9話
俺の心配をよそに、がむしゃらにギゴーラに突っ込んでいくミソラ。どうせ今更止めようと聞くことはないだろうと思い、俺は急いでミソラに補助魔法をかけた。
《イル・アーマー》は上級補助魔法の一つで、体全体を魔力の鎧で包み、受けた攻撃を半減させ、こちらの攻撃の反動を最小限に防ぐ魔法だ。
この魔法がかかってさえいれば、先程のように手や足を痛めることはない。
この魔法の効果を知っているのか、それとも俺のことを信頼してか、一切の躊躇なくギゴーラに殴り掛かる。
ギゴーラもミソラの攻撃に合わせるように鋭い爪を繰り出し、両者の攻撃が衝突する。
わずかにミソラの拳がギゴーラの爪を押し返し、その爪を粉々に砕いた。ミソラは間髪いれずに続けて攻撃を仕掛けた。
「おりゃああっ! ってあれ!?」
しかし、そんなミソラ攻撃をギゴーラは空を飛んで回避する。俺はそこですかさず魔法を唱える。
「逃がすかっ! 《アクア・ポンド》!」
その魔法はギゴーラの頭上で展開し、魔法陣からは大量の水の砲丸が降りそそぐ。
「きゃあ危ない! ちょ、待って! うわわわっ! リクさん私のことも考えてくださいっ!」
そのギゴーラの真下にいるミソラにも水の砲丸が降りそそいだが、なんとか紙一重で躱し続けながらこちらを向いて抗議する。
「悪い。頑張って避けてくれ」
「めっちゃ適当だ! わわっ! よっと。はぁっ!」
なんだかんだ言ってミソラは一度も食らうことなく回避しきった。
一方ギゴーラはかなりダメージを受けたようで、さっきより低い位置をふらふらと飛んでいた。あの高さならミソラのジャンプで十分届く。
「今だ!」
「はいっ!」
ミソラは俺の意図を完璧に正しく捉え、即座に答える。全身のバネを使いギゴーラの頭上まで跳び上がったミソラは、体を回転させながら勢い任せに踵を落とす。
「美空流格闘術《嵐脚旋風》!!」
ミソラの攻撃がギゴーラの頭蓋を砕き、脳を激しく揺らして抉った。その勢いのまま、再びギゴーラが大地に落下する。
「これでとどめですっ!!」
大地に踞るギゴーラに狙いを定めて、ミソラは両手の拳を強く握りしめて、空を蹴って一直線に落下する。
「美空流格闘術《双空拳》!!」
同時に繰り出された加速と重力を帯びた二つの拳はギゴーラの固い背中を易々と打ち砕き、ギゴーラは短い断末魔を最期に沈黙した。
「ははっ……。ほんとにやりやがったよあいつ……」
笑顔で手を振りながらこちらに駆け寄ってくるミソラを見ながら、俺は乾いた笑い声をあげた。
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「おいおい。そんな簡単に倒されないでよ。全く、役立たずだなぁ。もういい。あとは僕がやるよ」
声が、おぞましいあの声が、ギゴーラの消えかかっていた意識を侵食し、破壊していく。自分が自分でなくなっていく感覚に襲われ、残ったわずかな力を振り絞り抵抗する。
だが、その抵抗も虚しく無意味に終わり、同時にその命も終わりを告げた。
それを確認してから、声の主は魔法を唱えた。
「【原典 禁の章】《ネクロ・フェミリア》」
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「やりましたねリクさんっ! 最初のボスにしては強すぎず弱すぎずといった感じの相手でしたが、なんとか無事に勝てて良かったですっ!」
「……あぁ、そうだな」
俺は何を言っているのかわからない、やや興奮気味なミソラを適当に諌めながらこれからどうするか考えていた。
これだけの事件になったのだからまず間違いなく報告書を山のように書かないといけないだろうし、盗賊達もさっさと牢獄にぶちこまなければならない。だがどちらにしてもまず連絡をしなければならない。
とりあえずはすぐそばにある町、フレールに行くとしようか。盗賊達は……しばらくあの場所に放置するか。町にあんな大勢連れていけるわけないしな。
「そうと決まれば早速──何ッ!?」
「え?どうしたん──って、ええっ!?」
俺は全身に強烈な悪寒が走り、ミソラを抱えてその場を即座に離れる。
気付けばついさっきまで俺達が立っていた大地には円形の穴が空いており、奈落にまで続いているかと錯覚してしまいそうなくらいの深い闇がこちらを覗いていた。
その闇から影のような触手が蠢きながらこちらに伸びてきた。
「き、きしょい! きしょいです!! 何ですかあれは!?」
「闇魔法、だと? 一体誰が……!?」
ミソラの悲鳴に耳を痛めながら原因を探る。目に入ったのは倒したはずのギゴーラだ。
何故かギゴーラの体から禍々(まがまが)しい魔力が溢れだしていた。その魔力は闇属性を放っている。まず間違いなくアレが原因だ。
「でも何故だ。ギゴーラは狂暴だが、魔法を使えるほどの知能は持っていないはず……」
「ドラゴンも魔法が使えるんですか。すごい世界ですね、ここは」
緊張感をぶち壊すミソラの感想を聞き流し、ギゴーラをじっと睨み付ける。
「…………あれか!」
「えっ? なんですか?」
よく観察した結果、ギゴーラの体には第三者から魔力の回路が繋がっているのが見えた。あれで遠方から魔力で操っているようだ。しかも、この魔法は──
「まさか、禁忌魔法か!くそッ!!」
「禁忌魔法?」
禁忌魔法とは文字通り、一切の使用を禁じられた魔法のことだ。今ではその魔法を記したありとあらゆるものは厳重に、何重にも封印されていて、相当の魔法使いでないと閲覧不可能とされている。
勿論使用など厳禁どころの騒ぎではない。一度使うだけで大罪だ。
「その禁忌魔法の中でも、もっとも忌み嫌われた、死体を自在に操り、魂を貪り喰らい、闇属性を無理矢理付加させる外道の魔法……」
俺の指差した方向を見るミソラ。そこには頭部がぐちゃぐちゃに破壊されて、体中から血を流しながらも立ち上がるギゴーラの無惨な姿があった。
流石のミソラも口を押さえて嗚咽を漏らす。
「別名、死者を冒涜する魔法 《ネクロ・フェミリア》。まさか、こんなところでまた見ることになるとはな……」
俺の脳裏に浮かんだのは過去の惨劇。やりきれない後悔と消えることのない憎しみの炎を産んだ忌まわしき魔法。
「──さん。リクさん。リクさんっ!」
過去の記憶を思い出していた俺をミソラの震える声が現実に引きずり戻した。
「……わりぃ。手間掛けさせた」
「いえ。それよりどうするんですか? 私はどうしたらいいんですか?」
「問題ない。俺がやる。お前は下がってろ」
「……わかりました」
ミソラは少し不満そうだったが、今はそれどころではないと判断したのか、素直に従った。
俺はギゴーラに向けて構えた右手に膨大な魔力を集め始める。目を閉じ、もう一度だけあの時のことを思い出す。
──もう、あの時とは違う。あの時より成長もした。魔力も完全に元に戻っている。あの時の因縁を、屈辱を、絶望を、今ここで焼き尽くしてやるよ!
「【原典 炎の章 超級編】罪を焼きし紅蓮の焔よ。闇を消し去る煌炎の灯火よ!我が元に顕現し全ての悪を浄化せよ!《ジャッジメント・クリムゾン》!!」
巨大な魔法陣から顕れたのは煌めく金色の光。その光はまるで終焉を告げる却火を連想させた。
闇を、魔を、全てを焼き尽くしながら燃え盛る光をミソラはただ呆然と見つめていた。
やがて光は静かに収まってゆき、そこには、まるで最初から何もなかったかのような、圧倒的な『無』が存在していた。
「……すご、い…………」
どうにかそれだけ喉からしぼりだしたミソラはそれ以降、その場にへたりこんだまま、瞼の裏に焼き付いた今の光景を見続けていた。
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眩いほどの炎の光はすっかり消え、空は次第に暗くなり、淡い月の光が夜を優しく包みこむ。
そんな静寂な月の光を浴びながら、高くそびえ立つ岩山の頂上に腰を掛けた少年は妖しい笑みを浮かべていた。
「ははっ。すごいすごい。まさか本当にたった二人でドラゴンをこうも容易く倒しちゃうなんて。ここまでくると、むしろドラゴンの方が呆気なさ過ぎな気もしてきちゃうな」
リクとミソラの戦いを遠くから見物していた少年は笑い声をあげる。その声はとても楽しげで無邪気さすら感じさせた。
「リクくんの最後の魔法。ゾンビ化したドラゴンは灰も残さないくらいに綺麗に焼き付くしたのに、それ以外の草や大地は一切燃えていなかった。呪文の通り、闇や悪だけを焼き消す魔法か。しかも《命の灯》を使わずに超級魔法が使えるなんてね。どれだけの魔力量なんだか」
足をパタパタとばたつかせながら少年は興奮したかのように独り言を呟き続ける。
「それにミソラちゃんも。いくら補助魔法が効いていたからって、あの力はデタラメすぎでしょ。絶対に普通じゃないね。全く。あの二人、面白すぎるよ」
リクとミソラと対面した時のことを思いだし、あの時名前を聞いておいてよかったと思う。ひとしきり笑い終えた少年は岩山の上に立ち、手に持っていた本に目が移る。
「最近はホント暇すぎて死にそうだったから、噂を聞いて仕事ほったらかしてついつい町まで買いに行っちゃったけど、今はもっと面白いモノが見つかったからこれはもういらないな」
そういうと少年はその本を岩山から投げ捨て、本は地面に落ちる前に闇に飲まれて消えた。
「それにしても名前か。咄嗟のことだったからあの本から適当に取ってアルマって名乗っちゃったな。もっと格好良いのにすればよかった……。ま、別にいっか。所詮名前なんて飾りだし。当分はアルマって名乗ろうかな。……さて、そろそろ盗賊ごっこにも飽きたし、久しぶりに帰ろっかな」
アルマ、と名乗った謎の少年は、妖しい瞳で眼下に(とは言ってもかなり距離があるが)二人を一度だけ見てから、夜の闇に消えていった。