14話
──カランッ、と扉に付いている鐘が小さく鳴る。
中に入ると、意外と広く清潔な店内に驚きつつ全体を見回す。
店の端には何人かの男達が固まって何かしていたが、それ以外は普通に私のイメージしている酒場と一致した。
カウンターにはこの店、いや、ギルドのマークが付いた服を着た美男子がリクさんに向かって爽やかな笑顔を向けていた。
「今帰った」
「あぁ、おかえり。何だか今回は随分と遅かったねリク」
「お前が旅費をケチらなければもっと早く帰って来られたんだがな」
「ははは。リクはもう十分稼いでるだろ? わざわざこの貧乏ギルドから旅費を貰おうとするな」
「この変態守銭奴めが」
「しょうがないよ。ギルドのためだからね」
リクさんの毒も華麗に受け流す美男子マスター。見た感じ、年齢は私やリクさんよりも上。二十代前半くらいだろうか、浅葱色の髪と人の良さそうな顔立ちをしている。
その彼がリクさんの後ろに立っていた私に気付き、リクさんに視線を移す。
「ところでリク。その後ろにいる可愛らしいお嬢さんは?」
「拾った」
「あの、だから私を犬猫みたいに言わないでくださいよ。そのうち犬耳とか猫耳とか着けますよ?」
「やめてくれ。犬も猫ももうめんどくさいのがいるんだから」
その何の気もなく言い放ったリクさんの言葉に私は引っ掛かった。
えっ? もう犬も猫もいる? もう少し考えを巡らすと、私は犬耳、猫耳を着けると言って、それがもう間に合っているということは……つまり、人の姿にリアル犬耳や猫耳をした、所謂──。
「ま、まさか! 獣人!? この世界には獣人がいるんですかっ!? 見たい! どこにいますかっ!? 例え世界の果てでも見に行きます! 本物の獣っ子をこの目で見るためならばっ!」
リクさんと美男子さんの目が、可哀想なものを見る目に変わった。
「あの、リク。この子は……その何て言うか」
「遠慮せずに言っていいぞ。そうだよ。こいつは世間に疎いだけでなく、世界の常識すら知らない大馬鹿なんだ」
「だ、だからっ!、私は異世界人なんですから、この世界について詳しくないのは当然じゃないですか!」
二人の目は更に可哀想なものを見る目に変わっていた。
「これはまた、強烈なのを連れてきたね」
「言うな。今激しく後悔してるところなんだから」
リクさんがカウンターの椅子に座りながら頭を抱える。
美男子さんも苦笑いしていたが、丁寧に自己紹介してきた。
「僕の名前はムース・ホートネスです。以後お見知りおきを」
「あっ、はい。私はミソラと言います。美しいに空と書いてミソラです」
「…………はい。よろくお願いしますね、ミソラさん」
はじめは何を言ってるんだこいつ、みたいな目をしていたが、すぐに笑顔に戻った。
しかし、それが営業スマイル。つまり作った笑顔だということはニュアンスでわかった。
「ところでムー。他の奴等はどうした? 上にいるのか?」
「いや。ほとんどみんな仕事に行ってるよ。いるのはいつものメンバーだけ」
「あぁ……。まあ、そうみたいだな」
リクさんは嘆息しながら水を飲む。
「はい。水代は十ユグルね」
「……おい、水一杯で金取るなよ……」
「お金はあるところから取っとかないとね」
「ユグル? それがこの世界の通貨の名前ですか?」
「……リク。彼女は記憶喪失なのかい?」
「違うらしい。しいて言うなら常識喪失だな」
「失礼なこと言わないでください。礼節くらいはわきまえてます」
ユグル。それがこの国の通貨なのだそうだ。見た目はただの金貨で、何か木のような模様が描かれていた。
一ユグルでだいたい日本円でいうところの十円ほどの価値があるようだ。
それとユグルは金貨の大きさが違うコインが五種類あり、一、十、百、千、一万ユグルのコインがある。
日本の貨幣とほぼ同じシステムで、そこに十倍すればいいだけなので、すぐに覚えられた。
優しく貨幣のことについて教えてくれたムースさんは「じゃ、リク。ミソラさんの教育費として君に代わりに三百ユグル払ってもらおうかな」とリクさんにお金を要求していた。
意外とちゃっかりしていた。リクさんは「ふざけんなよこの野郎……」と文句を言いながら、でも律儀にお金を払っていた。
「いやぁ、マスターさんはお金にしっかりしてるんですね」
「マスター? あぁ……違いますよ。私はこのギルドのマスターでも酒場の店主でもありません。よく間違われるのですが」
「えっ? 違うんですか?」
意外だ。確かに若いギルドマスターだな、と思っていたが、ゲームや漫画ではそこまで珍しいことでもないので、ついムースさんがこのギルドのマスターなのだと思っていた。
「なら、マスターさんは今どこに?」
「…………いやぁ、その……」
「……?」
何だか言葉を濁らせるムースさん。隣に座るリクさんも嘆息する。
「ミソラ。ここのマスターを知りたいのなら、色々と覚悟決めろ」
「か、覚悟?」
まさか、めっちゃ怖いマスターとかなのだろうか。それは、確かに覚悟が必要かもしれない。
「よし。覚悟、決まりました! で、誰なんですか?」
リクさんは振り向こうとせず、肩越しに親指を後ろに指しながら言った。
「お前があえて認識から外している、後ろでたむろってる男共の中心でパンツ一枚になってる阿呆が、うちの恥ずべきクソマスターだ」
「…………え"っ!?」
私は恐る恐る後ろを振り向く。そこには──
「うがぁあああああああっ!! また負けたああああああっ!!!」
トランプ、だろうか。何かの賭け事で恐らくたった今負けたのだろう、茶髪で老け顔のパンツ一枚だけの大男が、頭を抱えながら大声で叫んでいる姿があった。
確かに、覚悟が必要だった。
ギルドマスターに対する幻想を打ち砕かれ、失望するための心の準備と覚悟が。
☆☆☆
呆然と、ただ一点を見つめたままミソラは硬直していた。まあ、無理もないだろう。
頭の中妄想お花畑のミソラにとって、ギルドマスターに偉大さとか、気高さとか、なにかそんなものを期待していたのだろうことは、今のミソラを見てもわかることだ。
で、そこにあの阿呆だ。ショックを受けるのもわかる。むしろ謝りたいくらいまである。
だが、恥ずかしながら、紛れもなく、あそこでみっともなく泣きついて「パンツだけは! パンツだけは許してくれ!」などと懇願しているのが、ここ『鴉達の酒場』のギルドマスターにして店主、ジン・コーヴァスであった。
「そうだっ! うちの酒をかけるから! それで手を打ってくれ!」
「えぇ~。ま、いいけどぉ~?」
「よっしゃ! じゃ、次だっ! 次こそ勝つ!!」
ついさっきまで地面に這いつくばり、客の足にすがりながら泣き出しそうな顔で懇願していたジンは、すぐさま気持ちを切り替えたように椅子に座りなおす。
あンの野郎……! まだやるつもりか?
「リク。あのアホを止めて来てください」
「やだよ。あんなのと関わりたくねえ」
「君の所属するギルドのマスターじゃないか。まあ、それは僕もなんだけど。これ以上うちの恥を晒すわけにもいかないし、しかも店のお酒を賭けにしたからもう傍観もしていられない」
ムースの顔はあくまで営業スマイルのままだったが、その裏側は怒りで満ち満ちていた。仕方ないので、俺はジンの側に近寄っていく。
「おいこら。そこのクソ店主。いい加減にしやがれ」
「ん? おぉ、リクか。帰ったんだな」
ジンはパンツ一丁なのを恥じることもせずに陽気に片手を上げる。
「心して聞け。うちの財布係りにお前の暴挙を止めてこいって仰せつかって来た。だからさっさとやめろ」
「えぇっ!? いや、待て! 今度こそ! 今度こそ勝つから! 見てろって! 一発大逆転すっから!」
「今度こそ、って、お前今日何戦中何回勝った?」
俺の質問にうっ、と押し黙るジン。そしてぼそっとその数字をこぼす。
「……ひゃ──」
「ひゃ? お前今ひゃ、って言ったか? つまり少なくても百戦やってんのか? で、その内何回勝ったよ?なぁ?」
問い詰めるように聞く俺に、ジンは目を泳がせながら、かなり小さな声で呟いた。
「……………………二勝」
「そのきたねえパンツ燃やされたくなかったら今すぐやめろこのクソ雑魚野郎!!」
小説を買えなかった苛立ちと相まって、俺はとうとうぶちギレた。