老騎士
シャンデラ王国は中央大陸の北に位置している。
赤きドラゴンが住まう霊峰山の麓にある湖のすぐそばにはシャンデラ王国のシンボルである白亜の大聖堂が建てられており人が絶える事は滅多にない。
ステンドグラスで出来た初代王の肖像画がこの大聖堂が誇る目玉だ。
大聖堂の裏側には王や王族の者が住まう王宮が建てられている。王宮のすぐそばには騎士の詰所や騎士の本部。反対側には魔術師の研究所。
騎士の本部や王宮にいくには一回大聖堂を通らねばならなくて、もはや形骸化されているが通る際十字形の像に頭を下げなくてはならない。
大聖堂の目の前には城が構えている。シャンデラ王国は城と王宮を別に切り離しているのだ。
何とも初代王が休むならきっちりと休まんと気が済まんと鶴の一声で別々にしたようだ。
本来ならば活気のある商店街ももはや見る影も無く人影も少なかった。
皆正気のない顔で彷徨うように歩いている。
北のドラゴンに加えてパラドクス連邦の宣戦布告がかなり衝撃を与えたようだ。
王の不在も活気の衰えに拍車をかけていた。
もはや後は滅ぶのを待つだけのような状況の真っ只中である。
そして王宮の地下から三人が出てくる。
アーシェ、マーガレットとクリアだ。
「うおぉ...本当に別の世界だ」
中世のような街並みにクリアは感嘆の息を漏らした。まるで中世の欧米に飛び込んだような気分になる。
「しかも向こうから歩いてきているのはメイドか!」
幾つもの箒を抱えて小走りであちこち駆けているメイド。あれも日本じゃ滅多に見かけない光景だ。
「そうですね、あそこにいるのはクラリスさんといってここの掃除を担当しております。クラリスさーん!」
クラリスに向かって大きく手を振るアーシェ。
こちらの存在に気づいたクラリスは何やらひどく慌てた様子で箒を放り投げて、駆け寄ってくる。
「姫、クラリスは仕事中と思われます。剣聖殿を紹介するなら後でよろしいかと」
すかさずマーガレットが注意する。
アーシェも素直に聞き入れて大きく腕を交差させてバツポーズを取ってやっぱりなんでもないとクラリスを追い払う。
振り回されっぱなしのメイドさんは日頃からこんな感じだろうなとクリアはしみじみ思い、心の中でメイドさんをねぎらう。
「ここ王宮に滞在しているメイドの数は大体二十人くらいですのであとで身の回りを世話するメイドをつけますね」
「身の回り?あぁ俺はここに住むことになるもんな...」
「剣聖殿。ここは王族の者だけが許された寝床。申し訳ないが剣聖殿が暮らす所は賓客用の屋敷で」
「マーガレット、クリア様ならここに住ませてもいいの」
「姫、けじめはしっかりとせねば困ります」
「マーガレットったら昔から頑固!」
「姫も相当頑固です。私に負けないくらい」
「もう!」
まるで姉妹の様な喧嘩をしている二人。
人目を憚らず喧嘩をしているが通りすぎるメイドも誰も挨拶はするもの止めようとする者はいなかった。
こんな喧嘩は日常茶飯事なのだろう。
微笑ましい顔で見る中年のメイドもいるくらいだ。
「アーシェ、俺は大丈夫だ。屋根があれば十分だからな」
と喧嘩の原因であるクリアがまあまあとなだめる。
「そうですか?無理しなくてもいいのですよ。いつでもここに来てもいいですからね!」
とアーシェはマーガレットを睨みつける。正しい睨みつけ方を教えてやってくれと言いたいくらいに可愛い睨みつけ方だった。
「姫、そんなに見詰められても困ります」
「見てるんじゃなくて睨みつけてるの!」
「そうですか。では剣聖殿、騎士長のところに」
面倒臭くなって来たのかマーガレットはアーシェを軽くあしらってクリアに意識を移す。
「お、おう。ほら、アーシェもいくぞ」
「むぅ...はい」
先頭マーガレット真ん中クリア後方アーシェで落ち着き、騎士の詰所に向けて歩く。
何人か騎士とすれ違うが皆クリアをジロジロと眺めており、警戒心を抱いているようだった。髪が最大の原因なのだろう。
人間とはかけ離れた美貌と絹のような長髪が人々の目を引きつけていた。
「なんか落ち着かないな。皆、俺の顔をジロジロと」
「あの...凄く気になって...後ろからずっと見てましたが...クリア様の髪ってどうなっているんですか?くねくねと蠢いてますし生きているのかなーって...」
恐る恐るクリアの髪型を指差して尋ねるアーシェ。マーガレットも気になっていたのか小さく頷いていた。
「ん?あぁ。そうか、この髪のせいだったか。俺が魔族であるからだ」
クリアの何気無く言い放った一言にアーシェとマーガレットの顔が真っ青になっていく。
「い、いま、魔族と...?」
「もはや何も言えないな。さっきから予想外の展開続きで少しは耐性がついたようだ」
「その反応...魔族ってここじゃどんな扱いをされているんだ?」
「どんな扱いって...私からは言いにくいです...。申し訳ありません...」
「剣聖殿。どうか怒らずに冷静に聞き入れて欲しい。剣聖殿が住んでた世界とは違い、ここは迫害されている。魔族の血を引いているだけでも迫害の対象とされる。純血種であれば尚更信心深い奴らが黙っていられない」
「なぜ魔族は迫害されているんだ?」
「恐らくは六大魔王が一人"吸血姫"が魔族であるからに違いない。いずれ"吸血姫"に匹敵しかねない魔王が誕生するかもしれないという不安からだろう」
「六大魔王?"吸血姫"?この世界にも魔王がいるのか?」
「剣聖殿の世界にも魔王が...。そうだ、ここは六人の魔王で支配されている。強さの序列はあるみたいですが途方もない強さに変わりはないのだろう。これは伝聞でしかないが"吸血姫"の手によって落とされた砦は百以上。彼女の持つ黒き刃は神話クラスで一度振るえば千が死ぬと」
決して冗談を言ってないのはわかる。マーガレットの顔が真剣になっているからだ。
クリアに匹敵するような魔王が六人もいるのだ。
アーシェも俯いている。パラドクス連邦の事が終わっても六人の魔王が残っているしいつ脅威が襲いかかってくるかわからない。
だがクリアはふーん、と適当に相槌を打つだけだった。
「それで魔族が迫害されているのか。とんだ迷惑だな。一度"吸血姫"とやらに会って話をしないといけないようだ!」
自身が負けるとは微塵たりとも思わないという。lvをカンストまで上げて頂点に登りつめた男の自信は確かな裏付けがある。
「"吸血姫"と話を!?一体どうなることやら...。そなたの強さはまだわからないがあまり魔王を甘く見ない方がよろしいぞ、剣聖殿」
「その前にクリア様、まずはパラドクス連邦をどうにかせねば何も出来ないのですので」
「あぁわかっているさ」
「剣聖殿、着いたぞ。ここが騎士の詰所だ」
ようやく三人は騎士の詰所にたどり着く。
随分と歩かされたクリア。
詰所の前の広場は訓練所となっているのか甲冑を着込んだ騎士が打ち込みの練習をしたり模擬戦をしたりとして訓練を行っていた。
ここからは女性禁制の男臭い世界である。
「おい!マーガレット様と王女様だぞ!」
「やべ、抜き打ちか!」
「おい、そこの!ちゃんと穿け!いろいろと丸見えだぞ!」
「真ん中にいるやつ何なんだ...?なんか髪が蠢いているぞ...」
昨日と変わらぬ日常生活に突如として王女とその近衛兵がやってきたのだ。その慌て様は見事というほかになかった。
だが流石は騎士といったところだろう。3分もかからないうちに率先としてきちっと列をなして整列していたからだ。
全員で百名いるかどうかだった。残りは警護当たっているか王子の遠征でいないのだろう。
「そう、慌てなくてもいい。訓練を邪魔をして悪かったな。今日は抜き打ちで来たんじゃない。我が祖父、騎士長に用があってここに来たんだ」
マーガレットが一歩前に進み、言った。
「いつもこの国のために尽力してくださってありがとうございます。これからもシャンデラ王国に忠誠を。要望があればマーガレットに」
アーシェが口上を述べる。兵士の前では貴族らしく王女らしく振舞っていた。
スカートの裾を軽く持ち上げて挨拶しているアーシェを見てクリアは女の子の恐ろしさを改めて思い知るのである。
「王女様がわざわざここにご足労頂くとは!感激の極み!我が命に変えましても必ずやこの国に尽くします。マーガレット様、ご無沙汰しております。騎士長は部屋で休んでおられています。起こしに行きましょうか?」
「あぁ、よろしく頼むぞ、副長」
「はい!それでは失礼します!王女様、マーガレット様!」
「うむ」
軽く頷くとマーガレットは視線をクリアに持っていく。
「剣聖殿。ここで腕試しだ」
「いつでもいいさ」
クリアは腕を組みながら騎士長を待ち構える。記念すべきの初戦。しかもシャンデラ王国の騎士長と来た。華々しいデビュー戦を飾るには十分すぎる相手だった。
「そうか。頼もしい限りだ」
「クリア様、頑張ってください!こっちまで緊張してきた...」
「はは、アーシェ。俺は大丈夫だよ」
「騎士長が来るぞ、道を開けろ」
副長の声が聞こえて来て、列をなしていた騎士が左右に分かれる。
詰所から大男が現れる。白い髭を蓄えた老人だ。髪も真っ白の白髪だった。かなり使い込まれた鎧を着ており、歴戦の強者の雰囲気を醸し出していた。背中には手入れが届いたクルセイダー。
傷痕だらけの顔を摩るように手をあてがうと老人はふむふむと頷く。
「うむ...王女様にマーガレット。何を言おうとしているのか儂にはわかる。そこにおる者と戦えというんじゃろ?」
「おじいちゃん、その通りです。その方はクリア様と言いまして、職業は剣聖だそうです。この国に力を貸してくれるようですがまずはおじいちゃんの許可を頂ければとここに参りました」
「何!?剣聖じゃと!?ほう...そりゃ面白いわい」
「騎士長、クリア様は記憶を混同されております。どうか加減を...」
心配そうに騎士長とクリアの顔を交互に眺めるアーシェ。だがマーガレットに促されて壁際に移動する。
列をなしていた騎士らもいつの間にかクリアと騎士長を取り囲むようにしていた。
「さて──クリア殿といったな?お主、一体何者だ?」
「召喚された剣聖だ。魔族のな」
ざわめきが騎士に走る。魔族がここにいるぞと。
「黙らぬか!魔族とて儂らと同様に生きておる!しかも剣聖と来た。長年儂が追い求めてもなお届かなかった領域をその男は立っているぞぃ!」
と騎士らに一喝。豪胆な老人だった。顔に刻まれたシワの数だけ戦場を乗り越えてきた者のみが得られる肝っ玉。
魔族であろうか人間であろうか強き事に偽りなどないのだ。ゆえに老人は凄絶な笑みを浮かべて背中の獲物を抜き出す。
「すまなかったな、クリア殿。...年取るとな、せっかちになってしまうんじゃ。さあ、武器を抜くがいい!」
クリアは動かない。武器も抜かずに両腕を組んだまま騎士長を見ては副長を見ていた。
「クリア殿、来んなら儂からいくぞ!」
両足の筋肉を総動員して大地を蹴り、爆発的なスピードで騎士長はクリアに肉薄する。
あらかじめクルセイダーを前に構えることで全身のバネを効いた突きだ。ボールを全力投球するように剣を腰の回転と共に騎士長はクルセイダーをクリア目当てに突く。
クルセイダーの先端は軽く音速を超えており、破裂するような音が後からになって聞こえた。
それを対しクリアは右足を軸に左足を引くことで容易に躱す。
クルセイダーの切っ先が頬に触れる。
だが騎士長の攻撃は終わらない。次は余った片手でアッパーカットだ。大地を踏み鳴らし、腰を入った重そうなアッパーカット。常人ならばガードした腕諸共壊れるような破壊力を秘めた拳をクリアは右足の踵で簡単に防ぐ。
防がれるとは思わなかったのか騎士長の顔が歪む。
「ぬ」
騎士長が後退する。
「ならば魔術を使わせてもらう。"我が肉体に祝福を"!」
「...」
クリアは何も答えない。腕を組んだまま騎士長を眺める。
「いざ!」
騎士長の姿が掻き消す。アーシェや一般の騎士らはそう見えただろう。だがマーガレットは騎士長の動きについていけていた。
一瞬にしてクリアの後ろに回り込んだ騎士長は上空からの振り下ろしを放つ。クルセイダーの重みと騎士長の強化された筋力から繰り出される振り下ろしはまさに一撃必殺。通常ならば盾が構えていようが盾と共に鎧ごと粉砕する。そんな破壊力を持つ一撃をクリアは一歩後ろに下がり、クルセイダーの先端から柄へと近づく。そして後ろを向いたままクリアは肩から切り落としてくるクルセイダーを掴み取り、一本背負いをぶちかます。
騎士長の強化された筋力を利用した武術。
自分の筋力をモロに喰らった騎士長は地面に叩きつけられてそのまま一回転二回転がった。
「う、うぬうぅう!」
苦痛に顔を歪ませながら騎士長は体制を立て直す。相変わらずクリアは突っ立ったままだ。
「"フレイムビラー"!!」
そう唱えると騎士長の前方に魔法陣が描かれていく。中位炎魔法だ。成人の頭一個分の大きさをした炎が魔法陣から飛び出す。
自動追跡する炎の玉だ。
「行け!」
騎士長の声を皮切りに炎の玉が炎の尾を帯びながらクリアに向かってほとばしる。
だが、眼前に迫り来る炎の玉をクリアは気脈を活性化することで無力化する。
「な、なんじゃと...?貴様、修行僧まで!ならば!我が剣に力を与えたまえ!"焔の保護"!」
騎士長のクルセイダーが燃え盛る炎に包まれていく。魔法騎士の最大のメリットである魔法剣だ。
「ほう、焔か。俺がやった時は風だったなぁ」
昔のことを思い出してクリアは口を吊り上げて微かに笑う。
そして──腰に携えていた剣をようやく抜くのであった。