蛍は今を生きていた。
【記憶】
これは、有栖川叶愛が殺された、『明媚館の殺人』直後のエピソードである。
え、そんなの知らないって? 大丈夫、私は知ってるから。
明媚館からの帰宅途中、小春のテンションは明らかに下がっていた。まぁ、それも当然か。つい数日前に大好きだった友達が殺されて、にもかかわらずテンションが高かったら、その人はちょっとおかしいだろう。私だって、良い気分ではない。
でも、少し安心している自分もいるのだ。叶愛は、自らの死に納得していたし、そうでなきゃこの殺人は実行不可能なものだった。抵抗された時点で、犯人も諦めていたはずなのだ。だけど叶愛は抵抗しなかった。
受け入れた。
もしかしたら、最初から望んでいたのかもしれないとも思う。叶愛の死に顔は、本当に綺麗だった。
「……わたしは納得できないけどなぁ。叶愛は、死ぬべきじゃなかった」
「それはそうだね……」
死ぬべき人間なんて、いないんじゃないかと思う。
大学を卒業してからの私は、全国各地を回った。一ヶ月ぐらい居着いてみたり、二日で移動したり、その地で人間関係を築いてみたり。そして、殺人事件に出くわしたり。色んなことを経験した。その記憶があるわけではないけど、私は日記をつけている。だから、それを読み返せばいいだけだ。物事を続けることが苦手だった幼い頃から、少しは成長したのかもしれない。
今だって、得意だとは言えないけど。
色々と落ち着いたものだ。
「……叶愛も、死んじゃったかぁ」
私はそう呟いた。
大学時代からなんとなく気付いてはいたが、私の周囲は謎にどんどん死んでいく。両親も兄も死んでいるし、生きている友達は数少ない。今となっては、小春だけなんじゃないかと思う。同窓会には顔を出していないので、もしかしたら生きている人もいるかもしれないが。でも、覚えていない人を友達と呼ぶのは、流石の私でもどうかと思う。そんな資格があるとは思えない。
……あの子は、どっちなんだっけ。
サッカーが異常に上手かったあの子――顔も名前も忘れてしまったけど、そういえば、生きているんだっけ? 確か、名前は、ユイだった気がするけど……。漢字は覚えていない。死んじゃったかな。
「……」
そういえば、小春以外にもひとりいた。今の今まで名前を思い出せなかった時点で、友達と呼べるのかは怪しいところだけど。
沖谷穂香――あの子は今、なにをしているのだろうか。
沖谷穂香は高校時代のクラスメイトである。私は高校二年生の最後らへんに、地元の高校に転校したのだけど、穂香は私が転校する前のクラスメイトである。
二年A組、出席番号四番――沖谷穂香。
父親が宇宙飛行士で、穂香はよくそのことを自慢していた。本人も宇宙飛行士を志していたが、ある事件で左腕を失ってしまったため、その夢を諦めたそうだ。身体障害者でも宇宙飛行士にはなれるみたいな話を聞いたことがあるけど、穂香の場合は精神的な障害もあった。
なにがあったのかと言うと、穂香は爆発に巻き込まれたのだ。それは、クラス全員を巻き込んだ、宵船凛奈というひとりの女子生徒による自殺だった。そのせいで、二年A組の生徒は私と穂香を残して全滅した――そうだ、異常にサッカーが上手かったあの子は、それで死んだんだった。名前も思い出した。あの子の名前は、涙浜結衣だ。結構仲がよかった思い出がある。いや、思い出はないけど、なんとなくそう思う。
それはもう過去なので、思うところは特にない。だけど、その事件のせいで、私は転校する羽目になったし、穂香は高校中退で入院生活である。
たまに会うと、それなりに元気でやっているようなので、私はその度に少しだけ安心する。確か、この前もふと思い出して会いに行ったんだっけ。この前って言っても、だいたい二年ぐらい前だけど。
……久しぶりに、顔を出しに行こうかな。
思い立ったらすぐ行動。私はさっそく、行きの飛行機を予約した。
「……ほたる、ちゃん……?」
「久しぶり、穂香。……元気してた?」
「当然、ばっちし、なの……」
「ならよかった」
久しぶりの里帰りだ。帰る家はないが、居場所はある。今日は、穂香のお家に泊まることになった。お泊り会である。私はもう二十四歳だ。だから、今さらお泊り会ではしゃげるほど若くはない。でも、少しだけワクワクしていた。
……そろそろ旅なんてやめて、地元に根を張るのもアリかもしれない。自分探し、というわけでもないわけだし。それに、東京はもう飽きた。小春は多忙で、予定はほとんど合わない。それに比べれば、穂香は基本的に暇なので(無職というわけではないが)、私としては非常に都合がいい。ちょうど、遊び相手がほしかったのだ。
ただし、懸念はある。もし今まで以上に私が穂香と仲良くなれば、穂香が死んでしまうのではないかという懸念が。私と仲良くなると、なぜだか危ないのだ。
なんというか、生きづらい。私が。
もし穂香が死んだら、私も自殺しようと思った。
「いや、それはダメ、なの……」
穂香は少し嫌そうな顔をしてそう言った。いったい、どうして?
「……当たり前、でしょ。同情は、する、けど……」
「でも、周囲を殺す人間って、生きてちゃダメじゃないかな……? 流石に、これ以上人を殺したくはないんだけど……」
日記帳にある記録では、平均で三ヶ月にひとりが死んでいた。おそらく、旅先で仲良くなった人たちだろう。これ以上、人を死に追いやることはしたくないのだ。もし全てが偶然だとしても、その偶然はきちんと起こっているわけで、起こっているなら偶然だろうが必然だろうがなにも変わらない。
「……でも、ダメなの……」
「だから、どうして?」
「だって……」
穂香は、布団の中で私を抱きしめながら、か細い声で言った。震えていたのは、声か身体か。
「私、ほたるが、死ぬの……嫌、だもん……」
……無神経だった。
ある事件――自殺に巻き込まれて、私と穂香は数多くの友達を失った。なら、『友達が死ぬ』ということが穂香にとってトラウマになっていたとしても、なんら不思議ではない。というか、じゃなきゃ不自然だ。
誰もが都合の悪い記憶を『過去』にできるわけじゃない。自分中心でものを考えすぎた。流石に、猛省するべきだ。
「……ごめんね」
「ううん、大丈夫、なの……でも、悲しいことは、言わないで、ほしい、の……」
「うん。言わない」
たとえ穂香が死んでも、私は死なないことにした。
殺されるかもしれないけどね。
夢というのは不思議なものだな、と思う。
私が『過去』にしてきたアレコレを、完全に忘れていたはずのあの子を、思い出せる唯一の場だ。
たとえば、私が『アンちゃん』と呼んでいたあの少女。中学校の入学式で、爆発事故に巻き込まれて死んだ。その後私は転校して、千夏と仲良くなった。そうだ、あの子はまだ生きている。教師志望だった、あの子。千夏のことをすっかり忘れていた。
忘れていた人のことを、友達とは呼べないか。
中三になって、兄が死んだ。殺されたというべきか、自殺したというべきか。お兄ちゃんとは、かなり親密な関係だった。というか、彼氏彼女のような関係。血が繋がっていなかったから、ギリギリ近親相姦ではなかったけど。でも、完全にアウトだ。忘れたからって、ノーカンにはならない。
高校に進学して、私はキャラ変をした。口調も変えて、友達も作って、人を助けて、人気者になった。高校二年生になってからは、クラス委員長を任せられた。そこで、涙浜結衣と仲良くなったんだ。結衣ちゃん。
また、爆発で死んだけど。仲良くなった人。
今度は正真正銘の事件だった。事故じゃあない。宵船凛奈の悪意ある自殺だった。二年A組の生存者は、その日水泳の大会で学校を休んでいた私と、友達に守られてなんとか生き延びた穂香だけだ。
それから私は転校して、地元に戻ってきた。また、千夏と同じクラスになった。そしていつもどおり殺人事件が起こった。千夏は死ななかったけど、千夏の彼氏の幼馴染が死んだりした。ちなみに、穂香も私の地元に移住してきた。というよりも、地元が同じだったのだ。ひとり暮らしをしていた穂香だけど、爆発事故に巻き込まれてからは、地元に戻ることにしたようだ。
大学に進学したけど、したいことはなかった。とりあえず大卒になっておこうという目論見である。いつか、就職をするかもしれない。だけど、人に従うということがどうしても無理だった(生意気にも)私は結局、大学三年生の時点で就職を諦めた。大学では、小春や叶愛と仲良くなった。色々と事件はあったりしたが、卒業まではふたりとも死ななかった。
卒業してから二年、叶愛は死んだ。
それまでの二年間も、私は人を殺し続けた。いや、私が直接殺したわけではないのだけど、死んだのは私と仲良くなった人だけだった。たとえば、行き場がなかった私を泊めてくれたおばあちゃん、意気投合した男子大学生、一緒に事件を解決した名探偵――みんな死んだ。
死なせ続けた。殺した。殺し続けた。私が。
さて、私に生きる資格はあるでしょうか? という大問題。私が悪いなんて、思わないけど、私という存在がいけないということは、自覚している。
つまるところ、私はいけない子だったのだ。
「……うーん」
夢の中の私が、まるで私じゃないかのように、困った顔で考えている。なにを考えているのだろうか。私と同じようなことだろうか? でも、私は困らない。
過去を捨てれば、今と未来の私は困らない。苦しまない。悲しまない。嘆かない。ため息をつかない。傷付かない。痛くない。
でも、それは、それらの気持ちを全て、過去の自分に押し付けているってことだ。
だったら、目の前で涙を流す少女――私は、過去の私なのかもしれない。小学生の頃の、あるいは中学生の頃の、あるいは高校生の、大学生の、旅をしていた頃の――過去の。
……だったら、なんだってんだ。
過去の私が全てを引き受けてくれるんなら、今の私は存分に楽ができる。だったら、それでいいじゃないか。
「……」
私を見つめているのは、過去の私だ。
きっと、私のことを恨んで、羨んでいるんだろう。
……でも、そんな顔じゃない。
目の前の私は、なぜか、優しい顔をしていた。
私を優しさで包み込むかのように。
それは、きっと。
「……んん」
目が覚めた。寝覚めが悪い。悪夢でも見ていたのかもしれない。なんだか、息苦しい。居心地が悪い。
……あれ、ここは?
目の前に、見慣れない天井があった。視界の端に、カーテンのようなものが……。
……ここは、病院か?
「……なんで」
なんで、こんなところにいる?
私は穂香の部屋で眠っていたはずだ。
穂香の部屋で、穂香のベッドで、穂香と一緒に――あれ。
穂香は?
「……穂香」
穂香の名前を呼ぶ。だいたいもう、察していたけど。
まさか、こんなに早く?
「……」
まだ、確定はしていないのかもしれないが。
「……」
短期間すぎる。
私はまだ、叶愛が死んだことを過去にできていないのに。
「……お医者、さん」
そうだ、ここは病院だ。
ナースコールを押して、誰かが来ることを待つ。私はまだ、状況をなにも把握していない。だから、知らないと。把握しないと。理解しないと。
また、答えを出さないと。
事件を解決しないと。
……ここまで考えて、私はやっと気付いた。
「……私、名探偵だった?」
「可哀想に……」
近くから声が聞こえた。私はいつの間にか、瞼を閉じていたらしい。目を開けると、近くに誰かがいた。
女の子。
えーと、誰だっけ、きみ。
「……ほたる、おかしくなっちゃったのね」
透き通ったような声。だけど、力強い。発声がちゃんとしているからだろうか、聞き取りやすいし、耳にすっと入ってくる。
私はそれがどんな声か知っている。
なんというか、なんとなく――教師、みたいな声。
「……ん?」
そういえば、ひとりいたな。
私の友達――教師志望の、あの子。
中学と高校が一緒だったあの子。
名前は確か。
「綱茶千夏」
「あれ、ほたるったら、私のこと忘れてなかったんだ」
……今、思い出した。
そういえば、この子も、同じ地元なんだっけ。
「……千夏」
「ほたるが久々に帰ってきてるって須崎が教えてくれたから、様子を見に行ったら……。まさか、刺されてるだなんて」
相変わらずね、と千夏は言った。相変わらずだろうか? 私は人に刺されたことなんてないけど。
「そうじゃなくて、危なっかしいでしょ。ほたる、いつも事件に巻き込まれてるじゃない。危機感が足りないわよ」
「……悪かったね」
小中学生の頃の、大人ぶろうとしていた私にそっくりな口調――だけど、私なんかよりも似合っていて、大人ぶるじゃなく、本当に大人なんだなと思い知らされた。
私はまだまだ子供なのに。
「久しぶり、元気してた……?」
「生徒がいっつも問題起こすから、超疲れてる」
「昔の私たちみたいだね」
「私は違うでしょ」
……どうやら、千夏は将来の夢を叶えていたようだ。教師志望、だったよね。
昔の友達は、私なんかよりもよっぽど大人になっていて、私とは大違い。劣等感を刺激される。
でも、その劣等感だって、いつか過去になる。
だけど、目を覚まして、なにも分からない状況で、近くにいる人間が、千夏だっていうのは、なんだか、すごく安心する。
さっきまで悪かった居心地が、途端によくなった。
この安心感みたいなものは、きっと過去にならない。私が人と付き合い続ける限りは。
私が人を好きでいる限りは。
私は今を生きている。
それでいい。私が人を好きでいるこの気持ちは、きっと永遠の今だから。
私は今だけを生きている。
【追憶】
病院のベッドで目が覚めた私は、第一発見者である旧友の綱茶千夏から事情を説明された。
「私と穂香ちゃんって、実は結構仲良しだったの。だからほたるが穂香ちゃんの家に泊まってるって聞いて、顔を見に行こうと思ったわけ。だから家に向かったんだけど、ピンポンを押しても出てこなかったのよ。スマホも連絡つかないし、まだ寝てるのかなって思ったけど、お昼の十二時になっても反応がないから、心配になったの。だって、穂香ちゃんは実家住みよ? お父さんのほうは多忙だろうけど、お母さんはこの時間、家にいるはずなのに。ノックしてもダメだったし、なにかあったのかなって。それから色々していく内に、鍵がかかってないことに気付いたのよ。どう考えても異常なセンスの靴が玄関にあったから、ほたるがいるってことは確信した。穂香ちゃんの靴も、そのお母さんの靴もあったし、やっぱりみんな家にいるはず。少し迷ったけど、私は家に入ったわ。すると、すぐに分かった。血の匂いだって。急いで穂香ちゃんの部屋を見に行ったら、ベッドの上でふたりが寝ていたわ――血まみれで。どっちも、刺されてた。ナイフが床に落ちてたの。血も止まってなかった。ちょっとパニックになったけど、昔も同じようなことがあったから、なんとか救急車を呼べたわ。人がふたり倒れてるって。そして、その内のひとりは――亡くなってる、って。あと、隣のお母さんの部屋ではお母さんが亡くなっていたわ。刺されてね。ふたりの死因は、出血多量だって」
ここまで聞いて、私は疑問に思った。
……どうして、私は死んでいないんだろう、と。
ふたりが死んだ理由は、出血多量。そりゃそうだ。出血しすぎたら、人は死ぬ。ナイフで腹部を複数回刺されて、そのまま放置されていたら、そりゃ死ぬだろう。だけど、疑問が残る。
どうして穂香は死んだのに、私は死ななかった? 一緒のタイミング――ではないにせよ、お腹を何回も刺されたのは私も同じだし、タイミングもほとんど同じだったはずだ。それなのに、私だけが出血多量を免れた。それは、どうして?
悪運、では片付けられないなにかがあるはずだ。そして、そのなにかこそが、事件解決の鍵となるだろう。
あの後、千夏と入れ替えで、警察が話を聞きに来た。これは殺人事件なのだから、当たり前だ。私はとりあえず、なにも知らないと言っておいた。千夏から聞いた話については、黙っていることにした。警察は信用ならないから。
刑事さん、久しぶりに見たなぁ。
私は疑われてないらしく、警察とのやり取りはまぁまぁスムーズにいった。
帰り際、顔見知りの刑事が遠慮がちに訊いてきた。
「常盤、おまえは大丈夫か?」
「……なにがですか」
大丈夫か、ってどういうこと? 頭がってこと?
「また、友達が死んだんだろう。おまえのせいじゃないのは分かってるから、あんまり落ち込むなよ」
「……いつものことですよ」
「いつものことでも、だ。だいたいお前、昔と全然違うじゃねぇか」
「え?」
昔――それは、過去だ。過去の記憶なんて、今の私にはほとんど残っていない。刑事のことを覚えていたのは、定期的に連絡を取っていたからであって、過去に世話を焼いてくれたことを覚えているわけではない。
だから、昔と比べられても、である。
「……そうか。でも、おまえ酷い顔してるぜ。昔は、『全部どうでもいい』みてぇな顔をしてたのに。人間らしくなってきたな」
笑いながら、酷いことを言う刑事。それでも警察か、と思わず文句を吐きたくなった。でも、きっとこれは刑事さんなりの気遣いなのだろう。友達が死んだ上に、自分だって刺されたのだ。気を遣われてもおかしくない。
「……ありがとうございます、啓二刑事」
「おい、おれの名前を呼ぶなよ! けいじけいじって、おれ嫌いだって言っただろ!」
そうだっけ。覚えてないや。ふふ。
なんてふざけながらも、私はちゃんと考えていた。
事件の犯人を。
また事件に巻き込まれた私に気を遣ってくれた刑事のことを信用せずに、こうして自分でなんでもかんでも解決しちゃおうと思ってしまうのは、おそらく昔から変わっていないのだろう。だから、千夏からも『危なっかしい』と言われるんだ。
でも、今さら自分は変えられないので、私は私のやりかたで。できることをするだけだ。できないことは、嫌いだから。物事を続けることも、まだ好きにはなれない。
「……」
刑事たちが帰ったあと、私はひとりで事件について考えていた。
……まぁ、だいたい分かった。
正直言って、そこまで難しい問題ではなかった。私が名探偵なら、『物足りない』と思っていたかもしれない。だけど、名探偵体質であっても名探偵ではない私に、そんなことは思えない。だって、人が殺されてるんだぞ。
殺人は絶対的な悪である、とまでは言わない。戦争になれば、人殺しだって英雄になる。結局のところは、状況次第なのである。まぁ、戦争は絶対的な悪なんだろうけど。
少なくとも、私はこの事件の犯人を恨まないし、悪いとも言わない。殺されてもよかったなとすら思う。
だから、どうか許してあげてほしい。
「犯人、もう分かったのね」
「もう分かっちゃったよ……」
普通に歩けそうだったので、病院を抜け出し、千夏の家まで逃げてきた。刺された箇所は滅茶苦茶痛むけど、それも致し方ない。だって、なんとなく千夏に会いたかったのだ。私の友達は、もう小春と千夏しかいない。千夏のことをつい最近まで忘れていた私が、千夏を友達と呼んで大丈夫なのかは謎だが。できれば、許してほしい。
窓から千夏の部屋に侵入して、びっくりしている千夏に「犯人が分かった」と伝えた。千夏はさらにびっくりしていた。人をびっくりさせるのって、結構楽しいかも。いつか誰かにドッキリとか仕掛けてみようかな。……多分だけど、死人が出る。
「……それで、犯人は誰なの?」
おっと、急かされてしまった。
私としても、引っ張るつもりはない。だって、こんなの、誰にでも分かるだろう。
「犯人は穂香。沖谷穂香が私を刺して、母を刺して、自分も刺した」
「……うん」
千夏は驚かなかった。当たり前だろう。だって、
「そして、私に刺さりっぱなしだったナイフを全部抜いて床に投げ捨てたのが、千夏」
「……なんでも分かっちゃうのね、ほたる」
誰にでも分かることだ。
だいたい、そうでなければおかしい。人間、お腹を複数回刺されたら、普通は出血多量で死ぬのだ。そこまで人間の身体は頑丈にできていない。むしろ、脆いぐらいである。それなのに、どうして私は生きていたのか?
私を生かすことなんて、できるのか?
できる。
出血多量で死なせたくないのであれば――刺してから、ナイフを抜かなければいい。
簡単な話だ。
「心中がしたかったのか、なんなのかはよく分からないけど……でも、穂香はきっと、迷っちゃったんだろうね」
私を殺そうとした。
だけど、迷った。
だから、ナイフを抜くことができなかった。
「ナイフは複数あったよね。だって、そうじゃないと私が複数回刺されていたことに説明が付かないから……」
「うん」
おそらく、穂香は二番目に私を刺したのだろう。一番目は、母だろうか。一番目と全く同じ――お腹を複数回刺すという手口で私を殺そうとした。だけど、ナイフを抜くことができなかった。
だから、穂香は複数のナイフで私のお腹を刺した。
そうすることで、複数の刺傷を作ったのだ。
「……正直、あまり意味はないと思うけどね」
「意味なんて、重要じゃなかったんでしょ」
そうだろうか。
穂香は、死後に自分が犯人だとは思われたくなかった。だから、幼稚な偽装工作を施した。
でも、これは幼稚だ。警察の目は、欺けない。
そのぐらい、穂香にだって分かっていたはずだ。
だから、そうなのかもしれない。
どっちでもよかったのだ。
私を殺したかったけど、別に死ななくてもよかった。千夏は協力してくれたけど、別に協力してくれなくてもよかった。自分が犯人であることはバレたくなかったけど、別にバレてもよかった。
だって、どうせ死ぬんだから。
結局のところ、穂香は自殺をしたのだ。死んだ人間に、罰を与えるなんてことはできないし、なにかしてやることもできない。死んだ人は、死んだのだ。
黙祷も手合わせも祈りも、無意味。
「……多分、明日ぐらいには私のところに警察が来るだろうね」
「そうね」
「そこで事情を説明されるの。もしくは、事情を聴取されるのかな。どっちにしろ、真相は白日の下に晒される……」
「……」
「私に賠償金を支払うのは、穂香のお父さんかな?」
穂香を恨むつもりは全くない。なんなら、穂香は悪くないとすら思っている。心中の動機は、穂香の心中にしかないとはいえ、なんとなくこれだけは分かる。
私が来たことが、穂香にとってのきっかけになった。
それだけは、間違いない。
だから、許してあげてほしい。
穂香を許さないのは、おそらく私だけだから。
「穂香は、愛するお父さんに迷惑をかけた。そして、これからは苦労をさせることになる。穂香のお父さんは、間違いなく不幸になる」
それを知らんぷりしたまま、穂香は死んだ。自分勝手に。それは、許されることではない。
父は娘のことを恨めないかもしれないけど、だったら、この世で唯一穂香のことを『許さない』ことができる、私だけは、せめて――穂香のことを許さないでいよう。
許さない。
ずっと覚えていよう。
そう思った。
千夏については、黙っておいてあげた。当の本人も、自首するつもりはないらしいし。まぁ、証拠はないもんね。
まぁ、あったとしても、罪には問われないだろう。動揺したとかなんとか言っておけば済む話だ。
はい。事件の話はこれで終わり。これ以上は語りたくない。嫌な話だから。
だから、未来の話をしよう。
私はしばらく、地元に居着くことにした。そのために、めちゃくちゃ安いボロアパートの一室を借りたんだけど……。
「久しぶりだね、常盤さん。元気してた?」
「……えっと」
もうひとりの入居者と初めての対面、だったはずなのに。
なぜか、その入居者――波久礼稔さんは、私のことを知っていた。
「……」
話を合わせるべきだろうか。彼に合わせて、『わぁ、めっちゃ久しぶり〜! うんうん、めっちゃ元気だったよ〜! めっちゃ、めっちゃね〜!』みたいな、頭の悪い会話を繰り広げるべきだろうか。
私が迷っていると、波久礼さんは少し困った笑顔で、「もしかして、忘れちゃったかな?」と訊いてきた。私は思わず動揺する。私らしくはないが、私らしさなんてどこにもない。
「……ごめん、なさい」
私は正直に話すことにした。あなたのことなんて、一切合切記憶にありません。ごめんなさい。誰ですか?
すると、波久礼さんは残念そうに、
「そっかぁ……」
と悲しみの滲む声を出した。人生で初めて罪悪感を抱いたかもしれない……。
「……千夏の彼氏だよ。本当に覚えてないかな?」
「え……?」
そういえば高校時代、千夏には彼氏がいた。年上で、頼りなさそうな、彼氏――波久礼稔。なんだ、まだ続いていたのか。正直、結構意外だ。
「なんとなく覚えてます」
「なんとなくかぁ。まぁ、いいんだけど」
すぐに別れるもんだと思っていた。だって、千夏のタイプは、男気のある男らしい男だと思っていたから。実際、中学生の頃はそんな感じの人と付き合っていた。筋肉命すぎて気持ち悪かったというのが、別れた理由である。気の毒に。
そんなことはどうでもよくて、えーと、それで、なに?
「友達の彼氏って、どう接すればいいのか分からないんだけど……」
「それを直接言っちゃうぐらいなんだったら、もう普通に接すればいいじゃないか……」
それもそうだ。
顔見知りなんだし、必要以上に畏まる必要はない。昔は一緒に、殺人事件を解決したこともあるのだ。とはいっても、最低限の礼儀は忘れないようにしよう。一応、高校時代の先輩である。良い人そうだし。
裏の顔もありそうだけど。
「では、よろしくお願いします。これ、つまらないものですが」
「わざわざありがとね。うん、よろしく。僕からも、よろしくお願いします」
こうして、波久礼さんとのファーストコンタクトは平和に終わった。それから、ふたりの少女がこのボロアパートに入居してきて、さらに殺人事件が起こって――といった感じで、まぁまぁ波乱万丈な日々を過ごすことになる私である。
だけど、どんなことが起ころうとも、私には関係がない。
どうせその波乱も、いつか過去になる。煩わしいことは、過去にしてしまえばいいのだ。
だけど、忘れないでおきたい。
穂香を許さない、私の気持ちは。
どうしてかは分からない。きっと、私にも人間らしい感情ってものが身についてきたんだろう。ずいぶん前に。
それは、とっても喜ばしいことだ。
だからこそ、失わないように。
しっかりと日記に記しておこう。
この、久しぶりの再会も含めて。
一冊のノートに、しっかりと。
私は今を生きている。
だから、過去も未来も、今の私にとってはないも同然で。だけど、過去を失いたいとは思わない。きちんと、残しておく。ひとかけらでいいのだ。ひとかけらだけでも、未来に託しておく。それが、今の私にできること。
私は今だけを生きている。




