第1章 《エレクトラ》
第一章
「……銃って重いですね」
「そうだよ、カルロ。 アンタは、その重さが分からなくなるような人になるんじゃないよ」
(「ハイヴィスカス戦役」、月面基地潜入作戦前のブリーフィング室での会話記録)
※ 1 ※
――条約機構軍所属、金星軌道防衛艦隊七番艦――
カツカツカツカツ
小気味良い靴音を響かせ、女が一人歩いていた。
己の靴音だけが木霊する回廊に、不意に若い女の声が重なる。
「ク・レ・ア・お姉ぇさ〜ま〜☆」
薄暗い戦艦の廊下を颯爽と闊歩する女史は後ろから掛かる黄色い声に、さっと振り返る。その声に聞き覚えもあったのも事実だが、何よりも声を聞いた瞬間に感じた寒気は何よりも「天敵」の存在を示唆していた。
だが、薄暗い回廊に人の姿は見えない。
「疲れてるのね、きっと……」
確かに、慣れない軍関係の機密任務という事もあり、彼女が精神的に疲弊しているのは事実であった。ゆえに、あんな空耳などを聞くのだと己を納得させ、軽く肩を竦める。
「つぅ〜かまえたッ☆」
キャっと短い悲鳴を上げ、真横から抱き付かれた女史は、持っていた書類の束を盛大に廊下にばら撒く。
「はにゃ〜ん♪」
女史の豊かな胸に頬擦りする少女を確認すると、もう、と小さく呟き首根っこを掴んでひっぺがす。
「はにゃ〜ん禁止! 急に抱きつかないって何度注意したら分かるの、中尉」
女史は散らばった書類を拾い集めつつ、抱きついた少女に注意する。
注意された少女は然程気にした風もなく、ニコニコと笑顔を見せている。
容姿でいえば美少女と評することができる少女であった。年の頃は15、6歳。肩に掛かるくらいまでに伸びた髪は金色で、透き通るような陽光色をしていた。そして、顔の中心には好奇心に輝く翡翠色の双眸。少女は細くしなやかな肢体をしており、それを包む、赤を基調にしたピッチリした軍服がその幼い体型を顕わにしていた。
一方で、それを注意する女史の容姿も印象的であった。
肩口で綺麗に切り揃えられたプラチナブロンドに、聡明な輝きを灯した茶褐色の双眸の妙齢の女性だ。知的美人特有の冷たい感じもなく、むしろ小学校の先生などが似合う雰囲気の持ち主である。
「いいじゃんよぉ〜、この船で抱き付いて気持ちいいのクレアだけなんだしぃ〜」
「ダぁ〜メ! それに私は上司になんだから、中尉はもう少し節度を以って接しなさい」
手厳しくぴしゃりと注意する女史に、「中尉」と呼ばれた少女が可愛らしく頬を膨らませる。
「え〜、いいじゃんよぉ〜。スキンシップだよぉ〜、上司と部下の風通りを良くして、このムサイ艦内生活に潤いをっていう、イタイケナ少女のお願いだよぉ〜」
その様子に、軽く溜息をついて、抱きつくなら腕だけにしなさい、と左腕を差し出す女史に、嬉しそうに抱きつく少女。女史は書類を右腕で抱えると、幸せそうに左腕に抱きつく少女を眺め苦笑する。
(こんな少女が、軍のエースパイロットなんだから……世のオトコどもがだらしないのかな)
女史は少女を伴い、艦橋へのエレベータへ向かうのだった。
※ 2 ※
――秘匿任務第23−××号 金星軌道上に於ける有人機動兵器実験及び戦艦運用――
宇宙歴312年4月5日 発行
条約機構軍統合本部より、金星軌道防衛艦隊七番艦に通達
命令は以下の通り
金星軌道防衛艦隊七番艦に通常哨戒任務を一時解除
条約機構軍金星統合本部より、極秘裏に有人機動兵器の実験及び、戦艦運用データ収集目的とした航行を命ず
軍務詳細については、秘匿通信にて状況開始後、送信す
尚、本任務は内部最高機密事項に触れる条約機構軍規第47条2項、及び第82条、第84条に抵触する任務の為、外部への情報漏洩は厳罰に処される
宇宙歴312年4月7日に通常任務を解除
宇宙歴312年4月8日にスライダル・ポイントにて実験機及び、物資補給後、秘匿任務開始
宇宙歴312年4月22日までに、定められた任務を遂行後、スライダル・ポイントに帰還せよ
条約機構軍に相応しい義務と責任を果たせ。
以上
※ 3 ※
クレア・ラージ女史は、左腕にしがみつく少女に視線をやりつつ、思考を巡らせる。
第二次金星戦役終結と同時に金星に設置された軍士官学校、そこでCA操縦に関わるCAパイロット課は50名しか入学できない難関学科の一つである。
そこで行われる3年間に渡る厳しい訓練は、訓練生らを容赦なくフルイにかけ、卒業し条約機構軍に参加できるものは、20名を切るという状況だ。そんな難関学科であるCAパイロット課を卒業したパイロットの中で、今回の実験機《エレクトラ》のテストパイロットに選ばれたのは、まるで少女のような外見のマフティア・シャルフであった。無論、それには説得力のある選抜理由があった。
金星士官学校第1期CAパイロット課首席卒業にして、現時点での金星人ナンバー1パイロットと目される人物。それが彼女であったのだ。
その容姿だけで見れば、15歳くらいにしか見えない少女であったが、今年で22歳になるれっきとした大人の女性である。実績、技量、資質、どれをとっても現時点では、金星一のパイロットと評しても過言でもない。
有人稼動機に於いては、高機動によるGの影響を受け難い小柄な人物が有利とされており、事実、名パイロットと称される人物の多くが小柄な人物という事もある。
実際問題として、長身の人物であればあるほど、高機動戦闘によるGの影響により『ブラックアウト』と称される一時的な失神状態になる事が多く、訓練である程度緩和されるとはいえ、長時間の戦闘になればなるほど、小柄な人物との差は歴然となるのであった。
そういった意味では、彼女の選定は間違えではないと思うし、正解だったと思うが……なにぶん、この調子なのである。
あぅ〜、と幸せそうにしがみつく少女は、これでも正規の条約機構軍金星駐留艦隊の機動部隊中隊の隊長でもあり、今回は実験機パイロットだけでなく、搭載CA部隊の隊長を兼ねて、この艦に乗っている。そういった意味では「金星艦隊」に於けるエリート軍人といっても差し支えないが、何かとべたついてくるこの少女とイコールで見ることはできない。
彼女自身、何かと迷惑を被ることが多いが、それでも少女を邪険にできないのが不思議だなと、まじまじと少女を見詰めてしまう。
「ところで、お姉様。一つ聞いていい?」
なにやら深刻そうな顔をして、こちらを見る少女に、ドキリとするクレア。
「何かしら、中尉?」
「あの、お姉様ってコレいるんですか?」
「コレ?」
親指を意味ありげに突き立てる少女に、戸惑う。
「ん〜、オトコですよ、オ・ト・コ! 艦橋にすっげぇ〜美形クンいるじゃないですかぁ〜。なにやら、影があってひ弱そうな! お姉様みたいなしっかり者って、あ〜ゆ〜母性本能をくすぐるタイプにコロっていっちゃいそうで心配なんですよぉ〜」
「美形クン? ひょっとして、ヘルカッセ少尉のことかしら」
「ああ! アタチの適当な説明でも名前がすぐ出るなんてっ!!」
少女は両手を頬に当て、なにやら一人で驚愕のポーズをとっている。
「艦橋で美形って呼べるのは、ヘルカッセ少尉くらいしかいないじゃないの」
苦笑混じりの説明に、少女が身を乗り出す。
「ん〜確かにそうですよねぇ〜、よく考えれば艦橋には髭ゴリラとその一味しかいないですもの。でも、お姉様は綺麗だから気をつけてくださいよぉ〜。いざとなったら、アタチが護ってあげますけど♪」
エレベータが艦橋で止まると、シャドーボクシングをしながら辺りを見渡す少女。
「シャルフ中尉、お願いだから艦橋内で髭ゴリラとか云わないでね」
「はぁ〜い、気をつけま〜す」
「ほんと、頼むわよ」
眼前の扉が開くと同時に敬礼をする二人であった。
※ 4 ※
「では、次の機動実験は2000より再開する。それで宜しいか、ラージ技官」
「はい、それまでに先程の無人機との戦闘のデータ解析と機体整備を終了させます」
「了解した」
『艦橋の髭ゴリラ』ことヘルベルト・カルペー中佐は、略式敬礼をし、再び艦長席に鈍重そうな身を沈める。当年きって42歳。かのハイヴィスカス戦役から前線に出ていた金星では珍しい叩き上げの猛者であるが、この2、3年で大分ふくよかな体型になってしまった大男である。
髭などが薄い金星人の中で珍しく、顔の面積の半分が黒い髭に覆われた山男のような風貌のオトコであるが、本人はこの髭に風格があると思っているらしく剃るつもりは今の所ないようである。
正直、むさ苦しい上に清潔感がないだけで、士気高揚に一役どころか、全く貢献していないのだが、まぁ、少なくとも本人のやる気だけは高揚させているようであった。
実験機の射撃試験結果の報告を行い、艦橋を出ようとする女史と少女に話しかける人物がいた。車椅子に座った、その絹糸のような黒髪を肩口で切り揃えた、精緻な彫刻を思わせる美貌の士官は、その外見どおりの玲瓏な声音を紡ぐ。
「ラージ技官、少しお時間を頂けますか?」
「ヘルカッセ少尉? なんでしょうか」
「ちょうど小官も交代の時間でして。先程の無人機の《命令者》として、多少意見交換ができればと思いまして」
《命令者》とは無人機を遠隔操縦する人物のことである。人口の絶対数の少ない金星では、あらゆる機械の無人自動化が推し進められてきていた。絶対的な人材不足である金星では、戦争に於ける無人兵器開発については国を挙げての一大事業として、大々的に開発研究が行われてきた。ただし、戦争といったランダム要素が多く発生する場合、既存のプログラムでの対応では限界があり、リアルタイムで指示命令を出す職種が必要となったのだ。
それが《命令者》である。
「ええ、そういうことでしたら」
笑顔で応じるクレアに、嫌そうな顔をするマフティア。
車椅子で移動する青年に、女史が自然な動作で背後に回るも、それを遮るように少女が背後に取り付く。
「クレアはいいの! 私が少尉を押していくわ!」
「これは、これは感謝します。シャルフ中尉」
「そう思ったら、クレアに手を出しちゃダメよ、少尉」
「ラージ技官に、ですか?」
「そう! クレアはアタチのなんだから!」
「違うでしょ、シャルフ中尉! 私は誰のものでもありません」
「え〜〜〜、クレアは愛を語り合った事を忘れてしまったのぉ〜」
「語り合ってない」
「そんなぁ〜」
クスクスとその様子を見て笑う美貌の青年に、女史が赤面する。
「あ、いえ、少尉、これは違うんです! これはシャルフ中尉の悪戯で……」
「あ、これは失礼。他意はありません。それにしても随分と仲が良いのですね」
「そうよぉ〜、だから少尉もジャマしたら承知しないわよぉ〜」
「肝に銘じておきましょう」
そんな会話をしつつ、待機室に到着し、シャルフ少尉と別れる。これから医務室での検査があるそうで、渋りながらも女史の「もう、口をきかないわよ」の一言でスゴスゴと医務室へ歩いていった。
本来は、パイロットや休憩中の整備班員などがいる待機室であるが、今回の強行スケジュールの影響で整備班はほぼフル稼働中。パイロットも、シャルフ中尉の他に二人いるが、彼らは有人機のシュミレーションを行っている時間で、無人であった。
「先程の無人機との高機動戦闘は見事でしたが、あれは機体の性能と搭乗者の技量、どちらに拠るものですか?」
自動販売機のコーヒーを女史に手渡しつつ、ヘルカッセが女史に問う。技術者特有の好奇心から質問である事が、クレアには理解できた。ヘルカッセに限らず、金星の技師の多くは己の技量に対する自負がある一方で、優れた技術、優れた才能から学べるものは学ぼうという気質がある。
「あの高機動戦闘は、実験機の性能です。姿勢制御システムに大きな特徴がありまして。ですが、近接時の戦闘スキルはシャルフ中尉の技量ですよ。まぁ、少尉にはこちらをご覧になってもらう方が早いでしょう」
手元の書類の束を車椅子の青年に手渡す。書類の表題には赤字で「PROJECT―STAND」を記載されている。
「これは……実験機の設計性能関係の書類じゃないですか。いいんですか、ラージ技官? 部外者にこんな機密書類を見せても」
「でも、《魔術師》が本気なれば、簡単にプロテクト解除できる程度の情報だわ。 あとで好奇心に押し切られた、《魔術師》にハッキングされて、始末書を書かされるよりずっと効率的だと思ったんですけど」
「違いまして?」と窺うように、女史は笑顔で応じる。その笑顔に苦笑を浮かべつつ、マリオは書類の内容を手早く確認する。
「動力が面白い……見た事ない動力タイプですが?」
「非相対論を基軸とした超伝導ドライブ搭載型コンバットアーマー《エレクトラ》。従来の有人機と比較して反応速度、機動力、出力量、いづれも既存機を遥かに上回る性能を持つ最先端技術の結晶よ。現在、試作機、実験機を含めて、《エレクトラ》に匹敵する高性能は存在しない、と自負してるわ」
「……このデータを見る限り、人類が操縦できるシロモノとは思えませんね」
「正直な感想ね、少尉。確かに、《エレクトラ》の加速率などを考慮すれば高機動戦闘するのは不可能だわ、有人機である限りね。操縦者が耐え切れない高機動戦闘が可能であっても、それは意味がない」
「しかし、こうして実験をしている。そして、先ほどの見事な模擬戦闘の結果はそれを可能とする魔法があったってことでしょう?」
「ご名答。『ハイヴィスカス戦役』以降、条約機構軍は高性能CAの開発を民間軍需産業に依頼しているわ。もちろん、この金星の企業にもね。少尉は私の経歴をご存知かしら?」
「ラージ技官の経歴ですか? ディン商会の技師長の肩書きを持つ、金星でも指折りの才媛であるって事しか存じ上げませんね」
そこでクレアは意味ありげな微笑を浮かべ、手にしたコーヒーに口をつける。
「元々、無人機の設計なんかに関わっていたのもあるけど『ハイヴィスカス戦役』が終わってから、ちょっとアチラの研究施設に留学……っていえば聞こえがいいけど、地球や火星の技術者の方たちと技術交換をする為に行ってたのよ」
金星の科学技術は、地球や火星を特定分野に於いては遥かに凌駕している。もっとも、劣悪な環境化で生存する為に必要な技術であり、生き残るために日々切磋した結果の技術である為、こうして内惑星条約機構に参加するようになった現在でも、技術提供に難色を示す金星人は少なくない。
「技術交換なんて名目だけで、ほとんどは私たちの技術を提供させるだけ。正直、面白くも楽しくもない毎日だったわ。だけど一人だけ、そこに面白い女の子がいたの」
「女の子?」
「そう、火星生まれの魔法使い。その可愛らしい女の子は実は《魔女》だったって話」
「これはまた、メルヘンですね」
「彼女は私との友情の証に『魔法』を教えてくれたわ」
「魔法……ですか?」
「そうよ、少尉。私は彼女から、重力制御っていう「魔法」を教わったの。チチンプイプイってね」
奇妙な動作で呪文を唱える女史に、車椅子の青年が口に含んだコーヒーを吐き出しながらむせ込む。その様子が面白かったのか、女史がコロコロと陽気な笑顔を見せる。
「ゴホゴホ……ん〜、あ、あ、あ〜。ラージ技官、珍妙な呪文を急に唱えないで下さい」
「あら、ヘルカッセ少尉。珍妙とは失礼ね、せっかく重力制御の魔法を教えてあげたのに」
目じりの涙を指で拭いながら、クスクスと抗議する女史に青年は苦笑する。
「彼女は、かのブラックボックス『GR機関』の開発設計者でね。その最重要機密事項の技術システムを私に教えてくれたのよ、もっとも『バレなきゃかまわない、使わない技術は意味がない』って娘だったから気にはしてないでしょうけど」
「確か、シルフィードとかいう最新戦艦に搭載されていた動力機関――重力制御テクノロジーの結晶ですよね? 生憎と専門でないので名前程度しか聞いたことありませんが」
「個人でそんな情報を手にしても持て余してしまうわよ、少尉。《エレクトラ》には『GR機関』を改良したシステムを搭載させてるの。それが、魔法の正体よ」
「その魔法には興味ありますね」
「それは極秘事項よ、少尉。女同士の友情は最高機密事項の上をいくってご存知なくって?」
「それは残念ですね」
マリオの大袈裟な言い方に、クレアが微笑を浮かべる。
「それに、重要なのは高機動時に発生するGを相殺するシステムが《エレクトラ》に積み込まれているってことでしょ?」
「つまり、無人機以上の無茶な機動戦闘が可能な機体って訳ですか」
「そうなる予定よ」
「なるほど。……でも量産はできない、違いますか?」
「面白い意見だわ、少尉。理由を聞かせてもらえるかしら?」
「高機動戦闘を無人機以上に『やってのける』パイロットがどれほど存在するのか……軍事に疎い自分にも想像がつきますから」
「そうね。その通り、金星の数少ないパイロットで《エレクトラ》の性能を発揮させる人物はシャルフ中尉くらいだわ。それが条約機構軍と枠を広げた所で、10名を超える事はないでしょうね」
「……ラージ技官、この計画書にはもう少し続きがあるんじゃないですか?」
「軍事機密よ、少尉」
朱を引いた唇に人差し指をつけ、双眸を細める女史に、青年は書類を返す。
「何はともあれ、楽しい講義でした。貴重な時間を有難うございます」
「あら、私も久しぶりに目の保養ができたわ」
「シャルフ中尉に聞かれたら、私が殺される台詞ですよ、それは」
クスクスと笑みを浮かべながら、気をつけるわ、と澄まして応じた女史が踵を返す。その背を見送りながら背伸びし、青年が呟く。
「さてさて、女性の思惑を察するのは難しい、難しい」
※ 5 ※
マフティア・シャルフ
宇宙歴285年8月27日生 性別:F
出身:金星・第4コロニー出身
パイロット適性:S+
登録ID:ST10347GL
第七人工受精実験、被験#2035
オルヴィラ・シャルフの養女として育てられるも、13歳の頃に死別。
金星政府高官リチャード・ボーキンズの後見を得て、同年設立された士官学校CAパイロット課に推薦入学。 以降、卒業まで三年間首席の成績で過ごす。
条約機構軍金星駐留艦隊、CA部隊に少尉として着任。
翌年、中尉に昇進。 第03CA中隊の中隊長に就任。
宇宙暦307年1月より、実験有人機テスト操縦者兼特殊スタッフとして秘匿任務に従事。
これより、マフティア・シャルフの経歴を特A級秘匿情報として凍結。
解除キーレベルは以下の…………
※ 6 ※
「臨界速度に於ける射撃実験を開始します。シャルフ中尉、カウント入ります」
《シフラン》艦橋のマサラ・グレンセン曹長のアルトが狭い空間に木霊する。あいあい、と軽く呟きながら、コクピットの少女は左上方ディバイスユニットを中指で軽く叩く。
「カウント5、4、3、2、1」
『ファイヤー! やったるぜぇ〜〜〜!』
少女の掛け声と共に、褐色のCAのバックバーニアが勢いよく噴射される。虚空に真紅の軌跡を描きながら疾駆する機体の速度は、遠近感の掴み難い真空空間では実感できないが、艦橋にリアルタイムで送信される機体情報は、予測値通りの数値を示している。
「射撃目標準備完了。放出します」
甲板に準備されていた6つの射撃目標が発射され、ランダムな軌跡を描きながら虚空を行きかう。通称「風船」と称される金星の射撃演習用の目標である。六角形の立体で、各頂点に簡易バーニアを設置、ランダムで噴射をする機能を持った動く標的である。規則性がないため、全目標を破壊する前に弾切れするパイロットも少なくなく、3つ以上破壊できれば射撃の腕前は一流とまで云われる射試である。
「シャルフ中尉、火器制御を解除します。臨界速度解除まで2分、射試を開始してください」
『あいさー・おふぃさー』
真紅の弾丸と化したCAが、臨界速度の中、右腕を突き出し射撃テストへと移行する。
『た〜げっと、ろぉ〜〜〜っく! いけいけGOGO!!』
腕に内蔵された三連装ガトリングが火を噴くと同時に、2機の「風船」が蜂の巣になり、閃光とともに消失。
艦橋内に感嘆の声が上がる。
『遅いのだぁ〜〜〜! そこぉ〜〜!』
臨界速度の世界にて、ランダムに進行方向を変化させる「風船」をまるで止まった目標を打ち抜くが如く、次々に破壊していく。その様子を呆然と見やる艦橋スタッフたちに、実験機より通信が入る。
『HQ、HQ、こちら《エレクトラ》。目標の沈黙を確認。どぅぞぉ〜』
「こちらグレンセン曹長です。こちらでも目標の撃破を確認しました。……ラージ技官、臨界速度解除まで残り時間48秒です。臨界速度実験を続けますか?」
赤毛のショートカットの通信兵に、クレアは肩を竦め、髭もじゃ大男に視線を向ける。
「艦長、射試終了につき、《エレクトラ》の帰投許可を戴けますか」
「ん、ああ、了解した。実験機の帰投を許可する」
艦長のダミ声に、赤毛の通信兵が《エレクトラ》に実験終了の連絡する。あまりの実験結果に艦内の誰もが言葉を失っていた。
「出来過ぎ」なのだ。そう、確かに計画書内では臨界速度に於いても実戦に十二分に対応可能との推定報告があったが、それを云うのなら過去の無人機の実験に於いても同じ事が云える。最新のFCSを搭載した無人機ですら、臨界速度ではほとんどロックできないというのに、あの実験機は事も無げに全目標を打ち落としたのである。
「ラージ技官、あれが実験機の性能か?」
驚きの興奮冷めやらぬ艦長が、女史に問う。
「そうです。臨界速度にあっても機体にブレがないような設計にしておりますので……ただ、あそこまで正確な射撃については中尉の技量による所が大きいかと」
「なるほど……データ蓄積は?」
「問題ありません」
「そうか、クックック。《エレクトラ》と云ったな、あの実験機は?」
「はい、艦長」
「《エレクトラ》が金星の未来を担うだろう。ラージ技官、後ほど詳しい報告書を提出してくれ。私は『上』に、この喜ばしい結果を報告してくる」
鈍重そうな体躯を宙に躍らせたヘルベルト・カルペー中佐は、器用に天上を蹴り、艦橋から出て行く。金星人らしくない艦長の容貌を好まない、艦橋スタッフの誰もがこの時の艦長の目を確認しなかったのが、この後の事件に発展した一因だったかもしれない。その狂喜した双眸は、決して実験報告をしに行く男の瞳ではなかったのだから……