13話 筋肉魔法
放課後にハンスから召集があり、沢渡と大熊は生徒会室に来ていた。
「バイトいきたいんだけど〜」
「開口一番がそれか! 昨日、僕がどれだけ寂しい思いをしたか分かるかい? 君たちが生徒会をやってくれるというからケーキにローソクを立てて待っていたんだぞ」
「すまん」
「クラッカーも用意したんだぞ!」
ハンスはぷんぷんだった。
激昂というよりは、半泣きで哀れみを誘う雰囲気を醸し出していた。前日一人でパーティ帽子をかぶって待ちぼうけを食らった事実からすれば、実際哀れである。
「うん、想像したら可哀想になってきた……ごめんね」
「じゃあ僕の頭をナデナデしてくれ」
「ゴー沢渡」
沢渡はわしわしとハンスの頭をなでた。
「ところで生徒会って今までハンス一人しかいなかったの?」
「まさか。ちゃんと他にもメンバーはいるよ」
「その割にはいつも一人に見えるけど」
「今、彼らは修学旅行に行ってるからねぇ」
ハンスは机の引き出しから一枚の写真を取り出して机に置いた。
広大な畑を背景に、農具を頭上高く掲げた人が数人写っている。
「へえー。これは何やってるの……?」
「見ての通り農業だよ」
「旅行先で畑を耕すのか」
沢渡の知る限り、修学旅行といえば観光である。職業体験を含んだ修学旅行など聞いたこともなかった。
「耕すのは畑だけじゃないよ。モンスターに狙われるから、その防衛もしなきゃいけないんだ。ちなみにこの写真はまだ一度目の防衛を終えたところ」
「だからこんなに興奮気味なのね……」
沢渡が写真をよく観察すると、農具が刺さった怪物の亡骸らしきものが、畑のいたる所に写っていることが分かった。
「しかし一体なんのために?」
「説明されなかったのか。ハチスカ先生は本当に仕事をしないな……。 えーっと、僕達のいるこの世界って人工的なものだから資源があんまり無いんだよ。だから他所の助けが必要になるんだ」
「他所って、別の世界ってこと?」
「そう。君たちが前いた世界のSS3P_138B……地球とも言ったかな。そこは僕達からすれば異世界だからね」
「ふーん……」
大熊は何気なく窓の外を見た。夕焼け空にうっすらと星が瞬いている。
遠くから汽笛の鳴る音が響き、それは生徒会室の中まで届いた。
「それで異世界で農地をひらいているわけか」
「そういうこと。強奪や侵略はせずに、穏便に平和的に資源を頂いているわけさ。今朝食べたハンバーガーを覚えてるかい?」
「シーフードバーガーね。美味しかったよ。でもなんで馬小屋の朝食を知ってるの?」
「えっ。それはほら……僕は生徒会長だから耳が広いんだよ。それよりも、シーフードバーガーの原材料は海産物がふんだんに使われているけれど、この世界に海は無いんだ。君たちの世界からの輸入物だよ」
シーフードバーガーはレシピこそ独自のものだが、素材はほぼ地球産である。地球はリンバスの住民が現在までに発見した異世界の中では、海面積がトップクラスに広く、海産資源が豊富に取れる重要な異世界の一つだった。
「ふーん。なんだか誇らしいわね」
「やたらとSSなんたら……記号のようなもので呼ぶと思ったが、有名だったんだな」
「この農場を撮ったカメラもそっちのものだしね。魔法使いが幅を利かせてる世界がたくさんある中で、君たちの世界はかなり特殊な発展の仕方をしてるよ」
ハンスはいつの間にか機嫌を直していた。
高慢なようでいて人にお節介を焼くのが好きな性格、というのが生徒達から高い支持を得ている理由の一つだった。
裏を返せばさみしがり屋なその性格を、大熊たちも短い付き合いから知っていたので、おとなしくハンスの機嫌が直るまで聞いていた。
しかしもうここを出ないとバイトに間に合わなくなってしまう。
大熊がちらちらと時計の針を気にし始めると、ハンスは目ざとくそれを見つけて鼻から息をはいた。
「ふぅ……。バイト、あるんだろ? 話を聞いてくれてありがとう。もう行っていいよ」
やや消沈気味な声のトーンとは裏腹に明るい笑顔で手を振った。
「なんか、ごめんね……ハンス」
「じゃあナデナデ――」
「ゴー沢渡」
☆
生徒会室には髪がくしゃくしゃになったハンスだけが残っていた。
夕陽が差し込み、哀愁ここに極まれりといった静かな空間はドアのノック音によって破られる。
「入りますよー。 あれ? 兄さんどしたの?」
ハンスは机に突っ伏したまま、縦ロールの少女に片手だけで返事をした。
☆
本日は三日間契約のアルバイト最終日である。
「今日は熊の翼使わんでええからな」
「はい……きをつけます」
大熊はおとなしくカウンター業務に専念していた。初日とは見違えるほどに手際が良くなり、次々に沢渡へと仕事を流していく。
「ほっ……はっ……」
一方、沢渡は黙々と掲示板と向き合い高速反復横跳びを続けている。その周囲にはすでに人だかりが出来ていた。もはや斡旋所の名物となりつつある。
「またえらい事になってきたわ。 もう板も下の方貼るとこ無いやん。結局最後までやすめなかったなぁ僕……付与――」
「待ってくれ、まさとしさん」
「?? なんや?」
沢渡は服を脱ぎ、上半身を露わにした。
見物客がさらに沸き、黄色い声が目立ち始める。対抗するように大熊の接客の声も大きくなっていった。
「うほ。ええ筋肉。それで何がはじまるんです……?」
「俺、飛びます」
「えっ出来るようなったん?」
沢渡はゆっくり頷くと、目を閉じて深呼吸をはじめる。
「無心の型……」
三度目の呼吸の後、ゆっくりと掲示板へと駆け出した。
行く先にそびえ立つ掲示板の高さは、ちょうど沢渡四人分である。
「跳躍……ふんッ」
飛び上がる刹那、沢渡は全身の筋肉を極限まで弛緩させて重力にすべてをゆだねた。
身体がバラバラになり、液体のごとく溶けてしまったかのような感覚は沢渡の体感時間を大きく引き伸ばす。
そして瞬間的に、全身の筋肉へ途方も無い力を送り込んで飛び上がった。
全身の脱力と、その後の瞬発力。
このメリハリが跳躍に欠かせない技術である。マイナスからプラスへの絶対値の差が、そのまま跳躍力となり沢渡を空高く引き上げるのだ。
「なんちゅうジャンプ力やっ……!」
全身がぴんと伸びた沢渡はまさに天から引っ張られているかのように上昇していく。明らかに常軌を逸したジャンプではあるが、2沢渡を超えたあたりからそれは劇的に失速していった。
「てっぺんまではさすがに行かんか…… いや、それでも3沢渡まで伸びとるッ! 沢渡半端ないって!!」
どう考えても人間の限界。これ以上は物理的に延びようがない地点。
3沢渡。
そこで完全に沢渡の動きは停止してしまった。
重力には何人たりとも逆らえない。それはどこの世界でも共通の大原則である。
それを。
「二段ッ」
「──なんやて沢渡!?」
沢渡はそれを右足裏で蹴り飛ばした。
ぱしん、と破裂音が鳴る。
4沢渡。
5沢渡。
もはや沢渡の前に立ち塞がる壁は無かった。
彼の眼前に広がるのは広大な都市の街並みである。
掲示板の上を土足で立つ沢渡を注意できる者は誰もいない。
彼こそが頂点。誰もがその事実を胸に刻み、声を上げることを忘れていた。
辺りが静寂に包まれる中、一人の勇敢なサッカー少年が彼に問うた。
「その魔法は……どこで覚えたんですか?」
沢渡は背を向けたまま、空を見上げてゆっくりと応えた。
「今のは魔法ではない。筋肉だ」
背中越しに親指を立てる。
大熊も沢渡に向かって親指を立てた。
二人で考えた決め台詞だった。
「ほんまか沢渡ーーーー!!!」
まさとしが号泣して沈黙を破ると、周囲の人々も堰を切ったように叫び始めた。
絶叫と興奮に入り乱れるお祭り騒ぎは次々に新しい人を呼び込んだ。
沢渡を知らない者も、何が原因で皆が狂喜しているのか分からないままに囃し立て、燃え上がるような熱い気持ちだけが伝搬していく。
結局、掲示板前の広場は明け方までちょっとしたパーティ会場と化すのであった。