探偵、仕事がない
異母妹の手紙は難解だ。ケトルを火にかけたオクタヴィアは、眉間にしわをよせて唸った。
「いったいジェシーは何を言いたいんだと思う、ハット」
汚れと火を怖がって厨房の端に避難していた帽子の相棒がくるりと振り向いた。探偵という看板を掲げてから、ハットはタータンチェックの鹿撃ち帽子でいることが多い。いわく、探偵の必須アイテムなのだそうだ。
『いい質問だな、オクタヴィア。全知全能である俺様が! 満を持して答えてやろう。全知全能とはすなわち、知らない・わからない・理解できないことが世界にはある、と知っていることだ』
ふむ、とオクタヴィアは一呼吸置いて考えてみた。
「つまりこの手紙からジェシーの言いたいことがわからないのは、正解だと言いたいのか?」
『そのとおりだ』
「しかし、それだと手紙の返事ができないだろう。いきなり屋敷にこられても面倒だし、また遺産相続だのなんだの疑われて追っ手をかけられても困るし……」
先月の夜行列車内での騒動を思い出し、オクタヴィアは嘆息する。
無事王都に入ってから、追っ手は見ていない。だが、この手紙の内容からして、何かしらこちらをさぐっているに違いない。その原因は、かつて女探偵と名を馳せた祖母がオクタヴィアに遺したこの屋敷だろう。父は念入りにこの屋敷を調べ、ガラクタしか残っていないと判断し、物好きなと嘲笑しながら祖母の生前にオクタヴィアへの贈与を了承した。だがいざ祖母が逝去すると、オクタヴィアを追い出しておきながら祖母の形見分けに見向きもしなかったことで懸念を深め、この屋敷にやはり何か遺産があったのではと再び疑い始めた、というのがオクタヴィアたちの予想だ。
(たとえここに何かあったとしても、どうにもならないんだがな)
屋敷には確かに家具や色々な道具がひととおりそろっており、生活できるようになっていた。その他には、どれも父自身がガラクタ、あるいは資産価値なしと判断したものしか残っていない。それは正しい。いやむしろ、資産価値という経済視点で考えるならマイナスだろう。
祖母がここに遺したガラクタは、帝国の遺産。
帝国の継承者以外が使えば、神に呪われた悪魔の遺産として暴走し、異端審問官から追われる羽目になる道具たちだ。そして父や異母妹は、帝国の継承者ではない。現在継承者として認められているのは、オクタヴィアただひとりだけだ。
「事情を説明するわけにもいかないしな……わたしが異端審問官に突き出されるのがオチだ」
オクタヴィアは地下室で埃をかぶっている家具や道具をひとつずつ確認しハットに登録していったので、屋敷にある道具たちはすべて安全だ。しかしオクタヴィアだからできることであって、ハットと意思疎通もできない他者には不可能だ。
そしてこのことは、帝室の継承者に自由を認めない女王が治めるこの国で、知られてはならない秘密だ。
その秘密を抱えても堂々と自由に生きるために、オクタヴィアは王都で探偵になった。
「でも、助手ってなんのことだろう?」
『あんな詐欺師のことなど放っておけ、関わるな』
ハットが吐き捨てた。戸棚から茶葉の入った缶を探し出したオクタヴィアは眉をひそめる。
「……まさか助手ってレイヴンのことなのか?」
『知らんわ、仕事もしてない典型的な貴族のクズのことなんぞ』
「本人は美術商だとか骨董商だとかなんとか言っていたぞ」
『詐欺師の言い間違いだろうよ』
「詐欺師かどうかはわたしも気になっているが、噂になっているのか……困ったな」
カップをがさごそさがし出し、オクタヴィアは嘆息する。
「うちは助手なんて雇えるほど繁盛してない。むしろ生活費がどんどんなくなっていく……」
王都にきてすぐに掲げた探偵の看板だが、なぜか依頼はひとつもこない。おかげでこの屋敷を掃除するくらいしかすることがなく、床はすっかりぴかぴかになってしまった。ハットもこれにはうまい知恵が出てこないのか、天井を仰ぐようにして唸る。
『直近の問題はそれだな。人間は雨風がしのげればいいというわけではないのがなあ……』
「このままだと廃業に追い込まれる」
『一度もまともな依頼を受けたことがない場合、廃業という言葉は正しいのか?』
オクタヴィアは異母妹からの手紙を持ち上げた。
「それか、結婚だろうが……縁談をさがしてくれるという話があるなら」
『絶対にこやつらの持ってくる縁談などろくでもない、反対だ!』
「大丈夫、お祖母様との約束だ。ちゃんと悪い男にだまされてから結婚する」
『それもどうかと思うがな!』
「それに、今、結婚してしまったら帝国の遺産だって回収できなくなるだろう。嫁入り支度や持参金とやらもいるかもしれない。となるとつまり、結婚するにせよ探偵業を続けるにせよ、結局、世の中に必要なのは――金だ」
静かに断言したオクタヴィアに、少々ハットが身を引いた。
『お前、ポンコツのくせにたまに真理をつくな……』
「何か仕事があればいいんだが……うーん」
ふと近くにあった新聞を広げてみる。情報収集は必要だと、なけなしの持ち金を払って新聞をとっているのだ。それに新聞は包みにも使えるし、燃料にもなるし、窓だって拭ける。仕事欄に目を通すことだってできる。
「猫ちゃんさがしてます。このあたりの仕事から……人形さがしてますっていうのもあるぞ」
『猫はともかく人形? あやしくないか。しかも値段が一桁違う、間違いではないか?』
「問い合わせだけでもしてみるか、それとも借りるか……しかし、その相手も先もわたしには……それこそレイヴンくらいしかいないのでは……!?」
『彼奴だけは駄目だ、あいつは絞り取るだけ搾り取って骨すら残さないタイプだ!』
「オクタヴィア、助けてくれ!」
「『うわああああぁぁ!?』」
ハットと同時に声をあげたオクタヴィアは、急いで振り向く。台所の出入り口に、息を切らして青年が立っていた。
「お、おま、どうやって、入って」
「そんなことはどうでもいいんだ、今は」
『いやどうでもよくないからな、鍵がかかっていたはずだろう!』
ハットの突っこみはもっともだが、ハットの声はオクタヴィアにしか聞こえない。青年はつかつか歩いてきて、がっしりオクタヴィアの両手を握る。
「レイヴン。どうしたんだ、いったい」
手を取られたオクタヴィアは、いつもと違うレイヴンの様子に首をかしげてしまった。今日も仕立てのいいフロックコートに、萌黄色のタイがお洒落だ。だがよほど急いできたのか、瑪瑙のタイピンが少し曲がっているし、何より本人が必死の形相だ。
いつも飄々としている彼が珍しい。
「僕と結婚してくれないか」
そして出てきたひとことがあまりに唐突で、ぽかんとした。
「は?」
「百歩譲って、僕と恋人になってほしい」
「は?」
『何を言っとるんだ、こいつは……』
この手の冗談に口うるさいハットまで呆れている。だがオクタヴィアの反応がかんばしくないことなどおかまいなしに、レイヴンは悩ましげに唸った。
「でないと僕は、爵位目当てに幼女と結婚させられてしまう……!」
幼女。それは年齢一桁の少女のことだろうか。
「貴族なら一回り以上年齢が離れているなんて、珍しくないのでは?」
『気の毒なのは幼女のほうだな。おめでとう、二度とうちにくるな』
「想像以上に反応が事務的だなぁ……でも、僕は恋愛結婚派なんだよ」
オクタヴィアは目を丸くした。
この軽薄が服を着ているような青年が、恋愛結婚派。そんなオクタヴィアの反応に、レイヴンが目を細める。
「今、似合わないって思ったね。まさかお前がって」
「い、いやぁそんなことは――と、とにかく、話くらいは聞く、うん。落ち着いて」
嘘をつくのが苦手なオクタヴィアのごまかしを責めるように、火にかけたままのケトルがちょうどよく鳴った。




