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彼女の時計は手巻き式

彼女の時計は手巻き式

作者: 小高まあな

「私、秒針の音がしない時計って嫌いなんだよね。時を刻む事無く、スムーズに動いて行っちゃうじゃない? なんか、生き急いでいる気がして」

 そういって笑った彼女は、手巻きの腕時計をしていた。かちかちかちかち。音のする時計。秒針以外にも、歯車の音もする。

 しっかりと一秒、一秒刻む時計。

 音でその存在をアピールする時計。

 祖母からもらったというその時計は、彼女の亡くなったあの日から行方不明だ。



 彼女とは高校のクラスメイトだ。昨年の文化祭の後から、付き合っている。

 お互いに文化祭の実行委員で気があったのだ。

 とはいっても、お互い部活が休みの時に一緒に帰ったりするぐらいで、どこかに一緒にでかけたのは一度しかない。隣町に出来た映画館に行っただけ。手も握ってない。だって、不純異性交遊は禁止されてるし、校則で。

 それでも、僕は彼女のことが好きだ。だからこそ、好きだ。

 好きだった。



 あの日、雨の日の交差点。夜。酒酔い。タイヤのスリップ。どこまでも揃った条件。

 彼女の家の少し手前で、さよなら、と別れた後だった。

 家まで送るとクラスメイトからやいやい言われるのがわかっていたから、僕らはいつも少し前で別れていた。

 本当は禁止されてるけど、本屋に寄り道して、のんびりと家に帰ると母が真っ青な顔をしていた。


 見てもいないけど、その場にいなかったけど。

 僕は、彼女のお気に入りの赤い傘が空に舞うのを見た気がした。



 16歳。彼女の音はもうしない。

「生き急いでいるじゃないか」

 写真の彼女を睨みつけた。

 クラスメイトの女子が泣いていた。

 僕らの関係を知っているクラスメイトは、幸いにも僕をそっとしておいてくれた。

 泣けなかった。どうしても泣けなかった。

 遺影の彼女を睨みつける。

 彼女は笑ったままだった。



 彼女のいつもしていた、あの腕時計は行方不明だ。

 遺体の損傷も激しくて、現場は荒れていて、どこかに落として紛れてしまったのだろう。

 かちかちかちかち。目を閉じると時計の音が聞こえてくる。僕を責める。泣けない僕を責めたてる。

 目を開く。

 暗い部屋。天井を睨む。

 眠れない。

 音を止めないと。探さないと。



 事故現場に花を供えて、辺りを探す。

 どこかに落ちていないだろうか。どこかにどこかにどこかに。

 犯人はすぐに捕まった。

 業務上過失致死罪。実刑でも最大で五年だそうだ。そんなの短い! とクラスメイトは怒っていた。

 でも、そんなこと僕にはどうでもいい。

 そんなことを怒っても彼女は帰ってこない。

 せめて、せめて、腕時計は返ってこないだろうか。



 探して探して探して。

 見つからなくてため息をつく。

 日も暮れかかって来たし、明日にしようか。そう思うたびにあの音が聞こえる。かちかちかちかち。

 諦めきれなくて、また、歩き出す。

 なんだか騒々しい音がして、裏路地に目を凝らす。

 からすの大群がいた。残飯でも漁っているのだろう。

 今は関係ないから、と歩き出そうとした僕の耳に小さな鳴き声が聞こえて来た。からすのものではない、弱々しい声。

 少しだけ近づいてみる。

 段ボールに入った、捨て猫がいた。

 動けない猫に、からすが近づく。

 無視をしようかと、思った。

 子どもの頃襲われたからからすにはいい思い出がないし、僕は時計をさがしているのだし。

 でも、彼女は猫が好きだったのだ。

 諦めて上着を脱ぐとそれを振り回しながら、からすに近づく。頭をつっつかれる、痛い。

 それでも、脱いだ上着に子猫を抱え込む。あとはここから抜け出さなくちゃ。

 頭に何か堅いものが当たる。痛い。

 それが地面に落ちる。

 そのまま放っておこうとしたけれども、なんだか見慣れたものの気がして拾い上げると、ポケットにつっこんで走り出した。

 腕の中の子猫は鳴かない。

 確か大通りに方に動物病院があった。そちらに向けて走る。

 信号待ちをしながら、ポケットにしまったものをそっと確認する。

 思った通り、それは彼女の腕時計だった。赤いベルトが切れている。だから、腕から落ちたのだろう。

 どこかのからすが拾って、それが落ちて来たのだろうか。

 まったく、どこの安いドラマなのだろう。

 彼女の好きな猫を助けたら、彼女の時計が見つかるなんて。ご都合主義にも程がある。

 僕は生まれ変わりなんか信じないし、そもそも生まれ変わりだとするには日付があわない。でも僕は、この小さな音が聞こえなくなる前に、と病院へ急いだ。



 腕時計は、表面に少し傷はあったものの、巻いたらちゃんと動いた。かちかちかちかち、と音がする。

 形見分けとして、もらった。

「大事にしてね、あの子の分も」

 何度か面識がある彼女の母親に言われた。

 そこで初めて泣けた。

「大事にします、彼女の分も」

 彼女が大事にしていたようにこの時計を、彼女を大事にするようにこの時計を。

 かちかちかちかち。僕を責める音はもうしない。

 ただ、僕を慰めるかのように音がする。



 あのときの子猫は、すくすくと大きくなって、十五年経った今も元気だ。今ではすっかりおばあちゃんにゃんことして、僕の娘の面倒を見てくれている。やんちゃ盛りの三歳の娘をするのは大変だろうけれども、適度に相手をしてくれるいい子だ。

 僕の妻は、針の音がしない時計を好む人だ。あの音が気になるらしい。そこは妙に神経質だけど、基本はおっとりした人だ。ころころと笑う。それでいてとてもタフだ。僕は妻に頭が上がらない。

 妻は、僕より先に死んだりしない。僕はそう、信じている。

 腕時計は、何度かベルトを取り替えながら僕の左腕で今日も音を立てている。かちかちかちかち、と。

 いずれ、娘に譲りたい、と僕は思っている。

2010年現在、業務上過失致死罪ではなく、自動車運転過失致死罪(刑法211条2項)が成立します。

法定刑は7年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金になります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章力があると感じました。 最初の時計に関する一節が物語を特徴付けていると思います。 [気になる点] 主人公の彼女に対する想いの強さを印象付けられるエピソードが、回想のような形でもう少し入…
2011/01/02 14:07 退会済み
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