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旦那様の頭の中

 

「エマ」


 夜遅く。寝室のドアが開き、リュカ侯爵様が部屋に入ってきた。既に入浴も済ませ、寝巻き姿。かくいう私も寝る準備を終えてネグリジェを着ている。


「お帰りなさい」


「あぁ、ただいま……」


 傍に駆け寄ると侯爵様は力なく私を抱き締めてきた。魂の抜けたような顔をしてグッタリ。火の消えた暗い顔をしている。


 きっとマリア様が家に帰って寂しいんだろう。先ほどまで家に送り届けに行ってたから。マリア様が他の男の人の元へ行かれたから尚更寂しいのかも知れない。地獄と化しかけていたお茶会も楽しいものになったみたいだし。


「元気を出してください」 


「あぁ」


  背中に手を回してそっと撫でると、侯爵様は私の肩にオデコを乗せて深い溜め息を吐いた。続けて甘えるように顔を擦りつけ、掠れた声で囁く。


「ねぇ、エマ……。顔を足で踏まれたいと強請るのはそんなにおかしなことかい?」


「えぇ。おかしなことです。館の外では絶対におヤメください。旦那様」


 あまりの発言に気が動転してしまった。思わず立場も忘れてスパッとと侯爵様に注意をする。


 侯爵様は勢いよく顔を上げると納得できないと言いたげに綺麗な碧眼を見開いた。私の肩を掴み「それはおかしい……!あり得ない!」と叫び出さんばかりの勢いで重々しく首を横に振っている。


 信じられない。普通にマリア様を家へ送り届けてきただけだと思っていたのに。そんなおかしな質問が出てくるなんて。


 いったい今まで外で何をしてたんだろう?知りたいようで知りたくない。いっその事、護衛の騎士を見張りに付けたいと心の中で思う。



「どうしてだいっ?ちゃんと靴は脱いでるんだよ⁉」


「脱けばいいという問題じゃありません」


「ストッキングすら脱いでるのにかい?」


「いけません。お立場を考えてください」



 泣きつくように腰に縋りつかれたが、今回に関してはキッパリと注意する。


 まったく、この人は。ド変態もここまで来ると心配になる。いったい、どういう思考回路をしているのか一度頭の中を覗いてみたい。



「君もその意見か……。女性は難しい」


「女性からすれば旦那様の思考回路の方が難しいですよ」


「そんな、エマ……っ。僕としてはね、本当は馬のように蹴って欲しいところなんだよ!?それを踏まれるだけに留めているというのに、まだダメだと言うのかいっ?」


「えぇ。怪我をなさっては大変です。どうかご自身の体を大切になさってください」



 ガックシと絨毯に膝を突いた旦那様の肩に手を乗せ、優しい顔でされどピシャリと言い放つ。


 旦那様ったらベッドの上ではドSなのにベッドから下りるとドМになるのは何故なの?


 雇われただけの私には理解できない。たとえ愛されていたとしても理解できないが。


「残念だ。あの得も知れぬ幸福感を君だけは理解してくれると思っていたのに」


「それは……。ご期待に添えず申し訳ありません」


「許さん。罰として今すぐベッドに行って僕の顔を太ももで挟みたまえ」


「……はい」


 罰というよりは願望に違いない。旦那様との常識の溝は深まるばかりだが、命令には逆らえずベッドに座り侯爵様の顔を太ももで挟む。すると、侯爵様はネグリジェの裾を捲って満足気に微笑んだ。僅かながら元気になったみたいで安心する。しかし、恥ずかしい……。オマケに何の躊躇もなく下着をスルリと脱がされて身体が固まる。


「すまなかったね。今日は」


「い、いえ。気になさらないでください」


 普通の会話を続けられたが、反応に困る。いったい、どうすれば。


 考えたって分からない。私の頭では旦那様の行動心理を読み解くことは出来なくて、結局はされるがまま。いきなり舌を這わされてビクつきながら侯爵様に身を委ねる。


「君、好きだよね。ここ」


「……っ、はい………」


「そこは“はい”じゃなくて“好き”でしょ」


「好き、です」


「じゃあ、ここは?」


 いったい何の意図があるのか、手当たり次第に責められ、永遠と好きだと言わされる。


 何故?と思うが、旦那様は教えてくれなかった。快感に流されゆく私を見て、堪らなさそうに笑うだけ。


 私も私で質問を投げる余裕は無かった。与えられた刺激を大人しく受け入れることしか出来ない。


「旦那様……」


「名前で呼ばれたいな」


「……っ、リュカッ」


「いいね。今日はそのまま名前を呼んで好き好き言って欲しいなぁ」


 何だか甘えるように強請られ、望み通り耳元で囁く。すると侯爵様は気を良くしたらしく、愛情を込めるように私を抱き締めた。


 あぁ、永遠と終わらない夜がまた始まってしまう……。そう分かっていても拒否ることは出来ない。拒否したくないのか、契約だからか、自分でも分からなくなってて困る。


 彼の願いに応える私もまた、彼に強請る側に立っているのだ。欲しいと言わされて粛々と彼の欲を受け入れる。



「エマ」


 月明かりの下、侯爵様の私の名を呼ぶ声だけが私の存在が“エマ”であると告げていた。


 複雑な思いはそのままに。自分の存在を綺麗に消して。私は今日も侯爵様の大好きなマリア様になりきって抱かれたのだった。


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