変態の本命
人の噂も75日とはよく言ったものだが、現代の高校生活において、その賞味期限は驚くほど短い。75日どころか、2週間も経てば、鹿島なんて男は最初からこのクラスに存在しなかったかのように、平穏で退屈な日常が戻ってきていた。
(……皮肉なもんだな。僕が死んだ時は初日から誰も気にしなかったのに、鹿島の噂は2週間ももった。悪名とはいえ、少しだけあいつが羨ましいよ)
そんな自虐的な思考を巡らせながら、僕は暗い空き教室で2週間もの間、深い冬眠についていた。このまま誰にも座られず、椅子としての生を終える。それが僕に与えられた結末なのかもしれない。そう諦めかけていた、とある深夜のことだった。
スッ、と。僕の意識が、深い闇の底から急速に浮上した。僕が目を覚ます条件はただ1つ。人の気配を察知することだ。静まり返った校舎。忍び寄る足音すら聞こえないほど微かな気配だったが、僕のセンサーは確実に獲物を捉えていた。ギィ……と、音を立てないよう細心の注意を払って扉が開かれる。暗闇の中、小さな懐中電灯の光が床を這うように進んできた。足音を殺して現れたその人物を見て、僕は椅子ながらに驚きで動揺した。
(……猪瀬!?)
鳳の仲間であり、あの巨漢の猪瀬だった。あの大柄な体躯で、これほどまで完璧に気配を消して歩くとは。一体どれほどの覚悟と慎重さでここまで来たのだろうか。そして、何よりの疑問は、なぜ、奴がこの空き教室に姿を見せたのかだった。猪瀬はスローモーションのような緩慢な動きで、椅子の座面を1つ1つ懐中電灯の光を当てていく。
「……これは、埃が多いな」
ボソリと独り言を漏らし、次の椅子へと光を移す。猪瀬は椅子の状態を執拗に調べていた。一脚、また一脚。座面を見て、光を反射させ、何かを探し求めている。そう。猪瀬はこの廃墟のような教室の中で、一番埃が少ない椅子を探していたのだ。撤去されてから2週間。他の予備椅子は数ヶ月、あるいは数年放置された厚い埃を被っている。だが、僕はつい最近まで雨野さんに使われていた現役だ。先生たちが清掃したこともあり、他の椅子に比べれば埃の積もり方は格段に少ない。やがて、猪瀬の手が止まった。懐中電灯の白い光が、僕の座面を真っ直ぐに射抜く。
「……見つけた」
暗闇の中で、猪瀬の瞳が妖しく光った。
「……これか。これが鹿島が言っていた、超絶気持ち良い刺激を与えてくれる椅子か……」
猪瀬が湿った声で独り言を漏らす。懐中電灯の光に照らされた僕の座面を、彼は愛おしそうに、けれど不気味な手つきでなぞった。
「椅子フェチの俺を差し置いて、こんな素晴らしい椅子に出会うなんて……。鹿島、お前は羨ましすぎやろ」
僕は絶望的な嫌悪感に襲われた。実は、鹿島にあの異常な椅子行為を教え込んだ師匠こそ、この猪瀬だったのだ。猪瀬は鹿島よりもずっと前から、別のクラスの女子生徒の椅子を使って変態行為に耽っていた。2人は夜な夜な学校に忍び込んでは、お目当ての席で欲望を満たし合う同志だったのである。僕という、意志とスキルを持つ椅子が転生してこなければ、彼らの犯行は闇に葬られたままだっただろう。
猪瀬がここまで執念深く僕を探し当てたのには理由があった。鹿島が退学処分になった後、猪瀬は運よく鹿島の父親に接触することができたのだ。2人は小学校からの付き合いであり、父親も息子を心配する親友として猪瀬を信頼して、夜逃げ同然で移り住んだ田舎の居場所を教えてしまった。しかし、猪瀬の目的は友情などではなかった。彼が必死に鹿島を追ったのは、ひとえに自分の悪事がバラされていないかという保身のためだ。そして鹿島と接触した際、猪瀬は聞いたのだ。「あの椅子は、今までのとは違う。とんでもない刺激で俺に新しい扉を開かせてくれたのだ」という、鹿島の狂気じみた遺言を。
「鹿島のやつ、あんな田舎で廃人みたいになってやがったが……最後に良い情報を残してくれたぜ」
猪瀬の欲望に満ちた目が、暗闇の中でギラリと光る。




