剣士マイド・アリガット
ユ・ツーリア大陸では3貴神が信仰されている。一柱は軍神にして天空を支配するザウエル。一柱はザウエルの妻、豊穣神にして大地を支配するガラテア。一柱はザウエルの妹、時の女神ミレニア。
軍神ザウエルは不敗の呪を持ち、圧倒的強さで並み居る神族をその配下に収めている。その神威は王族のみが行使できる。
地母神ガラテアは豊穣の呪を持ち、広く信仰されている。
最後の一柱ミレニアなのだが、この伝承は曖昧だ。何故ならミレニアを信仰する村が知られていない為だ。多くの者が、何故ミレニアが3貴神の一柱なのか不思議に思っているだろうが、これには理由があった。
疫病から村を救った【気高き山の民】の噂は、当時国土拡張の為に周辺の村落へ派兵していた戦巫女の耳にも入った。軍神ザウエルは大いに怒った。気高き山の民が信仰する神はザウエルと同じ天空神だったのだ。デノンよりも北にまだ人の住む村がある。この事も、版図を拡げんとするミズゥイル王国の思惑と一致した。当初、3000人の兵を連れて戦乙女が制圧に向かったが、途中で頓挫した。気高き山の民の村へは狭い洞窟を通らねばならず、軍隊が通れるものではなかったのだ。仕方なく、戦巫女は50人の精鋭兵を連れて、洞窟を抜けた。私の知る話では、ミレニアは戦乙女の召喚したザウエルの前に降臨して、自ら翼をもぎ取って命乞いをしたらしい。『不敗の呪を持つザウエル様に敵うはずがありません。どうか、この翼をお納め下さい』と。ザウエルが純白の翼を受け取ると、それは白いマントへと変じた。軍神ザウエルが降臨する際は今でもこの白いマントを着用している。軍神ザウエルは貢ぎ物に気を良くしたが、戦巫女は不満だった様で、更に族長の首を要求した。そして山の民は要求通りに族長を差し出した。この時より【天翔ける乙女ミレニア】は、【時の女神ミレニア】と呼ばれるようになったという。
私には信じられない話しだ。たった50人の軍隊と戦う事すらせずに、自らの翼を差し出す神と、族長を差し出した村人。ただ、このおかげでミレニアは従属神として使役される立場から、3貴神の一柱になれたのだ。
自らを信仰する民を守らない神がいるだろうか?
ミレニアが奇跡を起こしたという話を聞いたことがない。ミレニアの持つ神威とは何だろう。まあ、信仰する民すら守れない様な脆弱なものだろうが。
「ベンジョー、おトイレ」
トイレに席を立っていたカイルが嬉しそうに帰ってきた。コイツはだいたい嬉しそうなのだが。
「しかし、カイル様がトイレに行きたいって良く解りましたね」
変態仮面が感心した様に話しかける。
「え? それはね、王都で飼っていたパピーちゃんがお部屋で粗相をする時は、似た仕草で辺りを見回すから」
「仔犬ちゃんね。そのまんまですね」
「粗相?」
「えっと、トイレとかそういう言葉を、上品な人は使はないのよ」
首を傾げるカイルは、何かに気付いたように近寄ってきた。
「ん?何?」
近い、近い! カイルは私に顔をくっ付ける様にしてスンスン鼻を鳴らす。
「ティナ、ベンジョー! おトイレ」
コイツは乙女に向かって、よりにもよって!
「ま、待ってください。ティナさん!」
変態仮面が慌てたように仲裁に入る。今ドサクサにティナって呼んだ?
「カイル様が言っているのは、ベンジョウンの事じゃないですか?」
「は?」
ベンジョウンとは王族御用達にもなっている超高級香水に使われている幻の花である。確かに、私は母上から分けて貰った貴重な香水を水増しするために混ぜて使っていたが?
「カイルがそんな高級な香水を知ってる訳ないでしょ。大体、ベンジョウンは4年前から全く流通してないし」
ベンジョウンの花は、高原でしか育たないらしいが、流通は一部の行商人が独占しており入手経路は隠されていた。
「間違い無いようです」
カイルと話していた変態仮面が言う。
「カイル様の村では、トイレが臭いので花を置くそうです。それがベンジョーの花だそうで、行商人はいつもこの花を欲しがると」
4年前に落石で洞窟が塞がった・・・。4年前から流通の途絶えたベンジョウン。符号は一致する。
洞窟が塞がっていたから、山脈を2年かけて西に迂回した・・・。普通なら村に戻るのではなかろうか、やっぱりカイルはバカだ。
「ねえ、貴方はミレニアの使徒なの?」
首を傾げるカイルに変態仮面が解説するが、使徒というモノを理解出来ない様だ。
「白いニア様な。ニア様、泉で歌う」
ただ、カイルの村はミレニアを信仰しており、ミレニアは時々降臨しては凍った泉で歌う様だ。
何だろう、ミレニアって。
日は完全に沈み、酒場は更に客で賑わっていた。そして、カイルは4皿目の赤鱒を食べていた。もうここの勘定は見きれない。
「なあなあお前さん、もしかして闘技会に出るのか?」
赤ら顔の酔った客がカイルに話しかける。
「闘技会な」
「そうかい、俺はダブルアックスのゲイザーな。試合う事もあるかも知れんが、宜しくな」
そう言って、カイルに右手を差し出す。カイルも右手を差し出して握手。
筋骨隆々といった体格のゲイザーの右腕に闘気が込められ、血管が浮き上がる。闘技会の前哨戦は既に始まっているのだ。こうして、弱気な出場者は気後れして出場を取り消してしまうものなのだ。
「お前さん、やるねぇ。名前は?」
「カイル」
どうやら、ゲイザーさんはカイルをライバルと認めた様だ。
「カイル、こういう時は2つ名も名乗るのよ」
名の知れた冒険者や剣士は2つ名を持っている。武闘会に出場する者も、2つ名を一緒に登録するのだが、無名の冒険者はこれまでに倒した一番強かった魔獣の名を登録するのか慣例だ。
「ねえ、カイル。貴方が倒した一番強い魔獣は?」
「う~・・・トカゲ?」
いつの間にか、やり取りが注目されていたらしく、酒場の客が湧いた。
「ヒャッハ~! トカゲ殺しのカイルさん来ましたぁ」
カイルは自慢気にVサイン。コイツはバカにされているのが判らないのだろうか。
「俺はクマ殺しのエリオットな、宜しく。因みにクマは20トカゲの強さだ」
笑いがおこる中、エリオットと握手するカイル。
「俺は一撃のヨルド。まあ、控えめに30トカゲの強さだ」
人々の笑いの中、カイルは一緒に笑いながら次々に握手を繰り返す。
「いやあ、流石はカイル様。人気者ですねぇ」
変態仮面は嬉しそうにワインを煽る。カイルは2年もの間荒野を旅した筈なのに、トカゲ殺しって何なの? ひたすら魔獣から逃げ回っていただけなのだろうか。
「おいおい、随分と人気者じゃねえか」
そこに、赤鱒の皿を持った宿屋の主人が現れた。
「いや、俺の料理を美味そうに喰う客が居るって聞いて、挨拶に来たんだが・・・」
そう言って5皿目の赤鱒を置くと、カイルをしげしげと見詰める。それも頭のからつま先まで。
「おまえ・・・マイド」
「マイド・アリガット!」
突然カイルは席を立って叫ぶ。
「やっぱりマイ・・・」
「マイド・アリガット!」
カイルは嬉しそうに腰に挿した鉈を取り出して、柄頭を爪で擦る。こびり付いた血が剥がれた後には【踊る子鹿亭】の焼き印が現れた。
「やっぱりそうか、その鉈はマイドにやった物だ。おまえマイドの息子なんだな!」
「マイド・アリガット!」
いつしか、酒場に満ちていた喧騒が消えて静寂が訪れていた。
「え?何?」
「ふっ、ふふふふふっ。良いですよレスティナさん。貴方はそうでなくっちゃ」
何処か見下したような変態仮面の笑い。
「懐かしいなぁ。20年ぶりか? マイドは元気にしてるか?」
「マイド・アリガット!」
「おおう、そうかそうか。お前さんの喰うものは俺の奢りだ。いくらでも喰っていけ」
「おおう、もてなすか?」
「おおう、もてなす、もてなす!」
鷹揚に頷く主人。
カイルはこの後、赤鱒を8皿まで食べて行った。奢りだからといって、意地汚い男だ。私の懐が傷まなかったのは幸いだったけど。




