元・深窓の令嬢の詐病
恐らく前世も花粉症で亡くなり、今世も花粉症の杉山花恋改めポラン・カラニーナ改めスギヤマ改めギヤは、ポラン公爵邸から逃亡失敗し、ポラン公爵邸の、しかも、花粉舞いまくる『離れ』で仕事をすることになった。
本邸ならまだ、花粉症を理解してもらえて、しんどくない持ち場にしてもらえたかもしれないが、『離れ』には現地人しかいないため、花粉症の概念がなく、さらに言えば杉の花粉は神聖なるものだと狂喜乱舞しているため、全く相いれないし、話が通じない。
結局ギヤを取り巻く環境が地獄に違いないと気づいたのは、持ち場についてからのことであった。
ギヤが働く『離れ』は極めて杉の群生地に近い。
それでいて、一緒に働く現地人の黒服スタッフたちは、花粉を聖なるものとして崇め奉らう狂信者ばかりで、『離れ』の窓は常に全開なのだ。
ギヤは、当然のことながら涙と鼻水が止まらなかったが、雨風しのげる場所で働けることの喜びに満ち溢れていることにしておいた。
この言い訳も、長くは持たないだろうが、今のところは滅茶苦茶憐れまれただけで終わっている。
地獄のような午前の仕事を終えて、ギヤは、食堂へやってきた。
「ギ〜ヤ〜!!!」
食堂に入った瞬間、青色の髪の女性が抱きついてきた。
ミヤだ。
「今日、ダイが夜勤明けでいないから一緒にご飯食べる人いないんだ!一緒に食べよ!」
ミヤに声をかけようとしていた同僚がいたので、決してミヤは一緒に食べる人がいないわけではないと思うが、仕事の延長で現地人と一緒にいたら、漏れなく花粉テラス逝きだったので、ギヤは、ミヤの好意に甘えることにした。
ありがたいことに、黒服スタッフたちは、すっかりギヤから興味を失って、花粉テラスに群がっていた。
食事を載せたトレイを持ったミヤは、花粉テラスとは反対方向に歩いて行った。
花粉テラスからもっとも離れた位置と思われるその場所は、ビュッフェスペースからも結構離れているため、その利便性の悪さのためか、ほとんど人はいなかった。
当然のことながら花粉テラスに群がる現地人の黒服スタッフは一人もいない。
「いやぁ、あんな杉花粉だらけのところでご飯食べるとかあり得ないよね」と、席につくなりミヤは言った。
どうやらミヤは朝食の時のギヤの様子や、食堂に入ってきた時の症状の強さを見て花粉症仲間だと気づいたらしい。
確かに、花粉症の人から見たら、ギヤは、明らかに花粉症だ。
「現地人の黒服スタッフみんなあの杉花粉だらけのテラスに群がってるし、意味わかんないよね」
恐らく、ミヤは、上手に現地人から花粉症のギヤを引き離してくれたらしい。
「なんか、現地人のスタッフは、花粉のこと、祝福って呼んでました……」
「はぁ?祝福?意味わかんない!この世界さ、一年が365日だったり、1日は24時間だったり、使う文字がカタカナだったり、お金の単位がエンで、物価の相場が日本とほぼ同じだったり、だいぶ日本よりの感じの世界なのに、杉花粉を祝福だなんて……」
ミヤは頭を抱えていた。
どうやら、建物とかが欧米風以外は、だいぶ日本よりの世界のはずだったのに、杉花粉に対する見解の相違が著しすぎて理解に苦しむようだ。
ついでに、杉のことを聖樹と呼んでいることも伝えたら、ミヤはさらに頭を抱えてため息をついていた。
「それでかな、ここでは全然花粉症対策グッズが手に入らないんだよね……」
昨晩、初めてカラニーナの部屋から出たばかりで、まだ街にも出たことのないギヤは、知らなかったが、どうやら花粉症対策グッズは手に入らないらしい。
「マスクやゴーグルは、蛮族が付けるもんだって言ってた気がする」
それを聞いたミヤは「マジかぁ……」と、再び頭を抱えた。
この世界で初めて出会った花粉症仲間との会話はとても弾み、あっという間に昼休憩は終わってしまった。
食堂の出口で、黒服の先輩侍従が待ち構えていた。
「それじゃあ、午後は、主に男性スタッフが行う見回り個所を見に行くので、基本的には無音無言で行くので、質問などは、『本邸』に来てから聞くように」
淡々とそう言った黒服侍従にギヤはついて行った。
この後に訪れる地獄をギヤは予想していなかった。
快晴の空の中、舞いまくる花粉。
現地人の黒服侍従はうっとりしてみているが、ギヤにとっては、地獄の光景だった。
見回りには、もちろん杉の群生地の見回りも含まれるわけで、ギヤは、先輩侍従に連れられて杉の群生地に来ていた。
音を立ててはならない『離れ』のルールに則って、もちろん無音ではあるが、花粉が溢れるこの土地で、もちろんギヤが無事なわけはなく、とめどなく涙は出るし、鼻水も止まらないし、花粉の浴び過ぎで、何だか肌も荒れてきた。
一通り、見回りを終えた後、ギヤは、先輩侍従とともに『本邸』に戻ってきていた。
『離れ』は無音でいなければならないため、話をする場合は『本邸』に来るのがここでの常識らしい。
「もしかして、紫外線アレルギーか?」開口一番、先輩侍従が尋ねてきた。
何故、紫外線アレルギーの概念があって、花粉アレルギーの概念がないのかと、疑問に感じながらも、とりあえず、紫外線がダメと言うことになれば、外の杉の見回りはしなくてよいかもしれないという、淡い期待を抱きながら、ギヤは曖昧に頷いた。
「そうか、祝福にアレルギーがあるんだったら蛮族になっちまうもんな」
どうやらこの世に花粉アレルギーなるものの概念はあるらしいことをギヤは知った。
だが、同時に、花粉アレルギーと知られたら、現地人だらけのこの『離れ』では生きていけないことを悟った。
「まあ、新入りは、紫外線アレルギーひどそうだから、聖樹の群生地は、代わりのスタッフに行ってもらうようにしたらいい。皆行きたがるから大丈夫」と、先輩侍従に言われ、ギヤは安堵のため息をついた。
最後に、『離れ』内での見回り個所の口頭での確認を行うと、『離れ』が手薄になる食事時には、自室で弁当を食べながら警戒に当たるスタッフもいるので、弁当の置き場も覚えておくように言われた。
「あと、新入り、『本邸』スタッフと仲良さげだが、『離れ』の蛮族対策については、『本邸』スタッフにも話すなよ」と、謎の念を押すと、先輩侍従は、「じゃあ、今日の仕事は終わり」と、去って行った。
「ギヤ、お疲れ」と、背後からダイが声をかけてきた。
途端に、黒服スタッフの視線がギヤに、集まったのを感じた。
余計なことを話すな、と言う圧を感じる。
「そうだ、ダイ、洗濯室のこと、教えて」と、ギヤが仕事以外の話題をし始めたのを見て、圧は感じられなくなった。
「ダイとギヤ、どこ行くの?」と、ミヤが背後から声をかけてきた。
「ていうか、ギヤ、昼よりヤバくない?」と、ミヤに言われ、花粉症とバレるとまずかったことを思い出したギヤは、慌てて、「あ、それよりも、今から洗濯室に案内してもらおうと思って……」と、話題を変えた。
洗濯室の場所と、使い方を教わって、折角なので、ギヤは、ダイに借りた服を洗濯した。
これも、福利厚生で無料でできるらしい。
「じゃあ、洗濯を待っている間に、お弁当もってきて、私の部屋でご飯食べない?」と、ミヤに言われ、ちょうど弁当の場所を確認しておくように言われていたので、ギヤは、二人について行った。
弁当は、使い捨ての容器に、多種多様なおかずが入っていた。
これももちろん、福利厚生なので、各々の好きな弁当を持って、ミヤの部屋に入っていった。
「そこら辺に座ってて!片付けるから!」
ミヤはそう言って慌てていたが、部屋は十分片付いていたし、三人の弁当は、テーブルに余裕で置けた。
なぜか、食事とは関係ないデスクの上の書物を引き出しの中にしまうと、「あ、ここ関係ないじゃんね」と、ミヤは、テーブルの方に戻ってきた。
「ところで、ギヤ、絶対、昼よりもヤバいことになってるけど、どうしたの?」
「実は見回りの場所の確認とかで、杉の群生地に行って……」
「地獄じゃん!花粉症だって伝えてないの?」
「それが、花粉にアレルギーがあるのは蛮族だって聞いて……」
「えーっ!?何それ!じゃあ、蛮族だと思われちゃうから花粉症だって言えないし、何の対策もできないってこと?辛すぎる……」
「一応、紫外線アレルギーってことにして、杉の群生地は行かなくてよくなったんですけど」
ミヤもダイもどうしたらいいんだろう、と、黙り込んでしまった。
そんな中、ドアをノックする音が聞こえた。
「こんにちは!ササミです!」
ミヤが招き入れたわけでもなく扉が開き、ミヤよりも年上そうな溌溂とした女性がひょっこり顔を出した。
「ミヤさん、元気?あら、ダイ君もいるじゃない、元気?」と、ササミに尋ねられ、二人は、笑顔で「元気です」と答えた。
「ならよし!あれ?初めて見る人がいる!これは、あんまり元気じゃなさそうね、アレルギー?」
ササミがギヤに気づいて話しかけると、「ササミさんなら医者だから何か思いついてくれるかも!」と、ミヤが言い、ギヤは自分の現状を伝えた。
「それは、辛いね……。うーん、この世界は、アレルギーの概念はあるはずだから、食べ物以外のハウスダストとか諸々全部アレルギーがあることにでもしちゃったら?」
ササミはさらりとそう言うと、「あ、やば!呼び出されてる!」と、慌てて部屋から出て言った。
嵐のようにやってきて、嵐のように去って行く人だ。
「何で、ササミさん、ミヤの部屋に入ってこられたの?」
ギヤが率直な疑問を伝えると、「ササミさんは、何でか俺らの『真名』知ってるから」と、ダイが答えた。
「最初はびっくりしたけど、私たちの体調を見に来てくれているだけで、特に害はないし、大丈夫な人だよ」と、ミヤも言った。
「あ、でも、ノックをされただけで扉を開けるのは危険だから絶対にやっちゃダメよ」と、ミヤが続けた。
ギヤの悩みの話には一区切りついたので、三人は、弁当を食べて解散した。
ギヤは、洗濯したダイの服をダイに返すと、自室に戻る前に、カラニーナのアリバイ作りのためにカラニーナの部屋で、硬いパンと野菜くずスープを食して自室に戻った。
その、カラニーナの部屋のある『離れ』にて。
「カフニーナお嬢様は断固拒否なさっていますね」
「ならば、例の囮を代わりに使ってはどうでしょう?」
囮であるカラニーナに、謎の白羽の矢が立てられていた。




