元・深窓の令嬢の逃亡
前世花粉症で亡くなったらしい杉山花恋は、花粉症で療養するポラン・カラニーナとして、杉を聖樹として称え、杉花粉を祝福と呼んで狂喜乱舞するヤバい国に転生した。
ポラン公爵の実の娘ではなく、本当は、隣国から攻めてくると言われる蛮族対策で、囮として軟禁されていただけだと知り、カラニーナの部屋から逃亡したが、程なくしてポラン邸の中で保護され、カラニーナ改めギヤとして、性別も偽って、ポラン邸の『離れ』で働くことになった。
そんな中、ある日ポラン公爵の本当の娘であるカフニーナ嬢の身代わりで、皇太子とお見合いをすることになったギヤだったが、女装するという身バレの危険を伴う仕事をしたにも関わらず、カラニーナであったことはバレずに難を逃れたはずだった。
そして、紆余曲折を経て、ギヤは、杉を称え杉花粉に狂喜乱舞するシードァ神聖国から、隣国である帝国に亡命した。
隣国であるサイプレス帝国は、これまたヒノキを称え、ヒノキ花粉に狂喜乱舞するヤバい国であった。
国民全員がシードァ花粉症であるサイプレス帝国国民と、自国に侵入してくる帝国国民を蛮族と呼んで怯えるポラン公爵領をはじめとするシードァ神聖国の双方を救うべく、この世界のもとになったゲームのヒロインで聖女だというヒミカが、サイプレス帝国にシードァ花粉除けの結界を張った。
サイプレス帝国のシードァ花粉問題も、ポラン公爵領をはじめとするシードァ神聖国の蛮族問題も全て解決した。
いつの間にか眠っていたらしいギヤは、空腹で目覚めた。
これからどうしようか、と、ギヤは考えていた。
サイプレス帝国に杉花粉は舞わなくなったが、ヒノキ花粉は舞っているので、シードァ神聖国のポラン公爵領にいた頃と状況としては大して変わらない。
元いたポラン公爵邸にひっそり戻って働いてもいいかもしれないとギヤは思った。
カラニーナであったことがバレたら、また軟禁生活になるかと思うと、若干のためらいこそあるものの、給料も貰えて、福利厚生で食事も洗濯もタダなのはかなり魅力的だ。
そう考えたところで、ギヤのお腹が鳴った。
屋敷を抜け出す前に朝食を食べて以来、何も食べていなかったことをギヤは思い出した。
とりあえず、腹を満たそう、と、ギヤは自室から出た。
そこは、サイプレス城のすぐそばだった。
サイプレス城は、巨大なヒノキのすぐそばである。
ということは、もちろん、巨大なヒノキも、ギヤのすぐそばにあった。
そして、当然のことながら、ヒノキ花粉もたくさん舞っていた。
どちらかと言うと、ギヤは、ヒノキ花粉よりも杉花粉の方が重症な花粉症ではあるのだが、この巨大なヒノキからのヒノキ花粉の飛散量はさすがにえげつない。
これは、耐えがたいな、と、ギヤは、蛮族からもらったマスクとゴーグルをカバンから取り出そうとしたが、取り出す前に、白い手が、それを阻んだ。
ギヤの腕をつかんでいたのはヒミカだった。
「今のサイプレス帝国でマスクを付けたら、逆賊だと思われてしまうよ」
つい先日までいたシードァ神聖国で聞いたような話だな、と、ギヤが考えていると、視線の向こうで、マスクをしている人に、警備隊が詰め寄っているのが見えた。
「今のサイプレス帝国には帝国国民のアレルゲンになる花粉が飛んでこないんだから、マスクなんてしたら、怪しまれるよ」と、ヒミカは言うと、この世界では、自国の木の花粉は平気だが、他国の花粉にはアレルギーがあるのだと教えてくれた。
国境の警備が厳しくないのは、そもそも自国以外の国に行くのはアレルゲンである他国の花粉を浴びまくりになるだけなので、よほどでなければ、他国に渡ろうとする人はいないからだ。
他国との物流のやり取りも、商品などに花粉がついている可能性があるため、ほとんどないらしい。
「ちょっと、私の部屋に来て!」と、ヒミカが言うと、ギヤの代わりにお腹が、ぐぅ、と返事をした。
「晩御飯もおごってあげるから!」と、ヒミカは半笑いになりながら言うと、先ほどギヤが出てきた扉をつかんで、ギヤとともに自室に入っていった。
「なんか、部屋広くなった?」
「あれ?ギヤ、知らないの?この世界では、善行をすると、部屋が広くなるんだよ!」
確かに、いい人だったミヤもダイも、部屋が広かった。
と言うことは、ギヤはどうやらこの世界では全く善行はしていないらしい。
「ギヤの部屋も広くなってない?」
ヒミカに言われて、ギヤは、先ほどまでいた自分の部屋を思い起こした。
「……別に?」
「え?でも、でも、ポラン公爵邸にお手紙おいてきてたでしょう?」
「何故それを……?」
「さっき、ポラン公爵邸に、蛮族問題が解決したことを伝えに行ったら同じことを書いた内容の手紙が置かれてたって見せてもらったよ」
自分が書いた手紙を、読ませるつもりのない相手に読まれているとは……。
穴があったら入りたい、と、思ったものの、カラニーナ時代の癖で、ギヤの表情は変わらなかった。
「ギヤからの手紙と、それを裏付ける私からの情報があったから、今後は囮の部屋は取り壊しになるみたい」
恥ずかしい思いこそしたが、まあ、囮の役割がなくなったなら、良しとしよう。
囮として、あの軟禁生活に戻る必要がないのであれば、別にポラン公爵邸にこっそり戻って働くのもよいかもしれないな、と、再びギヤは考えた。
「それで、『離れ』の人たちは、今度はギヤの捜索隊になるんだって」
「へっ?」
カラニーナであったことがバレたとしても、既に囮は必要なくなったはずなのだが、どういったことだろう?
「なんか、皇太子がカフニーナ嬢を密かに思っているかもって言う噂がシードァ神聖国中で流れているらしくて、カフニーナ嬢の代わりにお見合いをしたギヤを探してるんだって」
その時、ギヤは、お見合いの時に、言われていたことを思い出した。
確か、カフニーナ嬢が、皇太子と結婚することに断固拒否の姿勢を見せていたので、このお見合いを破談にできなかったら、男であろうとも代わりに嫁がせる、と、強めに言われたのだった。
結果、何か残念そうな感じで終わっていたので、恐らく断られるだろうと、皆で喜んでいたのに、この結末になったということは、ギヤがあのままポラン公爵邸で勤めていたら、問答無用で嫁がされていたところだった。
そして、もしも嫁がされていたら、シードァ神聖国の王都にある最強の杉から飛散するえげつない量の杉花粉が襲い掛かってくるということだ。
これは、見つかったら死亡案件だな、と、ギヤは思った。
「ポラン公爵邸の人たちにギヤを見なかったか聞かれたけど、ギヤは逃亡中だったなと思って、知らないって言っといたよ」
命拾いをしたと思いながら、ギヤがお礼を言うと、ヒミカは続けて言った。
「何か、『離れ』の人は、シードァ神聖国内を探すみたいだけど、隣国の帝国に亡命した可能性も考えているみたいで、サイプレス花粉にアレルギーがあるにもかかわらず、サイプレス帝国にいる逆賊疑いの人を、一度ポラン公爵邸に連れてくるように話を通しているんだって」
確かにこの世界のルールでは、自国の花粉以外にはアレルギーがあるので、ギヤをシードァ神聖国出身だと思っている、ポラン公爵邸の『離れ』の面々は、ギヤがサイプレス帝国に渡れば、花粉症を発症してすぐに見つかるだろうと思ったようだ。
あの時ヒミカがマスクをするのを止めてくれなかったら、漏れなく逆賊として捕まって、さらに、ポラン公爵邸に連行されて、ギヤであることがバレた暁には、最凶杉花粉浴びまくりのシードァ神聖国王都逝きになっていただろう。
「じゃあ、ここにとどまるのも危ないのか……」と、ギヤは、真剣な顔をして考え始めたが、再びお腹が鳴った。
「あはは、何か頼もうか?」
ヒミカは、微笑みながら、何かタブレットのような端末をギヤに渡してきた。
そのタブレットはギヤの部屋でも、他に入ったことのあるダイやミヤの部屋でも見たことがないものだった。
「種類が多すぎる!」
タブレットを手にしたギヤは、あまりの種類の豊富さにそう言わざるを得なかった。
結局、ヒミカのおすすめから何品か選んで、注文すると、その数秒後にテーブルの上に料理が届いた。
運んできたというよりは瞬間移動とか転移してきたみたいだ。
「タブレットで注文すると、タブレットがある空間のよさそうなところにこうやって転移してくるんだよ」と、ヒミカがどや顔で説明した。
しかも料理はすべて出来立てで、ポラン公爵邸の使用人用のビュッフェよりも格段に美味しい。
家具や日用品なんかも、このタブレットがあれば自分で運ぶことなく一瞬で届くらしい。
「部屋から一歩も出なくても生きていける!」と、ギヤは、うらやましがったが、ヒミカは、笑いながら首を振った。
「それも、できなくはないけど、私には、この世界での使命があるから、ここでのんびりはしていられないんだ」
「でも、サイプレス帝国の結界は、張ったよね?」
「うん、シードァ神聖国も、サイプレス帝国も結界を張ったけど、後一か所結界を張らなきゃいけないんだよね」と、ヒミカが言うと、目の前に地図が出てきた。
大陸っぽい円の中心に何故か星が書かれていて、中心の星から大陸を三等分するように線が引かれている。
三等分されたそれぞれの土地の中心あたりに、赤い丸が書かれていて、これは、首都を意味しているようだ。
「ここがシードァ神聖国、それで、ここがサイプレス帝国」と、ヒミカが指をさした。
そして、もう一つの国を指さして、ヒミカは言った。
「そして、ここが、ラグウィード共和国。私がこれから結界を張るために目指すところで、私の故郷があるところなの」
「じゃあ、最初に結界を張ったらよかったのでは?」と、思わずギヤが言うと、ヒミカは首を振って地図の一点を指した。
それは、シードァ神聖国との国境近くのラグウィード共和国の場所だった。
「この大陸では地球で言う偏西風みたいにこんな感じで上空に風が吹いているの」と言うと、ヒミカは地図上に矢印を書いた。
矢印は、シードァ神聖国からサイプレス帝国へ、そして、サイプレス帝国からラグウィード共和国へと向かって書かれていた。
「私の故郷には、よく、シードァ神聖国から苦情が来ていて、先に、その問題を解決するために、シードァ神聖国に結界を張ったの」と、言うと、ヒミカは、「シナリオでも最初にシードァにいくしね」と、言った。
「ギヤも一緒に行く?」と、聞かれたギヤは考えた。
ラグウィードとは英語でブタクサだったはずだ。
ブタクサもアレルギーはあるが、ブタクサは、丈が低い分、症状が重篤になりにくい。
これはいかない手はない。
「よろしくお願いします!」と、ギヤは快諾した。
その後に待ち受ける地獄を、ギヤはまだ知らない。




