第3章 《魔術師》マリオ・ヘルカッセ
第3章
「|《死告鳥》(レイヴン)にしてやられました。入手しましたN計画の情報を完璧に消去された上、内偵中の隊員2名が死体で発見されました。現在、奴の足取りを追ってますが、絶望的かと。 奴は2年前に我々が接触してきた時から、この機会を狙っていたとしか思えません」
(宇宙歴309年3月23日 条約機構軍情報部工作員 ウィリアム・ロン)
※ 1 ※
金星の長い長い灼熱の一日が始る。
赤い大地の彼方から厳かに姿を顕す、血のように赤い太陽を見るのが、その男は好きだった。地球から見える太陽などとは比べ物にならない、巨大で絶大で極大のエネルギー体を眼にして感動に打ち震えない存在などいやしない。神々しいまでの壮大な風景――1年に数回しか見ることのできない風景だ。
紫外線をカットする窓の前に立つのは、褐色肌の精悍な印象の男であった。
中世の裸身の男性像を思い起こさせる鍛え抜かれた体躯は、肉体美という言葉を見る者に喚起させる。それは野生の躍動感ある美であった。生命の美であった。
太陽というエネルギーの象徴を前に、その男からは生命力が溢れ出ていた。
『お目覚めか、レイヴン』
室内に合成音声が響く。一般的な機械音声にも拘らず、この男を前にしては酷く醜悪な印象を受ける。
ああ、と短く応える低く磁力ある声音。
『早速だが、作戦会議をしたい。 会議室に来てもらえるか』
了解、とやはり短く応じると、レイヴンと呼ばれた男は、漆黒の衣を手早く着込み、寝室を後にする。
レイヴンが会議室に到着した時、既に主だった顔は全員揃っていた。
ここにいる全員が、金星の真の独立を願ってやまない活動家たちであった。
「諸君、同志レイヴンも到着した。作戦会議を始めよう」
議長役であろう初老の男性が右手を挙げると同時に、円卓を囲む6名が一斉に席につく。
「スライダル・ポイントより、無人CA67機を確保したとの連絡あり。現在、《ノア》からの送信データを入力中。《ノア》合流後、一斉蜂起する予定であります。計画の進行状況に問題はありません」
「パトリック・スズキ少佐以下、陸戦部隊αチーム208名の首都潜入完了。スライダル蜂起と同時に、ピーター・エドワードら政府首脳陣の強襲可能です」
「クリストファー・ゲイツ少佐以下、陸戦部隊βチーム196名の金星駐留軍内部への工作完了との報告あり。スライダル蜂起と同時に、駐留軍司令部の強襲可能です」
「ヘルベルト・カルペー中佐より、《ノア》に於ける有人機実験の消化は順調との報告あり。艦内部には蜂起内容は未達との事。協力要請を拒む者に関しては、陸戦部隊δチーム32名による殺害を予定。計画決行日は20日を予定」
「《ノア》の乗艦員は同志ではないのか、コールダー少佐?」
短く金髪を刈り込んだ武人然とした黒人に、レイヴンが質問する。
「実験有人機の戦闘記録収集の為に、民間人を含め、反政府思想を持った有能な人物を選抜した。問題はないはずだ」
「ないはずだ、では困る。コールダー少佐、なぜ、このような重要事項を黙っていたのだ?」
「大事の前の小事にすぎん。彼らも野蛮な地球人や火星人などの風下に立たんよ」
「根拠がない」
「協力しなければ、殺すだけだ」
「殺せなければ?」
「レイヴン、貴様はなぜ失敗すると考える!? 陸戦隊32名を相手に技術屋風情が勝利するとでも思っているのか!?」
「可能性の追求だ。《ノア》が計画の中心にある。悪いが、コールダー少佐。貴方のやり方はずさん過ぎる」
「なっ!」
「そこまでだ、二人とも。ここは喧嘩をする場所じゃない。……だが、レイヴンの指摘は尤もだ。大丈夫なのか、コールダー少佐?」
「カルペー中佐は歴戦の猛者だ。機械いじりばかりしている技術屋如きに遅れをとる人ではない」
「……コールダー少佐、カルペー中佐と連絡を取り、タイムスケジュールを早めるよう通達したまえ。 必要な戦闘記録は充分すぎるほど入手できた。安全策を取るに越した事はない」
「……了解しました」
そこで、これまで無言でいた初老男性が再び口を開く。
「では、次の議題についてだが……」
※ 2 ※
「《実験機》の戦闘記録を無人機搭載プログラムとして手を加えてるっていうのか?」
「|《おさげ頭》(ドロップヘッド)のお嬢ちゃんが耄碌してなけりゃ、間違いないな」
「条約機構軍ってのは無人機の開発に力を入れているのかい、ノリス?」
「おじさんも軍事に明るい訳じゃないからな。だが|《おさげ頭》(ドロップヘッド)曰く、次期主力機は地球産CAで決まっているそうだよ、従来の量産期のマイナーチェンジってやつだそうだ」
同じ個室を宛がわれているにも拘らず、ノリスの個室には奇怪な機材が多く運び込まれており、寝台と机以外は共通点がないように見えた。
大男は器用に狭い部屋を掻き分け進み、部屋の情報端末をオンにする。
「ちょいとイジクッてね、おじさん仕様になってる」
「LANから独立させたか」
「|《おさげ頭》(ドロップヘッド)とホットラインを繋げたと云って欲しいね、内緒話するのに覗かれ放題じゃ萎えちまうだろ?」
下品な笑みを浮かべるノリスが手早く端末を叩く。
「|《おさげ頭》(ドロップヘッド)の調査によるとだな、この極秘任務とやらはN計画という任務の一環らしいんだが……」
「条約機構軍とは関係ない、違うか?」
「気付いていたのか、マリオ?」
「勘だよ、冗談じゃなくってね。確信はなかったけど、乗艦してる連中の素性を持ち込んだ携帯端末と照会してみたら……なかなか面白い状況でね」
「ったく、お前ら《齧り屋》連中ときたら、油断も隙もあったもんじゃないな。 で、おじさんにも分かるように説明してくれよ」
「この艦に乗っている軍人は全員、金星人であり二年前の叛乱で目を付けられていた連中ばっかりなんだよ。まぁ、全員はカバーしてないが、ほぼ間違いないだろうよ」
「それで?」
「俺が条約機構軍の司令部の人間だったら、こんな人員配置は間違ってもしない。少なくとも、危険思想を持つ軍人を一つの閉鎖空間に閉じ込めるのは、軍人でなくともヤバイ事は、そこら辺のジュニアハイスクールのガキでも理解できる」
「なるほどな」
「それに、俺もアンタも|《おさげ頭》(ドロップヘッド)も反政府……っていうより、反社会的な思想を持った民間人さ。しかも乗艦員名簿にある民間人は、反政府集会でもやるのか、って憲兵連中が飛んでやってくるだろう、豪華な顔ぶれときたもんだ」
「……叛乱でもするのかね、この艦は?」
大袈裟に天を仰ぐノリスに、マリオが薄い笑みで応じる。
「そこに|《おさげ頭》(ドロップヘッド)の情報だよ。そのN計画とやらが条約機構軍の極秘計画ではなく、叛乱軍の極秘計画と考えるのなら、理解し易い。違うか?」
「おやまぁ〜」
おどけた驚いたジェスチャーをするも、その眼は笑っていない。
「で、色男。そのぶっ飛んだ発想で『叛乱』とやらに参加する気かね?」
「それこそ冗談だろうよ、俺が嫌いなのは無能な輩だよ。地球だろうが、火星だろうが、金星だろうが、関係ない。俺の主人は、俺だけさ」
「冗長系のおじさんには分からないねぇ、そういう哲学は」
「今日は4月18日か。もうそろそろ叛乱をするから君たちも協力したまえ、と放送が入るんじゃないか……協力しない輩は、宇宙服なしの宇宙遊泳を楽しむ特権のオマケつきでさ」
「おやおや、どうしたものかね」
「どうもしないさ。この計画とやらは成功しないんだから」
黒髪黒目の美貌の青年が凄艶な微笑を浮かべる。その双眸に宿るは、狂気に見紛うばかりの矜持。
「叛乱が起きると本当に思っているのかい、|《魔術師》(マジシャン)?」
「根拠は薄弱だが、可能性はある。そして俺の勘が警鐘を鳴らしている。万が一に備えられん奴は、この業界じゃ長生きできんさ」
「まぁな」
「さて、戦争と洒落込もうじゃないか。ノリス、君も参加するかい?」
「勝てるんだろうな、色男」
「負けると思うかい、ノリス」
「あ〜、わ〜ったよ。 お前さんは負けねぇし、俺達は勝つ。それでいいんだろ、|《魔術師》(マジシャン)!」
両手を挙げ、降参するノヴ・ノリスであった。
※ 3 ※
ホールへ駆け込んだ私の目に、目的の人物が映る。
目的の人物、それは《海の鷲》と渾名される真紅の青年だ。
赤銅の肌に、赤みのかかった金髪、双眸は燃えるような琥珀色である。顔立ちは整っているが、先程の黒髪の青年――、|《魔術師》(マジシャン)と渾名される美貌の青年と比べると、いくらか粗雑な造りといえる。
まぁ、マリオは金星でも指折りの美形君だから比べるのは酷というものだけど。
だが、炎のような外見をしているくせに、その双眸の輝きは柔和そのもの。口許にもニヘラという締りのない笑みが浮かんでいる――減点40点。
これでキリッとしていれば、充分合格点の美男子なんだけどな。
「カルロ! ちょっと!」
真紅の青年の名を呼び、ホールで談笑していた数名の注目を集める。そこに、ヨタヨタと返事をして近づいてくる痩躯の青年。当然、話題の乏しい館内では充分なほどの出来事だ。
「カルロの彼女だよ」「艦内でセックスは禁止だぞ」「乗るなら、オレにしろってか」「ゲハハハハ」と下品に囃し立てるダミ声がホールに響き渡る。
う、迂闊だ。公共の場で(特にここは軍艦内だ!)ファーストネームを呼んでしまうなど、二人が親密な仲であると邪推される話題を提供してしまうなんてぇ!
それを知ってか、知らずか、ぬぼぉっとした青年が前にやって来る。
「どうしたの、レイちゃん? 戦闘シュミレートでエラーが発生したの?」
「れ、レイちゃんって呼ぶな、バカ! 誤解されるでしょう!」
「で、でも、レイちゃんはレイちゃんじゃない。レイだなんて呼び捨てできないよ……」
「ダ〜〜〜! 誰が呼び捨てしろって云った! クロース練習生とか、呼び方あるでしょうに!」
「呼びにくいよ、それ」
「カァ〜〜〜! もう、いいわ。とにかく此処じゃ話できないから、着替えてきなさい」
「でも、ほら、規定のアスレチックを消化しないと」
「いいの! この私が用あるって云ってるんだから、さっさとしなさい!」
こうして、私とカルロは1ダースばかりのだみ声をバックミュージックにホールを去るのだった。
「ねぇカルロ。 正統なる金星政府の樹立って言葉の意味わかる?」
待機室の自動販売機のコーヒーを手渡しながら、どこか超然としている真紅の青年に聞く。
「正統なる金星政府? まぁ、現政府は地球と火星が勝手に手打ちして、でっち上げた政府だから、正統じゃない政府と云えなくもないけど……そうだね。革命でも起こせば、正統な政府とやらを樹立できると思うよ」
「革命?」
「もしくはクーデター」
「クーデター」
どちらにしろ、聞きなれない単語なのは間違いない。深呼吸を一つ。
「カルロ、一つ聞いてもいいかしら?」
「スリーサイズ以外なら」
ジト目で緩い笑顔の青年を見やるが、堪える様子は全くなく、溜息を吐く。
「この艦がクーデターを起こす可能性ってあると思う?」
我ながらメチャクチャな質問だと思うが、カルロは真面目な顔で考え込む。
「レイちゃん、なんでそう思うの? こう云っちゃなんだけど、レイちゃんの考え方は意外にも堅実だ。ボクは君が「なんとなく」とか「仮定の話で」そういう話をする人じゃないと知っている。答えてくれるかな?」
す、鋭い。恍けた顔してるくせに、抜け目ないっていうか、押さえる場所はしっかり押さえる。思いすごしなら、と思っていたけれども観念して正直に答えるにした。
「う〜ん、なんかね。この艦の軍人さんがそういう事いってたのよ。正統なる金星政府を樹立させるとかなんとか」
「ホントに?」
「ホントに」
「だとしたら、けっこうマズイ状況だよ。どこで聞いたの、その話?」
「備品倉庫。昼寝してたの」
「なるほどね……誰だか分かる?」
「ナージ少尉、整備班の班長よ。もう一人は分からなかったけど」
「つまり二人か……かなりの高い確率で、この艦はクーデターを起こそうとしてると思っていいんじゃないかな?」
「マジで?」
「マジで」
そこで考えを纏めるように、カルロがコーヒーに口をつける。
「そのナージという男は、自己顕示欲が強いんだろうね。正統政府とやらを樹立させる一員であるという事を、誰かに示したいんだよ、きっと。もちろん、クーデターという性質上、外部に自慢することなどできやしない。なら、自慢するとしたら?」
「仲間?」
「正解。でもって、そのナージという男はそのクーデターが成功することを確信している」
「なんで?」
「レイちゃんは気付かなかったかな? ボクはずっと違和感があったんだけどね。この艦の軍人の大半は、休憩時間に待機室やホールに顔を見せていない。極秘任務とはいえ、民間人を大量に雇い入れるようなレベルの任務だ。そんな緊張しまくって自室に篭るような類の任務じゃない」
淀む事無く、説明を続けるカルロに軽い驚きを感じる。普段、ぬぼっとしてるだけに、こういった時は格好良く見えてしまう。
「状況から察するに、彼らにとって実験は二の次であって、この航海には別の重要な……そう、極度の緊張を強いるような別のイベントがあると考えられる。例えば、クーデターとかね」
「で、でも、なんで成功を確信しちゃってる訳?」
「簡単さ、この艦の軍人の大多数がクーデターの共謀者なんだよ。邪魔するとしたら、何も知らない民間人だけ。だったら、まず成功すると思うだろ?」
つまり、この艦の軍人はクーデターを計画していて、しかもそれはこの航海中にやると。でもって、私はそれに強制的に巻き込まれる……ってことかしら。
引き攣る笑顔で、カルロに三度問い掛ける。
「なんとかできないの、カルロ? 私、この歳で犯罪者にはなりたくないんだけど」
「大丈夫だよ、レイちゃん。ボクがなんとかするから」
満面の笑顔で頷くカルロが、こんなに頼もしく思えるなんて!!
「でも、相手は軍人だよ?」
「あれ? レイちゃん知らなかったっけ? ボクの名は|《海の荒鷲》(ネイビー)。『ハイヴィスカス戦役』で武装中隊をたった一人で全滅させた戦士の名前だよ」
変わらない笑顔なのに、背筋が凍りつく。よく知っている顔なのに、まるで知らない顔……貴方はホントにカルロなの?
「そうだね、とりあえずレイちゃんは信用できそうな人たちと一緒にいるといいよ。誰か知人はいる?」
知人……同じパイロット仲間か、あとはマリオくらいかな? それをカルロに伝える。
「なら、、|《魔術師》(マリオ・ヘルカッセ)に頼むべきかな。傍若無人を擬人化すればマリオ・ヘルカッセになるっていう人だから、クーデターに加担してる可能性はないだろうし。残念だけど、パイロットは微妙だね。軍人たちが首謀者である以上、彼らがすでにクーデター側に付いてる可能性もあるし」
「でも、どうやって」
「正直に云っても大丈夫。彼は顔の良さに反比例して性格すげく悪いけど、頭はいいからすぐに状況は理解してくれるさ」
こうして私は再び、美形君に会いにいくのだった。