2話 五分後の異世界
「ビー……ザザ」
静かに走る列車の中では、妙なノイズ音が常に鳴り響いている。
その音が大熊の不安を駆り立て、成り行きで乗車してしまった事を後悔させ始めていた。
「グルルルゥ……」
何よりも沢渡と離れてしまった事が辛い。
以前は一人でも平気だった。故郷の山でも友と呼べる存在は誰もいなかった。
だが沢渡と出会い、人の温もりを知ってしまったものだから、今は孤独がこんなにも辛いものなのかと打ちひしがれている。
「グルグルグルゥーン……」
それにそう。ここは故郷ではない。
謎の空間を走る謎の列車の中なのだから、輪をかけて不安になっている。
「ザーッ……ザザ……ザ」
それにしてもこの音。耳障りで、時折なにか話し声のような音になるが、大熊はとうてい聞いたことのない音である。
「ザーッ……あー、あー。聞こえますかーチェックチェック。ニイハオ。ハロー。こんにちわ。グーテン……ザザ」
ノイズは徐々に聞き取れる音声になっていった。
「ガオ?」
「そう。そこのデカイ方、SS3PJP_138Bさんですか?」
大熊は大きな体をひねって辺りを見回すが、声の主は見当たらない。声の聞こえてくる方向もまばらで判断がつかなかった。
「チケットのIDだよ」
「グルル」
大熊が手に持った小さなチケットを確認すると、確かに言われた通りの英数字の羅列が記載されていた。
「よしよし、ホンモノだ。それじゃあ目を閉じてね。アバター作るよ」
「グゥ……」
もはや、訳のわからない状況にほとんど考える力を奪われていた大熊は言われた通りに目を閉じた。
私は目を閉じると、身体が一気に軽くなった感覚を覚えた。
なんだか温かくて広い海の中にいるみたいだ。実は海って見たことないけど……。
ともかく、私の視点はゆっくりと降下していく。
青い大海に深く深く沈んでいくと、小さな女の子が目を閉じて気持ち良さそうに漂っているのが分かった。
「お、クマさん女の子だったんだねぇ」
「そうよ。だからクマ吉じゃなくて……あれ?」
大きな違和感。
自分が今繰り出したのはグオーとかガオーなクマ語ではない。完全に人の言葉だ。
「驚いた? 困った? 学校はほら、施設的な問題で机とか統一規格だから、人間として過ごしてもらうよ」
「はあ。別にイヤじゃないけど」
むしろ人になれるのは嬉しい。でもそれには沢渡がいないと意味がないんだけど……。
「なんだか含みがあるよねぇ。ま、いいや。とにかく続きをやるよ、髪の色は……」
声の誘導によって、自分の容姿が決まっていく。
目の前に浮かぶ小柄な少女が自分であるらしい。
背まで伸びる柔らかいブロンドの髪に、幼気ながらも負けん気の強い大きな目。
「か、かわいい……かも」
「気に入った? じゃあこれで決まりね。私の仕事終わり。それじゃ、また──」
「待って。沢渡……半裸のマッチョがどこにいるか知らない?」
彼は別れ際に、絶対に一緒に来ると言っていた。あの性格だから、多少無理してでも乗り込んでいる……ハズだ。
「流石に全車両の把握はしてないけど……。あなたの知り得る人って事はあなたの世界の人よねぇ。それなら今回はあなただけよ?」
「車内じゃなくても、例えばこの屋根の上とかは?」
「え!? 外は無理よ。この列車って異世界ゲートを内包しているような機構で、車両一つとっても魂の時間の流れがバラバラなのよ」
うーん? 何言ってるんだろう。クマの理解力では到底追いつかない内容だ。
「もっと分かりやすく言って」
「そうねぇ。あなたはもう目的地につく数秒前だけど、外にいたら五億年分くらいの体感になるかも」
「はぁ!?」
驚いたと同時に視界が真っ白に染まる。
暖かい海の感覚は無くなり、代わりに列車の柔らかい絨緞の感触が戻ってくる。
私はゆっくりと目を開いた。
「もう……着いたの?」
列車の扉が既に開かれていた。
まず目に飛び込んできたのは山のようにそびえる巨大な建造物だ。見たこともないデザインで、基本的に角が無く、丸みを帯びた建造物がデタラメに何層も折り重なって不恰好に成長したような冗談みたいな設計になっている。
その建造物からこちら側へ長い道が伸びており、途中にある大きな門は開かれていて、乗客だったと思われる大勢の人達が建物側へと歩き出していた。
今まで静かだった列車内とは打って変わって、たくさんの人の気配が喧騒を通して伝わって来る。
「とうちゃーく」
「うへえ。これが学校?」
「良いデザインだとは思わないか」
「ちょっとー! トイレどこよー!」
「ククク……我が闇の力が疼いておる」
「ああ君! かわいいね。どこからきたの?」
ほとんどの人たちが初々しい反応を示している。自分と同じように別々の場所から来ているのかもしれない。
私はとりあえず外に出ようと重い腰を上げて――
「うわ、軽っ」
軽々と車外に躍り出た。
小さな手を見て確信する。これはさっき夢で見た人間の少女の姿だ。
外はとても明るくて真昼のようだった。
つい先程まで真夜中だったから、突然の陽光に目の奥がチカチカとしている。
というか、時間の経過はどうなっているのだろう。と、そこまで考えて、ハッとした。
「沢渡……五億年……!」
列車方面へ振り返り、目を凝らして出て来る人々や車両の中を確認するが、半裸の男は見当たらない。
というか列車の長さは見える限り……地平線の彼方まで続いていた。
「なっが……」
うんざりしていると、頭上から良く響く笛の音が聞こえてきた。
「はーい。車内にお忘れ物のないようにー。ただちに降りてくださーい。あの変な建物が学校ですよー」
鳥の翼のようなものを羽ばたかせて、車掌を思わせる帽子をかぶった女性がマイクを握り案内を始めている。
「あのー! すみません」
大熊は翼の女性に協力してもらおうと呼びかけた。
空からなら沢渡を見つけるのは容易いはずだ。
「はーい。何でしょうか、SS3PJP_138Bさんと……通りすがりの半裸の人」
半裸だって?
「車掌さーん! そいつ! 沢渡! 連れてきてー!」
「うん? あなたも乗客なの? ……え? 上に乗ってきたって? あははは!」
「あのー? 車掌さーん!ぐおおおん! がるるる!」
ダメだ。まわりの喧騒がひどくて声が届いてないみたいだ。というか沢渡に興味を持ったらしく、列車の向こう側へ行ってしまった。
人の声量とはこうも小さいものなのか……。
大熊が列車によじ登ろうかと考え始めていると、向こう側の扉が開いて車掌と半裸の男――沢渡――が車内を通り、こちらへ渡って来た。
「あはは! チケット失くしたならそう言ってくださいよぉ。五億年なんて過ごせるわけないんですから」
「いや。何度も言うがチケットは最初から持ってなかったんだが」
沢渡達が和気あいあいとしているように見えて、少しムッとしてしまった。
私がどれだけ寂しい思いいをしたと思っているんだ。
「ちょっと車掌さん。私のこと無視したでしょ」
「あ、ごめなさいSS3PJP_138Bさん」
「それ。 変な番号で呼ぶのやめてよ。私にはちゃんと名前が――」
「クマ吉! クマ吉なのか……? なんだってこんなに小さくなったんだ」
「その呼び方はやめてってば! っていうかノーヒントで何で分かったのよ」
今は大熊と似ても似つかぬ、いたいけな少女の姿のはず。
「においで」
「はあっ!?」
真顔でなに言ってだ……!
あー、いや、獣臭いってことかな?
「私、においますか?」
神妙になっている車掌さんに尋ねてみる。
「えっ……えーっと、お日様の様な……」
「正直に答えてね。ケモノくさい?」
「全然!」
うーん。じゃあ沢渡がおかしいのか。
まあ今に始まった事じゃないけど。
「なんと呼べばいい?」
「うん?」
「クマ吉は嫌なんだろう?」
「絶対嫌よ。私、元々雌だからね?」
「それは分かっていたが、他に良い名前が思い浮かばなかった」
うわっ……沢渡のネーミングセンス、無さすぎ……?
また変な名前つけられる前に自分で考えなければ。
「じゃあ、アリス。有栖山の生まれだからアリスよ」
「なるほど。大熊有栖か」
ええ、なんかねじ込んで来たし。
「どうしても和風にしたいのね」
「お互い日本人だからな。 嫌だったか?」
「別に……イヤって訳じゃないけど」
なるほどね。今はどちらも人間で、大熊と沢渡ならまあ、対等かもしれない。
彼にしてみれば、単に何でもフェアにしようとする性格由来の命名かもしれないけど、私にとっては――。
「なら決まりだな。あの面白い建物が学校だそうだ。楽しみだな」
「うん。行こっか」
学校に向かい、二人並んで歩き出す。
沢渡と再会出来て良かった。
不安だった気持ちは大きく反転して、これから私たちに何が待っているんだろうという期待に変わっていく。
沢渡と一緒なら、何が起きても大丈夫。そんな根拠の無い安心感を彼は与えてくれる。
もちろんこれを自分から伝える気持ちは、今のところあんまりないけど。
「ところで列車のどこに乗ってたの?」
「屋根の上だな」
「……そこって体感五億年の地獄って聞いたんたけど?」
「そんなに長かったのか。禅の真似事が出来て良かった。しかし五億年程度では悟りをひらくにまだまだ足りぬという事。さもありなん、一劫にも満たぬ時で神の領域に踏み出そうなど甘すぎるものな」
「何言ってんだこいつ……」
ちょっと訂正。
沢渡がこの先も、ちゃんと人として生きていけるか私は心配です。
仕方ないのでこれからも見守ってあげようと思います。