第11章 《結》 小さき戦争
第11章
「社長!! また使い込みましたね!!」
「これは漢の浪漫であって、けっして使い込みでは――」
「給料から引いて置きます」
「まってくれ、ルシール君!!」
(ハミルスター・インダストリー社、社長と経理部長との攻防風景)
※ 1 ※
誘導された連絡艇は、軽やかに着艦を決める。それだけでも、連絡艇の操縦者の熟練が見る者が見れば分かるであろう。連絡艇はCAなどと異なり、微妙な制御というのが非常に難しい為、軍内でも連絡艇の着艦の失敗による隔壁損傷などという話は茶飯事であった。
艦橋からの連絡を受け、連絡艇の誘導を任されたミハイル・アーバイフ兵長は敬礼と共に、連絡艇の前に立つ。再三の艦内爆発の揺れが発生しており、アーバイフ自身、現状がどうなっているのか興味があったのだが、数分前から艦内通信の調子が悪くなり、ノイズしか聞こええなくなっている。
連絡艇のハッチが気圧差による空気音と共に開き、中から颯爽と深海色のジャケットを纏った男が姿を現した。褐色肌の彫りの深い整った顔立ちの美丈夫。くすんだ赤銅の髪は短く刈り込まれており、いかにも軍人といった雰囲気を持った男である。
「レイヴンだ、誘導感謝する。君の名は?」
「ミハイル・アーバイフ兵長であります、サー!」
「了解した。アーバイフ兵長、君にはクレア・ラージ博士の保護を頼む。彼女をこの連絡艇に連れてきてくれ」
レイヴンと名乗った男の突然の命令に、アーバイフは戸惑った表情を浮かべる。通常時であれば、艦橋に報告し指示を仰ぐところだが、通信に不具合が発生している現状ではそれも侭ならない。また民間人の蜂起とはいえ艦内で叛乱が起きている以上、軍人としての行動をしなければならない。その逡巡に、レイヴンが薄い笑みを浮かべる。
「艦長に私の身分を確認してもらっても構わんが、現状では侭ならんのだろう? 安心したまえ、私は極秘任務の監督官の一人でもある。叛乱発生の連絡を受けて、本任務に於けるVIPであるクレア・ラージ博士の安全確保を第一に急行したのだ。状況を理解できるな、兵長?」
「イエス・サー」
ここでアーバイフが冷静であれば、彼の言葉に嘘が在ったことが理解できただろう。極秘任務である以上、外部の人間が状況をつぶさに知る筈もなく、また、これほどまで早く連絡艇で到着できる筈がない事に。
「それと、現状を説明してくれ」
「はい、現状、小官が把握しておりますのは、以下の13名の民間人が艦内で蜂起しており、鎮圧戦を行っております。それに伴い、現在第五船区……船倉庫ですが、こちらで複数箇所、爆発を確認。火災及び減圧が発生しているとの事で、工兵が鎮火修復に向かっております」
「なるほど、13名のデータを送ってくれるか」
個人端末同士の短距離圧縮送信により、レイヴンの端末に13名の名称、略歴、写真が浮かぶ。特に関心を払うようでもなかった男であったが、一人の情報の前に視線が縫い付けられる。
「カルロ・ネルヴォ……」
小さな呟きであったにも関らず、その声音にアーバイフは怒声を浴びたかのように、ビクリと身を震わす。腹腔の底から震えが湧き上がる。それが何なのか、戦歴の浅い彼には分からなかった。ただ、この男の前には居たくない、という思いだけは理解できた。
「それでは、小官はラージ博士を保護して参ります!」
頼む、と短く応じると、レイヴンは双眸を伏せる。猛獣が獲物を前に、息を潜めるように静かに深く呼吸をする。
そして、再び見開いた双眸には、危険な輝きが宿っていた
※ 2 ※
レイヴン――その名を得た時、彼は己の名を捨てた。
鍛え抜かれた体躯には、生体強化手術を施術されただけでは決して得られない、完殺術が刻み込まれている。殺人兵器として、彼は金星の戦術ユニットになる事――それは彼自身の意思でもあった。
跳ね上がった細い眉、高すぎない鼻梁、薄い唇、そして頬から顎にかけて、やや肉が削げ落ちている。
だが、彼を印象付けるのは漆黒の双眸であった。猛禽のように鋭く輝き、そして血に餓えた凶戦士の本性を瞳の奥に隠した、危険な男――レイヴンという男であった。
「快楽殺人者」……地球流に彼を評するならば、そういった単語がしっくりくる。 だが、彼自身は特段、人を殺したい、と感じていた訳ではない。己の手で生物を殺す行為、それに魅力があっただけであり、金星では偶々「人間」しかいなかっただけなのだ。
呼吸をするが如く、食事をするが如く、睡眠をするが如く、彼は殺戮を欲した。
殺戮欲求と云っても過言ではない。
彼は呼吸するが如く殺す。
彼は食事するが如く殺す。
彼は睡眠するが如く殺す。
『生を奪うこと』とは、彼にとっては至って当たり前の事であり、それを取り締まる「社会」こそ奇妙なモノのように感じた。ゆえに、彼にとって狂気に走った当時の金星軍首脳連中は、実に都合の良い存在であった。絶対的な人口数が少ない以上、無人兵器を中心に戦争をするとはいえ、前線で戦う兵士を彼らは求めていたのだ。
ここに、彼らの利害が一致する。
レイヴンという男は、身体を機械化する事にこそ嫌悪を示したが、筋力と骨格の強化手術を行い、さらにデータバンクにあった格闘術をより合理的に、より効率的に人を殺す技術としての純度を高めていった。かくして、彼は人類史上、おそらく最強と称しても過言でないほどの存在となる。無論、近代兵器の前に勝利する事はできないだろうが、個人としての戦闘力は理想を超え、首脳部に恐怖さえ喚起させる存在となったのである。
「究極の戦士」――人類史上、おそらくその理想に最も近づいた男は、その高みに至った時、もう一つの欲求が己の中に芽吹いた事を感じていた。それは、この強さを試す相手が欲しいという事であった。己を殺し遂せる、そんな存在との闘争を求めた。 彼の欲求は『ヴォルフ』という部隊の設立によって叶えられる。己と同じ戦場に立てる30人の戦士たち。己を殺し遂せるまで、大切に大切に大切に育てた、彼の部下たち……
そして近い将来、それは実現するだろうと思われた矢先、突如、戦争は終わってしまった。無能な首脳部はレイヴンらを怖れるあまり、ジョーカーを切る事無く戦争を終えることを選択したのだ。それも、彼らを道連れに――
レイヴンは一人、空間跳躍にて火星に逃亡した。
理由は簡単であった。金星などにいるよりも、もっと地球や火星に行った方が「殺せる」と思ったからだ。かくして、彼は子飼いの狼どもを見捨て、一人火星に渡った。
火星の独立をかけた騒乱にも火星側の防諜要員として参加した。地球軍の数々の腕利きの破壊工作員らと胸踊る殺戮劇を繰り広げた。愉悦の日々、血臭と硝煙の日々、死と隣り合わせた日々……
それもやがて終わりを迎える。
だが、彼に平穏が訪れることはなかった。彼の存在は、仮初の平和を来訪と共に、さらなる需要を増した。
暗闘……既に鬼籍にその名を置く、死人たちの闘争――それが彼の新たな戦場となった。
初めは火星に籍を於いていた彼であったが、彼を満足させる相手はほとんど存在しなかった。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、オレを満足させる相手はいないのか?
そこにある男が声を掛けてきた。まるで悪魔が囁くように――
条約機構軍に於いて|《大鎌》(サイス)と呼ばれるスパイマスターであった。詳しい事は知らされていない。そして、知る必要もなかった。
第13コロニーの金星軍の残党蜂起を既に知っていた|《大鎌》(サイス)は、レイヴンに二重スパイを持ち掛けた。|《大鎌》(サイス)はその蜂起が失敗するであろう事も読んだ上で、その後の金星軍の不穏分子どもの一掃をレイヴンに提案したのだ。
第13コロニーの金星軍残党の蜂起に協力し、彼らの信頼を勝ち取り……そして蜂起に参加しなかった冷静な叛乱分子どもと接触を図れと。そして、彼らを一つに纏め上げ、殲滅する協力をしろと、言ったのだ。
拒否する、そんな選択肢には存在しなかった。
|《大鎌》(サイス)はその名の通り、不穏分子を根こそぎ刈り取ろうと考えているのだろう。だが、刈り取れないほどの――そう、草などではなく大木のような叛乱ならば、どうする?
レイヴンは闘争を望む。
レイヴンは殺戮を望む。
レイヴンは滅亡を望む。
かくして、レイヴンは金星の不満分子どもを焚き付け、このクーデターまで漕ぎ着けたのだ。手筈は決まっていた。条約機構軍の軍艦が叛乱軍の象徴として、高々と宣言をする。そして、同時に首都と金星駐留軍司令部をクーデター軍が制圧をする。金星駐留艦隊には、未だ現役で無人艦船も就航しており、戦力としても利用できる。既に腕利きの「齧り屋」を雇い、ハッキングも終了している。極秘裏に開発させた無人CA部隊の準備もだ。人員やら艦船の遣り繰りに四苦八苦している条約機構軍相手ならば、クーデター軍だけでも2〜3ヶ月は正面から対決できる。
さらに強引な地球のやり方に、火星でも彼らに反旗を翻すというテロ組織とも手打ちをしてある。予定では、金星、火星、月で一斉にテロやクーデターが起きる予定であった。
戦力の分散、そして混乱。
三星の同盟関係など、綱渡りをしているに過ぎない事を思い知る事となるだろう。
また「ハイヴィスカス戦役」で失った戦力を回復すべく、多大な資金が軍事費用に投下され、軍需産業と結託する政治屋どもがこの6年で、政界でも台頭してきている。彼らは、叛乱の責任問題に右往左往すると同時に、この新たな軍需景気に歓喜の声を上げるだろう。この叛乱は、種火では終わらない。
そう確信していた。
だが同時に、レイヴンは冷静に状況を把握していた。
この《シフラン》は、無人艦船を指揮する電子艦となる新生金星艦隊の核である。これがなければ、宇宙戦力を持たない金星など、容易に捻り潰されてしまうだろう。もし、計画通りに事が運ばないと判断した場合、レイヴンは《シフラン》を沈めるつもりでやってきた。あまりにも楽観的に、民間人や叛乱を知らない軍人が味方するという要素に納得できなかったのである。乗船する民間人にカリスマ的な存在がいれば、民間人の叛乱もあるだろう。被害にもよるが、そうなればクーデターは延期だと判断したのだ。
そして――レイヴンの読みは、最悪の形であたる。クーデターをおそらく察知したであろう民間人による叛乱。そして、それは鎮圧どころか、この艦そのものを奪われそうな勢いである事を知ったのである。この状況では、無人艦船の指揮プログラムが無事かも分からない。クーデターは延期すべきだろう。そう判断したレイヴンは、今回のクーデター、そして来たる闘争の日々に必要となるであろう協力者クレア・ラージの保護・脱出の決断を下した。
そして――それはちょっとした好奇心であった。その好奇心は思いもしなかった男の映像を映し出していた。
「カルロ・ネルヴォ……」
『ヴォルフ』に於いて、三指に数えられる手練であった男。
己を殺し遂せるだろう、数少ない戦士。
嗚呼、こんな処で! こんな戦場で!! 奴と再会するとは!!!
己ともに殺戮の限りを尽くしたネルヴォを、止められる存在などいないだろう。いや、いてたまるか!
ネルヴォをこんな詰まらない処で失うのは、我慢ならない。
ならば、どうする?
答えは簡単だ。
ネルヴォを害する存在をすべて排除する。クーデターにも失敗するような無能な輩だ。殺したって構うものか。
身体が震える。
歓喜に震える。
闘争に震える。
かくして、|《死告烏》(レイヴン)は戦場に飛び立つ。
己の前に立つ、全てを滅殺するために――
※ 3 ※
ピーーーーーー
甲高い電子音が、マリオ・ヘルカッセとセヴン・フォレストの眼前のディスプレイから鳴り響く。
画面には、『謀は暗く見えざる夜の如く。動くは稲妻が落ちるが如く』と赤い文字で表示されていた。
「孫子……か、これは?」
「……そのようだじょ」
薄く笑みを浮かべ、二人の異才は双眸を伏せる。その様子にレイ・クロースは敗北を知る。彼らの技量がどれほどのものかは知らない彼女であったが、それでも彼らが一流に呼ぶに相応しい技量の持主である事を理解していた。それほどの二人が敗れる……この艦の電子戦オペレーターと思われる『AAA』が、どれだけの化け物が思い知らされる。
「ま、マリオ……?」
震える声で、レイが辛うじて眼前の貴公子に話しかける。
「すいません、レイ・クロース。偉そうな事を散々云っておきながら、あの刀自に完敗です」
いっそ清々しいまでの微笑を浮かべ、マリオが振り返る。
「ハードの性能に差があったのは事実にゃ。だけど、それは先制攻撃と私たちの技量で埋められる筈だったにゃ……だけど、あの婆さまはその差を埋めさせなかった。 まさに『AAA』、完敗だじょ」
同じく首筋からコードを抜いたセヴンも肩を竦めながら、笑顔を見せる。
己の技量に絶対の自信を持つ二人だからこそ、敗北を受け入れる。勝機はあった。だが、相手はソレを捻じ伏せた。ゆえに、そこに悔恨はない。あるとしたら、己らを破った黄蜘蛛に対する敬意と賞賛だけだ。
「どうするの、マリオ?」
「そうですね、降伏したところで、絶対零度に放り出されるだけでしょうけど……ここであちらさんの軍門に下るのも美学に反しますから。精々、立て篭もって嫌がらせでもしてやりましょうか」
「妥当なところだじょ」
「つまり……どうしようもない?」
「言葉を選ばず、簡潔に述べるなら、そうなりますね」
「簡潔だにゃ」
絶対的が少ないマリオらが、クーデターを画策する軍人を向こうに回して勝利するには、艦の制御を奪取する必要があった。それが成しえない以上、武器を持たないマリオらに勝利の女神が微笑むことはない。先ほど、何度か艦内に激震があったが、その工作を行ったノリスらとて、精々時間稼ぎ程度であり、体勢が整えられた正規軍人相手では敗北は必至である。
「で、でもカルロが!」
「|《海の荒鷲》(ネイビー)ですか?」
「そういえば、彼は現実でも仕事するって聞いた事あるじょ」
「だとしても、正規軍人相手に一人でどこまで闘れるか。彼が超人めいた戦闘力の保有者で、一人で敵基地の捕虜を助けてしまうような安映画の主人公なら、分からないがね」
「ん〜〜、|《悪漢》(ピカレクス)とか、|《外人部隊》(レジオン・エトランジェール)とかの身辺護衛でも雇っておけば良かったじょ」
「ハイヴィスカス戦役」以降、軍から横流しされた中古CAや廃棄CAが闇市場に流出し、所謂「宇宙海賊」なる貨物船を標的にした強盗が存在するようになった。無論、CAの維持費などもあるだろうが、軍を退役した技術者なども参加しているようで、彼らは違法CAを上手く運用し、それなりの被害を与えていた。
軍も、まさか違法に流出したCAが強盗を働いているとも発表できず、事実上、放置されているのが現状であったそれに眼をつけたのが、《悪漢》や《外人部隊》である。海賊どもの目的は物資であって、艦艇の撃沈ではない。停泊させた貨物船の物資を奪い去るのが目的である以上、艦内に乗り込む必要や、それら物資を牽引する違法船が必要であった。
どんな火力を所持していようが、中の乗員を退ければいい。そういった思想を下に、辺境域の武装警備企業が大きく変化し、民間商船を護衛するのを目的とした傭兵どもが出現し始めたのである。
中でも格闘家や工夫などの民間の荒くれどもが結成したのを《悪漢》といい、退役軍人など正規の軍事訓練を受けた連中が結成したのを《外人部隊》というのである。 無論、値段は後者の方が張るが、値段と腕は必ずしもイコールではない。
派遣警護業という職種は地球にも存在するが、火星や月に本拠地を置く彼らに比べれば、大人と子供ほどの違いがあった。
「君の護衛をするには、色々と割増料金を貰わないと割に合わないな」
「……どういう意味だじょ、《魔術師》?」
「あ、あの……」
二人のやり取りに、レイが口を挟む。
「カルロは一応、《外人部隊》にも籍を置いてます」
「……本当に?」
「はい、彼は父の会社で働いてもらってるんですけど、色々と箔が付くから、所属しておけって」
「入りたいといって入れる組織じゃなかった筈ですが……」
「詳しくは聞いた事ないですけど、なんか特殊部隊にいたみたいです、彼」
「なるほど……多少は希望が持てそうですね、それは」
「ゼロでないってのは、悪くないにゃ」
「では、我々はお姫様の騎士殿が、不良軍人どもをやっつけて助けに来るまで篭りますか。備え付けの備品ですが、コーヒーメーカーもありますし、お茶をしながら祈りましょう」
澄まして応じるマリオであった。
※ 4 ※
「か、艦長……艦長!!」
通信席に座る女性兵が、ヒステリックに叫ぶ。既に艦内は、単なる民間人の鎮圧でなく、完全な軍事作戦が行われる戦場になっていた。
これまでに戦死者は、23名。
実に鎮圧に向かった軍人の半数が鬼籍に入り、その数がこれで終わるという保障はどこにもないのが現状であった。1時間にも満たぬ戦闘、それも武装をした軍人が戦死した数としては異常であり、年若い通信兵の精神は決壊する寸前の限界水域まで達していた。
そこにさらなる追い討ちがあったのだと《シフラン》艦長ヘルベルト・カルペーは察した。徒に刺激してはならないと、冷静に声をかける。
「グレンセン曹長、深呼吸をせよ」
「あ、あの、か、艦長」
「深呼吸だ、グレンセン曹長」
先ほどより口調を強くする。それに一瞬ビクリと身体を震わせた女通信兵は三度、四度と深呼吸をし、なんとか冷静さを取り戻す。
「報告を」
「はい、艦内民間人の大多数が叛乱に参加している、との報告がノーウッド軍曹から連絡がありました。同じ内容の報告が、ヴィレン軍曹、マードック曹長からもあります。如何致しましょう、艦長」
「重機甲兵部隊に連絡は?」
「5分ほど前に、交戦報告がありましたが、その後はジャミングが酷く、無線連絡は不通となっております」
「艦内通信の状況は?」
「艦内数箇所に電磁波発生が確認できます。 船区にもよりますが、無線通信は、ノイズがひどく使用に耐えません。相互通信は有線通信のみ、艦橋からでしたら、艦内放送が可能です」
「叛乱規模が分からなくなった以上、隊伍を組んでの巡回は意味をなさないか……」
難しい選択であった。もはや、作戦行動を続けるにはあまりにも被害を受けすぎている。かといって、このまま条約機構軍に異変を察知されれば、クーデターが明るみに出て、全てが水泡に帰してしまう。
残る選択肢は、この艦を放棄し、証拠ごと隠滅してしまう方法しかないように、カルペーには思えた。その時、僅かにレイヴンが遣って来た理由が、自分たちの口封じではないかという、考えが脳裏を過ぎる。その予測は、ひどく生々しく、真実を言い当てているように思えた。
頭を振り、その考えをとりあえず打ち払い、現状の最善策を模索する。
艦橋はそのまま、脱出艇としても機能させることができる。だが、航行能力などほとんどなく、あくまで事故等の緊急脱出用の手段である為、この状況下に於いては有効な選択肢とはいえない。せめて、同志たちと合流できるような自航能力を有する艦艇でなければ意味がないのだ。
「巡回部隊の現在地を把握しているか?」
「ジャミングの為、詳細な座標までは判明しませんが、おおよその場所までは可能です」
「では、艦内放送を使って、彼らをハンガーまで誘導してやってくれ。一箇所に小隊としての体裁さえ整えれば、民間人に遅れを取ることもないだろう。 それとシャルフ中尉は《エレクトラ》に搭乗しているか?」
「搭乗確認済みです。緊急発進準備も終了してるとの事です」
「出撃させろ、叛乱勢力に実験機を奪われる訳にはいかん。それと鎮火と減圧修理に向かっている連中も、作業を中止させてハンガーに向かわせてくれ」
「了解」
20分ほど前に停止した機関部は、現在、機関担当のテックが始動プログラムに躍起になっている。《魔術師》か《おさげ頭》の仕業であれば、強固なプロテクトも掛けられていると予測できる。だとしたら、もう1〜2時間で復旧するのは難しいだろう。この艦で脱出可能宙域まで移動するのは不可能だ。それに代わる移動手段が必要である。
カルペーは手元のコンソールを叩き、搭載されている艦船データを見る。10隻の緊急脱出艇、二隻の高速連絡艇、そしてレイヴンの乗ってきた連絡船が搭載されている。緊急脱出艇では、この艦からの脱出がやっとで、彼の目的にそぐわない。乗せるとしたら高速連絡艇の方になる。それで、部下らを脱出させ、己は艦とともに最期を迎える。今ならば、追っ手もなく脱出することができる。機密漏洩を防ぐには、これしかないと考えたのだ。
「これより20分後、キャプテンコード認証により、本艦を自爆、放棄する。これは本極秘作戦の機密漏洩を防ぐ為の手段であり、各員はそれに伴い、本艦の脱出を許可する。15分以内に、乗員はハンガーへ移動せよ。尚、叛乱勢力との接触があった場合は、これを実力で排除せよ」
「了解」
この放送を流せば、ハンガーは一気に脱出を試みる民間人と、軍人とで戦闘になるだろう。今回の鎮圧戦は、分散する叛乱勢力を炙り出すために少数で巡回していた為に苦戦を強いられたのだった。一箇所に集めることができれば、装備で勝る軍人が敗北する要素はどこにもない。もはや、誰が味方で、誰が敵か、などという事は問題にしない。
レイヴンがどう判断するか不明だが、脱出した彼らを邪険にはしないだろう。
艦内に自爆する旨の放送が入る。これで、後戻りはできない。
「これより、キャプテンコード入力。指紋、網膜、パスコード入力。本人認証確認。自爆コード認証確認。1200秒後に自爆。カウントダウン開始」
貯められていた水が流れ出すように、ディスプレイに表示された数値が減っていく。
終焉の鐘が鳴り響く。