第5章 《おさげ頭》セヴン・フォレスト
第5章
「腕の立つ兵士はたくさんいる。 だが、英雄になれる兵士はそれほどいない。英雄に必要な素質は何か分かるかい、マリオ?」
「幸運だろ?」
(「ハイヴィスカス戦役」、電子戦艦艦橋の会話記録より)
※ 1 ※
終わりの鐘が鳴る。あるいは、始まりの鐘が。
《シフラン》艦内の空気を変わった事を、肌で感じる者は少なかった。この艦に乗船する民間技術者の多くは、その道で一流と呼ばれる者であり、事実、それに相応しい技量を持ち合わせていた。
だが、一流の技術者がゆえに、彼らは己の外に目を向けることには疎い。彼にとって世界とは、己と己の興味がある事だけなのだから。かくして、艦内の変化を敏感に感じ取った超一流達は、それぞれの思惑を実現すべく蠢動する。
|《魔術師》(マジシャン)マリオ・ヘルカッセ
|《おさげ頭》(ドロップヘッド)セヴン・フォレスト
|《海の荒鷲》(ネイビー)カルロ・ネルヴォ
そして《シュガーシュガー》デューイ・ハミルスター。
裏に伏せられたカードが総て、表に返る。戦争の始まりであった。
※ 2 ※
金星という惑星がある。
太陽系第二惑星。かつての地球では、この惑星は美の女神を象徴する星であった。事実、太陽と月を除けば、もっとも明るい天体であった。
だが、その正体は地獄を具現する世界であった。
1日が地球でいう243日にあたる、長い長い一日の世界――硫酸でできた何kmもの厚さの雲層が地表を覆う。この高々濃度の大気は、とめどない温室効果を及ぼし、金星の表面温度を400度以上の煉獄の世界を、具現していた。
だが、人類は、その地獄にすら降り立つ。
時速350kmに及ぶ、上層の激風はあらゆるものを吹き飛ばし、何層にも連なる厚い硫酸の雲は全てを飲み込んだ。そして、煉獄の煮えたぎる赤き大地は、辿り着いたものを拒む。
しかし、それでも人類は諦めなかった。惑星改造技術を駆使し、多くの犠牲を払いながらも、己らの土地を切り取ったのだ。この地球の何千倍もの悪辣な自然環境から。この人類未踏の惑星に入植した人類の想いは、奈辺にあったのだろうか?
飽くなき、開拓者精神?
そんなものでは説明できない。もっと、狂気に根ざした、もっともっと深い理由が存在するに違いない。
かくして、彼らは人類であって人類でない、もっと違う何か(・・)に変わってしまった。言うなれば「金星人」だ。地球人や火星に入植した連中とは、根本的に精神構造が異なる。
僅かに切り取った金星の地表を一歩外に出れば、生物など存在することすら許されない地獄が広がっているのだ。見目麗しき美しき惑星も、その地肌は醜悪な様相を呈している――なんとも気の利いた冗談ではないか。
「金星人」が「金星人」として、生活するに耐えたのは、その「空間跳躍技術」に根ざす魔法ともいえる物理法則すら無視する超技術力であった。理屈は存在する。だが、それは紛れもなくブラックボックスであった。「ハイヴィスカス」という名の大演算装置を用い、我々は生きるために、その技術にすがったのだ。
曰く、料理の栄養分を知らずとも、料理は美味く食える。
細かい事など知らずとも、その結果さえよければ、後は事もなしであった。僅かに存在した『金星人の秘密を知っていただろう人間』は、6年前の地球との戦争で死に絶えた。現存する人間で、その秘密を知っている可能性があるのは『AAA』か、『公爵』くらいなものだろう。
軌道上から金星の地表を見下ろしていた痩身の中年男性は肩をすくめ、休憩を兼ねた思索を止める。無駄とも思える思索の旅――趣味とも云えない行為であったが、彼はこういった答えの見つからない過去へ思いを馳せる事が好きであった。たかが200年にも満たない金星の人類史ですら黒く塗り潰された部分があるのだ。地球の歴史にはどのような事があるのだろうか……生まれる場所が違ったのなら、考古学者にでもなっていただろうと、男は思う。
「さて、お仕事、お仕事」と小さく呟き、作業を再開する。
彼の名前はデューイ・ハミルスター。
おそらく銀河系で最も優れた機械技師であり、新進気鋭の金星の中小企業の経営者でもある男だ。
かつて「ハイヴィスカス戦役」で地球軍を翻弄した金星無人艦隊の中枢を担っていた男であったが、今となっては金星と地球の戦争など、どうでも良いことであった。そもそも、好き勝手に色々造らせてもらう、という条件で協力していただけであり、特段、金星の独立やら政治などに興味がある訳ではなかった。
ただ地球との開戦前からの敵情視察という名目での地球や火星の訪問、あるいは技術スパイはデューイにとって有益であり、彼は終戦と同時に地球の資本家から投資を得て、金星に企業を設立したという立志伝中の人物である。
金星人にしては稀有な経歴の持ち主であり、広い視野を持った男でもあった。そして、今回はこの有人実験機の技術アドバイザーとして、条約機構軍から是非にと招致を受け、社員一同を引き連れて、この軍艦に乗ることになったのだ。
「クレア、《エレクトラ》のバーニア機動システムはどうだったかい?」
「良好よ、デューイ。私の当初の設計よりも8%ほど最速到達時間が縮まったし、燃費もいいわね。どういう手品を使ったのかしら?」
褐色の巨人の真横で、データの解析を兼ねて視察に来ていたクレア・ラージ女史に話しかけると、零れんばかりの笑顔で彼女が応じる。
「君の慣性制御システムのお陰だよ。無人機用に開発していたバーニアだったんだが、あの機体ならと思ってね」
「あら、答えになってないわ」
「まぁ、強いて言えば『企業秘密』さ。我がハミルスター・インダストリー社の特許申請が受理されたら、いくらでも技術提供させてもらうよ」
「できるだけ早く受理される事を祈ってるわ」
二、三簡単な打ち合わせを終えると、クレアは白衣を翻し、パイロットへ会いに歩いていく。それに入れ替わるように、デューイとは同年代だろう大男が声を掛けてくる。
「どうですかい、我らの《エレクトラ》の調子は?」
「ご機嫌だよ、ノヴ・ノリス」
「そりゃ良かった。一応、今回の航海の主役ですからね」
「で、二人の反応はどうだった?」
「|《魔術師》(マリオ)も|《おさげ頭》(ドロップヘッド)もアナタの読みどおり、アンチ叛乱の旗を揚げましたぜ。というより、あの二人は最初から戦力として組み込んでいたんでしょう、社長?」
大男の問いに、痩身の男は意味ありげな笑みを浮かべる。
「せっかく好きな機械いじりができる身分になったんだ。我が社の経営を危うくさせるような事態は、断固として防がんとダメだろう?」
※ 3 ※
私が美形君こと、マリオ・ヘルカッセ少尉に再会したのは、カルロと別れてから実に3時間後であった。彼の部屋を訪ねてみたが、留守らしく心当たりの場所を探してみたが、結局見つからず、諦めかけたところに、白衣の女性を伴って廊下を進んでくる彼と遭遇したのだ。
「あ〜〜少尉ぃ〜〜、探してたんですよ」
「僕をかい? 何か仕事であれば、放送を入れてくれれば良かったのに」
「いえ、私用で探してたんです。あの、こちらは?」
とりあえず、ちょっとヤバイ相談をするので、できれば人払いして欲しいという意味を込めて、おさげをした白衣の女性に視線をやる。
「君は面識なかったかな? 《エレクトラ》のデータ解析やアップデートを担当しているセヴン・フォレスト技官だよ。一応、中尉待遇だそうだから、僕たちよりは偉いらしい」
「私は別に肩書きなんか無くても偉いにゃ。よろしくだじょ、レイ・クロース訓練生」
う……怪しさ大爆発の語尾が聞こえたような。
澄ました笑顔で右手を差し出すセヴンに、引き攣った笑顔で応じる。
「よろしくお願い致します、フォレスト技官」
「セヴンでけっこうだにょ。ファミリーネームで呼ばれるのは、好きでないんだじょ」
「分かりました。それで、あの、セヴンさん。ちょっとお願いがあるんですが」
「何かにゃ?」
「ちょっとマリオと相談したい事あるですが、借りても宜しいでしょうか?」
「ん、別にいいじょ。仕事の関係で一緒に歩いてただけで、私たちは男女の仲なんかにはなっていないから、安心して何処へでも連れて行くといいじょ」
その台詞にマリオの頬が引き攣る。どうやら彼も、彼女が苦手のようだ。とりあえず内々の相談があると説明し、近くにある彼の部屋に入り込む。
うわぁ〜〜、正直、男の人の部屋に入るの初めてだよ!
思わず赤面しつつも、深呼吸し、マリオにカルロとの相談の内容を説明する。
正直、荒唐無稽な話だと思っていたけど、マリオはあっさり納得してくれた。
「あの、マリオ? ちょっといいですか?」
「なぜ、君の説明を納得したか、という事かな?」
マリオの言葉に頷く。
「簡単なことだよ。僕も同じ結論に至っていてね、外の彼女と一緒に叛乱予備軍と一戦交えようかと相談していたところだからね」
「え、え、えぇ〜〜〜〜!? マリオも彼らの話を聞いちゃったんですか!?」
「残念ながら……僕の場合は、艦内状況の分析結果、その可能性が高いんじゃないかと思っていただけだよ。でも、君の話を聞いて、それが疑惑から確信に変わった。君の一言が、僕らの勝率を20%上げた事になるね。大手柄だよ、レイ」
腰が砕けるような微笑を浮かべた美形のマリオは、反撃作戦の相談をしようと、外のセヴンも部屋に招きいれる。
「マリオ、悪いけど、私には3Pする趣味はないじょ。できれば二人の時に――」
「してねぇし、しねぇよ」
あ、キャラ変わってる。部屋に入るなりのセヴンの一言を邪険にドスの利いた声で一蹴するマリオ。
「さて、反抗の狼煙を上げる準備をしようか」
どこか悪戯を企むような笑みを浮かべたマリオを中心に、私たちは反抗作戦に着手し始めるのだった。