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この胸の痛みを何と言う

作者: 祐希



“いいえ。私には先ほどのお侍様方のほうがよっぽど恐ろしゅうございます”


 握られた手は柔らかく、まっすぐに見上げる瞳に私が映っていることが、驚くほどに心地よく感じたのだ。ずっと、見ていたいと思ってしまうほどに。


「おじさーん! また来たよ!」


 たったった、と軽やかな足取りで走ってくる子供は、無邪気な笑顔を振りまきその短い手をめいっぱい振って見せる。駆け寄ってきた子供は私に抱き着くと今日会った出来事を矢継ぎ早に語って聞かせた。背負っている赤いランドセルを下ろすと、宿題がこれだけ出たのだと言って、いちいち聞いてもいないのに説明してくる。それを私は聞き流しながら、子供の髪に指を通す。


「ねえ、おじさん、なんかお話して!」


 一通り話して、もう話すことが尽きたのだろう。子供は私のほうに向くと、期待に目を輝かせ、私を見上げてくる。手は話すまで逃がさないとでもいうように私の着物を握る。


「話か……」

「そう、お話! いつも、あたしが話してるでしょう?」

「それはお前が勝手にべらべら話すんだろう」

「だって、おじさんといるの楽しいもん」


 公然と言ってのけるこの子供。私といてどこが楽しいというのか。さっぱりわからないが、私は案外この時間を気に入っていることも分かっていた。

 だから、私は頭の片隅からひっぱり出してきて、口を開くのだ。


「これは、一人の女と出会ってしまった哀れな妖怪の話だ」

「妖怪?」

「ああ」

「妖怪って、お化けみたいなやつでしょ?」

「そうかもしれないな」

「怖いお話?」


 首をすくめ、こちらをうかがい目る瞳には怖れが見える。こわい話は苦手らしい。


「さあな。やめるか?」

「うー…、聞く」


 うなって、悩んではいたが、最終的には聞くことにしたようだ。居住まいをただし、私の着物をつかんだまま私が口を開くのを待つ。私はゆっくりと息を吸った。





 カラコロと下駄の音が近づいてくる。闇の向こうに一つの提灯の火が揺れる。近づいてきたそれは、待ち人の姿を認めると速度を増した。


「お待たせいたしました」


 少しばかり息を切らした女が、その者の前に立つ。人の形をした妖だった。その妖は座っていた石段から立ち上がり、女を見下ろした。結わえられている髪は、走ってきたからだろう所々ほつれている。その髪に手を伸ばし整えてやると、女は気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。そして、自身の手で簡単に手直しすると、次いで、着物の合わせも整える。


「すみません。お恥ずかしい、恰好で」


 妖は彼女の手を取る。細い指だった。そして、温かい。この暖かさは出会った時からずっと妖に熱を分け与えるものだ。触れ合ったところから、彼女の熱が妖に流れ込んでくるように感じられた。その熱は心の臓あたりへ到達するとキリリと締め付けてくるのだ。煩わしい痛みだった。それなのに、無くしたくないとも思う。妖にはその感情を人はなんと呼ぶのかわからなかった。


「今日はどうなさっていたんですか?」


 彼女はいつもそう尋ねる。人ではないとわかっていながら、ここへやってくる彼女はなんと酔狂なことだろうか。

 妖が彼女と会ったのも、月の明るい夜だった。何気なく住処を出てふらふらと散歩をしている時だった。女の悲鳴が闇夜をつんざく。それはただの気まぐれだった。面白いことがあるのかもしれない。そんな風に思ってただ何となくその声のほうへと足を向けた。

 そこには女に覆いかぶさる脇に刀を差した男が二人いた。女はひどく取乱し、暴れている。最近暇だったからだろう。妖はなんとなく助けてやることにした。ちょっと男たちを化かしてやれば、情けない悲鳴を上げて逃げていく。

 不思議なことに、女は逃げなかった。ただじっと、人の形をした妖を見つめていたかと思うと乱れていた服をただし、深々と頭を下げる。


“助かりました。なんとお礼を言ったらいいか。本当にありがとうございます”


 今まで人間に向けられたことのない言葉だった。人とは異なるものと分かってなお、その妖に安心しきった顔を向ける。妖にはわけがわからなかった。だから、たまらず聞いたのだ。私が怖くないのかと。私は人ではない。妖怪なのだ。怖くはないのか、と。


“いいえ。私には先ほどのお侍様方のほうがよっぽど恐ろしゅうございます”


 まっすぐに彼女の瞳が妖へと向けられた。妖にとって初めてだった。人の目をこんなにもまっすぐに見たのは。なぜ彼女は私を恐れぬのか。彼女は人なのになぜ私にそのような顔を向ける? なぜ? 

 妖の中で疑問がふくらんだ。しかし、尋ねることはできなかった。

 彼女はまた会いたいと言った。お礼をさせてほしいと。次は何かお団子でも持ってくると。決して食べ物につられたわけではないが、人の形をした妖と彼女はそれから何度も会うことになった。

 妖は人に化けて彼女に会った。彼女は夜、屋敷から抜け出して妖に会いに来た。

 二人は夜の町を並んで歩いた。ただの散歩だ。しかし、一人でする散歩よりずっとずっと浮いた気持ちにさせる。妖はいつも、人間の男の真似をして、組んだ腕を着物の袂へ入れていた。彼女はその腕に手を添わせ、腕を組むようにして妖の隣に並んだ。

 妖にはそれがどうにもくすぐったく感じた。それでいて、やはり心の臓あたりに痛みが襲った。そして、どれだけ会おうと、その痛みがなんなのかどうすればなくなるのか妖にはわからなかった。

 彼女と妖は、あまり多い頻度ではなかったけれど、彼女が屋敷を抜け出せたときにだけ、その辺を一周、ゆっくり歩きながら言葉を交わした。大抵は彼女がその日あった出来事を話して聞かせていた。それは時に、大旦那に対する愚痴であったり、近くの子供の話であったり様々だった。妖も、その日見聞きしてきた噂話や、妖怪どうしの喧嘩の話など語って聞かせた。

 彼女の声は朗らかで、妖の耳に心地よく響いた。そして、思ったのだ。嗚呼、この時間がいつまでも続けばいいのに、と。

 昼間、妖は暇を持てまあまし、人通りを眺めていた。人間は、妖怪が見えないためみんな素通りしていく。それがまた面白くもあり、つまらなくもあった。

 ふと、妖はその人ごみの中に見知った顔を見つけた。彼女だった。いつもより幾分ただした格好をして、彼女は隣に立つ商人風の男と何やら楽しげに話している。思わず妖は立ち上がっていた。人の成りに化けて、彼女を追いかけた。


「待ってくれ、待って」


 しかし、声をかけども、彼女には聞こえていなかった。昼間だからだろう。彼女には妖の姿をみることができなかったのだ。


「ヤエ」


 妖が彼女を呼ぶ声は誰の耳にも届かなかった。彼女は隣の男と共に先へ先へと進んで行ってしまう。

 再び心の臓あたりに鋭い痛みが走る。なぜこんなにも痛むのか。考えれば原因は一人しかいない。彼女だ。彼女がいるからここがこんなにも痛むのだ。彼女を知る前はこんな痛みは知らなかった。

 彼女が笑うたびにこの心の臓は揺れ動き、締め付けられる。ずっと見ていたいようにも思うし、ただただ引き裂いてしまいたいとも思う。人はこの感情をなんというのだろうか。妖にはわからなかった。

 ただただ、感情を持て余していた。彼女のすべてを手に入れたくて、触れたくて、もどかしい気持ちだった。どうすればいいかわからなかった。そして、妖は考えた。考えて、考えて、また、月が登ったころ、彼女が提灯片手にかけてくるのを見て、思いついた。


 食べてしまえばいいのだ。


 妖は、お待たせしましたといって笑う彼女の腕を捉えると、人の形を解いて彼女を頭から食らいついた。彼女の短い悲鳴が上がった。それが、妖が聞く彼女の最後の声だった。

 その声も、血も、肉も、妖がすべて食べつくした。腹が満たされていくと共に、満足感も味わえた。そして、思った。

 ああ、これが正しかったのだ。

 妖は本当にそう思った。彼女はおいしかった。ほかの人間と変わらない味だった。すべて食べ終わり、彼女をやっと手に入れたのだと思った。

 それなのに、胸はやはり痛むのだ。以前よりもずっと強く、きりきりと締め付けてくる。満足したはずだ。彼女だって手に入れられた。なのに、なぜ。


「なぜ、目から水があふれてくるのだろうか」


 ぱたぱたと目から雫がおちていった。妖は泣いていたのだ。驚いた。妖は今までに一度も“泣く”なんてしたことがないのだから。彼女がいつかの日に教えてくれた。これは涙というものだと。感情が高ぶった時に溢れ出した、感情の結晶なのだと。

 ならば、私は今うれしいのだろうか。悲しいのだろうか。何の感情が高ぶっているのだろうか。


「なあ、ヤエ。わからないよ」


 その問いかけに、答えてくれる声はなかった。






「お話はおしまいだ」


 子供に目をやると、彼女は難しい顔をしていた。そんなにわかりにく話だっただろうかと首をかしげる。


「どうした?」

「・・・どうして、その妖怪さんは女の人を食べちゃったの?」

「手に入れたかったからだよ。彼女のすべてを。食べることで手に入れられると思ったのさ」

「でも、なくなっちゃうよ」

「ああ。それが、わからなかったんだ」

「変なの」

「そうだな」


 空を見上げれば太陽は傾き、青い空が茜色に染まりつつあった。


「さあ、もうそろそろ帰るといい」

「うん。おじさん、また明日もここにいる?」

「ああ。私はここに住んでいるのだから」

「ははっ、またそんなウソいってー! 嘘つきは泥棒の始まりなんだよ」

「ほら、さっさと帰れ」

「はーい。じゃあ、またね!」


 来たときと同様に赤いランドセルを背負い、手を振って走り去っていく小さい背中を見送る。


「嘘なんかじゃないさ」


 呟いた言葉は、風にかき消された。

 夜の帳が降りると思い出す。彼女とここで待ち合わせをしていたことを。彼女を思い出す度にやはり、この胸は痛むのだ。今ではもうこの胸の痛みが何であるのかを理解したのだけど。


「なあ、ヤエ」


“いいえ。私には先ほどのお侍様方のほうがよっぽど恐ろしゅうございます”


 握られた手は柔らかく、まっすぐに見上げる瞳に私が映っていることが、驚くほどに心地よく感じたのだ。ずっと、見ていたいと思ってしまうほどに。この感情の名を私は知った。幾年もの歳月を得て、私は知ってしまったのだ。

 この感情の名は――――――…





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