プロローグ
そこは酒場である。
バーと言った方がより正確であろう。店内はムードを出すためにややうす暗く、そして古くさい蓄音機がクラシックを奏でていた。
客はたった一人だけで、その客はカウンター席に突っ伏して眠っていた。男は真っ黒な髪にやや焼けた肌、座っているので判りにくいが、背は相応に高そうである。その男の前には坊主頭に近いほど短髪の女性バーテンダーが静かにグラスを磨いている。男は、死んだように眠っていたが、なにかを呻いてゆっくりと起き上がった。
「ここは? 」
一音一音確認するかのように、つぶやく。目を開けたが、うす暗い店内でもまぶしく見えるのか目を細めている。何か思い出したかのように、胸ポケットに差し込んでいたサングラスを掛けた。
「起きましたか? 」
「あ、ああ。あまり、思い出せないが……酔いつぶれていた……いや、違う、俺は死んだ気がするが、夢だったとでも? 」
「いいえ、死にました」
バーテンダーがピシャリと言った。肌は白く、唇には目を奪われるほど真っ赤なルージュが引かれている。
「そうか、やはり、夢……何? 」
「あなたは死にました。よーく思い返してください」
そう言われて、男は口元に手を当てて思い返していく。
最初に思い出したのは、確かスーパーの特売日というフレーズである。ここがどこだか判らないが、確か自宅からスーパーまで買い物に出かけたはずである。その途中、夜更かしをしたせいで眠気があり、大あくびをした。そのときだ、突風が吹き、1枚の純白のパンティが飛んできて、彼の大口に入り込んだ。あまりに突然のことに、口をモガモガとうごかす内にパンティが気管内に入り込んだ。その場でもだえ苦しみ、窒息して、そして死んだ。
死因はパンティであった。
「そう、確かに、死んだ。だが、どうしてここにいる? 」
「未練があるからでしょう」
「未練? まさか、死因がパンティだったのなら、むしろ本望のはず」
だがバーテンダーは静かに小さく首を振った。
彼は、そこからある事に思い当たる。
「ま、まさか、使用済みではなかったのか……? 」
男の声は、恐怖に震えていた。
「あろうことか、未使用の新品でした」
「なんてことだ。なるほど、確かに、それならば、未練が残ったわけだ」
常人には理解できない未練であろう。
「心中お察しします。ですが、未練があったからこそ、こうして転生できたのです」
「転生か。つまり、あなたが神ということか? 」
「いえ、私はビヨンドの仲介人に過ぎません。あなたのことについても、依頼して送られてきただけです」
「ビヨンドとは? 」
男は聞き慣れない単語を聞き返す。
「まず、こちらの世界は、あらゆる世界にアクセスできる特殊な世界です。そして、ビヨンドとは、あらゆる世界からの依頼を受け、報酬を稼いで生活する賞金稼ぎです。当然ですが、ヨゴレ仕事です」
「ヨゴレ……。使用済みだけにか」
「ええ」
二人は静かに頷き合った。出会ってから数分ではあるが、そこには既にパンティを通じた信頼関係が生まれていたのかもしれない。
「では、引き受けて頂けますか? 選択肢は無いようなものですが」
「当然だ」
「では、登録名をどうぞ」
「そんなものは決まっている。パンティ・スー。それでいい」
「愚問でしたね。登録しておきます」
こうして一人、新たなビヨンドが誕生したのだった。