深窓の令嬢の就業
杉を崇拝し、花粉に狂喜乱舞する、シードァ神聖国の中でも、王都の次に花粉の影響が強い、ポラン公爵領に転生したらしき、カラニーナは、花粉症で、静養していたが、ネグレクトのような環境だったうえに、ポラン公爵の実の子ではないと知り、逃亡を企てた。
すぐさま、ダイに見つかり、保護され、カラニーナ改めスギヤマ改めギヤとして、逃げ出すはずだったポラン公爵邸の使用人として雇われることになったが、何故かカラニーナ時代にカラニーナの世話をしていたメイドと同じ制服の黒服メイドに見つかった。
そして、「ついてきなさい」と、連行されていた。
もしかしたら、ダイやミヤと引き離してからカラニーナの正体について暴かれるのであろうかと、おびえながら、黒服のメイドについて行くと、『被服室』と書かれた部屋に黒服のメイドは入っていった。
「何だい、『離れ』に新人かい?」
黒服メイドを見た被服室の従業員が話しかけた。
「紹介されるまで、『離れ』のスタッフが誰一人として存在に気づかなかった。逸材だ」
黒服にばれないよう気配を消したのがあだになった、と、ギヤは思ったが、もともとのカラニーナの癖でその表情に変化はない。
あれよあれよという間に、ギヤは採寸されたが、被服室の従業員が涙目になっていた。
「こんなにやせ細って、今用意してある予備の侍従服じゃ、ぶかぶかになってしまうよ」
「ちなみに、彼は、ここへ来たとき、下着しか着ていなかったようで、こちらのスタッフが、この服を貸し出したそうです」
いつの間に、そんなことをダイから聞き出したのだろうかとギヤは思っていたが、被服室のスタッフは、「そんな……!」と、口を押えた。
もはや、涙は垂れ流し状態だ。
「それじゃあ、この子は、こんなガリガリになるまでやせ細って、表情まで死んで、あんたらが気づかないほど気配を消さなきゃ生きていけなかったって言うのかい?」
この屋敷に幽閉されて、この状態になったのだが、と、ギヤは思ったが、声にも顔にも出すことはなかった。
予備の服の中で、ギヤでも着れそうな侍従服をいくつか見繕った被服担当の従業員が、「メイド服の方がサイズが合うかもしれないよ」と、進めてきたが、ギヤは固辞して、侍従服を手に取った。
「自室で着替えてきたら、先ほどの大広間に集合してください」と、黒服のメイドに言われ、ギヤは被服室から出た。
仕方なく、大広間の方に戻ると、ダイが駆け寄ってきた。
「ギヤ、あっちの『離れ』の担当になるなんてすごいな!」
息を弾ませながらそう言ったダイは、「転生者は大抵『離れ』からは声がかからないのに」と付け加えた。
それは、カラニーナ時代に培った無音生活のせいなのだが、それを言うとまずい気はしているので、ギヤは、照れるように頭をかくと、「ところで、服を支給されたから、この服、洗って帰そうかと思うんだけど」と、話題をそらした。
「別に、それくらいあげるよ?」と、ダイは言ったが、「あ、でも、洗濯機、部屋にないんだったら、洗濯室のこと教えなきゃいけないね」と、呟いた。
「これから、制服に着替えて仕事の話を聞くから、また、ダイの都合がいいときに教えて」と、ギヤは伝えた。
ダイは、欠伸をしながら、ギヤに手を振った。
ギヤに仮で支給された侍従服は案の定ぶかぶかだった。
ベルトで何とかズボンを固定すると、ギヤは、備え付けられた鏡を確認した。
とりあえず、男装に違和感はなさそうだ。
着替えがすぐに終わったので、探してみたが、やはり、部屋には洗濯機はなかった。
あるのはベッドと、備え付けの家具くらいのものだ。
さすがに仕事初日であまり遅れてくるのはまずい、と、ギヤは、部屋を一周した後、扉から出た。
大広間には、すでに黒服のメイドが待ち構えていた。
「今日は、朝食後に、『離れ』の注意点と業務内容について話します」
そう言うと、黒服メイドは、ギヤを食堂へ案内した。
黒服メイドの話では、『離れ』には食堂はなく、『離れ』のスタッフも本邸に食事をしに来るらしい。
食堂には、食事をしに来たスタッフが多くいたが、食堂自体が広々としているため、そんなに混雑は感じなかった。
食堂は、基本的にはビュッフェ形式で、スタッフは食事やおやつ、軽食などいつでも食べ放題らしい。
そして、カラニーナ時代には考えられないほど、多種多様な美味しそうな食事が並んでいた。
どうやらこの世界には、硬いパンと野菜くずスープしか存在しなかったわけではないらしいとカラニーナは改めて気づかされた。
ビュッフェ形式が面倒と感じる人などは、調理スタッフに直接注文して、別で料理を作ってもらうこともできるようだ。
食物アレルギーがある場合も、調理スタッフに言えば対応してくれると、黒服メイドが説明した。
何故、食物アレルギーの概念があるにもかかわらず、花粉アレルギーに気づかないのだろうかと、ギヤは、心の中で首を傾げた。
ギヤは、黒服メイドに倣ってトレイに器を置くと、食事をそこに取った。
飲食スペースも広々としている。
この花粉あふれる土地では絶対にギヤは利用しないとは思うが、テラス席もあった。
花粉浴び放題のテラス席は、黒服のスタッフで満席だった。
現地人には花粉テラスは人気のようだ。
「あら、祝福テラスは満席なのね」
カラニーナを案内していた黒服メイドは残念そうに言うと、テラス席が見える位置に座った。
花粉テラスが満席でよかったとギヤは思いながら、その向かいに座った。
花粉テラスは満席とは言え、窓は全開であるため、花粉は、入り放題だ。
ギヤにとっては地獄である。
いつもの癖で、ギヤは、無音でくしゃみをした。
「やはり私の見立て通り、『離れ』で働くのに見合った才能があるようですね」
静かな声色で、黒服メイドが言った。
黒服メイドが食事を始めたのを見て、ギヤも食事に手を伸ばした。
カラニーナ時代の硬いパンと野菜くずスープからは想像がつかないほど、ここの食事は美味だった。
「感涙にむせび泣くほど美味しかったとは、料理長も喜ぶと思います」と、黒服メイドが言ったのは、きっと、ギヤが、涙と鼻水を垂らしながら食事をしていたからだろう。
実際は、全開に解放された窓から入ってくる花粉のせいで、涙と鼻水が止まらなかっただけだが……。
食事を終えた黒服メイドが「それでは」と、切り出した。
こちら側にいたら、こんなにおいしいご飯が食べられると知って、カラニーナに戻されるのは嫌だな、と、ギヤは思ったが、黒服メイドは、いたって真面目に、『離れ』の業務について話し始めた。
ポラン公爵領は、隣国の帝国と隣接している土地で、帝国の蛮族たちは、時に攻め込んでくることがある。
その時蛮族がまっ先に到達するのが『離れ』であるが、『離れ』のメンバーはいつでも蛮族に奇襲がかけられるように、物音を立てずに仕事をしなければならない。
また、『離れ』のなかでも取り立てて真っ先に襲いやすい位置にある小部屋は、『離れ』のスタッフは物音一つでもたてば、すぐに駆け付けられるよう、隣室登録とやらをされるらしい。
要するに、自室にいても、すぐ隣の部屋が、その小部屋と言うことになるらしい。
その小部屋には、物音立てずに暮らす、公爵の病弱な一人娘風の囮がいるが、娘の命よりも、蛮族に、小部屋より先に侵入させないことが重要だと黒服メイドは言った。
要するに、カラニーナの部屋だった小部屋は、囮としてカラニーナが療養させられ、蛮族が着たら真っ先に攻められ、その部屋の物音には、黒服たちが常に隣室から神経を研ぎ澄ませてそば耳を立てていたということなのだ。
道理で、わずかな物音でも使用人が飛んできたはずだ。
だが、戦闘要員以外の『離れ』の従業員は、基本的に、無音で『離れ』のメンテナンスと見回り、そして、杉の群生地の見回りをして、蛮族に遭遇したときは、速やかに戦闘要員スタッフに伝えればよいようだ。
それでも、蛮族に遭遇する危険などから、危険手当が本邸スタッフよりも多く出るらしい。
囮にされて、なおかつ、逃げ出せる体力を作らせないために、敢えて花粉症を放置され、食事も質素にされていたカラニーナを不憫に思わずにはいられなかった。
一通り説明を終えた黒服メイドは、ギヤに一枚のカードを見せた。
「それを手にしたら、己の『真名』を登録しなさい」
そうしたら、『離れ』のスタッフ登録と、囮の小部屋との隣室登録が完了する、と、黒服メイドは続けた。
黒服メイドからカードを受け取ると、『新規従業員登録、『真名』を述べよ』と、機械音声のような声が脳内に響いた。
ドアノブの時と同様に、ギヤは登録を行った。
「登録は済みましたか?」と、黒服メイドに問われ、ギヤは頷いた。
「それでは一度、囮の部屋に行ってみましょうか?」と、黒服メイドが言った。
「『真名』を伝えるときに、己の『真名』でなく、『ポラン・カラニーナ』と念じれば、囮の部屋にたどり着きます」
とにかく物音を立てないことと、囮とは特に挨拶や会話を交わす必要はない事、万が一起きていても、会釈だけでよいので、とにかく音を立てないようにと、念を押され、ギヤは、ドアノブに手をかけた。
ギヤが扉を開けると、とても見慣れたカラニーナの部屋にいた。
朝食の美味しくない硬いパンと美味しくない野菜くずスープは手つかずのままだった。
おなかが驚くといけないと、いつもよりもたくさん動いたにもかかわらず、朝食を控えめにしていたギヤは、食べれる、と判断し、カラニーナだったころのように、硬いパンと野菜くずスープを無音で大急ぎで完食した。
外に出ようとして、扉に触れると、『登録された『杉山花恋』の部屋に移動しますか?』と脳内に流れたたが、きっと黒服メイドが待っていると思い、『いいえ』と念じて部屋を出ると、先ほど通ってきた扉から出てこられた。
「素晴らしいです。隣室登録している自室に戻っていましたが、気配すら感じませんでした」と、黒服メイドが感嘆の声を上げた。
「それでは、これからあなたが働く、素晴らしい『離れ』に案内します」
この時、ギヤは、気づいていなかった。
現地人の言う『素晴らしい』がろくでもないということに。




