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8.救い

 肉と骨を、容赦なく断ち割る音。人の命が、引き裂かれる音。力を失った身体が、地に沈む音。何度も聞いた、聞き飽きたはずの音が、今はどれ一つとして、現実味を帯びない。


『あぁ――』


 己の声さえ、分からなかった。情けなく震える、初めて聞く声。あまりにも弱々しくかすれているのに、脳を強かに揺さぶって、思考の全てが霧散していく。


 頭が役立たずと成り果てたから、代わりに身体が動いた。力無く伸び切った四肢を引きずり、生温かい液体の中を這っていく。自分とは違う、別の温度が交わる、その先へ。


「ごめん、ね」


 血溜まりの中で、少女は変わらず笑っていた。ぎこちなく、全てを諦めたような歪んだ笑顔。暗い青の瞳は悲しみに沈んで、それでも、涙は浮かべていなかった。左肩から右脇腹まで、辛うじて両断されていないだけの身体には、もうそれだけの機能さえ、残っていないのかもしれない。


「私、全然、救えなかった。何も、できな、かった。誰もの、幸せなんて、叶わなくて。誰も、望んでなくて。私が、生きるだけの。ただの、言い訳でしか、なかったけど」


 それでも。


「あなただけは、救えたんだよ。おかしい、かな。あなたが、誰かを、殺しても。何もかも、壊してるのを、見てもね」


 それでもね。


「あなたには、生きて欲しいって、思えたんだよ」

『馬鹿野郎が……ッ!』


 いつも通りの声が出ることに、獣は安堵する。


 ゆえに続く言葉に、躊躇いなど無い。


『大馬鹿野郎が! なんで、お前は。俺は!』

「ふふっ。やっぱり、そっちの、話し方のほうが、可愛いよ?」

『何言ってんだお前は……ッ!』


 少女の右手が、獣の頬に添えられる。


 傷だらけの手の平が、愛おしむように撫でられ。


「だい、あ、ううん。コレは、ダメ。あい、は、もっとダメだ……」


 うーん、と。場違いに、気の抜けた声音で。


 何か思い悩むように、眉根を寄せて。


「幸せに、なってね?」


 それだけを、笑顔と共に遺して。


 手は、赤い血の中へと、沈んだ。


『ふざけんじゃねえぞ!』


 獣は吠える。


 牙を剥き出し、今にも噛み殺さんとする勢いで男を睨み上げる。


『オイ、テメエ、何ぼさっと見てやがる!』

「お前、そんなナリしてガキみたいに吠えるんだな」

『うるせえ馬鹿! オイ、コイツを救え。できるだろ、できるんだろ、バケモノめ』

「馬鹿。無茶言ってんじゃねえよ。こちとらお前のために残りカスまで絞り尽くしたんだ。今生きてるのだって奇跡みてえなもんだ、もう煙も出ねえよ。そのガキと大差ねえ」

『なら俺を使え。魔力は命だろ、今ならまだ』

「今にも死にそうな顔で何言ってんだお前」


 獣は奥歯を噛む。噛み砕かんばかりに力を込め、


『クソ。クソがふざけんな。何なんだよ、何なんだよこの世界は』


 喉を、息を震わせ、叫ぶ。


『たった一人だ。たった一人だぞ。こんなクソみたいな地獄の底で、コイツだけだ。コイツだけが誰かを救おうとした。誰一人傷つけなかった、誰でも救おうとした。それなのになんで、コイツが救われない』


 叶わない理想を抱いたからか。


 叶わないと分かって、求め続けたからか。


『所詮は、自分が生きるだけの、救われたいだけの、言い訳で』


 偽物だから、救われてはいけないのか。


 偽物だから、救えないのか。


 差し伸べることさえできない、己の手。黒く染まり切った、穢れた手。殺し喰らい、奪うことしかできない手を、獣は握り締め。


「なら、願ってみるか?」


 男の声に、顔を上げた。


「本気で救いたいなら、願うといい。お前の内を通して、世界へ。お前がお前を救うために、他人を喰い殺して生き延びるために、その『力』を得たように」


 何を、と。


 獣の問いに、男は取り合わない。


「世界にゃ、霊力っつーもんが溢れてる。要は『誰のものでもない魔力』だな。非活性魔力と言い換えてもいい。普通はまあ、干渉もできねえし、気圧みたいに流動して魔術行使に影響が出る程度で、さほど益も害もないもんだが、一つだけ例外がある。

 自分の魔力を通すことで、空間を満たす無尽蔵の霊力へ、接続できる可能性がある」


 淡々と、狂った言葉の数々が、叩きつけられる。


「魔術なんて比較にならねえ。常識も法則も完全無視。何なら世界の在り様さえ根底から覆すことができる。あまりにも馬鹿げた、傍若無人で、クソったれな奇跡。

 それを一部の界隈じゃあ『霊術』と呼んでる」


 男は言う。


 救い。滅び。どちらにでもなる力。


 あの日、この世界が壊れたように。


 あるいは。


「そこのガキが、お前を救ったように」


 あまりにも現実離れして、垂れ流される馬鹿げた話に。


「言うてまあ、お前はさっきみたく、自爆するのがオチだろうが」


 選択肢など、あるはずもなかった。


 獣は全身に渾身を込める。ただでさえ残り少ない血が噴き出すが構わない。それでもなお動かない役立たずの四肢をどうにか引き摺って、少女に寄り添う。


 唯一残された、動く部位。


 顎で、少女の右腕に喰らいつく。


 柔らかく傷だらけの、熱を失っていく、小さなその手へ。


「そうか。なら精々、必死に願え。心の底から、真摯にな」


 何を、願う。獣は考える。決まっている、コイツの、少女の救い以外に願うものなど無い。だがどうする。救われてください? 幸せに生きてください? なんだそれは。どこの誰が叶えてくれるというのだ。どんな形で叶えてくれるというのだ。


 無責任にも、他力本願にも、程がある。


 反吐が出る。


『願ってなんか、やらねえよ。コイツは、俺が救う』


 ほう、という男の声を獣は強いて無視した。


 少女は救われない。分かっている。今この場で、仮に命を繋ぎ留めたとして、同じことだ。どうせまた、同じように誰かを救おうとして、傷ついて、何も成せないままに死んでいく。救う価値もない有象無象のために。自分のためにしか生きられない、獣のために。


『誰もが幸せでいられる世界』を、願い続けて。


 きっと永遠に、救われない。


 だったら。


 本当の意味で、少女を救いたいと思うのなら。


 馬鹿な獣には、一つしか、方法は思いつかなかった。


『俺は、お前の願いを壊す』


 いつか、少女へ告げた、獣の願い。


 けれど、違う。


『もう二度と、その手を差し伸べられないように。

 もう二度と、お前が傷つかなくて済むように』


 顎に、なけなしの力を込める。


 小さな手に、牙を突き立てる。


『お前の願いを、俺に寄こせ。欠片も残さず、全て』


 その理想を、喰らい尽くすと。


 己の意志を、己の願いを。


『俺が、叶えてやる』


 自分自身に、誓った。






「これは、驚いた」


 光が収まった後。男、隻腕となった有角は、感嘆の息を吐く。


「世界をぶっ壊した大霊災。爆心地となった地獄の底に、何もかもを喰らい尽くすバケモノと、ソイツを飼い慣らすバケモノの、二匹」


 ――否。


「ただの生存者が二人、か」


 目の前、血溜まりに沈む『ソレら』を、眺め。


 傍らに突き立てた大剣へと、疲れ切った身体を預ける。


「『誰もが幸せでいられる世界』ねえ。我ながら、大法螺吹いたと思ったが」


 見上げるのは、どこまでも黒い空。破壊し尽くされ、焼き尽くされた工房を、また覆い隠すように、白い雪モドキを降り散らせる、地獄の蓋。


 だが。


「コイツは、もしかするかも知れねえぞ」





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