表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

頑張れ! でも、気をつけるんだよ

作者: 白い黒猫

 懐かしい人の夢を見た。

 私が長い期間派遣されている企業で私の作業の管理を担当していたKさんの夢。Kさんはこの派遣先において最初の上司だった人。

 派遣先の企業は異動が多く職員は三年~四年で別部署へと変わってしまう。その為に派遣の私が気がつくと部署での古株の一人となってしまい、今の担当者は三人目。

 始まったばかりのシステムの管理を任された私を、フォローして共に手探りで基本を作ったのがKさん。

 そのこともあり今でもここで仕事を無事しつづけられているのとKさんのお陰と言っていい。

 

 夢の中で、私はKさんと別に大した話をした訳でもない。していたのは他愛ない世間話だったと思う。

 そして会話の終わりにKさんが私に言う。


「頑張れ! でも気を付けるんだよ」


 話の流れとあってないその言葉に違和感を覚えて目が覚めた。

 スマフォを見ると3月11日の文字。私はそれで納得する。何故こんな夢を見たのかを理解した。

 それはあの3月11日にKさんが私に言った言葉だったから。


 私はあの日、仕事をしていた為に東京にある職場にいた。その時にはもうKさんは異動していて、働いている建物も違う事で時々すれ違って挨拶するだけになっていた。


 兎に角寒い日だった。それが私の心に強烈に残っているあの日の印象。


 職場から強制的に帰宅を命じられた時には、もう電車は止まっていた。

 その為に隣の県まで歩いて帰るしかない。

 Googleマップ立ち上げても地図が表示されない。

 目的地に自宅を設定して歩こうとしたが、経路のみ表示されるけどやはり地図はない。

 現在地が正しく認識出来ているのか確認出来ないので経路も信頼出来ない。

 その時に話しかけてくれたのがKさん。

 職場は地域の避難場所と指定されていたから、周りを見回りに来たという。もし帰るのが大変なら職場に残る事も勧められたが、ただだだあの時は家に帰りたかった。

 優しく笑い道を教えてくれたKさんが、最後にかけてくれた言葉が先程のもの。

 Kさんに道を教えてもらった事で途中までは順調に進むことが出来た。しかし私は方向音痴。五叉路の所で間違えたようで、結果三時間以上見知らぬ街を彷徨う事になった。

 Googleマップ見ても相変らず地図は表示されないし、夫とは全く繋がず連絡がつかない。スマフォが全く役に立たない事も苛立たしかった。

 しかも日が落ちて道は暗いし……身体が凍り付くように寒い。身体も疲労していく。足も痛い。

 ようやく辿り着いた知っている街は、停電してしまったようで信号すら消えている異様な状態。灯りが一切ない。しかも遠くの方で火災が起こっているのか何やら赤く揺れる光が見える。不安になる要素しかなかった。


 心細さと寒さで震えながらやっと家に辿り着いたものの、マンションも停電で真っ暗。恐る恐る玄関を開けると、夫が出てきてくれて力が抜ける程ホッとしたものである。


 心も体も凍えたあの日。家で私を迎えてくれた夫の存在と、そこ迄の道のスタート地点でエールを送り背中押して送り出してくれたKさんの笑顔と言葉だけが温かみのある要素。この二つがあったから私は救われた。


 2011年3月11日に起こった東日本大震災。津波は街や人の生命だけでなく多くのモノを奪っていった。

 被災地でない人の心にも大きな衝撃と喪失感を与えた出来事だと思う。


 そして私が東日本大震災の日の事を考える時に蘇るのは、テレビで流れ続けた恐ろしい光景、その後の非日常的な異様な日々、あの時歩いた暗くて寒い道、そしてKさんの事。それらを思い出すと胸が締め付けられるように痛くなる。


 実はあの年のあの日交わした会話がKさんとの最後の会話だった。

 Kさんはもう居ない。震災の一年程後に亡くなってしまったから。


 あの後Kさんとは、職場ですれ違う事もなくお礼も言えずしまい。

 ある日職場の人から教えられた。Kさんが首を吊って自殺したという事を。

 あの日は変わりなく快活で元気だった様子のKさんにあの後何があったのか分からない。まだ四十代、剣道が趣味の体育会系で明るく健康的なイメージしかない人が何故そんな事になったのか?

 精神的に弱り職場を離れ実家のある関西で療養していたという事だけは聞けたが、詳しい事情は分からない。


 残るのはあの日、手を振って私を送りだしてくれたあの優しくて明るい笑顔と、ポカリと空いた喪失感。もうあの笑顔を見ることはもう決してない。それが辛い。


 当たり前のようにある物や日常って、実は簡単に壊れて消える脆いモノ。そういう事を強く私に刻みつけたのがあの3月11日という日。

 震災が起きてから、Kさんが亡くなってから月日はそれなりに経った。あの時感じさせられた喪失感とショックはまだ消える事はない。


 哀しみや喪失感は被災者に比べれば甘いささやかなものと言われるレベルのものだとは思う。


 でも全ての事は遠い場所ではなく、私たちのすぐ横で起こった事。他人事とも言えない。繋がっている所の問題。いや自分の事であってもおかしくない。

 そして災害であろうとなかろうと人は亡くなり、どちらにしても哀しみと痛み与え、喪失感が残す。


 だからいつでも、今出来る事をするしかない。


 今も、私の達のすぐ横で新型コロナウイルスが猛威を振るい、世間に暗い影を落としている。

 横で起こっているからこそ、物の奪い合い以外にもっと出来る事がある筈。

 こういう日だからそ花を買おう、ミルクたっぷりのカフェオレ飲んで、笑える事をしよう。

 小さい事しか出来ないけど、繋がっている世界が少しでも明るく素敵になるように。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ