18話 牢獄/襲撃
「うっきーーー! 出してくれえええ」
「落ち着け。猿のようだぞ」
大熊は相変わらず鉄格子をガタガタと揺らしている。
他の房に住人はおらず、看守もたまに様子を見に降りてくるだけで、大熊としては退屈極まりない時間だった。
「帰りたい……お腹空いた……」
「普通は囚人でも食事が与えられるはずだが、この世界ではどうなるか」
しばらくすると、沢渡の言う通り看守がスープを二皿運んできた。
「ちょっと早いけどご飯だよ。なんだか暴れてたみたいだからね」
「よかったな」
「あ、ありがとう……でもなんか釈然としない」
看守は先ほどとは別人のちょっと気が抜けた風の中年男性だった。優しいというよりは覇気のない声色で二人へと話しかける。
「ストレス溜まってそうだし、お話しする? 質問あれば答えるよ」
「じゃあ出して?」
「だめ」
再び鉄格子を揺らしてドラミングまで始める大熊をよそに、看守は事務机から椅子を引っ張ってきて鉄格子の前で腰掛けた。
「俺たちはもう出られないのか?」
「本来ならアザレアが本命で君達は今日出られるはずだったんだけどね……。勇者様が逃がしちゃったから。罪の所在は自動的に君達に移ることになるだろうなぁ」
「なにそれ! 雑すぎでしょ。そもそも勇者って何の勇者なのよ。そんなに偉いの? じゃあ勇者に命令しまくってるあいつは何なのよ」
大熊はここぞとばかりにまくし立てる。沢渡にぶつける訳にはいかないと思い溜め込んでいた不満はすべて、目の前にいる古びた風船のような男に吐き出された。
「いや気の毒だけどねぇ……。僕にも君くらいの娘がいるわけさ。だから助けてあげたいけど、それをやると僕が娘を育てられなくなっちゃうから。ほら、スープ冷めちゃうよ」
へんにょりと笑う看守の目には力が無かった。
「勇者は勇者だよ。イーリス様はこの国を魔王から護ってくれる存在さ。あの剣を持ってたから本物だね。アザレアは正直よくわからない。イーリス様を連れ回しては奴隷のように扱っているみたいだ」
大熊は不味そうにスープを飲みながら聞いていた。
「すまん。もっとスープを貰えるか?」
「いいけど、まだ全部飲んでないじゃないか」
「ゆっくり飲みたいんだ」
「ふーん。まあたくさんあるから良いけどね。他の看守には黙っておいてくれよ」
そう言うと、看守は腰をゆっくり持ち上げて階段を上って行ってしまった。
沢渡はそれを確認すると、鉄格子の根元へスープをたらし始めた。
「あー! もったいない。……なんで?」
「うむ。これをやるとな、鉄が錆びて脆くなるのだ」
「えっほんと? 私も残しておけばよかった」
「いや、あまり露骨だと怪しまれるからこのままでいい。それに、この鉄棒はかなり建て付けが悪いみたいだから、すぐに外せるはずだ。大熊は引き続き猿のように揺らしてくれ」
「誰が猿よ!ウッキー!」
大熊はノリノリだった。
「おーい。あんまり暴れないでくれ。お代わり持ってきたよ、ほら」
「うむ。助かる」
看守は追加のスープを持ってきて二人に手渡した。
スープの内容は塩とコーンと豆が入った質素なもので、かなりぬるい。
それでも、長時間亀裂の空間を体験した大熊は精神的に空腹状態が続いていたので、この食事は有り難かった。
二人が黙々とスープを飲んでいると、看守がバケツとハケを持って再び鉄格子の前に現れた。
「あ、気にせず食べててね」
「!? ……う、うむ」
沢渡は青ざめていた。
これから看守が何を行うのか、最悪の予想をしてしまったのだ。
バケツとハケを持って鉄格子の前で行う事。そして、大熊と沢渡には関係のない事。
それはあまりにも過酷な現実であった。
「おじさーん。何してるの?」
大熊は温かいスープで腹を満たすにつれ、優しい看守に対して心を開きつつあった。
「ああ。サビ取りだよ。この液体は鉱物タイプのモンスターから採れる成分から出来ててね――」
看守おじさんは器用にハケを使ってサビ取りを塗りたくっていく。鉄棒の隅から隅まで、妥協を一切許さない職人技であった。
「やだああああうっきいいいい!」
「……無念」
「甘いね〜」
そうして、三人はまったりとした時間を過ごした。
看守おじさんの気だるげで柔和な雰囲気は、牢獄においてなお、二人をリラックスさせた。
「でね、その時、娘が僕にこう言ったのさ――」
「あはははは」
「おや、もうこんな時間か。なんで交代が来ないんだろう?」
しかし、そのリラックスもつかの間だった。
看守が階段を登ろうとした時に、血まみれの兵士が階段から転がってきたのだ。
「君! 上で何が……。くそ、だめだ。死んでる」
それと同時に、けたたましい鐘の音が響き始める。
「警鐘だ! ちょっと上の様子を見てくるよ」
短く言うと、看守は先ほどまでとは人が変わったような素早い動きで階段を上っていった。
「どうなってるの……?」
「襲撃があったようだな。戦争かクーデターか……。だが少し妙だ」
しばらくして警鐘が止む。代わりに、ばたばたと騒がしい音や激しい金属音、悲鳴や怒声が聞こえはじめた。
「あの死体は下半身から大量に出血している。刺し傷の他にも噛み跡がいくつかあるようだ」
「どういうこと? 人と獣に同時に襲われたってこと?」
「わからん。が、もうすぐ答えが降りてくるぞ」
キィキィと甲高い声を上げて階段を跳ね降りてきたのは、小くて緑色で醜悪な顔付きをした小人であった。
「うわっ! 何この生き物、はじめて見た」
「モンスターというやつか。そこの兵士を殺したのはお前か? 何のためにやった」
「ギィギャギャギャッオンナッ! チビ!」
モンスターは黒板を引っ掻いたような、聴いたものが不快になる声をあげる。
「くっそお! うるさいしむかつく!」
「よせ大熊っ 鉄格子に近づくな!」
沢渡が大熊を抱えて飛び退くと同時に、モンスターの突き出した厚手のナイフが鉄格子の隙間から差し込まれる。
それは間一髪のところで空を切った。
「あっぶな……」
「躊躇わないやつだな。こういうタガが外れてるやつは危険だ」
二度、三度、とモンスターは狂ったように錆びた刃を突き出してくる。
「ウキャキャギギ──グエーッ!?」
そして四度目。
モンスターの体を突き破り、青い血に濡れた槍が突き出された。
「ぎゃー! グロい! 今度はなによ」
「あ、ごめん。驚かせちゃったね」
看守だった。声色とは裏腹に目が血走っており、全身に人間の赤い血とモンスターの青い体液を浴びて、その鎧はおぞましい彩色になってしまっている。
「さあ。鍵は開けたよ。申し訳ないけど、ここから出ても待ってるのは――」
「ギギャーッ!」
「マナ撃ち!」
看守に飛びつく寸前だったモンスターが大熊の放った衝撃波で吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「どうやら喋っている暇はないようだな……ふんッ」
「グギャグギャッ!」
沢渡も鉄扉を開くと同時にモンスターを蹴り飛ばす。
「うわぁ、強いんだね。ゴブリン相手に武器なしで戦えるのかい」
「ゴブリンっていうの? この緑色」
「そうだよ。上にもまだたくさんいるんだ」
「とりあえず行くか」
他に降りてくるゴブリンがいない事を確認し、三人は上階に向かう。
槍と鎧で武装した看守を先頭に、沢渡、大熊の順に自然と隊列を組んでいた。
「凄惨だな……」
「踏まないであげてね」
「うう……つらい」
兵舎は死屍累々だった。兵士よりもゴブリンの死体の方が多いが、その多くは醜悪に笑っているように見える。
「外でまだ戦っているんだ。君たち強いみたいだし、加勢してくれないか? 今まで閉じ込めておいてなんだけど……」
「構わないよ! いいよね? 沢渡」
「ふふ……俺にそれを聞くのか」
ニチャア……と嗤う沢渡はすでにシャツを脱いで上半身が裸だった。
三人は素早く覚悟を決めて外に出る。
点々と転がる死体を避けながら門に向かうと、大勢の兵士たちがゴブリンと交戦していた。
必死に槍で突き刺す兵士。そのまま槍と死体を飛び越えて兵士の顔に張り付くゴブリン。凶刃を何度も脳天に突き立てられている味方ごとゴブリンを突き殺す兵士。
地獄を絵に描いたような光景が広がっていた。
「なにこの数……」
「戦争だな」
沢渡たちの前にいた兵士が倒れると、開けた視界の先に緑色の大群がひしめいていた。
そして、その隙間を見つけたゴブリンたちが我先にとなだれ込むように侵入してくる。
大熊が連続で衝撃波を飛ばすも、敵の勢いは増すばかりだった。
「マナ撃ち! マナ撃ち! ふおおお追いつかないよ!」
「任せろ。いったん魔法はストップだ」
「え? どうすんの?」
大熊が魔法を止めて振り返ると同時に、すぐ横を沢渡が高速で通り過ぎて行った。
「は……?」
「うおおおおおおおッッ」
「何やってんのー!?」
沢渡は全力で助走をつけたドロップキックで空中を滑走しながらゴブリンの群れへと飛び込んでいったのだった。