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王子様は恋慕に落ちて  作者: 桂木イオ
3/6

DAY 5



 それから俺は、朝と放課後、クレアに見てもらいながらの練習をしていた。


 クレア曰く、泳げないから俺と話しをする以外に何もやることがなくて暇。だそうで、俺は台本のコピーと数冊の本をクレアに貸した。きっと今頃、あの洞窟の中で読んでいることだろう。


「唐都木、おい唐都木」


「あ、はい」


「はい。じゃねーよ次はお前の台詞だろ」


「すいません」


 役者仲間の視線が痛い。手ぬぐいを首に巻いた赤木は、乱暴に台本を机に投げると席を立った。


「暑さでやられたか? いつも以上にまとまってない。休憩だ休憩」


 ひらひらと手を振って、赤木は冷房の効いている職員室に避難した。扇風機2台で生き延びるしかない役者諸君は、生暖かい風が吹く部室でしぶしぶ休憩を取ることになった。


「すまん。相川」


 俺の台詞を待ってじっと見つめていた相川に謝罪する。


 相川は「大丈夫だよ」と少し曇った顔で答え、それから何か、俺に言おうとしていたが、その言葉は突然間に割って入ってきた別の誰かの声で掻き消されてしまった。


「なあ、的羽、前から思ってたんだけどさ、お前この役向いてないんじゃないの?」


 そいつの言葉に、ざわついていた部室が静まり返った。まるで腫れ物を扱うように誰も触れなかった問題に、こいつは、屋代誠也はずかずかと入ってきた。


「もう本番2日前なのに何? ぼーっとしちゃってさ。お前がやるくらいなら、俺が『王子様』やったほうがいいんじゃない? なあ、みんな」


 部員達は答えない。誠也はこの沈黙を肯定と取ったのか、どうだと言わんばかりに俺を見下した。


 こんな扱いを受けてはいるが、正直、俺はこいつが嫌いじゃない。口は悪いが、気を使って誰も触れたくない問題に真っ先に手を伸ばしてくれる。自分から嫌われ役を買う癖に、内心誰よりも部員を心配している。不器用な部長だ。


「正直なところ、俺もそうだとは思うんだ。俺からも抗議はしたんだがあまり聞いてくれなくてな。誠也からも言ってくれよ。部長の頼みなら赤木も考えるだろ」


「はあ? お前赤木に文句言ったの?」


 やっぱり。俺の言葉に誠也は怒った。今にも殴られそうな勢いだ。


「言ったよ。お前だって覚えてるだろ、大会のこと。俺が『王子様』に向いてないのはみんなわかってるよ」


「このバカラツギ。なんだよそれ。お前は今まで与えられた役をお前なりにこなしていたのに、いざ結果が悪かったらやれ向いてないだのなんだのって。お前はあの大会の紙っきれと、赤木の言葉を全部真に受けてんのかよ。ほんとバカだな」


「なんとでも言え。あれは1つの事実だろ」


 誠也の瞳孔が怒りで形を変えた。

 ああ、こりゃ間違いなく殴られるな。


 脊髄反射で顔を隠すと、グーで殴ったのだろう鈍い音が聞こえ、俺達のやりとりを見ていた部員の1人が悲鳴をあげた。


「蕾ちゃん!!!」


 ・・・?

 顔を覆っていた腕を解くと、俺の目の前で、頬を赤くした相川が倒れていた。

 ひしゃげた丸めがねが、足元に転がっている。


「え、相川、お前なんで」


 1番現状がわかってないのだろう誠也が、気の抜けた声を出して、部員に囲まれている相川を見下ろしていた。




 役者が3人抜けたということもあってか、部活は早めに終わったらしい。俺は誠也と2人、赤木の事情聴取を受けていたせいもあり、解放されたのは部活終わりの時間だった。


 部員を殴ったということもあってか、誠也は未だに赤木に捕まっている。


 誠也に殴られた相川の顔は、真っ赤に腫れていた。俺に殴るつもりで挙げた拳だ。手加減なんてしているわけがない。


 相川は、大丈夫なのだろうか。なぜ、俺を庇ったのだろう。


 俺のすぐ横にいたんだ。誠也の様子だって充分にわかったはずだ。


 保健室の扉の前に、呆然と立つ。向こう側に、相川はいるのだろうか。


 俺は、相川にどんな顔をして、会えばいいのだろう。


 数十分。あるいはもっと時間が経っていたかもしれない。保健室に入るのを躊躇っていると、すぐ後ろで小さな声が聞こえた。


「的羽くん?」


 声に驚いて、反射的に振り返ると、そこにはスポーツバックを抱えた相川の姿があった。いつもの三つ編みは解かれ、長く垂らしていて、少し日焼けした頬の一部は腫れで膨れ上がっている。


「相川、大丈夫か」


「痛いけど、大丈夫」


 俺は、それ以上言葉を口にできなかった。


 どうして俺を庇ったのか、本当に大丈夫なのか。


 相川は、いつものように無表情だ。


 それはまるで、俺を庇うのが当然のことで、大したことでもないと言っているようだった。


 その日、俺達は一緒に帰った。お互いが「一緒に帰ろう」と提案したわけではない。一緒に帰るというよりは、このまま相川を1人にするのが嫌だった俺が、勝手に横を歩いているだけだった。


 太陽が海に沈んでいく。茜色の空を眺めては、相川の横顔を見ていた。


 波の音、磯の匂い。遠い街の方から、微かに蛍の光が聞こえてくる。


「なあ、相川」


 俺が立ち止まると、相川も立ち止まった。めがねをかけていないせいなのか、それとも俺の気持ちの問題なのか、普段より相川の目が大きく見える。


「お前は、知ってるのか? 恋に落ちた心を」


 波の音が、騒がしい。


 相川はいつものように、じっと俺を見ている。


 相川の瞳には、茜色の夕焼けが映っていて、まるで水晶の中を覗いているようだ。


「知ってるよ」


 耳に響いた相川の声は、今までに聞いたことのない、優しく、どこか悲しい声色だった。


「私は、恋に落ちた心を識ってるよ」


「赤木が言ってたんだ。恋に落ちた心を知るには、相川を見ろって」


 俺の言葉を聞いて、相川は困ったように笑う。


 相川蕾は、こんなに表情豊かな人だっただろうか。


 でも、どうして、寂しそうに笑うんだ。


「恋はね、伝わらないと苦しいだけなんだよ。それでも、恋することを止められないの」


 夕日が沈む。弱々しく微笑む相川の顔が、陰っていく。


「あのね、的羽くん。私ね――――」


 刹那、耳ざわりな騒音を立てたトラックが、クラクションを鳴らしながら俺達の真横を駆けていった。


 相川の言葉が、雑音に潰される。俺が聞き返すと、あいつは俯いて、


「的羽くんの王子様、好きだよ。応援してるから」


 次に顔をあげた時は、もういつもの相川に戻っていた。



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