本物と偽物
「あら、ご機嫌よう」
とある日の午後。部屋から出たのがイケなかったのか、廊下でバッタリとマリア様に出会してしまった。
完全に気を抜いていただけに、かなり動揺。いきなりの本物の登場に焦りつつも愛想の良い笑みを浮かべてペコリと挨拶を返す。
薄く笑みを浮かべてこちらを見つめるマリア様は私より少し年上。自分よりも若干大人びている。とはいえ、自分の目から見ても私と彼女は双子のようにそっくりだ。
まるで鏡を見ているかのよう。場面を切り取ったならば『本物と偽物の遭遇』ってタイトルが付くに違いない。
マリア様の隣に立っている侯爵様も顔が引きつってるし、近くで待機している執事さんは冷や汗をかいてる。
こちらに来ようとしていたメイドなんて私達の存在に気付いて踵を返した。
その大量の洗濯物はいったいドコに持っていくの…?皆、心の底から気まずそう。早々と退散した方が良さそうだ。
「それでは……」
「まぁ、もう行くの?」
「えぇ……」
「そんな、一緒にお茶でもしましょうよ」
「お茶、ですか?」
「美味しい茶葉があるの。いいでしょう?」
突然の誘いに思考が止まる。いち早く颯爽と去るのが正解なのは分かっていたが、まさか誘われるとは思ってなかったし、何しろ拒否はNG生活。咄嗟に答えることが出来なかった。
指を組んで無邪気に目を輝かすマリア様の横で侯爵様は色の無い表情を浮かべている。ダメだともいいとも言わない。落ち着いた口調で「へぇー。どんな茶葉だい?」なんて聞くだけ。
嫌で仕方ないけど、彼女の望みを叶えてあげたいってところだろうか。いつもの姿とはまるで別人。どっち?どっちが正解なの?と心の中で焦る。
「えっと、でも……」
「えー、どうして?お忙しい?」
「忙しい訳では……」
どう返答をするのが正解なのか分からなくなり、しどろもどろしてしまう。
どうしよう。ご一緒した方がいいんだろうか。侯爵様はどことなく断って欲しそう。暗い顔をしてる。
「エマ様〜。少しお時間いいですか〜?」
悩んでいるとリリィがひょっこり通路から現れた。布地を沢山抱えて小さい手から溢れそうになっている。
「どうしたの?」
「応接室のファブリックのことで。急ぎの用がありまして」
「そう」
「直ぐに来て頂けると助かります」
「分かった。直ぐに行くわ」
真面目な顔付きでリリィに見つめられて小さく頷く。
応接室のファブリックか……。さっき決めたところだけど。多分、リリィなりの気遣いだろう。微妙な空気が流れているのを見て、助け舟を出したくなったに違いない。リリィは優しいから。
「それなら無理ねー。残念」
「申し訳ないです」
「気にしないで。また今度」
ペコっと頭を下げるとマリア様は首を横に振って笑顔を私に向けた。そして、そのまま何事も無かったかのように「行きましょう。リュカ」と機嫌良く侯爵様の腕に手を添えて歩き出す。
侯爵様は私を見ることはなく、ただ安堵したように「僕が相手をするよ」と隣のマリア様に微笑んだ。
どうやら断るのが正解だったらしい。仲睦まじく去っていく2人の後ろ姿を見送り、トコトコと歩くリリィの背中を追う。
「ごめんなさい。余計なことかと思ったんですけど」
応接室まで来るとリリィは布地をテーブルに置き、しょぼくれた顔で振り返った。目を潤ませて泣きたいのを我慢しているみたい。怒られた子供のような顔をしている。
「ううん。そんなことない。助かったよ」
「本当ですか?」
「えぇ。ありがとう」
居た堪れない気持ちになり、手を握ってリリィにお礼を言う。するとリリィは安心したように小さく息を吐いた。
ニコッと愛らしい笑みを見せてくれて一安心。気を遣わせてしまって本当に申し訳ない。声を掛けてくれて助かったのに。
リリィが来なかったら今頃、地獄のお茶会の幕開けになるところだった。それこそ紅茶も凍る冷たさ。淹れた直後にレモンティーシャーベットが出来上がる。
「旦那様ももっと気を利かせて下さればいいのに」
「まぁ……、しょうがないって」
「エマ様は嫌じゃないんですか?」
純粋な目で見つめられて胸が痛む。嫌じゃないかって……、どうだろう?それが当たり前の事だし。
でも、重ねて見られると無性に胸がざわつく。どうしてかは分からないけど。
「そうね。ちょっとだけ」
「なら旦那様に言いましょう」
「ダメよ。旦那様の大事なイトコなんだから」
「そう、ですか……」
首を横に振った私にリリィはもどかしそうに俯いた。スカートの裾を握り締めて愛らしい瞳の影に悲しみの色を灯している。
騙していると自覚して尚更、心が苦しい。本当は違うのに。でも、『内密に』も契約のうちだ。誰にも言えない。覆せない。