11話 くまウィング
私たちが生徒会に入る事が決まると、その日はもう帰っていいことになった。
他の委員会選出も、役員に決定した人から帰ってよしとハチスカ先生が言っていたので、きっとその後凄まじい耐久戦になったに違いない。
……授業はいつはじまるんだろう。
その後、私たちは一銭でも多く稼ぐためにバイト先の依頼斡旋所に向かった。
☆
「お。今日はえらい早いなぁ」
まさとしはボサボサの髪でカウンターについていた。
「まさとしさんって、いつ寝てるの……?」
「いつもはちゃんと睡眠取っとるで。昨日はお客さんすごかったんでずーっと残業や」
「すまない」
「いやいや。逆やで兄さん、あんたのスタイリッシュムーヴメントのおかげでウハウハなんやから」
休みたいという理由で二人を雇ったまさとしであったが、根は働き者なのである。
「じゃあ今日は私たち二人でまわすから、まさとしさんは休んでてよ。いいよね? 沢渡」
「うむ。昨日より効率良くやれるはずだ」
「お、おおぉ……。おおきに」
まさとしは相当疲れが溜まっていたのか、ぼろぼろと涙をこぼし始める。
「わわ、泣くことないでしょ」
「ううごめんなぁ涙脆うて僕」
そばにあった書類で鼻をかんだまさとしの顔はインクで少し黒く染まってしまった。
「じゃあ付与するからお姉さんこっちきて」
「……まさとしさんは休んでていいってば」
「でもこれやらな高いとこ届か――」
まさとしが全て言い終わる前に、大熊は目を閉じてマナを集めだした。
「まさかもう出来るんか!?」
「ふふふ。魔力A+の天才をなめないことね……付与・飛翔熊翼!」
大熊の詠唱と同時に背中から赤金色の二本の光の筋が伸び始める。
光は大きく分厚く成長し、やがて翼的な何かへと形を固めた。
「どうかしら! わたし、上手くできてる?」
「えっ? えーっと……なに、この」
まさとしが度肝を抜かれ言葉を失ってしまう。
無理もなかった。大熊から生えたのは昨日まさとしが作った純白の翼とは似ても似つかない――
「……まるで熊の翼だな」
「えっ」
そう。沢渡の言葉は的確に特徴を捉えていた。
赤金色のもふもふした毛並みの良い……熊の翼がそこにはあったのだ。
熊の翼としか言いようが無いのだが、強いて例えるなら、熊の手を大きくして引き伸ばしたらこんな事になるかもしれない。
そんな熊の手のような翼が生えているのなら、それはもはや熊の翼である。
ともかく、これは熊の翼なのだ。
「これ、飛べるん?」
「そりゃ飛べるわよ、たぶん」
大熊は、ふんすと鼻を鳴らすと背の翼へと意識を集中させた。
ぶぉんっ、と力強い羽ばたきが周囲の書類を吹き飛ばす。
「ぬわああ! えらい風圧や」
「はぁぁぁ飛べぇぇええわたしいぃ!!」
――大熊がまだクマだった頃。
負けず嫌いの彼女は、山に存在するあらゆる生き物たちに闘いを挑んだ。
それは生死をかけた決闘に終始するものではなく、相手の有利な状況で勝利を得る遊びであった。
素早く山を駆ける鹿であれば、同じように駆けて追い越す。川を泳ぐ魚が相手であれば、同じように泳いで速さを競った。
どれだけ負けようとも、彼女が勝つまでその競争は続いた。
しかし、何度やっても、どうしても勝てない相手がいた。
鳥だった。
空を高速で飛ぶ鳥だが、ひょっとしたら地上でも走れば追い抜けるかもしれない。でも彼女はそれを良しとしなかった。
条件が違う。そんなのはアンフェアだ。
それから彼女は空を飛ぶ為の特訓を長い人(熊)生に費やした。
一日最低3時間は空を飛ぶ訓練をした。高所から落ちて大怪我をする事もあった。一日中ずっと、両手をばたばたと動かしていた事もあった。
結局、最後まで空を飛ぶことは叶わなかったが、日々の訓練は彼女の心の中に確かな翼のイメージを作り上げていた。
――そして今。大熊の気の遠くなるような訓練が実を結ぶ。
「うおおおおぉぉぉん!」
ブォンブォンブォン。
大熊は飛んだ。
「ぎゃああああ」
「むぅうううん」
まさとしと沢渡も飛んだ。
ありとあらゆる書類や、少年のサッカーボールや、少年そのものも吹き飛んだ。
「あ……」
大熊はが我に返り地上に戻ると、涙を流しながら大熊を拝むまさとしがいた。
「ご、ごめんなさい」
「逸材やぁぁ、あんたすごい翼もっとるでぇぇ……」
「ええ……」
まさとしはしばらく号泣した。
それはきっと色々な要因が重なった涙ではあるが、大熊の才能に感涙していた事は間違いなかった。
まさとしの事務所兼寝床のテントもバラバラに吹き飛んだので、その後の終業までほとんど後片付けで終わってしまった。
この日の利益は実質0だが、昨日のこともあるので給料は払われることになった。
☆
そんな一日の出来事をネコさんに話すと、その場で笑い転げてしまった。
「なはははは! 面白すぎでしょ」
女子しかいない浴場ではあるけれど、ネコさんの身体つきはとても素晴らしいので、目の前でころころされると、とても目のやり場に困る。見るけど。
今まで湯けむりで気づかなかったけど、ネコさんは黒いしっぽも生えていた。完全に猫のそれだ。
「ふぅ……ふぅ……。人生で一番笑ったかも」
上気した顔に涙を浮かべるネコさんはやっぱりエロかった。
なるほどこういう表情は使えるかもしれないな、なんて考えて沢渡をどうこうしようという妄想が始まってしまうあたり、今日の私はのぼせ最短記録を塗り替えてしまうかもしれない。
「……なんか、いつになく視線があやしいよありすちゃん」
「え、ええ! そうかなぁ!?」
「最初に話しかけたときだって、私をじっと見てたからなんだよ?」
「そのぉ……たんてきに言うと、いいからだしてるな~って」
「あぁー。よくいわれる」
「なんていうかね。バランスなの! 黄金率なの! ……あぅ~」
力説しようとしたら、くらっときてしまった。
でも、もうちょっと。
「ありすちゃん大丈夫?」
「まだいけるぅ」
「がんばり屋さんだねぇ。明日は私の授業もあるから、ぜひ熊の翼を見せてちょうだいな! あはは」
ネコさんが先生をやっているというのは聞いていたし、ハチスカ先生とも同期だというので別におかしな事は無いのだけど、毎日友達みたいにお話してるネコさんが先生で私が生徒というのは、なかなか想像できなかった。
☆
大熊がむにゃむにゃ言いながら寝付くのを確認すると、沢渡はこっそりと馬小屋を抜け出した。
「うむ……」
ちょうど馬小屋利用者の死角になるような裏手で沢渡は密かに特訓を始める。
「ふんっ……はっ……」
それは垂直跳びの訓練だった。
跳躍力に必要なのは足腰や下半身の筋肉で、他の部分は軽視されがちである。
しかし、ある一定の水準を超えたバスケットボールプレイヤーのような跳躍力を手に入れるには、全身のバネが必要不可欠なのだ。
バネの中心となる腹筋や背筋、さらには身体を上へ引っ張り上げるために肩や腕の筋肉までを高水準のバランスに仕上げる必要がある。
結局は全身の筋肉のしなやかさと、それをタイミングよく使う瞬発力にかかっているのだ。
よって、跳躍のためのトレーニングであれば、跳躍する他に近道はないと沢渡は考えた。
大熊やまさとしにばかり迷惑をかけられない。
何としても自分の身長4つ分の跳躍力を手に入れなければ。
沢渡はこのあと、朝日が見えてくるまでひたすら飛び跳ねていた。