プロローグ
「ったく、馬車の代金くらい出してくれたっていいだろうが。あのドケチ野郎……」
ぶつくさと一人、恨み言を呟きながら歩いている、黒いローブを羽織り、背中に大きな荷物と杖を背負った赤髪の少年、リク・アースランドは依頼書に書かれている目的地、セビラの森付近にやって来ていた。
今回の依頼の内容はこうだ。最近、セビラの森に盗賊が住み着き、近隣の町や村を襲っているらしい。しかもその盗賊の中には魔物使いがいるらしく、かなり凶暴な魔物を操れるという話だ。
たかが盗賊の魔物使いだ、と油断してこの依頼を受けた数人の魔法使いが、逆に返り討ちに会ったという話もある。
流石にこれ以上見過ごすわけにもいかない、とのことで、今回俺が派遣されてきたわけなのだが、いかんせんやる気が出ない。
何故なら今日は俺が愛読している冒険小説『ベリアルマインド』の発売日だったからだ。本来ならもう既に購入して仕事もせずに部屋で読み耽っているはずなのだが、何が楽しくて盗賊共の駆逐任務などやらねばならないのか。ただただ気が滅入る一方だった。
そうこうしていると、日も傾き始め、そろそろ野営の準備でも始めようかと思ったその時、視線の先に魔物が大群で群がっているのを発見した。
「ベルドッグか。何か大物の餌でも落ちてんのかね」
しかし、然したる理由もなく魔物を殺す必要もないと判断した俺は、大群の中心が空いているのが気になる程度の反応を示すだけで、少し離れてその場を通りすぎようとした。
「ん、うぅ……」
その声が届いたのは本当に奇跡的な偶然だった。ベルドッグの唸る声に混じり、どこか人間の少女のような声が聞こえた。
空耳か?そう思ったが、ベルドッグの群れの中心をよく注視してみると、一人の少女が倒れているのが見えた。
「んなっ!?」
思わず間抜けな声を上げてしまった。だがそれも仕方ないだろう。まさかこんな場所で呑気に眠りこけている奴がいるだなんて思ってもみなかったのだから。
しかし厄介なことになった。まさかこのまま見過ごしていけるわけもなく、どうにかして助けてやらないといけない。
それに幸い、何故かまだベルドッグ達は少女に飛び掛かってはいない。何かを警戒しているようだったが、だからといって、ずっとこのまま何もなく去っていくというわけでもない。
俺は荷物を投げ捨て、愛用の杖を握り、群れの上空に向かって魔法陣を発動させた。
「《ニードル・レイン》」
魔法陣からまるで針のような硬質の雨がベルドッグ達に突き刺さる。もちろん少女には当たらないように調節を加え、手加減もした。いきなり攻撃を受けたベルドッグ達は一斉にこちらを向き、戦闘体制に入った。
よし、それでいい。こっちに近付いてこい。俺はバックステップでその場を離れる。狙い通りにベルドッグ達はこちらに向かって走ってきた。これで、少女を気に掛ける必要はなくなった。俺は再び別の魔法を詠唱した。
「《ガイア・ホール》」
今度は地面に魔法陣を張り、その部分がいきなり大きな落とし穴となった。ベルドッグ達は悲鳴を上げながら穴へと落ちていった。すかさず三度目の詠唱。
「終わりだ。《フレア・タワー》」
穴の中から火柱が上がる。逃げ場のないベルドッグ達は容赦なく炎に焼かれ、やがて灰となった。
「ふぅ。終わり、っと」
あまりに一方的な戦いを終えたあとも、リクは淡々とわずかについた砂ぼこりを払うだけだった。
そして、件の少女の元に近付く。少女は未だに眠り続けていた。
こんな状況でまだ眠っていられるとは、余程の大物か、余程の馬鹿か。しかし、その少女をよく見てみると、随分と可愛らしい容姿をしていた。
特に長い黒髪なんかはかなり気になった。余りここらで黒髪の少女なんて見掛けないので長いこと気を取られていたが、ハッと気付き、少女の頬を軽く叩く。
「おお~い。起きろ~。もう夕刻だぞ」
「んんぅ……。あと五分……」
夕刻だと言ってるだろうが。その朝早く起こされている奴みたいな反応はなんだ。俺は人差し指を頬に突き刺す。
「起・き・ろっての!」
「んぶぅぅ……。んにゅ?」
ようやく目を覚ましたのか、目を開く少女。その視線は俺を見て、回りを見渡し、もう一度俺を見た。
「よう。大丈夫か? 怪我してねえか?」
俺はなるべく警戒させないように振る舞う。別にやましい気持ちがあるわけではないので振る舞う、という表現は正しくないかもしれないが、この少女に取って俺は見知らぬ他人だからな。これくらいでちょうどいい。
寝転んだままの体勢で俺を見つめ続けて数十秒、急にガバッと体を起こして少女は叫ぶようにこう言った。
「貴方が私をこの異世界に召喚した魔法使いさんですかっ!?」
俺の思考が数秒間停止した。異世界?召喚?この少女は何を言っているのか。
……あぁ、なるほどそういうことか。どうやら、外傷はないが頭の中が絶望的なまでにぐちゃぐちゃに壊れてしまっているらしかった……。
俺は頭を抱えた。面倒な奴と関わってしまった、と──。