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三毛猫

作者: The Bikeway
掲載日:2026/10/25


人に拠るとは言え、ある程度各人なりにまともな評判を追って過ごしているのなら、先ず誰も試さないであろう事を試してきたが、それが何になるかというと、よくわからない。悪い事でもないが、良い事とも言えず。気持ちの良いものでも、粋な事でもない。知るために、外形では無く、観念を実装する事。



...

仙人はそう呟いて、カントリーマアムの袋を開けた。大袋のち、個包装を破る。枯草色をした焼菓子が顔を出す。仙人によると、この菓子は本来「郷里のまあむ」と読むらしい。遠く離れた故郷を思い出させるような、複層的な「食感」がするという。「味」についても、やはり故郷のうら淋しく荒涼とした冬の風景を思い出させるそうだ。無論、この菓子が寂しい味をしているわけでは無く、その冷たい風景の中で微な温もりを覚えさせた味の記憶が強いゆえの情景描写なのであろう。「あまり感傷に浸っていても仕方がないから、早く食うのが鉄則だね。」仙人は一口で食べようと頬張ったは良いものの、幾分か真剣に噛み続けているように見える。噛み締めているのかは判らない。でも、其処には”ものの小ささ”が提示してくる意味合いの大きさを受け止め切れない、そんな仙人の繊細さが現れていた。やがて総てを飲み込んだ後、仙人は続けた。


「観念を実装しても何ら変わらず、余計な摩擦が増えるに過ぎず。とは雖も、まともそうな評判だけを追って、模倣だけを為すべからず。ただひとつ、間を置く。流るるように作務。それだけ。世のひとつ。

そこにより良いものが生まれるはず。

松老雲閑。

観念を内面化して外と対比させるでなく、わするる。


其処ラに学びや愛おしきもの在り。離さずして沈みゆくのも観たり。ただ氏神あり。見知らぬ処にハナシの続きあり。其れを剥がすに難し。既に大らかに包摂されて居る。やうやう委譲する時は近し。

プリミティブ・コントロール。

無我のわたし

“Haters take it personal”

浮かびて流るる。」



仙人はまた一間置いて、茶を飲んだ。仙人の頭の中ではdriftしているつもりのようだが、部屋の中では、それとは対照的な、陳腐なようで何処か新鮮且つ(私からすれば)少し不快なアンビエント・ミュージックが流れていた。これはドローン・ミュージックと云うのだろうか。おそらくAI生成の音楽ではない。手作りの質感がする。誰かが独り善がりの拘りをこねくり回して制作した一曲なのだろう。よく聴くと微細なビートのような、不規則なリズムを刻む音が紛れ込んでいる。規則が見出せないものをリズムと呼ぶべきなのか、私は知らない。兎に角それは中途半端にカチカチ音を立てる。「無駄な計算ごっこ、デザイナーごっこはやめてくれ。そして、その尻拭いをする役を僕らに押し付けないでくれ。」そう思っていると、仙人が此方も矢張り少し不快な啜り音を立てながらお茶を飲んで、カップを置いた。すかさず小蝿がカップの縁に停まる。私は「中国茶ですか」と聞いた。無論、てきとう。色が一風変わって見えたからだ。「そう」仙人は答えた。道具には拘っていないようだ。私は中国茶の事を何と無く潜在的に好意的に感じながらも、実のところ何の知識も無いので「あぁ、カントンの?」と、わけもなく、そして意味も無く聞いた。仙人は「ベイジンの。」と答える。「あ、これはドンジンのだったかな、。」仙人は袋を見て確認しようとするフリを仕掛けたが、何か思いついたのか、流石に付き合うのが馬鹿らしくなったのか、急に止めて、先ほどの続きを語り始めた。



「先ほどから観念の実装云々と述べてきましたが、矢張り是は観念の実装と云うより、観念の内面化として表現を統一すべきだったのかもしれません。観念の実装は、あくまで内発で当人の観念的な範疇でそう捉えられるものに限るのなら、無駄な摩擦を生むよりも、純粋に良い価値を生み出す方に働く事が多いでしょう。そして、同時に其れは其れ故に流るる域にも有るのだと思います。」



仙人は二つ目のカントリーマアムをちまちまと齧っては中国茶を啜るようにして飲みながら、続ける。


「其れが軈て其うで無くなるものであって、然し其れは依然変わらなくて、とは雖も確実に移ろうており、それは凡てが移ろうからであって、何かが同期して居る事に拠る。認識の枠組み以前のものがある。是は未知とも云える。


よく、私たちは書く事を通じて、そして読む事を通じて、頭の中を更地にしようと試みます。そうしないと、すべては分離して、ちぐはぐになり、壁が建てられ、壊され、その繰り返しとなってしまいかねないからです。個別の側面、謂わば内面的な事情に於ける作用だけを見るとしても、それは観念の迷宮を無くす作業として効果的でしょう。でも、言葉に縛られるのも息苦しいものです。言葉も結局は各々のイメイジ、感性、経験に委ねられるところが大きく、不確実なものだからです。だから、私はそれ以外のものを探っています。もっと直接的で、もっと誠実なもの。物理的な干渉は避けつつも、自由に且つ冷静に客観視できる範疇での物理的なもの。


私は正直、パンダが憎いです。無論、パンダという生き物に罪はありませんが、私が思うに、現象としてのパンダは欺瞞に満ちています。まやかしは好みません。然し、あれほど私たちの虚しさを炙り出す、物質的に無害で観念的に有害な生き物は他に無いな、と感心しますよ。


私たちは力を捨てました。元来、そこまで力を持つ気も無いのです。でも勿論、他者に無条件で力を持たせる事は拒むでしょう。まあ、その時の他者がどうなっていて、私たちはどうあるのか。此処の認識が同期するには、まあ無理があるでしょうね。すべては後付けなのですから。先ずは個々の環境に起る。当てもない全体像ばかりを追って、それすらも解体しようとしているうちは、厳しいのかもしれない。此処から先は抽象的に言わせてください。少し遠ざけてみましょう。初めのうちは、凡てに等しく通じるものは限られていますからね。」



仙人がそう言い終えたところで、音楽が止まった。そもそも仙人の鼻息が荒くなった辺りのところで”Lay, Lady, Lay”に変わっていたのだが、それも知らぬ間に終わっていたようだ。


キンコンカンコンー、”Tokyo Drift”が流れ始める。コンキンコン、の”Alors on danse”ではない。私たちには畳み掛ける様な絶望の群舞曲よりも、極東と米国の腐れ縁が導いた此の曲の方が、何処か投げやりで、予後悪そうで、どうしようも無く都合が良い。


仙人が食べ終えたバニラ味のカントリーマアムの包装の中にココア味のそれを詰め込むのを見ていた私は、彼が飼っている三毛猫が鳴くのを聞いて、其方をみた。兎に角この”まやかし”ばかりの時間を終わらせたかったから。

思索は長く、秋は短い。





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