金髪少女
「……はぁ、……はぁ。ミッション……完了、……っす……。……これで、ひとまず……君を処分しようとする……大人たちの目からは、……逃げ切った……っすよ……」
ミコッチは、今にもその場に崩れ落ちそうなほど激しく肩を上下させ、震える手で僕の座面を弱々しくポンと叩いた。
(ありがとう、ミコッチ。本当に……本当に無理をさせたね)
僕は精一杯の感謝を念じたが、今の彼女は底の見えない深い黒い瞳に戻っている。僕の声はもう、彼女には届かない。あの深紅の瞳を維持するのは、想像以上に精神を削るのだろう。僕をここまで運んだ肉体的な疲れ以上に、彼女の表情には色濃い疲弊が滲んでいた。
「椅子……君。……僕は……教頭先生に……鍵を……返して……くる、っす……」
ミコッチは途切れ途切れにそう言い残すと、壁に手をついて身体を支えながら、幽霊のような足取りで部室を出て行った。
静まり返った室内で、僕は周囲を見渡した。帰宅部だった僕はこのあたりに詳しくないが、ここは文科系の部室が立ち並ぶエリアだ。美術部や書道部の看板が廊下に見えた。青天高校には、正式な部活の他に同好会の設立も認められているが、部室が与えられることは稀だ。おそらくここは、古びた倉庫を彼女が強引に心霊研究同好会室として占拠しているのだろう。
広さは8畳ほど。中央には少し大きめのテーブルがあり、その周りに椅子が2つ。僕を合わせれば3つになる。他の2つは味気ない折りたたみ式のパイプ椅子で、学校の教室用である僕は、ここでは明らかに新入りとして浮いている。椅子としての礼儀で先輩のパイプ椅子たちに挨拶すべきか迷ったが、どうせ返事はないのでやめておいた。
殺風景な場所だが、あの空き教室で死刑執行を待つような絶望感に比べれば、ここは天国のように思えた。
『ガラガラッ!』
その時、勢いよく扉が開いた。
(ミコッチ、戻ってくるのが意外と早いな……)
そう思ったが、姿を見せたのはミコッチではなかった。背丈こそミコッチと同じくらいだが、目つきが異様に鋭い。ベリーショートに近い金髪で、身体のラインを強調するような制服。特にそのスカートの短さは、校則を鼻で笑っているかのようだ。すらりと伸びた脚が露わになるそのスタイルは、彼女の自信の表れなのか、それとも誰かへの挑発なのだろうか。そして、耳にはいくつもピアスが光っている。一目でガラの悪い不良だとわかる少女だった。
(ひっ……!?)
もし人間の時の僕なら、即座に目をそらし、存在を消すように縮こまっていただろう。だが、今の僕は椅子だ。何を思おうが自由だ。僕は恐怖を抑え込み、椅子としての本能……いや、欲望を剥き出しにした。
(さあ、僕に座れ。その小さそうで引き締まったお尻の感触を、僕に味合わせてくれ!)
僕は切に願った。しかし、金髪の少女は部屋に入るなり、苛立った様子で吐き捨てた。
「……チッ、やっとクソだりぃ授業が終わったぜ」
その口の悪さに、僕は一瞬でビビり散らした。やっぱり怖いものは怖い。さらに少女は、テーブルの横に置かれた僕に鋭い視線を向けた。
「あぁ? 何よこの椅子。……邪魔なのよ!」
『ガッ!』という鈍い衝撃。
(これは……、ラッキースケベというヤツではないか)
僕は床に派手に転がされた。椅子としての僕の身体は意外に頑丈で、防御力が高い。多少の痛みはあるが、そんなものは今の僕にとってはどうでもいいことだった。それよりも、蹴り飛ばされた瞬間、高く跳ね上がった裾の隙間から見えた純白の物体に、僕の心は……いや、視線は釘付けになった。この絶景を拝めるのなら、何度でも蹴ってほしいとさえ思う。いっそこのまま床に転がったままでもいい。この角度からなら、さらなる深淵を覗き込めるのだから。
「…………」
すると、目つきの悪い少女は、さらに目を尖らせて僕、いや、椅子を見下ろした。まるで僕の心の声が漏れ聞こえているかのような、心底ゴミを見るような蔑みの視線。だが、僕の声が人間に届くはずはない。
「……なんかこの椅子、キモ」
少女は冷徹な声でポツリと呟いた。どうやら彼女は、理屈ではなく直感的に、僕に対して得体の知れない嫌悪感を感じ取ったようだ。人間だった頃の僕なら、こんな美少女に面と向かって「キモい」なんて言われたら、ショックで一週間は寝込んでいただろう。だが、今の僕は違った。椅子になった僕の身体に、かつてない感覚が芽生えていた。背筋……いや、背もたれの芯がゾクゾクと震える。これは恐怖ではない。ましてや怒りでもない。明らかな興奮だ。僕は、このヤンキー少女に罵られ、踏みにじられることに至上の喜びを感じる……そんな特殊な属性に目覚めてしまったようだった。




