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元・深窓の令嬢の失踪

 現代日本で花粉症で亡くなったらしい杉山花恋は、杉の木を聖樹として称え、花粉を祝福と呼んで狂喜乱舞するシードァ(英語で杉)神聖国に暮らすポラン(英語で花粉)・カラニーナとして転生していた。

 そう思って過ごしていたのだが、ある時カラニーナはポラン(英語で花粉)公爵の実の娘ではないことに気づき、逃亡を企てた。

 逃亡する予定がすぐに転生者のダイに、保護され、カラニーナ改め、スギヤマ改めギヤとして、正体も性別も偽って、逃亡予定だったポラン(英語で花粉)公爵邸の、しかも、カラニーナが幽閉されていた『離れ』のスタッフとして雇われることになってしまった。

 花粉(祝福)舞いまくりの『離れ』で、色々と策を講じながら、何とか耐えしのいでいたギヤ(カラニーナ)だったが、そんなある日に、カフニーナの身代わりでカラニーナにお見合いをさせるミッションが『離れ』で発生したことにより、カラニーナの逃亡がバレてしまった。

 逃亡したカラニーナの代わりに皇太子とお見合いをさせられたギヤ(カラニーナ)ではあったが、何とか、カラニーナであったことはバレずにミッションを終えたものの、現状に危機感を抱いていた。


 いつもより早い時間に仕事終了を言い渡されたギヤ《カラニーナ》は、自室に戻っていた。

 夕方、眠っていたギヤ(カラニーナ)は、『隣の部屋』のわずかな物音に目が覚めた。

 どうやら、現在カラニーナの部屋は無人ではあるものの、蛮族対策として、黒服スタッフの自室の隣室登録(あたかも隣の部屋がカラニーナの部屋であるかのように、カラニーナの部屋で発生した物音を聞き取れること)は解除されていなかったようだ。

 普通の『離れ』の従業員であれば、一度、自室の扉から出て、外から扉のノブを握り、カラニーナの『真名』を念じることで、カラニーナの部屋に入ることができる。

 だが、ギヤ(カラニーナ)は、もともとのカラニーナの部屋の住人だったためか、部屋から出ることなく、部屋の内側から扉のノブを手に取ってカラニーナの『真名』を念じると、カラニーナの部屋に入ることができた。

 ギヤ(カラニーナ)が、部屋に入ると、誰もいなかったはずのカラニーナの部屋の、カラニーナがいつも寝ていたベッドの上に、二人の人影が見えた。

 一人は背を向けていて顔は見えないが、あのスーツは、この屋敷で執事長のみが着ることのできるスーツだ。

 そして、執事長に覆いかぶされてる女性は、ミヤだった。

「やめ……!」叫ぼうとしたミヤの口を執事長がふさいだ。

「静かに、蛮族が来てしまうだろう?」と、言っている声も、間違いなく執事長だ。

 蛮族の前に、ギヤ(カラニーナ)が来ているのだが、執事長もミヤも、ギヤ(カラニーナ)が現れたことに気づいていない。

 執事長の手に何か光るものが見えた。

 ナイフか何かの鋭利なもののように見える。

 よく見ると、ミヤのメイド服が切り裂かれて、肌が露出している。

 これは、よくない、と、ギヤ(カラニーナ)は動き出そうとした。

 ギヤ(カラニーナ)が動き出せなかったのか、ギヤ(カラニーナ)が動き出すよりも事が起こるのが早かったかは分からない。

 それはまるで皿が落ちて割れる様を見ていて、手が出せなかった時の様に、ギヤ(カラニーナ)は、ただただ、そのスローモーションのように見える様子を見ていることしかできなかった。

 ミヤが暴れはじめて執事長と揉みあいになった。

 そして、執事長が手にしていたナイフが、ミヤの胸に突き刺さった。

 ミヤは、驚いたような表情のまま、崩れ落ちた。

 そして次の瞬間、ミヤの体が光始めたかと思うと、それは光の粒になり、風化するかのようにさらさらと消えていった。

 そこには、もう、ミヤは、いなかった。

「見つかったらあいつが蛮族だったというつもりだったが、死体が消えたのなら好都合だな」と、執事長が呟いたのが、ギヤ(カラニーナ)の耳には届いていた。

 ドアノブが回る音がし、ギヤ(カラニーナ)は、慌ててドアの死角に隠れた。

「何か、すごい物音がしましたが……」という、黒服のスタッフの問いかけに対して、「蛮族が忍び込んだかと思ってきてみましたが、気のせいでした」と、素知らぬ顔で執事長が言った。

 ギヤ(カラニーナ)は震える手で部屋の内側のドアノブをつかんだ。

『杉山花恋の自室に戻りますか?』と言う問いに、心の中で『はい』と答えると、景色が一瞬にして自室のものになった。

 ギヤ(カラニーナ)は、ドアノブから手を離すと、そのままその場所に崩れ落ちた。

 額から嫌な汗が流れ、自分の心臓が早鐘を打っている音だけが聞こえた。

 ありとあらゆる感情が、ないまぜになってギヤ(カラニーナ)の脳内で荒れ狂っていた。


 日が沈み、暗くなってもなお、ギヤ(カラニーナ)は、まだ同じ場所に座り込んでいた。

 だが、思考はわずかにクリアになっていた。

 確かに、ギヤ(カラニーナ)の目の前で、ミヤが執事長に襲われていた。

 そして、間違いなく、ミヤは執事長に刺されていた。

 執事長は「死体が消えた」と言った。

 ミヤは、殺されたのだろうか?

 ミヤは、ギヤ(カラニーナ)を抱きしめてくれた。

 ミヤは、この世界で初めての花粉症仲間だった。

 ミヤは、いつだって新参者のギヤ(カラニーナ)のことを気にかけてくれた。

 ミヤは、光の粒子になってどこへ消えたというのだろうか?

 

 翌朝、朝礼の時間にギヤ(カラニーナ)は、何とかいつも通りに出勤した。

 カラニーナ時代の無表情のおかげでギヤ(カラニーナ)は、はた目からは全くの通常運転にしか見えない。

「なあ、ミヤさん見てない?」

 ダイの問いかけに、ギヤ(カラニーナ)は、首を振った。

 昨日消えて以来、ミヤの姿は確かに見ていなかった。

 いつものように執事長が挨拶をした。

「皆さんにお知らせがあります」

 執事長が神妙な顔をして言った。

「ミヤさんが、『失踪』しました」

「え?」と、ダイが驚いた顔を見せた。

 もしも、ギヤ(カラニーナ)に表情があったのならば、執事長を睨みつけて、あの場にいたことがバレてしまっていたかもしれないが、カラニーナ時代に身に着けた鉄仮面は、まつ毛の端すら動くことはなかった。

 ミヤの『失踪』よりも前に、カラニーナが失踪していたにもかかわらず、その話題は触れられることはなかった。

 その後、ダイから聞いた話では、執事長が、朝礼で『失踪』した、と言ったスタッフは、本当に二度と姿を現したことはないらしい。

 執事長は、ミヤを刺し殺し、死体が残らなかったのなら、『失踪』と言うしかないのか、と、ギヤ(カラニーナ)は思ったが、いつも通りの無表情であったため、ダイは何の違和感も抱いていないようだった。

 だが、同時にギヤ(カラニーナ)は、もしも、自分があの時に、とっさに動けていて、ミヤを助けられていたら、ミヤは『失踪』しなかったのかもしれない、と後悔の念も抱いていた。


 仲が良かったミヤが『失踪』したからか、ダイの元気がなくなった。

 それに、何だかダイが薄くなって透けてきている気がする。

 そして、ミヤが『失踪』してちょうど一週間たった日だった。

 仕事終わりにダイを見かけたギヤ(カラニーナ)は、あまりにもダイの調子が悪そうだったので、医務室に連れて行った。

 医務室のスタッフは、ダイを見て、「ここでは治せない」と首を振った。

 もう歩けそうにないダイを、医務室にあった寝台に乗せると、医務室のスタッフは、「用事があるから」と出ていった。

 ダイは向こうが透けて見えそうなくらいに薄くなってしまっている。

「治せないって、医務室のスタッフの癖に……」と、ギヤ(カラニーナ)が憤ると、「いいんだよ」と、ダイは言った。

「なんか、ダメそうな気はしてるんだ」と、ダイは消えそうな声で言うと、「それでも……前世ではもう動けなかったのに……ここにきて……皆と働いて……転生者の世話して……俺なりに……有意義に過ごせて……良かったんだ」と、息も絶え絶えに続けた。

「ダイがいたから、ここで生きられた」と、ギヤ(カラニーナ)が言うと、ダイは微笑んだ。

「あのさ」と、ダイが囁くように言い、ギヤ(カラニーナ)は、耳を寄せた。

「俺が……生きた証……残したいんだ……俺の『真名』……ギヤに託すね……ダテ……イブキ」

 ギヤ(カラニーナ)に『真名』を伝え終わると、ダイの体が光り始めた。

 そして、ミヤが『失踪』した時と同様に、ダイの体が光りながら粒子のようになり、霧散していった。


 ギヤ(カラニーナ)を保護してくれたダイも、一緒に心の支えになってくれたミヤも『失踪』してしまった。

 翌朝になって、ダイの顔見知りのスタッフは、ダイの不在に気づいていたが、執事長は朝礼でダイの『失踪』については触れなかった。

 執事長の目の前で『失踪』した者しか把握できていないかもしれない。

 それよりも、ギヤ(カラニーナ)の思考は、このままここにいていいのだろうかと言う考えに占拠されていた。

 ギヤ(カラニーナ)は、朝食を食べた後、近くの扉に触れ、思い出したようにダイの『真名』を念じた。

『権限譲渡を確認しました。部屋の使用及び物品の持ち出しが可能です』という音声メッセージが聞こえて、見覚えのある、ダイの部屋に入ることができた。

 カラニーナの部屋から逃亡したギヤ(カラニーナ)は、ダイに保護されてこの部屋に来た。

 確か、下着しか着ていなかったギヤ(カラニーナ)に、ダイが自分の服を貸してくれたんだったな、と、ギヤ(カラニーナ)はクローゼットを見た。

 ダイのクローゼットには、侍従服のほかに、どこかで見たことがあるような病衣がかかっていた。

 確か、生前の服装そのままで、ここに転生してくるんだったな、と、ギヤ(カラニーナ)は、思いながら、何だか見覚えのある病衣を見ていると、その隣に、ダイに保護された日に貸してもらった服がかかっていた。

 英語で花粉(ポラン)邸で働き始めてから、栄養状態が改善されたギヤ(カラニーナ)は、最初に渡された侍従服もそんなにぶかぶかにならずに着られるようになってきていた。

 服を返すと言ったときに、別にあげるよ、と、ダイが言っていたことを、不意にギヤ(カラニーナ)は思い出していた。

 先ほど、扉が、持ち出しが可能と言っていた。

 せっかく、ダイの服を借りるなら、思い入れのあるこの服が良い。

 いつのことだったか、ダイは、お金を貯めたらこの世界を見て回りたいと言っていた。

 ダイは、その夢を果たせないままいなくなってしまった。

 この部屋を託されたギヤ(カラニーナ)は、ダイの代わりに夢を叶えたい。

 いずれにしても、いつかは、この屋敷を出ていくつもりだったのだ。

 私服であれば、容易に脱出できる。

 ギヤ(カラニーナ)は、ダイの私服に身を包むと、帽子をかぶり、自室からこれまでに稼いだお金や必要なものをすべて持ち出すと、気配を完全に消して、英語で花粉(ポラン)公爵邸から失踪した。


 なお、普段から気配を消し続けていたギヤ(カラニーナ)の失踪は、全く誰にも気づかれることはなかった。

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