第6章 《海の鷲》カルロ
第6章
「驚いたさ、火星でカルロの野郎を見たときはさ」
(宇宙暦308年 カブラギ宇宙空港/元金星軍マーカス・ラージ)
※ 1 ※
――金星の電脳空間に関する考察――
〜前略〜
金星という惑星の特異性は上記でも述べたが、さらに「もうひとつの金星」というべき社会が、この惑星では成立している。地球や火星に於いても存在している電脳世界である。呼び名は多数があるが、金星では発展した技術を加えた上で、突然変異的な社会構築したと推測される。それは……
〜中略〜
所謂、ハッカー、あるいはクラッカーと分類化される電脳技術者たちだが、金星に於いてはさらに細分化されている。中世的な徒弟制度にも似た、独立した技術を有した門派が多数存在しており、彼らは彼らのルールに乗っといて己らを名づけ、門外不出の技術を以って、奪う者、守る者、加工する者、破壊する者、創造する者、複製する者、など、様々な職種として、この情報の海に君臨している。
彼らにとって、現実がどちらかという事は無意味である。彼らにとって、現実も電脳世界もリアルワールドであり、虚構の世界ではないのだ。
その辺りのメンタリティの解析は、心理学者の領分であり、我々の考察する……
〜中略〜
「齧り屋」という職種は、金星に於ける一種の花形である。情報をリンゴに例え、それを齧る者と己らを故障する彼らは、ネット警察からは「ネズミ」と隠語で呼ばれながらも、堂々と日の当たる場所を歩いている。そういった呼称の……
〜以下略〜
※ 2 ※
「軍曹、少しいいですか?」
廊下を駆け足で進んでいた三名に、声を掛ける男がいた。赤毛が印象的な青年だ。
「君は?」
軍曹と呼ばれた男――ガーネットが青年に問う。民間人技術者の一人のようだが、彼らは「自分に何の用だ」と胡乱げな表情を隠さずに見つめる。
「一つ質問があるんです、軍曹」
ガーネットの問いに応じず、赤毛の青年が続ける。どうにも、技術者連中ときたら、自分の事しか考えておらず、こういった質問を無視する事も珍しくない。だったら、さっさと終わらせようと「何か」高圧的に応じる。
「なぜ、銃を常備しているのです? 艦内では、通常、銃の常備は禁じられている筈です。何か、問題でも?」
その言葉に、軍曹の傍らに控えていた青年兵が腰元の銃を隠すように触れる。その動きを視線で制しながら、ガーネットが笑顔を見せる。
「ご心配には及びません。保安巡回中でして、銃を持っているんですよ」
「そうですか、私はてっきりクーデターを始めるのかと思ってしまいましたよ」
ガーネットの笑顔が引き攣り、即座に銃を引き抜き、赤毛の青年に向ける。
「名前と所属を答えろ」
「――反応は悪くない、かつての金星軍にはなかった士気の高さ、そして錬度であると認めよう」
「質問に答えろ」
淡々と言葉を口にする赤毛の青年に、ガーネットは誤記を強め問い詰める。
「元金星軍機械化強襲部隊ヴォルフ所属、|《海の荒鷲》(ネイビー)」
「《ヴォルフ》だと?」
「そう、君の死神の名前だ」
猛禽の双眸がガーネットを射抜き、一瞬動きを縫い止める。
不意に、肉を打つ鈍い音が廊下に響く。赤毛の青年のアッパーが無防備であったガーネットの顎を砕き、続いて放たれた手刀が喉に突き刺さり、ガーネットの生命を一瞬にして断ち切る。
脱力して倒れるガーネットの頚部から、突き立てられた手刀が抜け落ち、鮮血が通路を紅く染めた。
その突然の事態に、二人の兵士が慌てて銃を抜こうとするが、それよりも早く兵士の鳩尾に肘が打ち込まれ、胃液を吐き出しながら悶絶し倒れる。
「ヒッ」と短い悲鳴を上げ、残る一人が銃を向けるが、それを構う事なく、ゆっくりと赤毛の青年の手が伸びる。
「安全装置を外さずに、どうする気だ?」
がっしりと顔面を掴んだ青年は勢い良く若い兵士の後頭部を壁に叩きつける。三度叩き付けたところで動かなくなった兵士を一瞥し、手早く彼らの装備品を取り外す。銃を三丁、それに予備の弾倉9つを確認する。
「軟弾頭か……どうやら、クーデターは本当のようだな」
そう呟き、兵士から剥ぎ取ったベストにしまう青年であった。
「艦長、ガーネット軍曹らに連絡が取れません」
「軍曹に?」
艦橋の通信兵からの報告に、ヒゲ面のヘルベルト・カルペー中佐は胡乱に問い直した。彼の知る限り、今回のクーデター参加の兵らが理由もなしに不通になるとは思えない。
「曹長、彼らの現在位置は?」
「第三船区の廊下です。フォスタ二等兵、コーネル二等兵も同座標に居ります」
「二人には?」
「同様です。連絡がつきません」
「曹長、アラベルト曹長らに連絡。軍曹の居場所に行って確認してくれと」
「了解」
短く応じた通信兵に、カルペーは己の所持する拳銃を取り出し、確認する。そこへ副官であるヤスロ・カスヤ中尉が、カルペーの耳元に顔を寄せ囁く。
「艦長、決行直前にアラベルトらを持ち場所から離れさせるのは良策だと思えません」
カルペーはこの実直な若き副官をジロリと見やる。 清潔そうな顔立ちをした黒髪の青年に、カルペーはゆっくりと理解しやすいよう説明する。
「いいか、中尉。ガーネットは選ばれた兵士だ。彼がこの艦内で連絡を絶つ理由が、俺には分からん。 ……いや、違うな。正直に云えば、私は彼が敵勢力と接触したのではないか、と思っている」
「敵勢力ですか?」
「懸念にすぎんかもしれん。だが見過ごす訳にもいかんだろう」
「はぁ」
納得はできないようであったが、とりあえず頷いてみせる副官に、カルペーは剛毅に笑ってみせる。
「どうにも艦長というのは、心配性には向かんな。コトの成功の暁には、内勤にでもしてもらうさ」
※ 3 ※
「電脳麻薬に嵌ってイっちゃってる奴――確か『へべれけ』だったかにゃ、こういう偏執的な防御プログラム組んでたけど、これはそれ以上だじょ」
セヴンは首筋に埋め込んであるプラグに、コードを繋ぎながら喚く。所謂「インプラント」と呼ばれる脳髄とネットを直接アクセスできるように手術をした人種であり、こういった《埋め込み》の連中の処理速度はスパコンに匹敵するという。
「そういうのはサヴァン症候群に入るのか?」
「さてにゃ。でも、まぁ電脳麻薬をキメると神様にでもなった錯覚に堕ちちゃうそうだじょ。なんかスイッチ入っちゃって、辿り着いちゃう人もいるんじゃないかにゃ」
その隣は、機関銃のようなタッチでコンソールを叩く、黒髪の貴公子であった。マリオ・ヘルカッセ――|《魔術師》(マジシャン)の名で知られる「齧り屋」だ。
金星独特の言い回しだが、セヴンとマリオは『洞穴』が違う。『洞穴』とは、ネットでの流儀である。金星に殖民した人類は、その劣悪な環境化に於いて仮想社会を電脳空間に創り出し、そこでの生活を基盤としていた。無論、旧世紀の末期にあったハッカーと呼ばれる技術者連中にとっては、まさに『世界』と呼称すべき空間であり、様々な技術やプログラムが生み出された。
当然、その多くは非合法なモノであり、おいそれと公の場所で広く流布させる訳にはいかないし、技術者たちの多くも流布を好まなかった。そこで生まれた言葉が、地球の大陸に伝わる『仙人』であり、彼らの研究場所であった『洞穴』という言葉である。その『洞穴』という単語が、流儀流派といった意味で使われるようになったのだ。
そして、そういった『洞穴』を持つ技術者を|《電仙》(ディンシン)と呼び、その弟子や模倣者を|《巫娘》(フーニャン)、|《道人》(タオシー)と呼ぶ。それほど厳密なものではないが、金星人の電脳技術者にとって『洞穴』というのは己の矜持であり、彼らが無節操で無軌道な技術者集団にならなかったのは、この秘密主義めいた『洞穴』の存在を無しに語ることはできない。
|《埋め込み》(インプラント)とノーマルであれば、前者の方が著しく処理速度が速いにも関わらず、マリオが|《埋め込み》(インプラント)をしていない理由はここにあった。要するに彼の『洞穴』はあらゆる機械を人体に埋め込むことを良しとしないのである。サイバネ技術の進んだ金星に於いて彼が義足を使わない理由である。
「艦橋中枢へのアクセスは?」
「保安システムが、スッゲェ強化されてるじょ、っていうか『バビロン塔』とか『アヴァロン・システム』とかに匹敵するにゃ、これ」
軽口を叩いているが、彼女が口にした名称は、絶対不可侵とまで呼称されるデータバンクの名称である。これまで腕利きと称された「齧り屋」どもが多く突破を試み、同じ数だけ廃人を創造したとも呼称される、云わば電脳世界の要塞である。
「|《おさげ頭》(クラッククィーン))にクラックできないってのは冗談でしょう?」
「……このプログラムルーチンに覚えがあるじょ」
「君を手こずらせるような技術者が乗艦してる?」
「|《AAA》(ノーネーム)、間違いないにゃ」
「真逆ッ!! あの婆さん、まだ現役なのか!?」
「現役も現役、あの婆様在る所を情報戦争の最前線というじょ。先月も、月面の企業のAAA(最高機密)を捨て値で火星の企業に売っ払ってたじょ」
そこで、二人の作業を部屋の入り口前で見ていた少女が口をはさむ。
機能的に栗色の髪を短く切りそろえた活動的な少女だ。この艦のたった三名のテストパイロットの一人、レイ・クロースである。
「マリオ、なんか不味いの?」
少女の声は不安に震えている。無理もない。まだ士官学校も卒業していない、そして実戦を知らない少女が実験機のテストから一転、閉鎖された軍艦の中でクーデターを防ぐという、夢物語のような状況に叩き込まれたのだから。安物の映画であれば、ハッピーエンドで終わるだろうが、彼女も一端の軍人候補生である。何の戦闘訓練を行っていない技師が何人集まったところで、訓練された武装分隊に勝てる訳が無い。
だが、それでも奇妙に自信ありそうなマリオとセヴン、そして友人のカルロの態度に何とかなるのでは、と光明を見出したところで、頼りの二人が動揺しているのである。
「君も士官学校で聞いたことないかな? コードネーム『AAA』、一人最前線の異名を持つ「齧り屋」のこと」
「『AAA』? 確か、『洞穴』の草分け的な存在だった人のコードですよね? 20年前に死んだって聞いたけど」
「それは偽装情報だじょ。あのクサレ婆さんは、年齢不詳で今でも現役バリバリだじょ」
「誰かが『AAA』のコードを継いだ可能性は?」
「私の知る限り『AAA』こと黄蜘蛛は11回死んでるじょ。もちろん、公式の記録で、でもって非公式を含めれば、マリオが2回、私は5回ほどぶっ殺してるじょ」
「……………………」
あんまりな二人の言い癖に、閉口するレイ。
「レイ、君は戦艦の基本的な造りを知ってるかい?」
その様子にマリオが優しく問いかける。
「基本は一通り」
「現在の宇宙戦は、まず戦艦同士のメインコンピューターのハッキングから始まる。俗に云う「電子戦」って奴だ。宇宙という三次元空間では人類の空間把握能力、そして機能的な運動を行うための瞬間的な軌道計算をするのは不可能だ。よって、相手の演算機能を押さえる事は、イコール敵戦力の沈黙を意味する。ここまではいいね?」
小さく頷く少女に、マリオが続ける。
「まぁ、一箇所のコンピューターでは乗っ取られたときのリスクが高すぎる。よって、普通は艦橋、第二艦橋、そして機関部の三箇所にコンピューターを設置している。もちろん、最上位は艦橋だが、場合によって優先順位を書き換えることもできる」
「それで、セヴンが艦橋、マリオが機関部のハッキングをしてるんだよね?」
「その通り。機関部に関しては、ノリスらの方の協力があるんで比較的スムーズに進んだんだけど……」
「艦橋が難しい?」
「難しい、なんて言葉は嫌いだじょ、って云いたいけど、この艦の保安レベルは下手したら軍の主要基地クラスすら凌駕してるにゃ。事務所の愛機なら、充分やりあえるけど、この出来合わせの情報端末じゃ処理速度がおっつかないじょ」
「マリオが手伝っても?」
「無理だじょ、こうも演算機能が桁外れにダンチ(・・・)じゃ勝負にならないじょ。多分、『AAA』の婆サマ、自前の愛機を持ち込んでいると考えた方がいいにゃ。 まぁ、素人さんに云っても分からないと思うけど、この保安プログラムは|《論理回路》(ロジック・サーキット)っていう相手ハードの演算機能に負担を掛けて、その隙に攻性のウィルスを送り込んでくるっていう悪質極まりない仕様なんだにゃ」
レイ・クロースは目の前が暗くなるのを感じた。