第14話 性域
僕と天陽さんの甘い時間は、あっという間に終わりを告げた。お昼休みが終了し、天陽さんは自分の席へ戻っていく。再び主のいなくなった僕は、午後の授業を心地よいBGMのように聞き流していた。願うのはただ一つ、雨野さんの体調が早く良くなって、明日にはまたあの温もりを届けてほしいということだけだ。やがて放課後を告げるチャイムが鳴り、生徒たちはそれぞれの帰路につく。僕に帰る場所はない。誰もいなくなった教室は、静かで平和な空間だった。椅子に転生したせいだろうか、1人っきりの教室に何の不安もなく孤独も感じない居心地が良い場所……いや、心地の良い我が家である。
僕はのんびりと静寂を楽しんでいた、その時だった。廊下から足音が聞こえてきた。足音は次第に大きくなり、この教室の前でピタリと止まる。見回りの用務員さんだろうか。僕は特に気にも留めなかった。ガラリ、と扉が静かに、ゆっくりと開かれる。けれど、それは見回りの所作ではなかった。音を立てないよう細心の注意を払い、こっそりと忍び込むような……。ボーと暇を満喫していた僕は、すぐにはその異変に気づかなかった。それは、用務員に興味などないから、見向きもしなかったのだ。だが、その人物は迷うことなく一直線に目的の場所へと向かってくる。向かう先は、雨野さんの机だった。
(……え?)
ようやく、僕は気づいた。忍び足で近づくその人物は、絶対に見回りなどではない。僕は視線を一番高い位置にある背もたれへと移動させた。その瞬間、もし僕が人間だったなら、驚愕のあまり口から胃袋をぶちまけていただろう。教室に忍び込んできたのは、鹿島だった。鹿島の顔は、見たこともないような歪んだ愉悦に満ちていた。彼は雨野さんの机の横に立つと、いきなり顔を机の天板にべったりと押し付けた。そして、ニヤニヤと不気味に笑いながら、じゅるりとよだれを垂らしたのだ。
(う、うわぁぁぁっ……!?)
おぞましい。あまりにも気持ち悪い。僕に暴力を振るい、苦しむ僕を見て笑っていた時の残虐な笑みとは、また質の違うどろりとした性根の腐った笑み。吐き気を催すようなその顔に、僕の背筋……もといパイプの芯までがゾクゾクと震えた。
僕は逃げるように目を背けようとした。だが、鹿島の変態行為はそれでは終わらなかった。鹿島は蛇のような、ぎょろりとした執着に満ちた目で、雨野さんの椅子を見た。すなわち、僕を、見たのだ。すぐにでも逃げ出したい。けれど僕には足があっても動けない。鹿島はよだれを垂らしながら顔を近づけてくる。鼻をつくような嫌な口臭が、僕の鼻腔(があった場所)に突き刺さる。そして、鹿島はあろうことか長い舌をだらりと伸ばして、そのままその湿った不潔な舌で、僕の座面を……僕の顔を、じょろりと舐め回したのだ。
(やめろ……やめろぉぉぉ! 汚い、汚れる、やめてくれぇぇぇ!)
絶叫したかった。けれど、僕は声が出せない椅子だ。愛しの雨野さんの温もりを記憶していた僕の身体が、鹿島の粘着質な唾液で汚されていく。それは死よりも苦痛で、耐え難い辱めだった。鹿島の変態行為は、時間にして10分程、でも僕には1時間以上経過したように感じた。やっと鹿島は座面から顔を遠ざけた。
(……やっと、終わったのか……?)
鹿島の気が狂ったような執着から解放され、僕は心の底からホッとした。このまま、一刻も早く鹿島が教室から立ち去ってくれることを願う。僕の願いが届いたのか、鹿島は教室の扉の方へと歩き出した。
(そうだ、そのまま帰れ! 2度と雨野さんの椅子を汚すな!)
僕は解放された喜びに震えた。しかし、鹿島は扉から顔を出してキョロキョロと廊下を確認すると、あろうことか扉をゆっくりと閉めて戻ってきたのだ。鹿島はニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべながら再び僕の横に立つ。そして、彼は信じられない行動に出た。なんと、その場でズボンを脱ぎ、パンツまで脱ぎ捨てたのだ。
(……え? うそだろ? やめろ、来るな! 来るなぁぁぁ!!)
僕は思わず(目はないけれど)目を閉じた。来るな、それ以上近づくなと心の中で必死に叫び続けた。けれど、そんな僕の願いは無慈悲に打ち砕かれる。不意に、僕の顔、すなわち座面に、なまぬるくて、ねっとりとした気持ち悪い感触が押し付けられた。それは、断じてお尻ではない。もっと生々しく、もっと卑猥な物体だ。
(……う、うわぁぁぁぁぁ!! 気持ち悪い! 吐きそうだ、誰か助けてくれ!!)
鹿島はその卑猥な物体を座面にこすりつけ、恍惚とした表情で興奮しているようだ。この悪夢のような時間は2分ほどで終わった。だが、その直後。座面に、どろりとした暖かい物体がぶちまけられた。
(あ…………)
あまりの気持ち悪さに、僕の全身に激しい悪寒が走る。雨野さんの聖域だったはずの場所が、この男の最悪な発射物で完全に汚されたのだ。凄まじい精神的ショックに、僕は椅子でありながら気を失った。
どれくらい気を失っていたのだろうか?僕は目を開けると、そこは教室ではない別の場所にいた。




