Episode6.便利屋セルフィ、花を受け取る
セリフィーヌが向かったのは、エリオスの執務室だった。
衛兵に声をかけ、入室の許可を取る。
「入れ」
低く短い声が返され、重たい扉が静かに開いた。
初日に訪れたときは気付かなかったが、部屋の中は随分と整然としている。調度品は最小限で、装飾らしいものは見当たらない。
めぼしいものと言えば、壁際に飾られた剣くらいだ。
セリフィーヌが中に入ると、エリオスは執務卓の椅子に腰掛けたまま、書類から目を離さずに言った。
「何の用だ?」
「お仕事中に申し訳ございません。殿下のお力をお借りしたく参りました」
「具体的には?」
「とある花について調べたいのです。植物について詳しい方をご存知でしたら、ご紹介いただけないかと」
「花? 何のために?」
「まだ不確かなことですので、何とも申し上げられません」
率直な物言いに、エリオスはほんのわずかに眉を上げる。
一瞬だけ沈黙が流れ、エリオスはペンを置いた。
(これは、駄目かしら)
そう思ったときだ。
「温室の管理をしている、バルタという庭師がいる。植物について、彼の右に出る者はいない。この時間なら温室の小屋にいるだろう」
どうやら、駄目ではなかったようだ。
「ありがとうございます。助かります」
軽く礼を述べたそのとき、セリフィーヌの視線がふと、部屋の隅で止まった。
窓辺でも棚上でもない、部屋の片隅――書架の脇に置かれた小さな花瓶。
そこには、白く小さな花が数本、無造作に生けられていた。
長さも向きもまちまちで、向きも揃っていない。どう考えても、侍女の手によるものとは思えなかった。
「……そちらの花、初めて見ました。何という花なのですか?」
するとエリオスは目をやり、少し間を置いて応じる。
「さぁな。花には詳しくないんだ。ただ、母上が気に入ってよく飾っていたから。ときどき、こうして側に置いている」
その声音には、過去を偲ぶ気配があった。
(冷徹王子に見えて、実はこういう顔もするのね。何だか調子が狂うわ)
エリオスが突然寂しそうな顔をするものだから、セリフィーヌは何と返すべきか迷ってしまった。
そんな心中など知らぬ顔で、エリオスは書架へと歩み寄り、花瓶から一本抜き取る。
「気に入ったのなら、一本やろう」
「いいのですか?」
「構わない」
セリフィーヌはそっと手を伸ばし、白い花を受け取る。
その瞬間、指先がエリオスの指に触れた。
同時に流れ込んでくる――胸の奥に落ちるような、淡い詩。
『運命に置き去られた花の香に、忘れたはずの面影が揺れる。二度と咲かぬと思っていたこの花を、再び手にする日がこようとは。胸の奥に、音もなく熱が灯る。この気持ちに名をつけるには、私はまだ、君のことを何も知らない――』
(――ッ!)
思わぬ内容に、セリフィーヌは慌てて、花を手にした右手を引っ込めた。
いけない。何だか聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がする。
(何よ今の、どういうこと? だって、殿下とは会って三日目よ? なのに、どう考えても今の詩って……)
恋の歌にしか、聞こえなかった。
セリフィーヌは、かあっと顔を赤く染める。
偶然だ。よくわからないけど、偶然に決まってる。
そう言い聞かせるセリフィーヌの視線の先で、エリオスは書類仕事へと戻っていた。
まるで何事もなかったかのような静かな佇まいに、セリフィーヌは胸元で花を握りしめる。
(何よ、すかしちゃって。心の中は、ポエマーのくせに)
セリフィーヌは、腹立たしいような、悔しいような、何とも言えないモヤモヤを抱えながら、執務室を後にした。