14話 おしのび花火
「あは、あはははは!!ひひっ……ひぃひぃ」
いつものお風呂。
ネコさんは無防備な姿で笑い転げていた。
「大丈夫……?」
「わ、笑いすぎて、息が、あはは! あははは! それで広場は今お祭りみたいになってるのね、あははは!」
沢渡が大掲示板の上に筋肉魔法で登った話をしたらネコさんのツボに入ったらしく、ずっとこの状態だ。
「ネコさん早く入らないと風邪ひいちゃうよー」
「あ、あははは!動けないあはは!」
仕方がないのでざぱざぱとお湯をかけてあげる。
まあ私は眼福なので問題ないんだけどね。
しかし笑い上戸だなぁネコさん。いっぱい笑うとキレイになれるのかな。
私もちょっと怒りっぽいところあるから見習わないと。
名残惜しかったけど、今日はささっとお風呂から上がって沢渡のところに行った。新しいおもちゃを試してみたかったからだ。
「さわたりー。ピコピコの使い方わかった?」
「バイマネのことか」
今の私達にはかなり高価な、スマホっぽい携帯機。
斡旋所を利用する契約金も含まれていて、これを持っていないとお店を利用できないという事で、三日間がんばってアルバイトをして手に入れた代物だ。
いままで働いて報酬を得るという経験をしたことがなかったので、これはちょっとした宝物のように感じる。
「まさとしさんにもっと詳しく使い方聞きたかったけど、お祭りになっちゃったからねぇ」
「とにかく色々触ってみるか」
ピコピコの音が思いのほか大きかった。もう早い人は眠る時間だから外に出ようという沢渡の提案で、馬小屋の裏手に出ることになった。
火照った顔に夜風が当たって気持ちいい。
「……今日は普通なんだな」
「んん? なんのこと?」
なんだろう。沢渡にしてはちょっと含むような言い方だ。
「うーん、のぼせてないって意味?」
「うむ……そんなところだな」
二人で微妙に歯切れの悪い会話をしながらピコピコをいじる。
沢渡は元々寡黙な方だし、画面に集中してればそりゃ会話も乗らないよな〜。
なんて思いながら、ちらっと沢渡の顔を覗いてみる。
「む……」
「お?」
目が合った。
一瞬目が合って、沢渡はすぐに画面の方に視線を落としてしまった。
もしかしてずっと私のこと見てた……?
夜風の気持ちいい、ひとけの無い場所で二人きり。
……まてよ?
このシチュエーションは自然とできあがったのか?
いや違う。たしか、ここに来たのは沢渡の提案で……
これ、デートなんじゃ!?
「さ、さわたり?」
「……なんだ」
思わず呼びかけてしまった。
これはデートなのかい? なんて聞けるわけがない。
ど、どうしよう。
……落ち着け私。
いつも仏頂面をしていて、いかにもな朴念仁の沢渡が頑張ってデートに誘ったんだぞ。下手なことを言って傷付ける事だけは避けなければならない。
っていうか沢渡は私のこと好きだったのか。ふふふ、なんとなく分かってたけど。
でもそっかー。まいったなー。
「大熊?」
「あ、あはは。えっと……」
やばい。本当に何喋ればいいのかわからない。
ネコさんにこういう時のこと、もっと相談すべきだった……。
っていうか何で私が困ってるんだ? 誘ったの沢渡じゃん! 誘っておいて受けに回るってずるくない? こういうの何て言うんだっけ、えーっとクマの知識では――
「あぅ~……」
だめだ。あたまぐわんぐわんしてきた。ちえねつだ。
「やっぱりのぼせてたのか。帰ろう」
「まていっ」
沢渡が背を向けたので、シャツの袖を思い切り引っ張ってしまった。
「しかしお前、目玉がぐるんぐるんになってるぞ」
「もうちょっとぉ……」
たしかに視界がぐらぐら揺れてる。でもこんなことでせっかくのチャンスを無駄にしたくはない。沢渡が誘ってくれたんだ。ちゃんとしないと。
「夜風にあたってれば良くなると思うからぁ……」
「……そうか。とりあえずピコピコは一旦休憩だな」
たしかにピコピコも原因のひとつかもしれない。それで知恵熱が出て……いやでもほんとうは、もっと別の熱で――
「あっ」
掴んだ袖を離した瞬間に足から力が抜けていってしまう。
なんてこった。意識はしっかりしてきたのに、今度は力が全然入らない。
もうデートどころじゃないなぁ、なんて冷めていく頭で考えた。その間も支えが無くなった私は崩れ落ちていく。
時間が止まったかのように景色が流れていった。
地面が少しずつ目の前に近づいてくる。
ぐるりと景色が一周まわって、こんどは空が見えた。
空はどんどん遠くなって……ああ、このままだと頭から落ちちゃうのか――
ちょっと前までのわたしなら気合で受け身を取ったけど、もう今はクマじゃない。私は普通の女の子なんだ。
――そして、沢渡の顔が見えたところで、景色は止まった。
「軽い……本当にかよわくなったな。大熊」
どうやら私を受け止めてくれたらしい。
足がまだ地面から離れたままなので、きっとお姫様だっこというやつだろう。
「かわいくなったって言って?」
「……っ」
私の精いっぱいのつよがりは、どうやら沢渡に効いたらしい。
こんな顔の沢渡はみたことないぜ。
「ちょっと耐えていてくれ」
「……うん?」
沢渡は目を閉じて深呼吸をはじめた。それが照れ隠しなのは、ばればれだ。
いつだってそう。沢渡は平常心を保とうとしたり、気合を入れたい時にこれをやるんだから。
……でも、耐えてくれってなんだろう。
「無心の型……」
「ちょ、ちょっと?」
デート中だぞー? お姫様抱っこ中だぞー? いくら取り乱してるとはいえ、そんな必殺技みたいな掛け声しなくたって――
「跳躍ッ」
「ぬわーーーっ! さわたりさん!?」
私は強烈なGに耐えるために全力で沢渡に抱き着いた。
結果的に抱き着いてはいるけど、ムードとかそういうアレじゃない。風圧がすごい。沢渡の筋肉も分厚い。
「よし、もういいぞ」
筋肉って意外と柔らかいんだなぁ。石けんのいい匂いもする。沢渡ってあんがい綺麗好きだからなぁ。ああ、でも風呂上がりだからこんなものか。
「……大丈夫か? すまん、少し勢いを付けすぎた」
「はっ! ここは一体……」
「屋上だ。馬小屋の」
ああ、さっきよりも肌に当たる風が強いと思ったらそういうことか。
「ここなら早く頭が冷えると思ってな」
「それなら事前に言ってよ…… ジェットコースターじゃないんだから」
沢渡なりの優しさなんだろうけど、こっちは心臓ばくばくだ。
人の心臓ってこんなに早く動くのか。沢渡にも聞こえてるんじゃないかな、これ。
「はは、逆効果だったみたいだな」
「な、なに笑って」
──えっ?
笑ってるよ……。
「あ……」
「いつもありがとうな」
今度は目を閉じたりしていない、ちゃんとした笑顔で私を見ている。
いつものニチャァでもない。こんな顔もできるのか。
「さわたりぃ……」
もう、私の負けでいいよ。
なんの勝ち負けかよく分からないけど、そんな気持ちになる。
沢渡の目はいつも自信に満ちていて、今はその中に私がうつっている。
どん、と大きな音が鳴り、空が明るくなった。
「花火だ」
「うん……」
広場の方からだ。主役の沢渡はここにいるのに、まだまだ盛り上がっているらしい。
どん、どん、と次々に花火が打ちあがっていく。
鮮やかな色が視界を染めるたびに、私は何も考えられなくなっていった。
「きれいだな」
「あう……」
だれも花火なんか見てない。
私も沢渡も、ずっと視線を交わらせたままだ。
それなら、このきれいだなは私にむけて言っているわけで。
普段は絶対言わないし、こんなこともしない。
きっとこれはたくさんの偶然が重なって、私も沢渡も魔法にかけられたみたいに後に引けなくなってるんだ。
……なんだ。魔法、かかるじゃん。沢渡。
それにしても。
「ちょっと……近い、ような」
花火の音が鳴るたびに、沢渡との距離が近くなる。
もう、心臓の音と花火の音の区別がつかない。
「……イヤか?」
ああ。また笑ってる。優しいような、意地悪なような、そんな器用な表情だ。
もうとっくに答えは決まっていた。
次の大きな花火がきたら、きっと私は目を閉じてしまう。
沢渡もそれを待っている。
しかし、こんなときに花火の音が止んでしまった。
静寂と闇が私達を包みこむ。
でも私には分かる。ここまで私達を引っ張り出したこの魔法は、中途半端に終わるようなものじゃない。
無限に思えるかのような、短い時間が過ぎていく。
そして、ひゅるる、と花火の上がる音が聞こえた。
沢渡の瞳にうつる私の顔は、とろけたように次の瞬間を待っている。
それは沢渡もおんなじで……。
どーん、と一際大きな音が鳴った。
私はその瞬間に目を閉じようとして──
「にゃあああああああん!」
「!?」
──反射的に声の方を向くと、大型花火をバックに大ジャンプを決めているネコさんが空中に浮かんでいた。
「あ……え……? あああああっ! し、失礼しました!!」
「まって」
ネコさんが私達と同じ屋上に飛び乗り、事情を察知するまでわずか3秒。
すばやく反転して逃げようとしたネコさんを私は逃さなかった。
「ごめんなさいごめんなさい! 先客がいるとは思わなくて! 邪魔するつもりなんかなくって! ふええええ」
「ちょ、泣かないで……どうどう」
ガチ泣きしてしまうネコさん。
本当はこっちが泣きたいくらいだけど、まあ事故なら仕方ないよね……。
「さ、さわたり。もう、今日は……ね? 三人で花火みよっか」
「うむ……」
「ふええええ」
結局、この日の夜は三人で仲良く花火を見ながら過ごした。
最初はネコさんが落ち込んでいて大変だったけど、沢渡の変顔が決め手となり、元気を取り戻してくれた。