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10話 ニチャァ

 

 馬小屋の地下には大きな入浴施設がある。

 夕方17時から24時までしか開いていなくて、みんなが同じ時間に入ろうとするからそれはもう、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。


 最初はこんなに大勢で入るのは正気の沙汰じゃないと戦々恐々としていたけれど、一度入ってみると他の人達も楽しそうにしていたので気にならなくなった。


 ちなみに男女別々に分かれているのでそこは安心していい。

 クマ時代は沢渡に背中を流してもらったりしたものだけど、今となってはそんなコトは到底考えられない。

 この姿になってからというもの、沢渡を……というか異性を? 強く意識するようになってしまったのだ。まあ、山には同種のクマがいなかったのでしょうがないのかも。


 ともかく、入浴の時間は周りに女性しかいないので、それなりにリラックス出来た。沢渡がいる時は安心出来ないかと言われると、それはちょっと違うのだけど、これはまた別腹のリラックスなのだ。


 そして二日目にもなると、入浴するのは一日の楽しみのひとつとなっていた。

 みんなが楽しそうにその日の出来事を報告しあったり、のんびり鼻歌を歌ったりしているのを聞いているだけでも楽しかったのだけど、なんと私に声をかけてくれる人がいるのだ。


「やっほ、ありすちゃん。今日の学校はどうだったかな?」

「あ、ネコさん聞いて! すごい先生が担任になっちゃったの。なんか突然レーザー光線発射して……」

「あー、その人超有名だよ。っていうか私の同期なんだ。悪いやつじゃないんだけどねぇあははは!」


 ネコさんは学校の先生をしている。一言で言うと、名前の通り猫のような人だ。

 金色の目をしていて、身体のラインがすごくしなやかで、身長は私より少し高いくらいしかないけど、大人の女性って感じだ。


「でさでさ、その時ハチスカの撃った破壊光線が校長の馬車に直撃してね──」


 外見は大人なんだけど、ころころとよく笑うし性格はちょっと子供っぽい。あんまり先生って感じじゃないけど、私はすぐにこの人が好きになった。


「ふー。私はもうあがるね。ありすちゃん昨日のぼせるまで入ってたでしょ? 身体によくないからほどほどにね」


 温かいお風呂というのはものすごく気持ちがいい。今まで冷たい川の水でしか身体を洗っていなかったので、こんな天国があることを私は知らなかった。

 結局このあと、もう少しだけ一人の時間を過ごしてから、昨日と同じように寝床に戻った。

 沢渡といくつか他愛もない会話をした気がするけど、案の定のぼせて頭がふわふわしていたのであんまり覚えてない。



 ☆



 三日目、大熊はいつものように沢渡と天空城へ登校していた。

 雲より上にあるこの場所は常に快晴で、坂を行く学生たちも皆晴れやかな表情で登校している。

 ……沢渡を除いては。


「ねえ沢渡、もうちょっとニコニコできないの? ニコニコ」

「ニチャァ……」

「わはははは!」


 大熊の要求に律儀に応える沢渡だが、その笑顔を作ろうとする表情筋の動かし方は絶望的であった。

 その笑顔モドキを見た者はほとんどが恐怖に縮み上がるのだが、大熊にとっては構ってもらえてること自体が嬉しいので問題なかった。


「ひっ!? なんだいサワタリその顔は」

「あはは、笑顔の練習してたのよ。っていうかまた待っててくれたの?」


 生徒会長のハンスは三日目も校門前で待っていた。


「よくぞ聞いてくれた。一日一回はアリスの顔を見ていないと僕はタイヘンなんだ! ああ今日も美しいよアリス!」

「きも! 早く行こう沢渡」

「うむ。ではなハンス」


 大熊達が校門を抜けて中に入っていったあとも、ハンスはしばらくそこから動くことはなかった。



 二人が教室に入ると、真っ先に黒板に書かれた文字が目に入った。


「担任は遅刻するのでしぼらく自習、と書いてあるな」

「またかよっ!?」


 そのあと、自習と言われてもどうすればいいか分からない生徒達の中で腕相撲大会が軽く流行した。

 沢渡が連勝を重ねる中、後から出席する者が教室に入るたび、またかよ!? と黒板にツッコミを入れていく。


「みんな同じ反応してるねぇ」

「うむ。さすがに初日から二日連続だからな」

「……もしかして毎日こうなるのかな」


 そしてまた扉が開き、縦ロールの髪型をした生徒が教室に入ってきた。


「あ、みて沢渡。まるっこも言うかもよ」

「いやさすがに」


 教室に入った直後、まるっこの視線は大きく文字が書かれた黒板に注がれる。


 この大きな文字は教室に入れば嫌でも目に入ってしまうのだ。その目的の為に書かれたのだから仕方がない。

 そしてこの文字列はクラスの生徒全員に強烈な誘発効果を及ぼしてしまう。昨日だけならば何ともなかった。だが、二日も続くと人はツッコまずにはいられない。

 それを、まるっこは見てしまったのだ。


「ま――」

「(い、言うのか!?)」


 腕相撲の真っ最中だが、沢渡とその対戦相手はぴたりと腕を止めたまま、まるっこに注視している。


 すでに彼女の右手は胸の高さまで上がり親指を立て、四本の指を揃えてしまっている。ようするにツッコミのポーズの前段階だ。


 もはや時間の問題。


 誰もがそう思っていたが、まるっこは強靭な精神力の持ち主であった。


 彼女はぎりぎりと音がしそうなほど露骨に、無理やり体勢を制御しようと身体をひねり始めたのだ。


 気の遠くなるような刹那の時間が過ぎていく。


 そしてまるっこは持ち上げたその右手を、教卓の上にある花瓶に添えた。


「――まあ、きれいなお花」

「(!!!)」


 まるっこが笑顔を崩さずに為した偉業を見て、クラスの生徒たちは彼女の評価を少しだけ改めたという。



 それから数時間後。



「──はいでは! 各委員会の役員を決めまぁす!」


 ハチスカ先生は今の今まで、遅刻の理由から話題を脱線させて破壊魔法の講義をしていたのだが、突然思い出したかのように話を切り替えた。


「決まるまでここから出られると思わないように! まずは生徒会! 男女一名ずつ」


 生徒達はハチスカの破天荒ぶりに最初は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたが、すぐに顔つきが変わった。

 委員会とはいわゆる、学校側の管理が行き届かない部分を生徒たちに自治してもらう制度である。

 魔法を学ぶことが目的の生徒たちにとって、それは文字通りタダのボランティア。貴重な時間の浪費に過ぎないのだ。

 そんな訳で各々が持久戦になる事を覚悟し、口を一文字(いちもんじ)に固く結び、心を閉ざす。

 ──そんな時間になるはずだった。


「はい先生。わたくしが生徒会役員に立候補しますわ」


 まるっこ一人が静かに手を挙げている。


 なるほど確かに。彼女ほど生徒会という肩書きが似合う人はここにはいないだろう。と、生徒達の誰しもが考えた。

 本日二度目の期待の眼差しが彼女に向けられる。


「あーすまん! ハンスから指名があったの忘れてた。立候補はちょっと待ってな!」


 しかしまるっこの晴れ舞台は出題してきた破壊公(ハチスカ)当人により粉砕された。


「大熊と沢渡がご指名だ。やれるか? やれるな!」

「え、ええ!?」


 まるっこに集まっていた視線が大熊に注がれる。

 現在当たっているスポットライトは二つ。かたや縦ロールなお姫様のまるっこと、もう一方は腕相撲大会で沢渡をタテに少々ハメを外していた大熊である。


「ど、どうしよう沢渡」


 ちなみに男女一枠なので、他に候補者のいない男枠の沢渡は強制的に決定となる。


 これがもし、投票や推薦であるならば即座にまるっこが生徒会員に決定する事は明らかだが、実際の決定権はハンスから指名のあった大熊が持っている。


「生徒会って具体的になにをするんですか……?」


 大熊にとっては未知も未知。クマ時代に得た知識ではニンゲンの学校の生徒会なんて、学校を裏で牛耳り椅子に座って偉そうにしていることくらいなものであった。


「まあ。きっと大熊さんでは覚えきれないほどの仕事量ですわ。でもわたくしが実際に体験してから教えて差し上げましてよ」


 言外に下がれ大熊と言っていることは誰が聞いても明らかである。

 まるっこの見えざる細剣が大熊に突き付けられているのだ。


「ぐぬぬぬぬ」


 大熊はもともとクマなのでこういったやり取りに慣れていない。だが、バカにされている事だけは伝わっていた。

 教室内に緊張の糸が張り詰めていく。


「さあどうするんだ大熊。皆帰れないぞ」


 ハチスカだけは口を半開きにして何を考えているか分からない風であるが、きっと何も考えていない。あまり興味が無いのだろう。


「私は――」


 実は大熊の天秤は最初から(かたむ)いていた。

 沢渡が生徒会に入るのだ。それなら自分も行くのは当たり前。面倒臭そうだけどしょうがない。

 そういった結論をほのかに出してはいたのだが、立候補者のまるっこに少しだけ遠慮があったのだ。


 しかし、ここまでコケにされたのであれば致し方あるまい。全力を持って、突き付けられた細剣をへし折るのみだ。


「生徒会員になりまぁす(ニチャァ)」


 大熊は知り得る限りの気持ち悪い笑みを浮かべて、まるっこへ反撃(カウンター)をお見舞いした。


「うわはははは! 君は面白いやつだな!」


 それはハチスカを通じて波紋のように広がる。

 教室中が笑いの渦に包まれるのにそう時間はかからなかった。


「う、うう……くく」


 結果的に大熊の放った致命的な一撃はまるっこの偽りの笑みを崩壊させる。まるっこは悔しくて怒っているのか、本当におかしくて笑っているのか、当人でもよく分からない表情をしてしまっていた。


 この時、顔を赤く染めて涙を流すまるっこを見て、何人かの男子が心を奪われたのだとか。


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