第10章 《決戦》それぞれの戦い!
第10章
「どうにも、歳をくっても巧くいかない事ってあるもんでね。 あたしの場合、人に礼を云われるのが、どうにも苦手なのさ」
(宇宙暦305年、火星孤児院に1億2000万ドルを寄付しての、礼状に対する黄蜘蛛のコメント)
※ 1 ※
「おおう、やるじゃないさね、小娘」
第二艦橋に陣取る皺くちゃの婆さまは嬉しそうな声を上げた。艦橋のホストコンピュータをハッキングしようとしていた小娘の攻撃ルーチンの性質が、変わってから既に30分以上である。データのぶっ壊しに変化したのだ。もはや、ハッキングなどは念頭になく、感染すれば、すべてのデータが吹っ飛ぶような悪質極まりないウィルスがガンガン送り込まれてきている。
電子戦は双方の搭載したコンピュータの演算機能の上下で決まる。極論すれば、相手よりゴツイコンピュータを積み込んだ艦船が勝利する、究極的なパワーゲームなのだ。
だが、その演算機能を活かせる技術者がいなければ、仕方がない。そして、膨大すぎる演算機能を搭載したとしても、それを活用しきることは至難の技でもあるのだ。その為に仮想人格と故障されるAIを常駐させ、技術者の補佐をすると同時に、電子戦の戦力を増強させるのである。
より大きく、より多く、より速く、そんなコンピュータが勝敗を分ける。
それは多少の腕前の差があっても埋まることのない差ではあったが、抜け道は存在した。
それがクラッキングである。
ハッキングとは、詰まるところ、相手のコンピュータにこちらが上位者であると認証させる戦いであり、勝利すれば相手はコンピュータに命令をすることすらできない。電子脳制御された宇宙艦船のコンピュータの支配は相手の無力化を意味する。
だがクラッキングは違う。
相手の演算機能など問題とせず、相手のデータを破壊する。つまり、何もできなくさせるのだ。自分のモノにならないなら、いっそ壊してしまえという思想に乗っ取った戦法であるが、有効な方策であるのは確かであった。
それは一種の諸刃の剣であり双方がクラッキングをした場合、巨大な漂流船が二つできてしまうということもない訳ではない。一見、ルールのない戦場のようであるが、電子戦の場合は余程のことがない限り、クラッキングをし合うこというはない。
そして、現在。
この《シフラン》に仕掛けてくる|《おさげ頭》(ドロップヘッド)は、疾風怒濤のクラッキングを仕掛けてきたのである。こと、クラッキングにかけて右に出るものなし、と評されるクラッククィーンにさしもの黄蜘蛛も苦戦を強いられていた。
|《論理爆弾》(ロジック・ボム)という、単純にプログラムを目茶苦茶に書き換える古風な攻撃ルーチンをありったけ送り込んできたのである。初弾でかなりの被害を受けた黄蜘蛛であったが、演算機能の有利を巧く使い、波際でクラックを防いでいる。同時に、残った余力でプログラムの修復と、攻撃ルーチンを作成、送り込む。
「綺麗にこっちの攻撃を往なすじゃないか、小娘だけじゃないねぇ、これは」
幾人もの「齧り屋」たちの名前が脳裏を横切る。この完璧主義めいた防御ルーチン……この金星でここまでの技量を持った人間はたった一人しかいない。
「色男の坊やだね、コイツは…………《魔術師》に《おさげ頭》たぁ剛毅じゃないかい」
シャッシャッシャと蛇のように笑う。
「さぁ、地震カミナリ火事オヤジがまとめて押し寄せるよ。きばってみせな、ヒヨッコども」
愉しそうに、愉しそうに、愉しそうに、婆さまが囁くのだった。
※ 2 ※
「|《雑草》(ウィード)! あの婆さん、やってくれる!!」
美神の寵をその身に受けた黒髪の青年は、スクリーンに表示される情報に唸る。演算機能喰い系の基本的な攻撃ルーチンである。不要なプログラムを複製するタイプの容量を占めるタイプの比較的大人しい攻撃プログラムだが、それだけに使い勝手が良く、亜種が多数存在していた。
すぐさま、アンチプログラムルーチンを創り上げるべく、攻撃ルーチンを捕捉。解析を開始する。その瞬間、画面にエラーの文字が浮かび上がる。
「デストラップ!? 《グレムリン》か!?」
作動中のプログラムの一部を破壊して消えるクラック。《おさげ頭》の最も得意とする攻撃方法だ。
「大丈夫かにゃ、マリオ? 一応、そっちのハードがメインなんだから、頼むじょ」
「了解だ、セヴン。そっちこそ、頼むぞ」
「ん〜〜、ぶっ壊す傍から再構築するからにゃ〜。面白くないけど、流石だじょ」
《論理爆弾》の絨毯爆撃で当初こそ主導権を握ったセヴンであったが、その演算機能の差を見せ付けられるように、徐々に押され始めていた。正直、仕切り直されたら、手の打ちようがない。大技で一気に、ホストのプログラムを破壊でもしない限り勝ち目はなかったが、それを許すほど、あちらさんは甘くない。
器用に見えないところにだけ汗をかきつつ、セヴンは攻撃を繰り返す。せめて自分の愛機があれば、と嘆くが手持ちの武器でどうにかしなければならない。
(やれやれ、だじょ)
心の中でそう呟き、天を仰ぐセヴン・フォレストであった。
※ 3 ※
真紅の燃え上がるような赤毛の青年――カルロ・ネルヴォは銃身が歪んだ銃を投げ捨て、懐から新たな銃を取り出し、機械的に動作確認を行う。すでに20以上の敵を排除してきた。おそらく敵の首脳部は、彼が艦橋に進撃すると考えているのだろうが、カルロ・ネルヴォの思惑は別のところにあった。
マリオ・ヘルカッセ――《魔術師》を渾名する「齧り屋」がこの艦に乗っている以上、あの男は必ず自分と同じくクーデターに反旗を翻すだろう。
おそらく、ヘルカッセの行動は艦橋のホストコンピュータのハッキング。
ならば、自分の役目はできるだけ艦内を混乱に落とし込み、時間を稼ぐことにあると考えたのである。しかも、どうやらヘルカッセの仲間と思われる連中も蜂起したらしく、すでに数箇所ほど艦内での爆発を確認している。場所によっては減圧が発生している場所も存在しているらしく、通路に風が発生してすらいる。
緊急用の機密服を本来ならば装着せねばならない状況であろうが、戦闘の必要性から、彼はいまだ機密服を装着せず、生身のまま艦内を疾走していた。
かつてカルロは「ハイヴィスカス戦役」で機械化強襲部隊《ヴォルフ》の一員であった。生体強化手術を施術された彼の強化された骨格と筋力は、素手で人を殴り殺すことすら容易に行える。
だが、それにしたって銃弾を跳ね返せる訳でもなく、真空に耐性がある訳でもない。
不意に、チリと後頭部が焦げるような感覚が彼を襲う。
その感覚――最前線で危険が差し迫った時の感覚が甦る。何か危険な存在が艦内に存在する。これまで奪った銃火器はいずれも対人戦用であり、装甲服などを纏った輩を打ち倒すには、貧弱な装備といえる。
(どうする、カルロ・ネルヴォ)
己自身に自問する。眠っていた《海の荒鷲》の本能は、退却すると結論を出していた。だが、レイ・クロースの友人カルロ・ネルヴォは、彼女の安全を確保する為に退却を認めていなかった。この危険な何かを排除しなければならない、と。
本来であれば、彼は「ハイヴィスカス戦役」で死んでいた。
なぜならば、そこで死ぬ事が任務だと、隊長であった《レイヴン》から命じられたからである。
機械化強襲部隊『ヴォルフ』の代名詞とされた、濃紺のジャケットを纏い、褐色の美丈夫はこう云ったのだ。
『我々の任務は、この要塞を死守する事である。そして、賢明な諸君は分かっているだろうが、この要塞は陥落するだろう。よって、私は諸君らに命じる。 己の立ち位置を墓場とせよ。そこで、憤怒と憎悪と呪詛をあげ、死に尽くせワイルドギース!!』と。
だが、彼は幸運にも生き残った。要塞内部の爆発で損傷した外殻から真空へ投げ出されたのだ。そして、彼を拾ったのが、脱出艇に乗っていたジュナン・クロース……レイ・クロースの父親であった。
「齧り屋」として、そこそこ名の知れていたジュナンは、戦後、目的のなくなった彼を雇ってくれた。カルロ自身、やる事もなし、その立場を容認していた。生き残った事に、感慨はない。死ななくて運が良かった程度の感想であり、そして、新たな環境にすぐに適応をしたのだった。
こうして最前線の凶戦士は、ジュナン・クロースの下で「齧り屋」として6年の月日を過ごしたのだった。最早、カルロに殺戮を命令する者は存在しない。共に働く同僚たちこそが、彼の仲間であった。
だが、それでも彼の根にある唯一のルールは生きていた。即ち、部隊の仲間は裏切らない。仲間を救う為に命を賭けるという事。
金星人でありながら、彼らは過酷な前線に送り込まれるべく育成された。事実、彼らは前線にて、殺戮という殺戮を具現した。老若男女差別なく、虐殺という虐殺で血の海へ沈めた。蹂躙し、轢殺し、踏破し続けることを義務とした彼らは、己らのみを信ずる味方として生きてきた。
ゆえに、彼ら蒼き狼は仲間を裏切らない、見捨てない。
彼がレイ・クロースを見捨てない理由、それは昔と変わらない。確かに、群れは代わった。だが、彼の生き方は変わらない。
本能が赴くまま、彼は疾走する。彼には分かった。
そちらに何かが存在することを――そこに己の死があることを。
そして、カルロ・ネルヴォは再会する。
かつての群狼の長――ブルージャケットを纏った褐色の美丈夫と。
5つの白煙を上げ折り重なった重機甲服に腰を掛けた《レイヴン》は、燻らせた煙草を重機甲服に押し付けると、ゆっくりと紫煙を吐き出し、牙を剥いた笑みを浮かべる。
「|《海の荒鷲》(ネイビー)、久しいな。さて、再会の殺戮劇と洒落込もうじゃないか。殺し、殺され、殺しあう、そんな素敵な幕間劇の始まりだ!」
※ 4 ※
――金星軌道 金星駐留艦隊所属訓練艦《ゴリアテ》格納庫――
「宙空訓練には、条約機構に属する三星の善良な市民の血税で大量に賄われている! 一瞬、一秒を無駄にするな!」
透光装甲プラスティックに広がる虚空を背景に、金星士官学校CA部隊教官ルーヴェン・マクスウェル大尉は、階下に整列する40名の訓練生を見やる。
さらにその背後の整備台にはモスグリーンのCAが居並んでいる。この訓練艦に配備されているシールドドック系列のハンタードッグという旧式の機体である。
「それでは、訓練生は整備とパイロットで自機の最終チェックだ。急げよ、実戦だったら、スピードが命になる。速く、正確に、だ!」
「はい!」
返事とともに、一斉に訓練生らが機体に駆け寄る。そのほとんどが十代の若者とあり、動きに切れがある。ただ一人、CAパイロット訓練生シュウ・カゲヤを除いて……
「カゲヤ訓練生、貴様、やる気があるのか?」
「実技には自信があります、教官。今更、チェックなどせずとも問題ありません」
パイロットにしては長身の黒髪の青年は、澄まして応える。それにマクスウェルも怜悧な視線を向ける。
「私の命令指示を復唱確認しろ、カゲヤ訓練生」
「訓練生は整備とパイロットで自機の最終チェックだ。急げよ、実戦だったら、スピードが命になる。速く、正確に、だ――です、教官」
「よし。貴様のその態度は、上官命令違反だ。その場でスクワット300回、及び、航海レポートを20枚、本日中に提出せよ」
「……了解」
黒髪の青年の実力は、この場にいる訓練生の誰もが認めていた。CAによる陸上では訓練時間がモノを云うが、宇宙空間――つまり三次元戦闘となると話は変わる。持って生まれた才能が、そのパイロットの実力を決めるといっても過言ではない。そういった意味では、シュウ・カゲヤの才覚は士官学校の全CAパイロット訓練生の中でもずば抜けていた。
だが、その一方で、こういった命令違反、反抗的な態度が多く、度々、反省房などに入れられていたが、本人はまるで堪えていなかった。彼が放校処分にならずに済んでいるのも、偏に教官であるマクスウェルの嘆願によるものであった。
シュミレートの筺体にて、初めてカゲヤと対戦したマクスウェルは、彼の才能を思い知った。CA戦闘史に名を残す名パイロットになれる逸材だと感じたのだ。その先読みの天性の才覚は、確かに素晴らしく、彼はシュミレートでの18戦目で初めてマクスウェルを撃墜し、今では5戦すればマクスウェルが負け越すほどの実力を持つまでに成長した。
彼の担当ではなかったが、もう一人の注目されている訓練生で《氷の人形》と呼ばれるリューデスハイムという女生徒がおり、こちらは成績優秀、実技も申し分ないという逸材だという。
比較する訳ではなかったが、実技しかできないパイロットなど、長生きできる訳がない。軍隊は組織であり、一人一人が歯車として機能しなければ、それは単一の戦力であり、いずれ宇宙の藻屑となって消え行く存在となる。
それを少しでも理解してくれれば……
マクスウェルは人知れず、深いため息をつくのだった。