ライブチケットと航空券
翌日、仕事は続いていたので準一は四之宮と出社した。社で待ち受けていたのは、想定外の人間で、準一はコートを脱ぎ、腕に掛けていたのだが、オフィス前で後ずさりする事になる。
「あ、準一!」
声の主は女性で、四之宮は「可愛い人ですね」と準一を見るが、準一は冷や汗を浮かべたまま喉を鳴らす。
まさか、と察し、四之宮は準一と女性を交互に見る。
オフィスの人間は、今までになく動揺し、無表情の崩れた準一を興味津々に見ており、準一に好意を寄せる同僚女性社員は困惑している。
「久しぶり、準一。どうしたの? 蛇に睨まれた蛙みたいになってるわよ?」
まさにその通りだよ、と思いながら準一が一歩下がると、四之宮が準一に顔を近づける。「先輩。まさか」
「察しの通り。俺の元カノ」
準一が言うと、オフィスの同僚たちはかなり驚いていた。お前にこんな可愛い彼女が? と言いたいんだろうな、と準一は息を吐き、元カノ御織百合を見る。
「で、お前は何しに来たんだ?」
「何って、この間の事」
追い出した日の事だろうな、と思いながら準一は四之宮と目が合う。
「あたし、結衣ちゃんから聞いたの。悲しい誤解だったんでしょ?」
お前の一方的な勘違いだよ。と準一は思うが口には出さない。
「だから、またやり直しましょ? ね?」
正直、準一の中に既に百合は居ない。確かにきれいで可愛いが、もう好きでもなんでもない。
「わ、悪いが。俺はお前とよりを戻す気は無い」
言い放つと、百合は目を細める。「ああ……」
「色々とさ、調べたんだよね。何か準一さ、そのイケメンと一緒に住んでるんでしょ?」
言いながら、百合は四之宮を見る。「ゲイになったわけね」
聞き捨てならない言葉に準一は苦笑い。また始まった。これではもう、百合の独壇場。
「あんた、ゲイになったからあたしとよりを戻さないんでしょ? そうでしょ?」
「あ、あのな……! お前のそういう所だよ。いい加減、人の話を聞け」
「はぁ? あたしが話し聞いてないみたいじゃん。なにソレ、舐めてんの?」
埒があかない。と準一は前髪をかき上げる。すると見かねた四之宮が前に出る。
「あの、初めまして。四之宮洋介、朝倉さんの後輩です」と言うと、一呼吸置く。「残念ながら、先輩はもうあなたとよりを戻す気はないようです。ですので、お引き取り下さい」
「あんた部外者でしょ?」
「先輩と僕は一緒に住んでいます」
不機嫌そうな顔になり、百合は四之宮を睨む。「あんた、マジでゲイになったの?」視線を、準一に向ける。
「それは」と四之宮は準一の腕に、自分の腕を絡ませる。「あなたには関係ない事です。僕と先輩、2人の事柄ですから」
すると、2人の間を裂くようにして百合は社を出ていった。しかし方法は何にせよ助かった。
オフィスに入ろう、と準一が思うと女性社員たちは、ファイルを抱え「きゃー」と喜んでいる。
見て見れば、準一は四之宮と腕を組んでいた。
「やっぱり、四之宮君が受け取る側」「朝倉さんが攻め込む側」
再び黄色い悲鳴があがる。
勘弁してくれ、と準一は大きな息を吐いた。
コンビニで受け取った飛行機のチケットを見て、準一は息を吐く。向こう、福岡へ帰るのは1月3日の飛行機。
今日は12月30日。まだ4日はある。仕事はそれまでに片付く。
一応、今は昼休み、四之宮に何か買っていこうと準一は棚からスイーツを2箱取り、手に持つと、温められた缶コーヒーを取る。
レジで会計を済ませ、ついでに買ったタバコをポケットから取り出し、店先で一本咥え、ライターで火を点けると
「準一」
と声を掛けられ、左を見ると朝、社を出て行った百合が居た。「お前……何してんだよ」
「何って、あたし。準一と」
そして、大粒の雪が降り始め、準一は一度空を見て、右袖を引っ張られ、隣を見ると神代茉那が居た。
「……ねぇ、準一。誰? その子」
一瞬にして不機嫌になり、百合は目を細める。一方、茉那も準一の腕に抱き着き、百合を睨む。
「あんたこそ、誰?」
茉那が聞くと、百合は茉那に目を向けたまま
「御織百合。準一の彼女よ」
と言い放つ。茉那は目を見開き、準一を見る。「あんた……彼女居たの?」
「元だ。こいつは元カノ」と準一。茉那は「ふーん」と声を出すと準一の腕を引っ張る。「じゃあ、あたしこいつと用事があるから。じゃあね、元カノさん」
何かいう訳でもなく、百合はただその場に立ちつくし、準一は「はぁ」と白い息を吐いた。
「はい。コレ」と喫茶店の席の一画で渡されたのは、神代茉那の参加するイベント。そのチケットだが、イベントの日付は1月3日。それも、丁度飛行機と時間が被る。
「これを俺にどうしろと?」
「チケットって言ったらライブしかないでしょ?」
茉那が微笑み、準一は断ろうとするが茉那の方が先に口を開く。
「あたし、あんたに感謝してるんだよ。ライブがあるからって、追試は早めに行われて、結果は全て合格」
一度下を見ると、茉那は再び準一を見る。
「本当に、ありがとう。あんたのおかげ。勉強教えてくれて……何やかんやであたしの我儘、聞いて……くれるしさ」
喫茶店の暖房が効きすぎているのか、将又別の事かで茉那の頬は赤く染まる。
「一人っ子だから、お兄ちゃんが出来たみたいで、嬉しかった」
ここまで言うと、茉那は胸元で両手をモジモジさせ、頬を更に赤くする。
「で、でも……ね。あの、あたし言ったじゃん。あたしの事を好きになってもらうって」
上目遣いに準一は息を吐く。
「だ、だから……あの……あの、その、えっと」
言葉が見つからず、茉那はモジモジさせる手を加速させる。
何が言いたいんだろうな、この娘は、と思いながら準一は四之宮に言われた事を思いだす。
次は優しく。
まぁ、お兄ちゃんが出来たみたいだって言ってるくらいだし、酷い事を言う訳にもいかない。
仕方ないか、と準一は茉那を見る。
「イベントの中では、お前のライブがあるだろ。俺さ、楽しみにしてるんだぜ?」
いきなり準一から言われ、真っ赤になった顔を上げ、茉那は口をパクパクさせる。
「この間はDVDとかだったからな。折角だ、お前の生の歌声が聞きたい」
割とこれは本音で、嘘なんかは言っていない。準一は言うと、動かなくなった茉那を心配する。「お、おい。大丈夫か? 顔、赤いぞ?」
すると、茉那は我に返り、自分の顔を触る。
「あ、赤くないにょ!」
随分と可愛らしい噛み方だな、と準一はコーヒーを啜り、茉那のカップが空なのを見て立ち上がる。「じゃあ、俺はそろそろ戻らないと」
茉那も立ち上がり、会計を済ませ店から出た時、準一の抱えたコートのポケットから航空機のチケットがヒラヒラと茉那の前に落ちる。
「……これ」
拾い上げ、茉那は準一を見る。1月3日の日付を見て、悲しいのか申し訳ないのか分からない顔をしている。
「か、帰るの?」
茉那の声は弱弱しく、見て見ると口元は、寒さではない何か別の感情で震え、今にも泣きだしそうだ。
準一は飛行機のチケットを茉那から取り上げると、目を合わせる。
そのまま一度ため息を吐くと、チケットを縦に破り、店先のごみ箱に捨てる。
「チケットが使えなくなったからな、キャンセル料払って来るよ」
「ち、違う! そんなつもりで!」
分かってる、そんなつもりで言ったわけでは無い。準一は言うと茉那の頭に手を乗せ、3回、ゆっくりと撫でる。
「いいんだよ。帰ろうと思えばいつでも帰れる。だから……茉那」
名前を呼ばれ、茉那は頬を朱に染める。
「ライブ、頑張れよ。必ず行くから」
嬉しさからの涙を、袖口で乱暴に撫で、茉那はとびきりの笑顔で「うん」と返事をした。