逃げ道
「かっこよく死にたい」なんて願いとは裏腹に、僕の日常はただ惨めに、泥の中を這いずるような地獄のまま2年生へと進級した。運命のいたずらか、それとも呪いか。僕のクラスには、あの鹿島、猪瀬、蝶野……そして、雨野さんもいた。あの日以来、雨野さんは僕に一度も話しかけてこない。当然だ。学年中の生徒が、空気のような僕が彼女に放ったブスという言葉を覚えている。僕は2年生になっても、ただのいない存在だった。いや、もっと悪い。そこに居てはいけない汚物として、クラスのどん底に沈んでいた。
対照的に、鹿島たちは相変わらずクラスのムードメーカーだった。彼らは不良というより明るい陽キャとして振る舞い、先生たちとも仲が良い。多少の遅刻や不真面目さも、彼らの愛嬌として笑って許される。先生たちさえ手玉にとり、裏で僕から金を巻き上げ、暴力を振るっている顔など微塵も見せない。その狡猾さが、僕をさらに孤独にした。僕の精神と肉体は、とっくに限界を超えていた。
ある日の放課後。トイレでボコボコにされ、冷水を浴びせられた僕は、ずぶ濡れの制服を乾かすために校舎の隅にある倉庫の前で震えていた。そこを、今年赴任したばかりの新人の先生に見つかった。
「君、どうしたんだ! その格好は!」
「……なんでもありません。友達と水遊びをしていただけです」
いつものように、僕は嘘をついた。そうしないと後が怖いから。普通の教師なら、面倒を避けて立ち去るだろう。けれど、その先生は若すぎた。未熟な正義感に燃えていた。
「そんなはずはない。誰にやられたんだ? 来なさい!」
先生は僕を無理やり職員室へ連行し、他の教師たちにいじめだと報告した。担任は僕に確認をするが、僕はたんたんと否定した。「いじめなんてありません」と。担任は僕の怯えた瞳を見て、すべてを察していたかのようなひどく冷めた目で言った。
「……そうか。もう行っていいぞ」
翌朝、何事もなかったかのように朝礼が終わった。僕は内心、ホッとしていた。波風は立たなかったんだ、と。けれど、放課後のチャイムが鳴ると同時に背後から万力のような力で首筋を掴まれた。
「……ちょっと来いよ、白井」
鹿島の声だった。連れて行かれた屋上には、案の定、鳳がいた。
「お前、職員室でチクったらしいな」
「言ってません! 先生が勝手に……!」
「黙れ。俺たちは呼び出されたんだよ。『白井をいじめていないよな』ってな」
新人の先生がいじめだと騒ぎ立てた手前、担任も動かないわけにはいかなくなった。 担任は、普段から鳳たちが僕と一緒に屋上や倉庫裏にいることを知っていた。だから、形式上の確認のために彼らを職員室に呼び出したのだ。けれど、そこで繰り広げられたのはいじめの捜査などではなく、茶番劇だった。
「先生、ひどいですよ。僕たちは、友達のいない白井が可哀想で、たまに一緒に遊んであげてるだけです」
鳳は爽やかな笑顔でそう証言した。泥だらけなのは遊んでいた時に転んだせいで、濡れているのは水遊びをしていたからだ、と。「自分たちもびしょびしょでしたよ」と冗談めかして笑う。担任はその嘘を疑うこともせず、安堵したように頷いた。
「そうか。お前たちが白井の面倒を見てくれているなら安心だ」
鳳たちは処罰を受けることも、怒られることもなかった。ただ仲良くやれよと背中を叩かれ、職員室から解放された。
僕は必死で弁明した。先生が勝手に連れて行っただけで、自分は何も言っていないと。 けれど、鳳たちは聞く耳も持たない。それは、実際に彼らは職員室に呼ばれて、いじめの有無を確認された事実だけが全てだからだ。
「凱、コイツにはお仕置きが必要だぜ」
蝶野がケタケタと笑い、スマホを取り出した。
「裸踊りをさせよう。それを動画で共有するんだ。……ほら、脱げよ」
嫌だ、と首を振るたびに激しい殴打が飛ぶ。鼻から血が溢れ、意識が朦朧とする。これ以上殴られたら、本当に死んでしまう。僕は泣きながら、自ら服を脱いだ。笑い声の中、僕は全裸で躍らされた。人間としての最後の欠片が、スマホの画面に吸い込まれていくのが分かった。
「……いいぜ、撮影終了。白井、これを拡散されたくなかったら、50万で買い取れ」
鳳が突きつけたのは、あまりにも非現実的な数字だった。これまで父の財布とバイト代で、月に10万も渡してきた。それなのに、いきなり50万。そんなの、逆立ちしたって無理だ。
「期限は一週間だ。楽しみにしてるぜ」
鳳たちが嘲笑を残して屋上を去っていく。夕日に照らされた屋上に、1人、服を着る気力もなく座り込む。空は赤く、どこまでも綺麗だった。一歩踏み出せば、この地獄から解放される。50万なんて払えない。拡散されれば、お父さんを悲しませることになるだろう。
「もう、死にたいよ」
もう僕は死ぬことでしか逃げ道はないと理解した。
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