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逃げるオッパイ

「ティナ、ティナ!」

 嬉しそうに飛び跳ねながら、彼(オッパイ)は、珍しそうに私の姿を見詰める。私のプレートメイルが珍しいのだろうか。続いて彼は自分の額を指ししめした。

「うるむぐ、カイル」

 何を言っているのかさっぱり判らないが、察するに私が被っているヘルムの事の様だ。そうか、彼らの言葉ではヘルムの事をカイルと言うのか。

「ヘルム」

 私は兜を指して答えた。

「ヘルム、おぼえる!」

 おや? どうやら、少しは公用語が話せるのかもしれない。

「デノン、くぅばいだ」

 彼(オッパイ)が私の後ろを指さす。【デノン】彼はこの街の名前を知っている様だ。

「そう、この街はデノンよ・・。って、ええ!?」

 彼の指先に振り返った私は、愕然とした。木戸が閉まっている! この木戸は街の内側からしか開かないのだ。なんということだ。彼に引っ張られた拍子に、私は街の外へ出てしまっていた。

「えっと、(デノン)に入るには、正門に回らなければイケナイの。 って、解る?」

 私は堅牢な柵のずっと先を指さした。街の正門へは柵伝いに1km程先まで歩かなければならなかった。案の定彼は言葉が判らないのか首をかしげている。

「こっちよ、一緒に来て」

 彼の手を握って私は歩き出す。って、いうか一緒に来てください。魔獣の徘徊する外をひとり歩きなんて正気の沙汰じゃない。


 歩きながらも、彼の姿を観察する。雪焼けした肌に髪の色は黒、瞳も黒、顔の彫りは浅く、鼻は高くはないが横に広い。典型的な北方民族の特徴だ。背の高さは私より少し低いくらいだが、胸や腕が太く、ずんぐりした印象。装備は毛長山羊の服に魔獣の毛皮のみで、武装と呼べるものは腰にむき身で挿した刃渡り30cmくらいの鉈だけ。そして、彼の背負う荷物。ぬかるむ足元に彼は頻繁に足を滑らせる。しかし、素早く次の一歩、それも滑ると更に一歩と足を運び、転ぶ事無く歩いている。これは、相当重心が高いのではなかろうか。察するに彼が背負う荷物は人一人くらいの重さがあるのでは。

「ねえ、オッパイ。貴方、闘技会に出てみない?」

 彼は、怪訝な顔をして足を止め、しばしの躊躇を見せて、自分の額を指さす。

「カイル」

うわあ、何だろ? このリアクションは。

「え、闘技会に出るつもりでデノンにきたんじゃないの? それと、ヘルムはあげないわよ?」

 この時期に辺境にあるデノンの街を訪れる者は、大抵が闘技会目当てだ。武闘会には出たいがヘルムを持ってないって事かな? それ以前に、鎧を着てない事が気になるけど。鎧は背中の荷物に入ってるのかな。

「闘技会、判る?」

「とうぎかい・・・おぼえる」

 ダメだ、通じてない。

「やま、上、した、デノン、木、とり、ティナ」

 彼は続けざまに山や空や足元を指さし、最後に私を指さす。少しは公用語を知っている様だ。

「ティナ、ティナ!」

嬉しそうに胸に手を当てて飛び跳ねる。

「え?鎧もあげないわよ!」

 このプレートメイルはマジックアイテムで闘気によって防御性を高められる逸品だ。だいたい、これは彼の体型には小くて装備出来ないだろう。それに女性向けで、胸に膨らみがあるし。

「ヘルム」

「ヘルムもあげません!」

 ションボリする(オッパイ)。困ったな、コイツをお供にスカウトしようかとも思ったのだが、どうやって実力を確かめようか。

 そこでふと、悪戯心が騒いだ。彼は魔獣(おそらく雪狼)の毛皮を纏っている。魔獣の毛皮も闘気によって防御力をある程度は高められるのだ。それならば・・・。私は涼やかな鞘鳴りをたてて、腰に挿した刺突剣を引き抜く。

「 ? 」

 振り上げられた剣を凝視する彼に見せつける様に・・・振り下ろす!

 当然の様に避けられた。だが、続けて剣を振るう。何度も、徐々に鋭く。

「さあ、いつまで避けられる!」

 私の剣は刺突向きに作られたものだ。今の様に振り回す攻撃なら、たいした怪我はしないだろう。

「ヘルム!?」

 突然斬りかかられて、戸惑いの声を上げるオッパイ。しかし、ぬかるみに足をとられながらも、重い荷物をかばう様に剣筋を避ける。凄い、コイツ凄いかもしれない! 次々に私の剣を避けるオッパイ。私は遂に避け難い胴体への刺突攻撃も織り交ぜる。しかしそれも避ける!

 ならば!

私は更に浅い切り込みのフェイントを織り交ぜて、高速での剣を繰り出す。すると、オッパイは見事に翻弄されて・・・転んだ。


「はぁ、はあ・・・」

 荒い息をついて、鞘に剣を収めて額から流れる汗を拭う。

「わりと良い動きをするじゃない」

 尻もちをついて転ぶオッパイに、笑顔で賛辞の言葉と手を差し出した。困惑の表情を浮かべた彼は、私の手を取り・・・思いっきり引っぱった。

「ふべぇっ!」

思わぬ力で引っ張られて転ぶ。拍子に顎紐を締めていなかったヘルムが地面に転がった。

「ぺっ、うぅ・・・口に泥が」

口に入った泥を吐き出していると、彼は既に立ち上がっており、呆然と私の髪を見詰めていた。

「・・・そうよ。私はレスティナ・スカイヤード。スカイヤード家の王族よ」

ユ・ツーリア大陸広しといえ、金色の髪をもつものは王族以外にはいない。金色の髪こそ、王族の証とも言えた。私が普段からヘルムを被っていたのは、身分を隠す為だった。

「・・・きれい」

「・・・へ?」

王族の、しかも次期女王を競う戦巫女を見て、この反応はなんだろう?



 チチチチチ・・・

 鳥の囀りが聞こえる中、しばし見つめ合う。

「えっと、起こしてくれてもいいんじゃない?」

 泥に汚れた私の手を差し出すと彼は・・・逃げ出した!

「え? ちょっと、待って! 斬りかかったのは悪かったけど!」

 転がっていたヘルムを拾い上げて私も後を追う。泥を跳ね上げて一直線に走る彼の脚は速かった。そして、林に差し掛かるとその速度差は更に開く。彼はぬかるみを避けて、器用に草や木の根を足場に走る。もはや、獣の様だ。

「ちょ、へばっ!」

 ぬかるみに足を取られて転んだ私を振り返ること無く、かれの姿は木立の間に消えてしまった。

「もお、綺麗って何よ」

 王族を見て、(かしこ)まるなら判るが、きれいって・・・。

 私の髪を見て、こんなふうに反応した者は初めてだった。何だか、ちょっと嬉しい。

 手についた泥を払いながら立ち上がると、草むらから音がした。

「オッパイ、戻って・・・」

 違う、これは人じゃない! いつのまにか、私の周りには雪狼が集まっていた。




 彼が逃げた後の事は思い出したくもない。雪狼を牽制しながら走った門までの距離は、夢でうなされる程の恐怖だった。

 日も傾き、泥だらけの重い足取りで街を歩いて、宿にしている【踊る子鹿亭】に辿り着いた私は、入り口を塞ぐ背中に戸惑った。


「赤鱒の香草焼きぃ!」

「赤鱒の香草焼きぃ!」

「あの、お客さん?」

「赤鱒の香草焼きぃ!」

私は怒りを込めて、入り口を塞ぐ背中を蹴り込んだ。

「オッパイぃ! 見つけたわよ!」

「あ、レスティナさん。この人とお知り合いですか? あれ、泥だらけじゃないですか!」

 給仕の娘が私に駆け寄ってくる。泥だらけの姿に驚いている様だ。

「すぐに手拭いをお持ちしますね。 それとこの人なんですが、さっきから困っているんですよ」

 そりゃあ、入口を塞いで叫ばれれば迷惑だろう。

「オッパイ、こっち来なさい」

 私は泥だらけの手で彼の手を曳く。彼はジャリジャリした感触に顔を顰めるが、大人しく私に続いて酒場の椅子に座った。

「赤鱒の香草焼き」

 完璧な発音だ。コイツ本当は言葉が判ってるんじゃ?

 宿屋の1階はたいていが酒場になっており、宿泊客以外もここで食事や酒を摂る事ができる。特にこの時期は闘技会の開催に、街の外から大勢の人が集まっていた。私は少し煙たい暖炉前の席に陣取り、給仕の娘から手拭いを受け取って、泥を落とす。

「じゃあ、赤鱒の香草焼きを2つ。あと、この街に北域の民族語に詳しい人知らない?」

「ええ、それなら」

 給仕の娘は心当たりがあるようだ。

(オッパイ)が公用語を話せなくて、困ってるの」

「カイル」

彼は頭を押さえて言う。ヘルムの事かな? 私は酒場に入ってもヘルムを脱いでいない。こんな所で金髪を晒す訳にはいかないのだ。王族が護衛も無しにこんな辺境の酒場に居るなんて知れたら、大変な事になるからだ。

「えっと、誰ですか、それ」

給仕の娘がちょっと引きつった顔で尋ねた。

「誰って、彼がオッパイよ」

さっきから彼の名を口にすると、客の視線が集まる気がする。視線に気づくと、目を逸らされた。もしかしてオッパイはありふれた名前なのかな?

「うっ、ふふふふふふふ。面白いですよ、お嬢さん」

まさかのフフフ笑い。そして、甘く低い深みのある美声が背後から掛けられた。

「あ、司祭様。こちらのレスティナさんが、北域の言葉に詳しい方を探されていまして、ちょうど・・・」

 北域の言葉に詳しい人物はこの酒場にも居た様だ。だが、後ろを振り返った私は思わず顔をしかめた。

背の高い痩身で、くせ毛黒髪の男がそこに居た。男は地母神ガラテアに遣える司祭の正装として、黒服に黒のローブ、そして目元を覆う黒の仮面で素顔を隠していた。これだからガラテア教徒は胡散臭いのだ。

「お嬢さん、私はガーシム。ガーシム・グラン、この街の教会で司祭を務めております」

男は自分の額を指さして名乗った。グラン姓来ました! グランとは教会の孤児院出身者が名乗る姓の代表だ。コレで胡散臭さが2倍に跳ね上がった。出来れば関わりたくない相手だ。

「私はレスティナ・・・」

 この男に姓を名乗りたくはない。

「カイル」

 私に続いてオッパイが自分の額を指して名乗る。

「あ、貴方が・・・、カイル様!? 風騒ぐ日に生まれた!」

 男が驚愕に震える声で呟く。だが、私もビックリ。

「ちょ、ちょっとぉ! 何よ、カイルって。貴方オッパイじゃないの!?」

 またしても酒場中の視線が私に集まる。声が大きかったかな。

「い、いえ。オッパイと言うのは、名前じゃありませんよ」

動揺から立ち直ったガーシムが変わって答える。

「じゃあ、何なのよ」

「そ、それはその、北域の隠語スラングで、その、女性の乳房の意味です」

 な、何だってぇ~!! 

 何、それどういう事!? 何だってそんな恥ずかしい言葉を! 怒りに私は(カイル)を睨んだ。

「公用語は、レムア人の持ち込んだ言葉でして、そうですね、文化と思想がこちらとは違うのですよ。貴方は、心は何処に有ると思いますか?」

「心って・・・ここでしょ」

 私は心臓のある左胸に手を当てた。

「そうですね。ですが北域ではココです」

 そう言って、ガーシムは自分の額を指さす。

「おかしいじゃない、だってドキドキするし、心臓が止まれば死ぬし」

「そうですか? 人は頭をぶつけると気絶します。心が体から離れてしまうのですね。それに頭が潰れても死にます。そんな訳で、北域では名乗る時は、頭を指さす風習があります」

 酒場のあちこちで笑い声が漏れる。もしかして、みんなオッパイって知ってた!?

 私が胸に手を当てて名乗った時、カイルは私の事を何だと・・・。

「痴女・・・ですね」

 肩を落とす私の心の声を読んだかのように、ガーシムがボソリと呟いた。黒マスクの変態仮面にだけは言われたくなかった。


他にティクビという名前候補も有りましたが、ピンポイントすぎるので、オッパイに落ち着きました。

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