、スマイル夫人もあやしい。人形の入れ替えだって簡単にできる人物だ」
「その場合、あの人形を盗むのは、悪魔の遺産だからじゃなく、経路をわからなくするためっつーことになるのか?」
「そもそも、あの人形はわざわざ盗むほど高価でもないんだ。犯人が怪盗クロウを騙ったのは『あの人形は悪魔の遺産だ』という噂を本当に見せかけるためなんじゃないかと、僕は思う」
「そうなると俄然、スマイル夫人があやしくなってくるな」
アシュトンの推論に、ふとオクタヴィアは顔をあげた。
「……それは早計かもしれないな」
「あ? 何かあんのか」
「あ、いや……スマイル夫人に確かに利はあるのかもしれないが……悪魔の遺産だなんて噂はやっぱり、困るだろう、普通。異端審問官が調べにくるかもしれないし」
スマイル夫人は商会を背負っている。商売において大事なのは信用だ。醜聞はできるだけさけたいはずである。レイヴンが顎に指を当てて、考えこむ。
「それはそうだね。娘さんも巻きこむわけだし……実際、スマイル夫人は人形の謎をといて、醜聞対策をとろうとしてた。だから君を雇ったわけで……となるとあやしいのは、スマイル夫人に恨みがある人物になる。あるいは、スマイル商会の商売敵」
「そこは警察も考えたところだ。一応リストアップはしてみたがな」
「見させてもらっても? あの人形を入手できそうな人物がいれば、僕ならわかるだろう。職人の手作りだから、どこでも簡単に手に入る人形じゃない。それなりのツテがないと入手できないと思う。それでいて、スマイル夫人と懇意のはずだ。娘に贈った人形を見られる人物だからね」
レイヴンの提案にアシュトンは諦めたように嘆息した。
「……そういうことなら協力してもらうか。怪盗クロウがくるまで暇だしな」
「わ、わたしはちょっと、出てもいいか」
少しそわそわしながら、挙手をした。アシュトンが目を細める。あやしまれているのがわかって、オクタヴィアは慌てて付け足した。
「コレット嬢に、話を聞きに行こうかと……聞いたことは、教える。ふたりはここで捜査していてくれ。わたしひとりで十分だから」
「余計なことをされると困るんだよ、こっちは」
「だが時間もない。二手にわかれたほうが効率もいいはずだ」
なんとしてでもひとりで行動したい。確かめたいことがあるのだ。レイヴンが声をあげた。
「いいんじゃないかな。僕らまで押しかけても、怖がって話をしてくれない可能性が高い」
「え、お前ついてこないのか!?」
「君は僕をやっぱり誤解してるんじゃないかな……」
ぼやいたあとで、にっこりとレイヴンが笑う。なぜかぞわっと背筋が粟立った。
「何か考えがあるんだろう? やってみればいいよ――君は探偵なんだから」
背中を押すのではなく、泳がされているような気分になるのはなぜだろう。だが誤解していないとは言わずに、オクタヴィアはおとなしく頷いた。