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25話 しんだふり

 

「おひさまだー!」

「まだ昼か。本当に早かったな」


 トレントの森を抜けた一行は鬱蒼(うっそう)とした森の閉塞感から解放され、ひとごこちついた。


「お弁当作ってきましたが、ここで休憩とりますか?」

「いやぁ~、まだいいかな……」

「あれを目の前にしてメシを食うというのもおかしな話だろう」


 三人の前には魔王の牙城がそびえている。ところどころ崩れており、その雰囲気は昼間でもなお不気味である。


「建物を綺麗に維持するのって大変なんですよね」

「イーリス。魔王との決戦は近い、お前が決定打となるんだ」


 もう少し緊張感を持て、と言外にさとす沢渡。


「あ、ごめんなさい……」


 イーリスは小馴れた手つきでいくつかある古城の門を開けていき、一行はあっという間に城内に進入する事が出来た。


 大きなホールを越えると、鮮やかなステンドグラスの窓が並ぶ長廊下にたどり着いた。

 静かな廊下に三人分の足音が響くたび、それぞれの影が前へ後ろへ絶え間なく移動する。


「これは作戦とは関係ない話なんですが」


 歩きながら、イーリスはとつとつと語り始めた。


「魔王が元々人類なのに人を殺すのには理由があります。それは時間が経つにつれて、人の血が欲しくて堪らなくなるという呪いがかけられているからです」

「……吸血鬼みたいなものか?」

「ええ。おとぎ話に出てくる吸血鬼の苦悩に近いです。でも血を直接飲んだりはしません。血が流れれば、いっときはそれで満足します」

「いっとき……という事はまた喉が渇くのね」

「その通りです。喉の渇きは魔王になったその日から、加速度的に強くなっていきます。だんだんと多くの人々を殺さなくては自我を保てなくなります。自我が保てなくなれば、やはり多くの人々を手にかける事になります」

「……という事は勇者にも何かありそうだな」

「魔王への殺意です。人が死ねば死ぬほど、魔王を殺したくて堪らなくなります」

「辛いな」

「はい」


 言葉とは裏腹にイーリスの顔からは感情が消えていた。

 何度も味わわされた苦汁に感覚が麻痺してしまっているかのように、淡々と呪いによる苦悩を吐露していた。


「神様はどうしても人間同士の殺し合いが見たいのね」

「……」


 大熊の言葉に答えるものは誰もいなかった。

 沈黙が光となって、ステンドグラスから降り注がれる。

 重くなる足取りを感じながら、一行は大きな扉の前に行き着いた。


「さあ、この先にアザレア様がいます」

「準備は出来ている」

「いつでもいいよ」


 重厚な石扉をゆっくりと押し開けていくと、真紅のカーペットの敷かれた大広間が三人を迎え入れた。

 長いカーペットは奥まで続き、玉座に足を組んで座るアザレアまで伸びている。


「この日が来たか。イーリス」


 アザレアは沢渡と大熊を無視して、イーリスだけに話しかける。


「勇者と魔王、いつかは闘う運命……です」

「イーリス、命令だ。そいつらを殺せ」

「……っ! わ、私は……っ」


 ホワイトロータスが輝き、一振りの剣に姿を変える。

 イーリスが剣を構えると、波紋がぼんやりと輝き出した。

 しかし、沢渡も大熊も逃げずに彼女の一挙手一投足を見守っている。


「私は、信頼できる仲間を手に入れました。今日、この場で魔王を討ちます」

「なるほど。信頼に足る仲間かどうか……試してみようか」


 アザレアは玉座から立ち上がると、ブラックロータスを沢渡たちに見せびらかすように掲げ、漆黒の刀へと変化させた。


「大熊、イーリス。俺にやらせてくれ。前回の決着がまだなんだ」

「あいまかせた!」

「……どうぞ」


 沢渡が一歩前へ出ると、アザレアは刀を構えて距離をはかりはじめる。


「どうした筋肉野郎? じりじり距離を詰める作戦はやめたのか?」

「また邪魔が入ったら興醒めなのでな。悪いが一瞬でケリをつけさせてもらう」

「ふん。やってみろ!」


 沢渡は言うや否や高く飛び上がる。その跳躍力は常人をはるかに逸していた。

 そして体重と加速力の乗ったかかと落としを――


「おいおい。それじゃ、的だ……ぜっ!」


 アザレアが刀を振り抜いた先に沢渡はいなかった。


「なっ……消え――」

「こっちだ」


 ――沢渡が放ったかかと落としの狙いはアザレアではなく、空気中のマナだった。

 マナを蹴り込み、空中を回転しながらアザレアの背後に回り込んだのだ。


「ふんッ」

「がはっ……」


 背中からもろに沢渡の打撃を受けたアザレアは大きく吹き飛び、刀を手から離してしまう。


「く、くそッ……」

「それは悪手だぞ」


 戦闘中に刀を拾おうとする行為を沢渡が見逃すはずがなかった。

 一足跳びでアザレアの眼前に迫ると、そのまま勢いを殺さずに渾身の右ストレートを放つ。

 ──しかし、それはアザレアに届くことはなかった。


「ぐぅっっ……ゴホッ……アザレア……さま」

「イーリス……? なぜだ!」


 沢渡の拳は、アザレアを庇うようにして飛び出てきたイーリスの腹部に突き刺さっていた。


「もうしわけ……ありま……せ……」


 沢渡と視線を合わせたまま崩れ落ちるイーリス。謝罪の言葉は沢渡に向けられたものなのか、背後にいるアザレアに対してのものなのか、判然としないままスローモーションのように音もなく地に倒れた。


「貴様ら……許さん…… イーリスをたぶらかした罪、その身で償ってもらうぞッ」


 アザレアの右手に白の剣(ホワイトロータス)が吸い寄せられる。

 アザレアの黒鎧が白い輝きを放ち始める。

 アザレアの背から四枚の白い翼が伸びる。


「あわわわわ。沢渡、もしかして」

「勇者アザレア……か」

「ど、どういうことなの!?」

「考えるのは後だ。来るぞ」


 アザレアは光り輝く白の剣を振り上げた。


「この一太刀で終わりだ。死ね」


 白の剣から放たれる強烈な閃光に、沢渡たちの動きが止まる。


「ま、まぶしっ……!」


 視界を失い無防備になっているところを斬られれば、いかに沢渡とてただでは済まない。

 どこからどんな斬撃が来るのか、視覚情報が無ければ避けることなどは到底できない。

 その光の剣に狙われたのならば、断頭台に首を乗せた死刑囚のごとく、ただ次の瞬間を受けいれる事しかできないのだ。


 ──しかし、次の瞬間は訪れなかった。


「グぅッ……イーリス……」


 アザレアの腹に黒の刀が突き立てられていた。

 刀の持ち主は黒のドレスに、黒の翼を生やしている。


「ばかなアザレア様。いずれどちからかが死んで終わりになるんです。それなら、このタイミングしかないじゃないですか」

「クク……イーリス。そうだな……だが、お前一人を置いていかん……ぞっ!」


 アザレアが虫の息で剣を突き出す。

 それを、イーリスは避けるでもなくそのまま受け容れた。


「あはッ……ふふ……やっと開放……されますね……」


 何も知らない者がこの光景を見れば、ただ抱き合っているだけの男女に見えたかもしれない。

 しかし、その男女はどちらも鮮血をとめどなく流していた。

 白い翼の勇者も、黒い翼の魔王も、同じように赤色の血を流していた。


 最後は、アザレアが自らクッションになるよう後ろ側に倒れ、イーリスはその上に覆いかぶさるようにして倒れた。

 剣と刀は輝きを失った石に戻り、二人の側へ寄り添うように転がり、止まった。


「あ……あ……こんなはずじゃ」

「これが彼らの望んだ結末だ。イーリスは一番最後に呪いの話をした。魔王も勇者も苦しんでいる、とな」

「う、うう……でもこんなのって悲しすぎるよ」

「正しい感情だ。そして、それを(たの)しんでいる外道がもうすぐ現れる」

「え?」


 大広間の中空に()()が走る。

 それはバチバチと音をたて、徐々に面積を大きくしていく。


「亀裂……異世界ゲート?」

「わからん。だが出てくるのは敵だと考えていい。本当に殺されるべき敵だ」


 亀裂を内側から手でこじ開けるように人間が一人、笑いながら這い出てくる。

 だらっとしたパーカー姿にメガネをかけた、神経質そうな男だった。



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