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王子様は恋慕に落ちて  作者: 桂木イオ
4/6

DAY 6




どうせ起きれないだろうと鷹を括ってセットした1時間前のアラームが、けたたましく鳴っている。


 目を閉じれば、あの時の相川の顔が頭をよぎって、眠ることができなかった。


「お兄ちゃん。マーガリンどこに塗ってるの」


「・・・」


 妹の松里に指摘され、パンに塗っているはずのマーガリンが袖に塗られていることに気づく。


 それはもうまんべんなく塗られていて、白い皿の上には何も塗られていないパンが「なにやってんだ人間」と無言で訴えている。


「俺なにやってんだ・・・」


「お兄ちゃん大丈夫? 最近なんだかおかしいよ?」


 もくもくとパンをほおばる妹がうらやましい。


「お前って、悩みとかなさそうだよな」


「失礼だなー。あるよ。悩みのないレディはいないのよ兄者」


「レディ・・・?」


 むっとしたのか、妹はパンを咥えながら俺の頬を引っ張った。


「あーるーんーでーすー。 ・・・というか、そんなこと言うって、お兄ちゃんなんか悩んでるの? 恋患い?」


 何気なく放たれた妹の言葉に、胸がちくりと痛んだ。


 これは、恋患いなのだろうか。


 でも、それは誰に対しての?


 自らの問いに答えるように、彼女の青い髪が、白い肌が脳裏をよぎった。


 なんだろう、大切なことを忘れている。


「あ!!」


 俺、昨日の放課後クレアに会ってない!!!


 飛び上がり、慌てて支度をする。

 妹は、パンをもごもごと咀嚼しながら「へんなのー」と呟いていた。




 早朝。手荒に扱っているママチャリを揺らしながら、海にやってきた。


 浜辺を走ると、息が上がって寝ぼけた頭が覚醒していくのがわかった。


 朝の潮風が、磯の匂いが身体にまとわりつく。


 クレアはどうしているのだろう。元気にしているだろうか。


 洞窟への道を走っていると、ふと、誰かの歌声が聞こえてきて、思わず足を止めた。


 空から振ってきそうな、透明で、伸びやかで、そよ風のような歌声だ。


 歌詞は聞き取れなかった。どこか異国の言葉なのだろう。


 幻想的で、儚くて、海の底にオルゴールがあったなら、こんな音なのだろうか。


 音を辿るように足を動かすと、そこはクレアのいる洞窟だった。


「・・・っ」


 洞窟が、朝日を反射して群青色に瞬いている。この世の景色とは到底思えない小さな世界で、人魚が祈るように歌を歌っていた。


 この洞窟だけ、人魚の国に繋がっているのではと思う程だ。


 この美しい声をずっと聞いていたい。そう思うと同時に、このまま歌い続けていたらクレアが元の世界に帰ってしまうのではないかと、不安になった。


 ・・・なぜ、俺はこんなに不安になっている?


 クレアの尻尾が治って、元の人魚の世界に帰ること。それは喜ばしいことなのに。


「・・・!」


 俺に気づいたクレアは、歌うことを止め、まるでフグのように白い頬を膨らませた。


「怒ってる?」


 いつものように隣に座ると、クレアはむんずと俺の腕を掴み、掌に言葉を書いた。


「どうして昨日来なかったの? 待っていたのに」


「部活で色々あったんだよ」


「色々って何?」


 ぷくーっと、クレアは頬を膨らませたままだ。それが何だか可愛くて笑ってしまいそうになるが、当の本人は真面目に怒っているので、にやけないように務めながら、事情を説明した。


 俺の話を聞くと、クレアの頬から空気が抜けた。腑に落ちたようだ。そして、少し考えてから、クレアは掌に文字を書いた。


「唐都木は、相川が庇った理由を知ってるの?」


「・・・わからない。クレアは、わかるのか?」


「なんとなく。でも、私の口から言うことじゃないわ」


 それはあなた自身が知るべきこと。クレアは俺の掌にそう残した。





 放課後。本番前の通しを見た赤木は「なかなかよくなった」と巻いた台本を肩たたきのようにしながら感想を述べていた。


「うん、特に唐都木。前よりずいぶん役に入り込んでる」


「おお! やったな唐都木!」


 まるで自分が褒められたように、長谷は喜んでいた。


 長谷を軽くいなしながら、周りの部員達をぐるりと見回す。


 昨日の今日だ。相川のことで暗い顔をしている部員も何人かいたが、大半は文化祭本番へ気持ちを向けているようだった。


「なあ、藤崎」


 休憩中、台本に書き込みをしていた藤崎にそっと声をかける。


「どうしたんすか先輩」


「いや、そのさ、相川、その後どうだ?」


「んなの本人に聞いたらどうですか」


「女子で気軽に話せるのお前しかいないんだよ」


「せんぱーい。かわいい~」


「・・・BL本」


 仕方ないですねえ。と藤崎。こいつが話しかけやすいのは、きっと誰に対しても距離を置かないせいなのだろう。あの誠也に対してもこの調子だから関心する。


「相川先輩はいつもどおりでしたよ。でも、やっぱりほっぺたのこと、気にしているみたいです。あと眼鏡がないから周りがよく見えてないみたいで」


 ほら、と藤崎が相川を指さすと、相川はいつもの場所に座り、逆さになった台本をすました顔で読んでいた。


「・・・なあ、あいつ今日一日ちゃんと授業受けられてたのか?」


「さあ~。だからそういうのは私に聞かないでくださいよ」


「・・・頬、なんとかならないかな」


 本番は明日だ。あのままステージに上がるのは、相川も嫌だろう。


 俺が呟くと、藤崎はいつも半分ほどしか開いていない目をまるまると明けて俺を凝視していた。


「なんだよ」


「いえ、先輩がそんなこと言うなんて。てっきり『演技をこなせればそれでいい』とか言うのかな~。なんて勝手に思ってたんで」


「そんなに非情か俺は」


「非情っていうか、役者バカというか・・・ ええ、確かに赤木先生の言う通り、先輩が何か変わったのかもしれませんね」


 藤崎はにやにやと、まるでチェシャ猫のような笑みを浮かべ、俺にそっと耳打ちした。


「明日、相川先輩に集合の一時間前に部室に来るよう伝えてください。それくらいなら言えますよね?」


「言えるけど、お前、何企んでる」


「企むなんてとんでもない。ちょっと魔法をかけるだけですよ」


 年下の魔女は含みのある笑みを浮かべたまま、同学年の輪の中へと去って行った。


 休憩時間が終わる。相川には、部活が終わってから話をしよう。





 放課後、俺は相川に藤崎のことを説明した。


「藤崎さんが?」


「そう。何をするかは俺もわからないんだが、悪いことではない・・・と思う」


「藤崎さんって、私より何倍も大人びた考えをする人だから、もしかしたら何か見越しているのかも」


 足元が見えてないのか、言いながら相川は校門の段差で足を滑らせた。


「危ない」


 咄嗟に手を伸ばす。ふわりと腕に乗った相川が、あんまり軽くて俺は絶句した。


「ありがとう。的羽くん」


「相川、お前ちゃんと食ってるのか?」


 妹より軽いぞ、お前。


「食べてるよ。大丈夫・・・その、放して?」


 相川の細い手が、俺の腕をおずおずと握った。よく見れば頬は真っ赤に染まっていて、小さな身体はますます小さくなって小刻みに震えている。


「相川、手を俺の首に周せ、あと荷物」


「えっ・・・?」


 このまま歩かせる方が心配だ。俺は相川を持ち上げるとそのまま学校を出た。


「的羽くん!? 私歩けるよ! 大丈夫だよ!」


「無理するな相川。本番は明日なんだから。ふらふらしてるし、身体だってこんなに熱いじゃないか」


 腕の中で、相川はしばらく慌てていたが、やがて力でどうこうならないと思ったのか、顔面を手で覆っていた。


「的羽くん・・・自転車は?」


「1日くらい学校に置いていっても問題ないだろ。今はお前の方が大事だ」


 坂道を下り、防波堤の隣を歩く。夕焼けは昨日よりも赤く、赤く、世界を塗り替えていた。


「誠也は反省してたか?」


「真っ先に謝ってくれたよ。でも指導員の先生には『俺と唐都木の問題に、部外者が変な正義感押しつけないでくれません?』って言ってたみたい」


「はは、誠也らしいや。よく解放されたな」


「多分、赤木先生が何か根回ししたんだと思うけど・・・屋代くん、強いなあ・・・。私だったら怖くてそんなこと言えないよ」


 お前も十分強いと思う。だって、あの場所から俺を庇うために割って入ったんだから。


 自分より大きな人間が今にも殴りかかろうとしていたんだ。小さな相川にとって、それは脅威でしかなかったろうに。


「なあ、相川。お前、どうして俺を庇ったんだ」


 黄昏時の波の音が、遠く遠くにこだまする。


 相川は、そっと俺に微笑んだ。昨日と同じ、あの寂しそうな笑顔だ。


「傷つけて欲しくなかったんだ。的羽くんの顔、とても綺麗だから」


 儚く、憂いを帯びた微笑みが、胸を締め付けた。


 そんな理由で、こいつは自分の顔を犠牲にしたのか?


 どうして、俺にそこまでする。腕の中のこいつは、あまりにも脆くて、消え入りそうだと言うのに。


 戸惑い、憤慨、悲しみ。色々な色をした感情が混じり合い、口にしたい言葉が浮かんでは消えていく。

 

 俺は何も言えないまま、相川を抱かえる手に、彼女の体温を感じていた。





 夏は日が落ちるのが遅いと言っても、相川を送ってから歩く浜辺は、すっかり暗くなっていた。


 スマホのライトを使いながら、洞窟に向かう。俺を待っていたのだろう、クレアは俺を見つけるとぱっと顔を輝かせた。


「すまん。遅くなった。ライト眩しかったろ」


 白い手が、掌に言葉を書いていく。最初こそ戸惑ったものの、もうすっかり慣れてしまった。


「おかえり、唐都木。今日の学校はどうだった?」


「部活の先生に褒められたよ。よくなったって」


 俺の言葉を聞くと、クレアはまるで自分のことのように喜んだ。丁度、通しを終えた後の長谷みたいだが、長谷はむさ苦しく感じるのに、クレアの仕草は愛らしく感じる。


「練習の成果ね。おめでとう」


「ありがとう。精一杯頑張ってくる」


 それから、俺達は掌を通じて、なんでもない話をした。どんな話をしていたか、後から思い出せないほどありきたりな話ばかりだったが、時間が経つのを忘れる程に、楽しい時間だった。


「そうだ、ねえ、唐都木。見て」


 クレアは思い出したように、水面に浸けていた尻尾を上げた。


 穴だらけだった尻尾が、綺麗に治っている。


 透き通った青とピンクのオーガンジーの生地のような美しい尻尾が、ゆらゆらと揺れている。


「すっかり治ったんだな」


「もう泳げるの。それで、今日は海からあなたと、女の子を見ていたわ」


「女の子?」


 クレアはどうやら、少し興奮しているようだ。いつもより首を縦に振る力が強い。


「そうよ。私どきどきしたの。人魚姫も、ああして王子様と浜辺を歩いたのかしら。まるで夢みたい」


 どうやら、クレアは俺が帰っている姿をどこかで見ていたらしい。台本を抱きしめるクレアの周りに、花が咲いてるような気がした。


「お姉様達と喧嘩していた時、お姉様は言ったの『恋は私達を苦しめるだけの産物だから、絶対に人と関わるな』って。でもそれは違ったのね。だってこんなに心が躍るのよ。こんなに気持ちがいいの」


 歌を唱うように、クレアは言葉を紡いだ。

 クレアが笑っている。それはとても嬉しいのに、どうして、胸が痛むのだろう。


「お姉様達が明日の朝、太陽が昇る頃迎えに来るの。だから、今日でお別れね。唐都木、ありがとう。とっても楽しかったわ」


 寂しさの欠片も見せず、クレアは無邪気な笑顔を浮かべている。


 彼女の心はもう、ここにはないのだろう。


 俺はクレアと一緒に、怪我が完治したことを喜んだ。


 それが正しい行いだと、自分に言い聞かせている自分が、どこか滑稽に思えた。

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