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2.葬送

 パチパチと火の粉が舞い、炎が揺れる。


 かつて人だったもの、命だったものを燃やし、黒い煙が明けることのない空へと昇る。


 少女はその様子を、静かに眺めていた。屍の山が焼け落ちていく穴の淵で、膝を抱えて。黒く濁った瞳に、憐れな彼らの最期を焼き付ける。


 炎の勢いが弱まってきたところで、少女は抱えていた脚を崩した。横座りに膝を揃え、ワンピースのポケットから取り出したのは一本のアルミパウチだ。プラスチックの蓋を捻じり開け、先端を口に含んで容器を握る。柔らかい外装を押し潰せば、中からゼリー状の飲料が溢れる。今日分の昼食をぐびぐびと、胃に流し込んでいく。


 どさり、と背後の鈍い音に振り返り、少女は目を眇めた。


 こちらを見る獣の足元に、死体が転がっている。


 小鳥を獲ってくる猫のように、見えなくもない。しかし獲物は大人ほどもある大きな鳥で、獣はその三倍はある体躯の四足獣だ。可愛さよりも、ただバケモノに対する恐ろしさが勝るのが常人の反応だろう。


 少女はただ、小さく溜め息をこぼした。携帯食から口を離し、左手で尻を払って立ち上がる。のろのろと歩いて近づけば、獣は薄く口を開いた。


『獣だ。食え』

「食べないよ……」

『酷い味だが、そのクサいのよりは余程マシだ』


 獣が鼻先で示したのは、少女が右手に握るゼリー飲料だ。パックを半ばほどまで潰したその口からは、この世のありとあらゆる糖分を濃縮したような、鼻の奥が灼けるほどの特濃蜜臭が漏れ出ている。『25MCAL』と、でかでか描かれたシンプル極まるアルミ容器。ただの一本に成人五日分のカロリーを詰め込んだ超高熱量食品。甘いだけのゲロなどと揶揄される、人類悪の結晶をしかし少女は後生大事に抱える。


「私はこれが良いの」

『保存食を先に食う馬鹿があるか。それも、獣すら食わんゲテモノを』

「誰も食べないから困らないの。慣れたらおいしいよ? すっごいお腹に溜まるし、あと、ちょっと気分が良くなるの。頭がふわふわするのにすっきりする」

『ヤク中かお前は。胃が腐るぞ。というか、ヤバいもん入ってないだろうなソレ』

「……カフェイン300mg、アルコール10%」

『今すぐ飲むの止めろ!』


 咆える獣に少女は目を逸らし背を向け、咥え直した容器から一気に残りを吸い上げた。ぷは、と口からは甘ったるい息が漏れ、頭はフラフラと左右に揺れている。常日頃の千鳥足は怪我のせいなどでなく、単に甘ゲロ常飲の薬害だと獣は知っている。何度言っても止めないのはそれ以上に存じており、ゆえに諦めは即座に、ただ小さく息を吐いた。


『鼻が潰れるんだその吐瀉物は。お前の匂いが分からん』


 獣の不服そうな視線に、少女はきょとんと呆けた。


 次いでスンスンと、腕やら脇やら、服に鼻をつけて匂いを嗅ぎ始め、


「私、臭う?」

『独特な匂いがする』


 かっと、少女の顔に熱が昇る。空いている左手でスカートの裾を掴んで俯けば、ボロボロの布地に汚れた手足、傷み切った白い前髪が目に映る。三ヶ月ロクに水浴びもしていないのだ、何を今さらとしかし視界が滲んで、いっそ頭から甘ゲロを被ってやろうかと、


『臭くは、ない。だからソレを閉じろ』


 ハッと顔を上げれば、獣が首ごと目を逸らした。少女が歩いて追いかけ、また逃げられる。そのままグルグルと、跳ねたり乗ったりのイタチごっこが無意味を悟るまで繰り広げられ、痺れを切らした少女が獣の首に抱き着いて終わりを告げた。


『暑い。離れろ』

「やだ」


 ぐすっと、鼻をすする音に獣は息を吐く。少女は両手でわしわしと、獣の深い毛並みをかき混ぜる。されるがままの獣に気を良くして、頭まで突っ込んでモフり倒す。獣は目を眇めるだけに留め、代わりに、今はもう細い煙が上がるばかりの大穴へと鼻先を向けた。


『なぜ火を点ける。煙が上がれば目立つだけだ』

「死んだ人への礼儀だよ。それに、誰か気付いてくれるかもしれない」

『エサがあると伝えるだけだ。獣の死体に礼儀なぞ要るものか――オイ、拳を握り込むな。やめろ腹に何度もデコピンするんじゃねえ! さっき食ったのが戻、オウエッ! 何も間違ったこと言ってねえだろうがふざけんなやめろ馬鹿!』

「ねえ、あなたどうして偉そうな口調作ってるの? 素の方が可愛いよ?」

『ハア!? お前マジで頭おか……チッ、お前には、関係の無いことだ』

「あなたは、なんでそう」


 吐き出される少女の溜め息が、手の平に嫌なぬめりを覚え、止まった。


 見下ろせば、未だ熱く湯気を昇らせる赤い液が、べっとりとこびりついている。


「怪我したの!?」

『放っておけば治る』

「そういう問題じゃない!」

『何の問題がある』

「馬鹿! 待って、今すぐに」


 言いかけた少女は、しかし唐突に目を見開き二の句を飲み込んだ。明後日の方へ顔を向ける。少女と獣が寝床としている、廃墟跡の外を。


 次いで獣も反応する。首を高く上げ、ピンと張った耳の先を震わせる。


「誰か、近づいてきてる。ゴメンね、隠れてて」

『分かっている』


 少女が入り口、唯一開かれた方へ身体を向け、身構える。その間に獣は音もなく駆け、瓦礫の中へ巨躯を捻じ込み、息を潜める。


 しばしの、沈黙。


 耳に痛いほどの静寂に、積もる雪の音さえ響いて。


「誰か、居るのか? 助けてくれ……」


 現れたのは、擦り切れ汚れたシャツとズボンを着た中年の男性。


 ボサボサの黒髪が掛かる額には、二本の白い角が突き出ており。


「助けます!」


 少女は、微塵の逡巡もなく駆け寄った。





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