第4章 《AAA》黄蜘蛛
第4章
「キメラは勧められんね、改造をするなら、互換性のある部品だよ、コロソフ」
「異種混合機にゃ、漢のロマンがあるんですよ、班長」
(「ハイヴィスカス戦役」、無人機の修理・整備班の会話記録より)
※ 1 ※
軍艦は、その任務の性質上、破損することが多い。当然といえば、当然だ。膨大な労力と金銭をつぎ込み、盛大に打っ壊し合うのが目的の、なんともくだらない人類の「戦争」というライフワークの為の高価な玩具なのだから。
だからといって、少し壊れたら捨てるという訳にもいかない。何しろ、何百、何千人という人間の生涯年収以上の巨費を投じた玩具なのだ。ちょっとやそっと壊れたとしても、廃棄どころか、リサイクルを考えるのが健全な思考というものである。
となると、壊れてしまっては困る場所をどうするのか、というのがリサイクルへの早道となる。
例えば、機関部。
例えば、ハンガー。
例えば、艦橋。
機関部はしょうがない。ここが破壊される時は、撃沈されるときだ。修理する以前の話である。
ハンガーもしょうがない。こんな場所を取る施設を造っていては、倍以上の予算が必要となる。頑張って修理すれば練習艦、それでもダメなら主砲の射撃練習の的に早代わりだ。
だが、艦橋だけはどうにかなる。一応、指揮できる艦橋があれば、そこは第二艦橋にならなくもない。要は通信機器や戦術CPUのバックアップがあればいいのだ。 なに、一、二戦持てばいい。長丁場、第二艦橋を使う事はない。
そんな理由かどうかはいざ知らず、地球連合軍やら条約機構軍の巡航艦以上の艦艇には第二艦橋という施設がある。専らデータ等の予備保存を目的としており、ここを使わなければならない戦況であれば、その艦船は撃沈間近、早く退避しましょうというレベルなのは間違いないのだが。
よって、皺くちゃの婆さまがここを自室扱いで占領していても、文句をいう奴はいない、という事であった。
第二艦橋と呼べば響きは良いが、実際には艦長席と、通信席、それと戦況解析官の席と三名分の席しか用意されていない狭苦しい空間である。だが、この《シフラン》の第二艦橋はそういった常識的な世界ですらなくなっていた。
「上海ハニー」と達筆で書かれた掛け軸が掲げてあり、どこから持ち込まれたか、観賞用植物と好意的に見れば解釈できなくなくもない奇怪な植物の鉢が大量に持ち運ばれていた。しかも、年季の入った香壷からは甘ったるい紫煙が吐き出されており、ちょっとした異世界が展開されている。
そして、その中心に居座る人物は、そういった環境をものともせず、情報端末をいじくっていた。青白いディスプレイの光に浮かび出される顔は皺くちゃ。もう、どこが目だか、口だか分からないくらいの皺々っぷりである。
彼女の名前は、黄蜘蛛。明らかに本名ではないと思われるが、本人がそう名乗っている以上、追求する者はいない。
そもそも金星人にとって名前というのは、いくらでも代えの効くものである。絶対的に人口数の少ない金星人は、各人にIDが与えられており、名前がなんであろうとIDさえあれば日常生活は困らなかった。よって、己の名前を代えることを容認する文化が存在するのである。もちろん、名前を変えるには役所への届出が必要なので、好き好んで変える者は多くはなかったが、奇妙な名前を己に付けたがる連中は今も昔もいる者で、この皺くちゃの婆さんもその口であった。
しかし、重要なのは、彼女の本名ではない。彼女のもう一つの名前、|《AAA》(ノーネーム)というのが重要なのである。金星のクソガキどもで彼女を知らない者はいない。
「齧り屋」という情報媒体の売り買いの市場を創り出し、様々な違法アクセス方法を編み出し、無差別に攻撃ルーチンをばら撒き、独自のOSを無料で企業に提供し、誤った地球文化を金星に定着させ、無責任に独立運動家を炊きつけ、敗訴目前の裁判を逆転させる証拠を見つけ出し、手品ショーのネタをネット公開し、悪徳政治家の銀行口座から全額を孤児院に寄付させたり、新しい星を見つけて「イスカンダル」と名付けたり、「やおい」は文化だとマスコミに投稿したり、金星では不必要な地球の言語を32ヶ国語ほどマスターしていたり……
まぁ、とにかく無駄にスゲェ婆さまなのである。
『ミズ・ホァン、定期作業報告の連絡です。 現時点での作業報告をお願いします』
不意に第二艦橋のスピーカーが赤く点滅し、若い女の声を伝える。
「あいよ、お嬢ちゃん。全工程の99.9%まで終了。残り0.1%の終了は最終日に終る予定。以上、以上、以上」
『ミズ・ホァン、初日から報告内容が変わっていないと艦長から指摘が入っております』
「だからなんだって? 私が頼まれたのは、この艦一隻で金星の哨戒艦隊と電子戦できるようにしてくれ、なんだよ。 この|《AAA》(ノーネーム)は、受けた仕事はやり遂げる。 心配は無用だよ」
『ですが、ミズ――』
「それとね、小娘。二度と仕事の催促などするでないよ。私は急かされるが一番嫌いなんだ」
『しかし――』
「知らないね、これが「私のやり方」さ。文句あるなら、別に頼むんだったね」
『………了解。定期作業報告受理致しました。次回の定期作業報告は8時間後を予定。以上』
「ったく、せっかく軍艦なんて玩具を弄くりまわす機会はそうそうないんだから、邪魔しないでおくれよ」
それだけ毒づくと、皺くちゃの婆さまは作業を再開する。
目標は、銀河最強の無敵電子艦だ。誰も知らない所で、ありとあらゆる状況を想定した戦術プログラムが完成しようとしていた。
※ 2 ※
骨太骨格の大男と、線の細い美形車椅子は、狭苦しい部屋の中で相談する事を断念した。同性と手を伸ばせば触りあえる距離での長時間に及ぶ話し合いは、お互いの精神に良くない結果となると判断した為だ。特に、傍らは美人も裸足で逃げ出すぐらいの超絶美形野郎である。妙な気分になった大男が押し倒さないとも限らない、というのが実情であった。
「とりあえず、うちの連中に声を掛けとくぜ」
「頼む」
「そっちもデートを上手くやれよ、色男」
「|《おさげの頭》(ドロップヘッド)とデートねぇ。 なんとも、ぞっとしないな」
天を仰ぎ見る青年の様子に、ガハハハハ、と大男が笑う。どうやら、青年がそのドロップヘッドという女性が苦手だという事を知った上での馬鹿笑いのようだ。遠慮のない笑い声に憮然とした青年に、大男はじゃあな、後ほどをハンガーに向かって歩いていく。
青年ことマリオ・ヘルカッセと、大男ことノヴ・ノリスは、この《シフラン》が叛乱を計画していると推測し、その対策を採るべく行動を開始した。不審な材料が一つ二つならば捨て置いたであろうが、どうにも三つ四つと疑念材料が集まれば、偶然と片付ける事はできない。それに典型的な技術屋である彼らは、幸運の女神よりも己の見識と直感を重視するタイプの輩であった。
疑問に思ったのならば、それを徹底的に解明する。それによって、不利益を被る可能性があるのならば、徹底して対策を練る。それが今日の彼らの名声を築き上げたのだ。
現況、採るべき対策としては味方と武器の確保であった。ノリスは、一緒に乗艦した社員を集め、武器を調達する係となり、マリオは味方になりえるだろう|《おさげの頭》(ドロップヘッド)を口説く係となったのである。
計算できる戦力として、ノリスの所属する企業のスタッフが8名乗艦していたのが、幸運だった。マリオも何度か顔を合わせた事がある連中であり、信頼に足る気骨のある人物ばかりであった。酒が入らない限り、信用してもいいとノリス自身も太鼓判を押す面々である。
そして、マリオが口説く予定の「齧り屋」の|《おさげの頭》(ドロップヘッド)ことセヴン・フォレストだが、これがまたどうにも扱い難い女であった。
曰く、銀河最強のクラッカー。
確かに、電子技術者としての能力も一流に相応しいが、彼女が本領を発揮するのはクラックであった。全知全能全てを破壊という破壊に身を捧げた、破壊神の愛娘のような女なのだ。数回、彼女と仕事上で対立する事もあったが、彼女のクラックから護れたデータはなく、対立した数だけ辛酸を舐めさせられた女である。これに好意的な感情を持っている輩がいれば、それはマゾであり決してマトモな神経の持ち主でない。
とはいえ、味方にしなけりゃ敵に回る性格をしている以上、なんとしも味方に引き込みたい人材であった。
深く長い溜息を一つ吐き、マリオ・ヘルカッセは彼女が陣取る魔境へと、車椅子を進めるのであった。
※ 3 ※
『……以上が、カルペー中佐への評議会からの正式要請です』
艦長室で髭面の男が神妙な顔つきで、通信モニターの前で敬礼をする。
「了解致しました。各員へ決行を早めるよう通達し、準備が整い事態、決起致します」
『了解致しました。中佐の武運をお祈り致します』
ブゥンという音を最後に、通信が途絶える。それを確認し、カルペーは背もたれに体重をかける。ギシリと椅子の軋む音が、好きであった。結局自分はアナログなのだろうと、自嘲する。
カルペーという男の戦歴は、生粋の金星人では稀有な、血に塗れたものであった。
「ハイヴィスカス戦役」と呼称される6年前の地球との戦争の際、金星軍は無人兵器と大演算要塞ハイヴィスカスの空間跳躍技術を駆使し、数に勝る地球軍と互角以上に戦った。結局は、ハイヴィスカス要塞の消滅という形で軍首脳部は全滅し、指揮官を失った金星軍は訳の分からないまま、敗北に終ってしまった。政治的処理とでも云うのだろうか、少数人間による大戦力の運用の最大の弱点であった頭脳中枢が破壊されたのが敗因となってしまったのだ。つまりは機械なぞに頼りすぎた為の敗戦だと、カルペーは思っていた。
彼は「ハイヴィスカス戦役」の際、数少ない有人艦船の乗艦し、終戦まで戦い抜いた。己の指揮する無人艦隊で100隻以上の艦船を沈め、己の与えられた戦場を護り通し、多大な戦果を叩き出した名指揮官であった。だが、ハイヴィスカスの陥落と共に、指揮系統が混乱し戦線が維持できなくなった「金星軍と名乗る連中」が降伏。結局、彼は死ぬこともできず、戦後を迎えたのだった。
そして、先の第13コロニーの叛乱。第二次ハイヴィスカス戦役と呼称される戦争では、多くの同胞たちが己の信念の為、決起し戦った。
だが、それはあまりにも無謀で、無計画なものであった。彼らは戦後の亡霊でしかなく、未来を見据えていなかった。だから、失敗したのだと冷たい視線を向ける自分がいる。それがなんとも気持ち悪く、醜悪であった。
しかし、それも終わりだ。あの敗戦から6年……正統なる指導者に率いられ、我々は再び蜂起する。金星の光輝ある未来の為、この闘争は後世に独立戦争と呼ばれるだろう。
条約機構軍という、本意ではない軍隊に所属し、信頼を勝ち取り、一隻の艦長にまで伸し上り、遂にこの日を迎えたのだ。
通信卓のスイッチを入れ、副官を呼び出す。
「中尉、夜明けの時が来た。 同志諸君に伝えてくれ」
『は、はいっ!』
彼の声に興奮した副官の声が返る。音声のみの通信であったが、彼には副官の紅潮した顔が目に浮かぶ。
(軍事的ロンマンティズムといえば、そうだろう)
自嘲染みた笑みを浮かべたカルペーは、部屋に備えられた冷蔵庫からワインを取り出す。「ハイヴィスカス戦役」の時、勝利したら呑もうと思っていた一本である。
「今回はコイツを呑みたいもんだなぁ」
こうして、双眸を細めた髭面は、後戻りできないゲームをスタートさせた。
※ 4 ※
格納庫にある特設の実験機のデータ調整室があった。今回の極秘任務の主役たる《エレクトラ》の起動データを蓄積し、問題点の指摘、OSの改良、データの加工など、云わば、今回の主役といっても過言でない重要な任務である。
そこの主任者に命じられたのが、セヴン・フォレストという女性であった。やや人格に問題があったが、そのデータ解析・加工技術には定評があり、抜擢されたというのが専らの評判である。
本来であれば、厳重なセキュリティで関係者以外立入り禁止の施設に、堂々と無関係者が顔を出す。その手には、黒いIDカードがあった。どうやら、そのカードで施設内に入り込んだようだが、少なくとも顔を出した車椅子の青年が入室許可を与えられていない事は確かだったので、偽造したか、誰かのカードという事になるだろう。車椅子に乗った美貌の青年の名はマリオ・ヘルカッセという。金星屈指の「齧り屋」であり、電脳技術者として知られる男である。
その突然の来訪者を施設内で一人いた白衣の女性は、目が合ったマリオに対して、顔色一つ変えずに一言。
「おや、綺麗なお顔のお客さまとは、珍しいんだじょ」
「………………」
できるだけ笑顔で済まそうと思っていたマリオは、いきなりの先制攻撃で笑顔が引き攣る。眼前の白衣を着た妙齢の女性。よく言えば整った顔立ち、悪く言えば特徴のない容貌の女性だ。強いて云えば栗色の髪をおさげにしているのが、特徴という特徴である。尤も、研究職に就いてる女性の多くは、邪魔にならないように、こういった髪型にしている例も少なくないが。
「何か、用があってきたんじゃないのかにゃ?」
引き攣った笑顔で固まるマリオを前に、顎に人差し指をあて、考え込むポーズをする妙齢の女性。その姿には、なかなか攻撃力があるらしく、怜悧冷徹を以って知られるマリオ・ヘルカッセが一瞬遠い場所を望むように、あさっての方を見やっている。
「むふふふ、君は可愛いじょ♪」
「あ、有難うございます、ミズ・フォレスト」
「あら、君みたいな美形くんに名前を知られてるなんて、私も隅に置けないにゃ♪」
「……貴女も、私を知っているでしょう?」
「むふふふ、正解だじょ。《魔術師》マリオ・ヘルカッセを知らない奴は、この業界でメシを食べてる連中にはいないんだじょ。例えるなら、私のテクにメロメロにならないセキュリティが存在しないようににゃ」
ニヤリと形容するのが、一番正しい笑みを浮かべながら、セヴンがコーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。
「マリオも飲むかにゃ?」
「では、遠慮なく」
注がれたコーヒーを手渡しながら、セヴンがマリオを見やる。
「さて、本題に入って欲しいんにょ。こう見えても、結構忙しい人なんだじょ」
「用件も分かっているのでしょう、ミズ・フォレスト?」
「私は君の口から用件を聞きたいんだじょ」
「………この艦は内惑星条約機構とやらに叛乱を起こす気があると、私は思っています。無論、この艦だけで決起するとは思えませんが、どうにも個人的に参加する気になれないものでして、どうにか邪魔してやろうと考えているのですが――」
そこで言葉をきり、セヴンの様子を覗き見るが、特に変化は見られない。
「そこで銀河随一のクラッククィーンのお力添え頂けないか、と思いまして参上した次第です」
「ふ〜ん、叛乱かぁ。確かに面白いイベントだけど、私も典雅さに欠けると思うにゃ」
「では、協力して――」
「でも、ロハじゃ仕事はせんにょ、私は」
「ロハ?」
「地球の言葉で、無料奉仕って意味だじょ」
「報酬……ですか?」
結果から云えば、交渉は成立した。マリオ・ヘルカッセは己の魂の一部を売り渡し、悪魔を味方に付けたである。満面の笑みを浮かべるセヴン、口から魂が抜け出しかけてるマリオ。今後の二人の関係を決定付ける、運命的な会合であったが、それはまた別の機会に語るとしよう。