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4.魔獣

 少女はただ茫然と、見送っていた。乱れ散る深紅の大輪。頬にかかる熱い飛沫。伸び切ったまま千切れ飛ぶ腕の先、光を失いナマクラへと還る刃。


 白と黒の世界に咲いた命の花は、瞬く間に枯れ落ち、雪に溶けて沈んでいく。


「クソッ! 騙された! 『魔獣飼い』のバケモノはマジだ!」


 響いた声に少女の意識が引き戻される。次の獲物を見定め、一歩を踏み込む獣の前脚へ、少女は咄嗟に抱き着いていた。


「人は、殺しちゃダメ!」

『コレが?』


 カラン、と乾いた音を立てナイフが瓦礫を転がった。息を呑んで顔を上げる少女の視線の先、訝しむ獣の赤い目が細められている。腕の中にある太い脚は、温かな鼓動と共に、同じ赤色の血を滲ませていた。


 咄嗟に手放し一歩を退いてしまえば、獣は既に駆け出していた。先ほどの声の主、瓦礫に身を潜めていた男は、背中を晒し、狐のような尻尾を揺らして走る。


 獣は、ただの数歩にて迫り、


「チクショウ、術式起動(ドライブ)!」


 狐男が振り向きざまに回す腕には人の頭大の瓦礫。淡く光を纏い毎時二百キロを超える豪速にて投じられた合成建材は追いすがる獣の脳天に直撃し、


『かゆい』


 厚い毛並みの下、薄皮一枚さえ裂けず砕け散った。


「クソッ! 術式起動(ドライブ)術式起動(ドライブ)術式起動(ドライブ)術式起動(ドライブ)ッ!」


 立て続けに、手当たり次第に瓦礫を放るも、ただ一度として獣に傷をつけられない。悠然と歩み寄る獣の威容に、男の表情が絶望に歪んでいく。


「ふざけるな! 卑怯だぞこのケダモノ、バケモノ共がッ!」

『どの口が』


 獣はそれだけを告げ、頭から半身を噛み千切った。


 一瞬の飛沫。主を失った下半身が力無く倒れ、雪上に血溜まりを生む。口内の上半身に騒がせる猶予も与えず牙にて砕き、数度の咀嚼を経て飲み込んだ。


 背後、空気を叩く羽音に獣は頭を上げる。白と黒の空には翼を背負う人影が舞い、飛び去ろうとしていた。


『逃がすと思うか』


 睨む獣の背が、歪な音を立てた。骨の形を無理矢理に捻じ曲げ、肉と皮を繋ぎ合わせるような異音と共に、形作られていくのは巨大な翼だった。鳥とも、竜とも、悪魔ともつかない、剛骨が膜を広げる黒の翼。


 余りの不条理に呆気にとられ、停滞する空の人影を見据える。獣は四肢を踏み締め、翼にて大気を打ち付け、その巨体が舞い、


「ダメッ!」

『いってえ!?』


 上がる直前、横っ腹に少女のデコピンを受けキリモミ回転しながら吹き飛んだ。


 中空で獣の巨体が二度三度と回り地に落ちて、さらに廃屋を三軒ほど粉々に破砕した後にようやく停止した。骨の髄まで砕き割るが如き衝撃に呻き、震えながら持ち上げた鼻の先には既に少女が立っている。


『テメ、何しやがる!』

「追いかけちゃダメ!」

『――ッ! お前は、どこまで』

「違うの! あっちには」


 少女が言葉を紡ぐよりも、早く。


 背後の瓦礫が、爆散した。


 少女が頭を抱えてしゃがみ込む。その上へ獣が圧し掛かる。直後に轟く咆哮へ獣が牙を剥き出し、腹の下から顔を向ける少女が見たのは巨大な熊の如き魔獣だった。獣にも迫る巨躯。歪に膨れた四肢からは太く鋭い爪が突き出し、背にはハリネズミのような固く長い体毛が逆立つ。


 奇襲に反応が遅れた獣の身体へ熊の右腕が振り抜かれる。剛爪は容易く獣の厚皮を裂き黒い体毛を血飛沫と共に散らした。歯を食いしばり耐える獣へ続く左腕が振り下ろされ、届く直前に右翼が受け止める。骨が半ばから圧し折れ翼膜が引き裂かれ用を成さなくなるが、しかし前のめりに隙を晒した熊の右肩へ獣は残る左翼を真上から叩きつけた。


 重心を崩し、熊は頭から地面へ叩き伏せられる。すぐに腕を突き上体を起こそうとするその背へ、獣は一切の躊躇なく覆い被さった。剣山の如き体毛が脚を腹を裂き貫くも構わず、無防備に晒された延髄へ剥き出した牙を突き立てる。


 絶叫と、咆哮。空を震わせ地を轟かせ、二頭の巨獣が吠え猛る。降り積もる雪も積み上げられた瓦礫も無茶苦茶にぶちまけられる暴力の中心で、鮮血が咲き乱れる。熊は背に被さる敵を振りほどき捻り潰さんと異形の四肢を振り回し、獣は叩き伏せた獲物を一秒でも早く絶命させんと顎を食いしばり首筋を砕く。暴れる頭には左の翼を押し込み、振るわれる腕には右翼に折れ晒した骨を突き立てる。何度も。何度も。何度も何度も何度も。己の全身から血を垂れ流し、翼が元の形も分からないほどに砕けてもなお。


「――コ……、ス」


 刹那。


「コ、ス。ケ、モノ」


 熊の喉奥から漏れた、断末魔のような空気を。


 獣は一切の慈悲もなく、噛み潰した。


 硬い骨が折れ砕ける、致命的な破砕音の後に熊の身体は大きく跳ね、すぐに弛緩して動かなくなる。腹の下で力無く萎れていく棘毛に、しかし獣はダメ押しとばかりに首を噛み千切り、残る頭を踏み潰した。


 永遠にも思えた死闘は、されど一瞬。


 後に残るのは、ただの肉塊と化した命の名残と、荒く息を吐き、全身に血を浴びて、熱い湯気を昇らせる獣だけ。


 獣は空を見上げる。未だそこに留まる、翼持ちの人型を。重く気怠く踏み出した一歩を、しがみついて止める者があった。少女は、返り血にも構わず、顔も髪も赤く染めて。


『離せ……ッ!』

「ダメ! あの人が逃げようとした先、たくさん居る……っ!」


 獣が目を見開き、耳を立てる。血が昇り酩酊するような頭なれど、意識を研ぎ澄ませれば、遠く。翼持ちの居る先に、無数の、野獣のような呻き声が聞こえた。


 釣りの失敗を悟ってか、翼持ちはしばし滞空した後、別の方角へと飛び去って行く。


 獣は舌打ちし、遠く消えていく影を睨み続けた。





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