はじめての夜
魔獣の襲撃は心配しなくても良い。私の隣には重装備の猛者30名にも匹敵する、雪竜を狩る剣士が居る。
極度の緊張が解けたからなのか、足腰に力が入らない。これが腰が抜けた状態なのだろうか。
「ところで、レスティナ王女殿下さんは、どうして馬車を途中下車してまで、ここに?」
「王女殿下『様』でしょ? あぁ、お聞きなさい、カイル。貴方は誉れ高き時期女王の護衛剣士となる名誉を得ました!」
「お断りします」
変態仮面が通訳すること無く即答する。私はカイルに言ったのだ。
「ちょっと、ガラテアの司祭さん。ちゃんと通訳して頂けますか?」
「通訳するまでもありません。カイル様は崇高なる目的の旅の途中なのです」
カイルが司祭服の袖を引いてなにか言っている。変態仮面は仕方無さそうに何かを答えている。
「カイル様は『ちっ、仕方ねえな。俺の後について来るなら、次の村まで一緒に来ても良いぜ』と仰っています」
彼は舌打ちなどしていない。断言しよう。きっとそんな事は言っていない。・・・たぶん。
カイルは立ち上がると、木に吊されていたナニカに鉈を振るい、大きな肉の塊を切り出す。更に、小さな素焼きの壺から赤っぽい透明な小石を出して、石の上で潰すと肉に擦り込む。こうして、私の前にも焚き火で炙られる肉が置かれた。カイルと変態仮面の前で火に炙られている肉は、既に表面が焦げてブスブスと肉汁を滴らせている。さっきから肉の焼ける良い匂いがしていて、気になっていたのだ。
「ありがとう」
「マイド・アリガット!」
お礼の言葉に、カイルが返す。 ・・・は?
私の疑問を他所に、カイルは脇に置いていた素焼きの深皿を手に取って、中身をズルズルと啜り始めた。皿の中身は赤黒い、まるで血の色をした液体、と言うか血のように見える!?
「か、カイル! 何飲んでるの」
カイルは皿から口を外すと、皿を私に差し出した。いやいや、要らないから、回し飲みとか結構・・・じゃなくって。
「血なんか飲んだら魔素中毒とか色々ダメじゃない! って、それ血よね?」
「ああ、カイル様の村では、狩った獣の血を飲むそうです。もちろん、煮沸して」
信じられない。あんな生臭いもの、よく飲める。私は血を飲んだ経験などないが、獣の血は魔素中毒になる事で知られている。特に肉食獣の血は危険なのだ。
「なんで、へ・司祭は止めなかったの!」
「へ、の後に続く言葉が気になりますが、ガーシムとお呼びください。カイル様はこれまでずっと血を飲んでこられたので、特に止める必要は無いかと」
魔素中毒の症状は、発熱・倦怠感・手足の痺れなどで、重い症状では意識の混濁もおこると聞く。では何故肉食獣は血肉を食べて平気なのか。それは、人とは違う生き物だからとしか言い様がない。
「カイル様の住む極寒のミュレ村では野草や野菜が一年のうちで、ほんの1~2ヶ月しか採れないそうで、血を飲まなければ病気になるとの事です」
確かに人は野草や野菜を食べなければ病気になる。変態仮面の話では野菜の替わりに血を飲む様に聞こえるが、それは別の問題に思えた。
カイルは深皿の血を飲み干すと、私を安心させる為なのか歯を見せニッコリと笑った。口の中が血だらけで、こ・わ・い! そして、自分の前で焼けていたあぶり肉に手を伸ばし豪快にかぶり付く。それを見た変態仮面も炙り肉にナイフを入れて・・・元の位置に戻した。覗きこむと、切り口から見える内部は真っ赤で火が通っている様子がない。
「外は焦げてるのに、中は真っ赤よね。ねえ、何時から焼いてるの?」
「そうですねぇ。かれこれ一時間以上はこうしてるんですが。焼ける気配が」
「中に火が通る頃には、外が炭になってない?」
「あはははは、私もそれを懸念していまして。いやあ、料理などした事もありませんから。先程から肉の焼ける匂いを一時間以上嗅ぎ続けるのはなんとも」
私も料理などしたことが無いが、この大きな肉の塊がすぐに焼けるとは思えない。うーむ、大きいのがイケナイのなら、小さくすれば?
思いついたら即実行。鞄からナイフを取り出し、素手で気持ち悪いのを我慢して生肉を掴むと、ナイフで削ぎ切りにする。肉が逃げてなかなか上手く切れないが、なんとか切り取った肉を焚き火近くの石の上に乗せる。肉はすぐにも美味しそうな匂いをたてて焼け始めた。
「おおっ、成る程。妙案ですね」
彼も我慢の限界だったのか、すぐに真似て焼き始めた。その頃、カイルは肉をすっかり平らげて次の肉を切り出していた。
「って、カイル! あなた、肉を生で食べたの!?」
「ウマウマ~」
「ああ、カイル様の村では肉を生で食べるとか」
「どれだけケダモノなのよ」
そこで、変態仮面はムッと顔を顰める。
「聞き捨てなりませんね。ミュレの村には地を這う松の木と、夏場に生える苔と草しかないそうです。薪にする程の樹木が無いんですよ。それでどうやって煮炊きしろと?」
人の住む環境じゃない!? 生肉だって、食べたら病気になる。あと、ほら、お腹に虫が涌いたりとか。
「びょ、病気になるでしょ」
「それが、そうでも無い様で。私にも理由は判らないのですがね」
削ぎ切りにして焼いた肉は不味かった。スジばって硬く、味もない上に、酷く血生臭い。焼ける時の匂いが美味しそうだったのに詐欺だ! だが、空腹なので渋々食べるしか無い。
カイルは何を思ったか、変態仮面から借りたナイフで、私を真似て肉を削ぎ切りにしはじめた。焼いて食べるのかと思ったら、地面に転がっていたフクロウの口にねじ込んでいる。口に肉をつめ込む様子は、腸詰めを作っているみたいだ。完全に無抵抗なんだけど、フクロウ生きてるよね?
空腹感が治まると、途端に眠気が襲ってきた。振り返ると、今日は散々な一日だった。朝から宝石を換金する為に小物屋まで走り、そのまま闘技場に向かい、ガラテアの教会に行って、荷馬車に乗り込んで、雪狼に襲われて最大魔力の魔法を使って・・・そりゃ、疲れもする。変態仮面は地面にゴロリと横になり、カイルは木に凭れて座っている。
私もウトウトといつの間にか眠っていた。しかし、猛烈な寒さに目が覚めてしまった。湿った地面からシンシンと冷気が体に染み入る。焚き火は既に消えており、辺りは真っ暗だった。考えてみれば、これまでの旅では屋根付き馬車での移動が主で、遮る物のない星空の下で野営した事など無かったのだ。私は二人が眠っているのを確認してから、冷えきったプレートメイルを脱ぎ、鞄からマントと服を取り出して羽織る。しかし夏とはいえ日陰に行けば残雪すら残る北域の夜は寒く、地面から伝わる冷気はこんなものでは防げなかった。寒い、寒くて眠れない。
人の動く気配がした。カイルだ。彼はこちらにやってくると、纏っていた毛皮を広げ背後から私を抱きしめて一緒に包まった。握りしめた私の凍えた手に彼の手が重ねられる。驚くほど温かい手だった。振り向くと、彼は気遣わしげに私を見つめていた。彼の無遠慮な行動に驚かなかった訳ではない。でも、これが善意からの行いだと理解できた。
「まそっぷ、うむらちぃ」
カイルが耳元で囁く。さっきまでの寒さが急速に遠退き、湯に浸かったような暖かさが体を包む。よく見ると、二人を包む魔獣の毛皮が青白い燐光を纏っている。詠唱結界は展開していない。彼は闘気を行使しているのだ。闘気にこんな使い方があるとは思わなかった。寒さに固まっていた四肢が氷が溶けたかの様に緩む。
「カイル、あ・・・臭い!」
鼻を突く異臭に、感謝の言葉が途切れた。獣臭い、生臭いプラス、饐えた臭いに閉口する。こいつは何時風呂に入ったのだろう? 私が身動ぎしたのを、どう思ったのか更に体を密着させてくる。
「カイル、く・さ・い」
鼻をならして訴えると、彼は私の首筋に鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。
「ベンジョー?」
はい、私はベンジョウン(トイレ)の花の匂いがする女ですよ。う~む、変態仮面の通訳がないと思いが伝わらない。彼を撥ね退けるのは簡単だが、一度手に入れた温もりは手放し難い。どうしたものかと悩んでいるうちに、私は眠りに落ちた。寒さに眠れない事はあっても、臭くても眠れるものらしい。
寄生虫の類は-20℃以下で24時間以上冷凍すると、たいていは死滅する様です。(但し、病原菌は死滅しない)
イヌイット族もビタミン欠乏症を回避する知恵として凍った肉を生で食べていました。
日本人が好むお刺身も冷凍したものなら安全な様ですが、釣った魚をそのまま刺し身で食べるのは、避けた方が良さそうですね。
尚、ミュレの村では凍った肉を食べていたカイルですが・・・




