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月の蘇る-来-  作者: 蜻蛉
第九話 不変
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  1

 目が覚めると、とーとの顔が横にある。

 お昼寝の時はいつもそう。並んで寝るから。

 とーとの方が先に目が覚めていて、目が合ってにっこりと微笑んでくれる。温かな笑顔。

 そして、頭を撫でてくれる。細い指の、骨張った手で。

 自分はそれで嬉しくなって、とーとの首に小さな腕を回す。

 あそぼ、と誘うとゆっくりと頷かれる。

 自分だけ起き上がって、部屋に転がっている鞠を持って来て、まだ寝転んでいるとーとに向けて転がす。

 微かに震える手でそれを受け取り、転がし返して。

 息は苦しげだが、口元は微笑むまま。

 鞠が他所に転がる。それを追いかけようとした自分の袖を捕まえて。

 おいで、と懐に誘われる。

 横に寝転がると、両腕で抱き締めて。

 あったかい。そして、優しい。

「ごめんな、春音。俺が動けたら、もっと面白い遊びをしてやれるのに」

 ううん。とーとといっしょにいるだけで楽しいよ?

 だから、ずっといっしょにいてね。

 ずっと。とーとは、おれのとーとだから。

「ありがとう、春音。でもな」

 寂しげに笑う。

 いやだ。その先は、聞きたくない。

「お前の父さんは俺じゃない。あいつが待ってるから、帰ってやってくれ。俺の事は、忘れてくれな」

 ごめんな、と。

 もう一度、謝る声が、遠く。


 見知らぬ天井を眺めていた。

 でも家に帰ってきた事は分かる。妹弟の声が階下から響いているから。

 生きて、また日常に戻された。

 帰りたくなかった日常に。

 父と共に居たかった。

 己が唯一、父と認める人と。

 でも、気持ちは分かる。

 愛してくれているから、共に居られない。ここに戻された。

 分かっている。だから、ただただ悲しい。

 誰も恨めない。現実を恨むだけ。

 十数年、恨んで、悩んで、取り残されて、壊れた。

 一人、静かに、誰にも見えないように、壊れていった。

 ずっとずっと、終わりを願っている。

 憎むべき現実の、終わりを。

 その現実に目を凝らす。

 天井と見ていたものは、寝台の天蓋だった。

 龍の刺繍のなされた布が貼られている。

 それで分かった。於兎が言い張っていた部屋に移されたのだと。

 無理矢理だな、とぼんやり反感を覚える。

 最早どうでも良かった。

 王の為の部屋がある事は知っていた。だけど入った事は無かった。

 王位は自分が貰い受けると、ずっとそう考えてはいたが、その立場を象徴する物や空間には全く興味が持てない。

 じゃあ何に王というものへ気持ちを寄せていたのかと聞かれれば、父と語らった言葉以外には無かった。

 龍の名が象徴する、王という立場。

 龍が統べる、国。

 父の願いはそこに全て込められている。

 俺を信じて託してくれた。

 でも、その信頼に応えられる息子だろうか。

 俺は本当に王足り得るのだろうか。

 否。

 無理だ。

 もう潰れてしまっている。

 だから、死にたかった。

「楽になりたいよ…駄目…?」

 顔を覆って、父に問う。

 俺の為を想うなら、許して欲しい。

 もう捨てないで。

 もう嫌だ。

 独りは、嫌だ。


 朔夜は体を引き摺るようにある部屋を訪れた。

 寝台の上で、その人は日を浴びながら外の景色を眺めていた。

「波瑠沙さんは子供あしらいが上手いですね」

 妻を褒める言葉にふっと微笑む。

 宗温が見ているのは、庭で波瑠沙と遊ぶ子供らだ。

「…だから、俺の子じゃなくても産んでほしかったなって思ってる」

 もう本人には言えない後悔を口にして、寝台の横に座った。

「誰の子でも、波瑠沙の子なら可愛がれる自信あるよ、俺」

 ふふっと宗温は笑って視線を向けた。

「大人になりましたね、君は」

「そうなのかな。そうかも知れない」

 最初は養子を貰うかと言われて絶対に無理だと断っていたけれど。餓鬼が餓鬼を育てられないから、と。

 波瑠沙が孕ったことを知ってからは、その子の顔が見たかったと、ずっと思っている。

 例え、父親は己が殺した生涯の仇だったとしても。

「家庭を持つとは良いものですね。私には叶わぬ夢でした」

 宗温の言葉に、辛く息を吐き出す。

 人間の営みが愛おしい。分かる。自分だってそれにどれだけ救われたか。

 だけど同時に、それが楔になるとは思いもしなかった。

「…俺が稽古を付けた子達に会ったよ、敵陣で」

 宗温は頷いた。

「まだ多く戔に残っているでしょうから」

「龍晶の事を思い出させてやれば、こっちに来ると思ってた」

「君が龍晶様の旗印を探して持ち出した事は聞いています」

「それで下った兵も沢山居たみたいだけど…」

 言葉を途切らせて、両手で口元を覆った。

「…やっぱり俺は餓鬼のまんまなんだ。何も分かって無かった。人はそう簡単に立ち位置を変えられない事」

 宗温は黙って先を促した。

 朔夜は腑を吐くような思いで言った。

「あいつ…確か甚圭(ジンケイ)って名前だったかな。青惇(セイトン)と仲が良かった。あいつが居たんだ。俺のこと覚えていてくれてた。龍晶の恩は忘れないって言って。でも…戔に妻子が居るからって。…俺に斬りかかってきた」

 かつての彼らの上官は、静かに頷いた。

 どうなったかは、明白だった。

「なんで俺があの子達を…」

 口元を覆っていた手で、頭を抱える。

「強くしてくれって言われたのに。戦場で生き残れるくらいにって、龍晶に言われたのに。守ってやりたかったのに。どうして俺がこの手で…」

 嗚咽を聞きながら、宗温は淡々と答えを出した。

「それが戦でしょう」

 抱えた頭で頷く。

 それは分かっている。宗温より、ずっと戦場を見てきた。言われるまでも無い。分かっている。

 斬りたくない人を斬るのが、戦だ。

「君だけに全てを背負わせてしまっている。それはとても申し訳無く思います。しかしそれでも言わせて下さい。朔夜君、君は戦い続けねばなりません。誰を相手にしても」

 赤くなった目が向けられる。睨むように。

 だけど反論は無い。自分でも分かっているからだ。

 そうするより無いと。

「龍晶様の作り出そうとした世を作る為に、君の刀は有るのでしょう?そして、龍統様をお守りせねばならぬでしょう?戔との戦が辛いのは分かっていた事です。それでも刃を振るって下さい。それが出来ぬ私からの頼みです」

 がくりと、頷く。

 それを言われる為に来た。

 振るう刃の迷いを消したかった。

「この戦で、また多くの孤児が生まれるでしょうね」

 宗温は話を変えた。声を幾分か明るくして。

「その中から、養子を取ってみては?自分達の子ではなくとも、今のお二人ならきっと育てられますよ」

 朔夜は苦笑して、窓の外へ目を移した。

 波瑠沙に追い回されて、子供達が歓声を上げる。

「どうかなあ。波瑠沙は良いだろうけど」

「君も子供さんと遊ぶのは得意でしょう?」

 天井を仰ぎ、それを言われる理由を思い出して。

「一人、育て上げなきゃいけない子供が居るからなぁ。それからかな」

 ふっと宗温は笑う。

「確かに、あの子が立派に大人になってからでも遅くはないですね。君達なら」

「いつになったらあいつは大人になるかな」

 言ってみて、更に苦笑いして。

「俺が大人になった事が無いから分かんねえな」

「確かに」

 真顔で宗温を見返す。まさかの返しに。

 そして吹き出した。

「お前にまで餓鬼扱いされるとは」

「そうは言ってませんよ。ただ矢張り、君の姿を見ていると大人とは言えなくて…」

「言ってくれたじゃん、今さっき」

「そうなんですけどね。そうなんですけど…」

 言い訳に窮して宗温は笑って誤魔化した。

「いいよ、俺」

 自分の身を抱えて朔夜は床に向けて言った。

「永遠にこのままの姿で居る。そうしたら、龍晶が戻ってきた時に見つけて貰えるから」

 少年の顔は、生きてきた多くの悲しみを込めて笑う。

 それは、子供の純粋なだけの笑顔とは違う。

「その瞬間、私も見てみたいものです」

 遥か遠い未来。その時には、悲しみも形を失っているだろうか。


 星々の刺繍された薄絹の幕。

 宇宙の中に揺蕩っているようだ。

 そうしていると何も考えなくて良い。自分も星の一つになれるような気がする。

 この空間が居心地良くなり始めていた。

 ここに父も居た事がある。それを思えば、もっと。

 だがそれも、星々が捲られて見たくもない顔が現れるまでの事だった。

 父親ではない男を睨む。

「お目覚めになりましたね」

 慇懃な言葉は不快でしかない。

 だが皮肉も悪態も返せなかった。それだけの力が無い。

 傷は治っているが、体を動かす元となるものが残っていないのだ。

 それを分かっているのかどうか、傍の卓に置いている椀を手にした。

「祥朗から薬を預かっています。血の気が戻り、活力となる薬だそうです。お飲み下さい」

 差し出されても受け取れない。

 桧釐は一旦椀を置き、横に向けて頷いた。

 誰かをそうやって呼んだのだろうが、出て来た顔に更に目眩を覚えた。

 於兎だ。

「陛下、無事にお目覚めになって良うございました」

 言う言葉に一番目眩がする。

 この人達の子供ではないという取り決めがこんな陳腐な言葉を吐かせるのだろう。

 勘弁して欲しい。

 なけなしの己を組み立てていたものが、下から崩れてゆく。

 桧釐は背中の下に手を差し入れ、上体を起こした。その口元に、於兎は薬の椀を寄せる。

 二人がかりで薬を飲まされて。

 こんなに両親に囲まれていた事なんて今まで無かったのに。

 皮肉だった。

 元のように寝かされても、二人はすぐには去らない。

 於兎は愛しむよう頭を撫でている。桧釐は臣下として報告を始めた。

「陛下のご活躍により、敵軍は退きました。国境沿いの警戒は続けておりますが、以降は物見すら姿を現しません。この戦、我々の勝利という事で納めてよろしいかと」

 戦が終わるのか。

 たったあれだけで。

「終戦交渉をする為、戔よりの使者が来るかと思います。その使者を待っているところです。それによって戦を終わらせます。よろしいですね?」

 問われているのだとも分からなかった。

 言葉は己の身を通り過ぎていく。

 桧釐は妻に視線を投げかけた。

 彼女はきっぱりと言った。

「今はお目覚めになったばかりです。何も考えさせず、お休みさせて差しあげるべきだわ」

「そうか…」

 落胆を隠せぬ口調で頷いて。

 気を取り直したように続けた。

「哥への書状は仰せの通り、杷毘羅に持たせました。出立から五日ですから、もう随分と哥の都に近付いている事でしょう」

 五日。

 即ち、あの時から五日以上が経過しているという事か。

 それだけ眠っていたのか、俺は。

 ならいっそ、そのまま眠り続けていたかった。

「各地から貧民支援を取りまとめた報告も来ています。陛下の仰った通りに事を進めますよ?必ず困窮者に渡すよう脅して食糧を分けます。これで各地の民は陛下を崇敬するでしょう。地盤は揺るぎないものとなる」

 何を言っているんだろう、この男は。

 崇敬?俺に対して?

 意味が分からない。

「この戦を通し、兵達も陛下への憧憬の念を持ったようですし、この国は既に一枚岩です。全て陛下のお力によるもの。この桧釐、感服致しました。流石は龍晶様のお子、血は侮れない」

 もう駄目だった。

 聞いていられない。何も受け止めたくない。

 毛布に頭まで潜り込んで、体を丸め、その中で更に耳を塞ぐ。

 固く固く目を瞑る。涙が溢れ落ちた。

 両親が戸惑い困って、息を吐く。見なくとも分かる。いつもの事だから。

 於兎の手は、毛布越しに肩を優しく叩いた。

「私達では駄目ね。祥大を呼びます。あの子も酷く心配していましたよ」

 夫を促してその場を去ったようだった。

 奥歯を噛み締める、その軋む音が頭の中に響いた。

 なんだよ。

 陛下って。

 結局俺は飾り物か。その中身は無いのに、外身だけ有難がって皆で祭り上げる。

 両親までこの立場の前に傅く。ついこの間まであれだけ罵り合っていたのに。

 馬鹿みたいだ。

 本当に。

 なんだこれ。なんだこの、現実。

 俺は死のうとしたんだ。自分から敵陣に突っ込む馬鹿をした。立場も何もかも振り捨てたかったから。

 実際に死にかけたんだ。朔夜と父上に止められたけど、二人が居なかったらもう俺はこの世には居ない。

 それで良かったのに。

 なんで叱ってくれない。

 あんな馬鹿な真似は二度とするなって、普通はそう言うもんだろ。親なら。

 我が子が命の危険のある馬鹿な事をしたんだぞ?

 どうしてあんなに淡々として。

 王として、置物として扱って。

 腫れ物みたいに。

 分かってるよ。

 どうせ、俺は、居なかった方が良い子供。

「龍統」

 呼ぶ声と共に入ってきた声に目を開ける。

 朔夜だ。

 天蓋の幕を潜って、そこに屈んだ気配。

「目が覚めたって聞いたけど、寝ちまったかな」

 恐る恐る、毛布から顔を出す。

 この人は何を言うのだろう。

 見えた顔は、すぐに満面の笑みに変わった。

「ああ、良かった!痛い所無いか?ちゃんと治せてたかな、俺。自信無くってさ」

 何も言えずにその笑顔を見つめる。

 涙目に気付いて朔夜の笑みは少し引いた。

「どうした?やっぱりまだ痛い?」

 小さく首を横に振る。

「なんだろう。しんどいのかな」

 額に手を当てられる。

 とーと、しんどい?

 幼い己の声が脳裏に過ぎる。

 あの頃と変わらない。この人だけは。

 見詰める顔が滲んだ。

「あっ、ごめん、ええっと…もう少しで祥大が来るから。そしたら楽になる薬を考えような。泣くなって。大丈夫だよ」

 狼狽する声が可笑しい。お前のせいじゃないと言ってやりたいが、何も言葉にならない。

「龍統、ごめんな。守り切れなくて」

 違う。それこそお前のせいじゃない。

 俺が勝手にした事。

「もしまだ戦があるようなら、もうお前から目を離さないことにする。多分、お前の気持ちが分かるの、俺だけだと思う」

 目を丸くして、相手を見る。

 俺の気持ち?どういう事だ?

「敵に向かって行かずには居れないんだよな。敵を倒さなきゃって思うけど、同時に、あいつらは自分を殺してくれるって思って。自分を終わらせたいから。それを望んで死地に突っ込むんだ。俺もそうだった」

 自嘲。そして、諦めた笑み。

「結局、誰も俺を殺してくれない。殺されても蘇る。俺はずっと、母さんの所に行きたかった。お前はきっと、龍晶の所に行きたいんだろ?俺も行きたいよ。でも、あいつは遠くに居る訳じゃない。お前と一緒に居る。俺には見えた」

「見えた?」

 掠れた声で問い返した。

 朔夜は頷いて、微笑んで教えた。

「お前の傷を治してる時に、意識ぶっ飛びかけて、その時に俺を支えてくれた。だって、お前の為だもん。ありがとなって言ってくれた。あいつ」

 流れた涙を手の甲で拭って、言い直す。

「あいつ、お前が一番だから。きっとお前の為ならなんだってするよ。どんな手を使ってでも、ずっとお前を守ってる」

 泣き声が喉に詰まった。

 だらだらと涙が溢れて、片手で無造作に拭き続けた。

 とーと、と嗚咽しながら呼ぶ。

 親に見放された自分にとって、縋れるものは、姿の見えないその人だけ。

「俺は、龍晶に代わってお前を守るよ。その為にこの世に帰ってきたんだ」

 ああ、だから、俺は。

 父に代わって、この人の希望となる。

 夢を叶えねばならない。共に。

 空っぽの俺は、父がかつて描いた夢で満たされている。

 その為に、生かされた。

 その為に、王となった。

 動かねば。

「朔夜」

 上手く笑えないけれど。

「頼む。守ってくれ。…死にたい俺を、救ってくれ。…父上の為に」

 ふっと微笑み、手を伸ばして、頭を撫でる。

「俺はお前の為に命懸けるよ」

 今は空っぽでも良い。

 いつか、皆の手で満たされる。

 夢を追いかけていれば、必ず。


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