第8章 《承》 小さき戦争
第8章
「どんな物にも価値がある。だから、どんな物にも値段がある。市場原理さ」
(マリオ・ヘルカッセに仕事の依頼をする際の決まり文句)
※ 1 ※
「どうにも始まったみたいだな、戦争」
マリオ・ヘルカッセはその美貌に凄艶な微笑を浮かべる。その表情には、怖れも躊躇いも微塵もなかった。己の所業を邪魔できる者など存在しない、そんな不敵さが相応しい雰囲気を放っている。
豹変、その言葉が一番相応しい。普段の彼とは全く異なる貌であった。
「マリオ?」
レイ・クロースは、こういった豹変をした男を知っていた。カルロ・ネルヴォという赤毛の青年だ。この叛乱の話をした時、今までとは全く異なる人格が浮かんできたかのように、別人に見えた。
「大丈夫だにゃ。《魔術師》が仮面を外しただけだじょ」
レイの不安そうな声に、傍らで首筋にコードを繋いだ女が応える。
「仮面?」
「無駄口叩く余裕はないだろう、《おさげ頭》」
「へいへ〜い」
鋭い口調に、返事をするセヴン。一気に部屋の空気が重くなる。微かに聞こえる情報端末の低周波音と、空調の音、そしてマリオが叩くコンソールの音だけが室内に響く。
「レイ、万が一ということがある。 銃の準備を」
ディスプレイから目を外さず、マリオが口にする。
「もっとも、銃を使わなきゃならん時は、負け戦だろうがね」
小さく頷き、士官学校で訓練したとおりに、銃の点検を行い、弾倉を確認する。
「セヴン、艦橋のホストは?」
「劣勢だじょ、あのクサレ婆ぁ、出張ってきたみたいで、このままじゃ拮抗が崩れたら一気に押し切られるにょ」
そこへマリオの携帯端末の通信コールが鳴り響く。
「レイ」
分かった、とレイが取り、マリオの耳元に携帯端末をあてる。
『こちら、ノリス。30分後に機関を停止させてくれ』
「了解、そっちはどうだ?」
『30分後に、こっちも我がハミルスター社の技術の粋の結晶たる戦闘用人造人間「キメラくん」が出撃する』
「そのネーミングセンスはともかく、お宅の技術力は信用してる。頼んだぜ」
『それよか、第二種戦闘配備になったが、そっちの防備は大丈夫かね』
「この区画の隔壁を全部下ろした。1〜2時間なら頑張れるな」
『ま、どっちにしろ、1時間でケリつかなきゃ、蜂の巣になって真空遊泳だ。おじさんはどうにも泳ぎが苦手でね。お互い、頑張ろうや』
通信が切れると同時に、マリオは機関部に30分後の機関停止命令を送信。ついで、すぐさまプロテクトを掛ける。これで、ダイレクトで機関部に誰かが行っても、30分後の機関停止は止められない。
「セヴン、作戦変更だ。艦橋のホストをぶっ壊せ、ハッキングは中止だ」
「いいのかにゃ? 艦橋を潰しちゃって?」
「|《AAA》(ノーネーム)相手にハッキングをするには、手持ちの武器が少なすぎる。だが、クラックだったら、銀河一のクラッククィーンの技量なら可能だろう?」
「むふふふ、いい男に期待されるのは、悪い気はしないにょ」
「俺が防御ルーチンを作って、守備に回る――」
「でもって、私が攻撃しまくって、ホストをぶっ壊すと。云っとくけど、航路情報だけ残したりとか、器用なクラッキングはできないじょ」
「|《AAA》(ノーネーム)を向こうに回すんだ。 多少の犠牲は目を瞑るさ」
「むふふふ、やっぱ面白いにゃ。マリオ・ヘルカッセ、君のその思い切りの良さは、瞠目に値するにょ」
ここに知らざれる世紀の電脳戦争が始まろうとしていた。
※ 2 ※
「艦長、第四船区から第二船区への防護扉が爆破された模様。また、ハイマン軍曹、シール軍曹、ベックマン兵長の隊、通信回復しません!」
通信兵の声は最早悲鳴に近い。初めのガーネット軍曹らを含めて18名もの兵士が既に連絡を絶っていた。おそらく生きてはいないだろう。これほどまでの戦闘力をもった人物が、艦内を徘徊しているのである。おそらくは艦橋を目指して。
「先ほどの13名で、戦闘訓練経験者は?」
「はい、レイ・クロース訓練生のみです」
「彼女の成績は?」
「Dランク、及第ぎりぎりのレベルです」
「ほかの連中の情報は?」
「マリオ・ヘルカッセ、カルロ・ネルヴォ、ノヴ・ノリス、コロソフ・カルニェンコフ、ラモン・イバレスの5名が「ハイヴィスカス戦役」の従軍経験がありますが――情報が凍結されてます!!」
「解除は?」
「条約機構軍統括部に申請しなければ、プロテクト解除できません!」
チッと舌打ちをすると、ヘルベルトは腕組をし瞑想する。18名の正規軍人を殺害せしめる実力者、それも彼らは敵との接触を報告する事無く、全滅しているのである。つまり、遭遇と同時に通信能力を奪われている、という事だ。圧倒的な戦闘力、まるで、そう……
(レイヴンだな……)
己の同志である機械化特殊戦闘部隊出身の男の容貌を思い出し、その予測を振り払う。彼の部隊は、終戦間際にハイヴィスカス防衛を名目に集められ、彼以外は戦死したはずである。
「作戦を変更する、第二船区の空気を抜く。同時に、陸戦隊は重機甲服を着用。第二船区に急行せよ」
「しかし、第二船区には民間人が12名ほど居ります。彼らの安全が保障できません」
「構わん。これ以上の戦力低下は、作戦中止へ繋がる」
了解と小さく返答する通信兵であった。
2.5mの戦闘用装甲服は、本来は対戦闘用人造人間の着装であり、人間相手に使用すべき武装ではない。これは簡易CAとも称すべきパワードスーツであり、事実、腕次第ではCAを撃破することすら可能の兵器である。
「ハイヴィスカス戦役」時、歴史の表舞台に出ることこそなかったが、この重機甲服を着装した金星の械化特殊戦闘部隊『ヴォルフ』は、空間跳躍装置を利用したゲリラ作戦により多大な戦果を上げた。だが、それは戦闘と呼べるものではなく、一方的な殺戮、虐殺であった。
それゆえだろうか、重機甲服は条約機構軍では正式採用される事がなかった。仮想敵が存在しないこともあっただろうが、運用自体が空間跳躍システムを利用するといったものであり、不要と判断されたのである。
だが、金星人にとっては一種の無敵部隊としての象徴であり、今回の決起にあたり、ヘルベルトは無理を云って5着の重機甲服を用意してもらったのである。彼自身、実戦に投入するとは思っていなかったが。
「それとシャルフ中尉に《エレクトラ》に搭乗待機命令だ。カスヤ中尉らにも巡回警備に参加してもらう」
《シフラン》の中の極大戦争もまた、本格的に始まろうとしていた。