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月の蘇る-来-  作者: 蜻蛉
第一話 再会
8/444

 6

 北州は賑わっている。

 かつての死んだような街の面影は全く無い。人々が行き交い、店が立ち並び、活気に溢れた声がそこここで響き渡る。

 子供達が走り回り、山々からは鶴嘴の高い音と労働歌が聞こえる。

 賑やかなのは北州長の屋敷も同じだ。

 どたどたと、凄まじい足音が屋敷中を行き交う。

「くぉらぁぁ!里音!いい加減にしさぁぁい!!」

 叫ぶのは長女、花音(カオン)。十二歳。

「だって止まったら姉貴は殴るだろ!?」

 追いかけられているのは長男、里音(リオン)。十歳。

「わあ、楽しそう!僕も混ぜて!」

 勘違いして飛び込む次男、杜音(トオン)。七歳。

「にーにーがわたしのにんぎょーとったぁぁ」

 事の発端である末娘、大泣きしている穂音(ホオン)。四歳。

 という、四姉弟。桧釐と於兎の子供たち。

 宣言通りの子供の数であり産み分けだった。

 それが仲良く遊ぶどころか仲が良すぎて四六時中戦争状態なのでたまらない。

 家政婦として来て貰っている十和(トワ)などほとほと手を焼いている。

「うるさぁぁい!止まれっ!!」

 頼りになるのは矢張り母、於兎である。

 子供たちの足音と叫び声と泣き声を上回る、屋敷中に響き渡る声で全ての動きを止める。

 そして磁石のように子供たちは寄って来る。

「何があったの」

 三人が直立不動で並んで答える。杜音は落ち着き無くきょろきょろしているが。

「里音が穂音にいじわるしました!」

 鬼の首を取った勢いで花音が告げる。

「してないよ、俺。ちょっと一緒に遊んでやろうとして」

 里音が言い訳に入る。

「でも穂音はそれで泣いてるのよ!?」

「勝手に泣き出したんだよ!」

「僕は追いかけっこに入りたかっただけー」

 杜音はにこにこしながら言う。

「うん、分かった」

 於兎は頷き、振り返って末娘に問う。

「里音にーには意地悪だった?」

 こくこくと小さな顔が頷く。

「ええっ…また俺のせい…」

 嫌そうに里音が呟く。

 それをひと睨みして、於兎は命じた。

「とにかく、全員家の中で走り回るな!外へ行け、外へ!解散!」

 ぱっと子供達が外へ向かう。わあいと一人歓声を上げているのは杜音。

 一人残された穂音を抱き上げる手がある。桧釐だ。

「いやあ、母は強しだねえ」

 女の子はすぐに父の首に腕を回して言った。

「とーさま、あたらしいにんぎょうがほしい!」

「え?ああ、しょうがないな…街に行ってみるか」

「甘っ!」

 妻の非難の声がすぐさま飛ぶ。

 桧釐は末娘が可愛くて仕方ない。

 於兎は十和を呼び、穂音の遊び相手を頼んだ。

 気掛かりがあった。

「ねえ、もう半月よ」

「ああ…」

 実質的な二人の第一子、春音改め隆統がこの屋敷を発ってから、半月。

 いつもはきっちり十日で戻って来る。それが、全く音沙汰の無いまま予定より五日経過した。

「何かあったんじゃないかしら」

「ああ…」

「何よその、さっきから上の空の返事は!」

「ああ、まあな、うん」

「上の空に上の空を上乗せしないの!」

「あ、はい。すみません」

 しゃきっと謝る。夫婦円満の秘訣である。

 尤も事態はそう穏やかではない。

「だから嫌だったのよ。あの子を都に行かせるなんて。人質みたいなものじゃない」

「そうは言っても、逆らえないしな」

「そこはあなたが上手くやるべきだったのよ」

「出来る事と出来ない事があるからな…」

 頭を掻きつつ、溜息を吐いて。

 隠しておける事と、無理な事もある。

「都の役人達が近々この屋敷に乗り込んで来る」

「はあっ!?」

 予想を上回る大声で返された。

「賄の証拠を探すんだと」

 一応、向こうの建前を説明した。

「拙いじゃない、あなた」

「いや、俺は賂で稼いでる訳じゃ…」

 それは断じて違うつもりだが。

 都への上納金をちょろまかしているのは事実である。

「こうなったら箒を持って追い払ってやるわ!あの子達にも手伝わせましょ」

「え、それは拙いんじゃ」

「じゃああなたが何とかしてよ!」

 ご尤もなのでこれ以上は黙っておく。

「ちょっと宗温(ソウオン)と相談してくる…」

「あ!逃げる気!?」

「違う違う」

 言いながら逃げている。

 宗温は屋敷内で生活している。

 十年前、職を辞した後、他に行く当ても無いからと北州にやって来て、そのまま。

 他に移せる場所も無かった。彼は皓照に斬られた傷が元で体を病んでいる。

 桧釐としては歓迎している。軍事、政治の相談相手に彼はうってつけだ。長年の信頼もある。

 屋敷の中でも一等、日当たりの良い部屋に彼は居る。

「宗温、ちょっと良いか」

 扉を開けつつ桧釐は言った。

 寝台の上で上着を上体に掛けて、彼は書物を読んでいた。

「どうしました?」

 穏やかに笑みながら視線を上げつつ問う。

「若君が帰って来ない」

「隆統様が?…確かに、ずっとお姿を見ていない」

 桧釐は後手に扉を閉めつつ頷いた。

 例え彼がこの北州に居たとしても、姿を見せる事は稀だ。あまり人と関わりたがらないから、ここで寝たきりとなっている宗温の元を訪ねて来るなどまず有り得ない。

 それでも窓から見下ろす庭先で、刀の素振りをする姿は時折見かける。

「半月が過ぎた。いつもは十日で帰って来るんだが」

「賛比は何か言ってきませんか」

 自分に従ってこの北州に共に来た賛比は、病人の世話をさせるには勿体無いので隆統の護衛とした。

 それが結構当たりで、あの気難しい王子が揶揄う程に親しい存在になっている。

「何も無い。嫌な予感がするんだが」

「嫌な予感しかしませんね…。例の件は?」

「近々、こっちに押し掛けて来るそうだ。建前上は賂の調査だが」

「証拠は?」

「残している筈が無いだろう。(ふみ)(たぐい)は読んだ(そば)から燃やしているさ」

「こちらからは何も出て来ない…しかし…」

「それで若君を解放して貰えるかと言うと…」

「可能性は低いでしょう」

 溜息を吐きながら額を叩く。

「どうすっかな」

 宗温は冷静に返した。

「まずは隆統様の状況を調べたい。孟逸(モウイツ)に繋ぎを取りましょう。彼ならば異変を察知している筈」

「ああ…確かにな」

「気落ちしないで下さい、桧釐。まだ何も決まってはいないのですから。若君が少し気まぐれを起こして帰還を日延べしているだけかも知れませんよ?」

「そうだと良いけどな」

 苦笑いで応え、付け加える。

「やっぱり俺は、同じ屋根の下で暮らしたくもない実父らしいから」

「そう言われたのですか?」

「ああ。出立前に」

 苦笑いの苦味が強くなる。

「親とも思いたくないってよ」

「またどうしてそんな喧嘩を」

「反抗期の子供との喧嘩に理由なんて無いだろ。俺もそうだったしさ?それでこの家を飛び出した。今じゃ良い思い出だけど」

「まあ…あなたの父上は、その、あれですから…」

「はっきり言えば良いよ、今更遠慮するな。親父はあの王の犬だった」

 わん、とわざわざ鳴き真似までして友を笑わせる。

「ま、若君は都でせいせいしてるかも知れんな。うるさい妹弟も居なくて、顔を合わせりゃ喧嘩せずには居れない両親も居ない。羽を伸ばせば良いんだ、うん」

「彼が羽を伸ばせる性格ならば、ですけどね」

 ちくりと言われてしまう。

「全く…昔の龍晶様を見ているようで、胸が痛い事がありますよ…」

「まあ、うん…。似てるよな」

 実父ながらそれは認めざるを得ない。

 顔は幼い時から似ていたが、性格まで似てきた。

 それも晩年の幾らか朗らかになった彼ではなく、苦しみ藻掻いていた少年時代の彼に。

「…歴史は繰り返すと言いますが…」

 桧釐は頷き、言う。

「龍晶様ご自身が何処かでそう望んでいた事やも知れないな。灌で、このままでは終われないと言っていたから」

「ええ。あの名付けの文からもそれは窺えますね」

 隆統と名付けた、あの最期の文。

 万一の事があれば、隆の字を改めよ、と。

 彼は見越していたのかも知れない。この国を再び波乱が襲うと。

 否、今度は波乱を――起こすのだ。

「宗温、悪いが奴らが来るまで祥朗(ショウロウ)の所に潜んでいてくれるか?ここにお前まで居る事が知られれば、余りにも役者が揃い過ぎてるだろ」

 彼は笑って頷いた。

「確かにそうですね。龍晶様の時代を繰り返すと宣言しているようなものだ」

 そして、少し寂しげに付け加える。

「尤も、私はもう無用の存在ですけどね」

「そんな事は無い。お前は今だに参謀だよ」

「そう言って下さるのはあなたくらいですよ。しかし私の役割はもう賛比に譲ったつもりで居ます。矢張り私は龍晶様の臣下ですので」

「それを言うなら俺だって。でもまだくたばる訳にはいかないからな。お前もそうだぞ?」

 はい、と窶れた顔で頷いて。

「役者と言えば…彼は、どうしていますかね」

「彼?」

「龍晶様に一番欠かせなかった彼ですよ。哥から報せは無いのですか?」

「ああ…あいつが蘇るには十日かかるか百年かかるか分からないって言われてんだぞ?俺達が生きてる間に目が覚めれば良いってくらいだ」

「そうですか…。出来れば再会したいものですが」

「そう言えば、この前行商の男があいつを尋ねてきたな。繍で会ったんだと。ちょっと怪しいし追い返したけど」

「繍…。それは本物だったかも知れませんよ」

「そうだとしても、哥の何処に居るかも知らないし、まだ寝てるであろう奴に会いに行けとは言えないからな」

「確かに」

 十年前、繍は完全に滅びた。

 その領地は苴が飲み込み、更なる大国になるかと思われた、が。

 その後、三国で領地の分配が行われたのだ。

 苴は北部を灌に譲った。つまり、繍を飲み込んだ分、己の旧領を灌に与えたという事だ。

 戔西部の一部も灌領となった。更に、南部も苴領となる段取りが今、なされているという。

 全く王は何を考えているんだと毒付きたくもなる。十三年前、何の為に苴と争ったのか。彼はそれを見ていた筈だが。

 戔は一方的に領地を削られている。この北州があるから持っているようなものだ。

 この理不尽な分配、灌に甘い汁が多く行くようになっている。

 戔は灌の属国のようなものだから当然なのかも知れない。だが、理由はそれだけではない。

 あの男が裏に居るからだ。

 奴が灌と苴、そして灌を通じて戔を操り、この一見有り得ない国境の移動が決まっている。

 桧釐とてそれをはっきりと確かめた訳ではない。だが確信している。

 皓照が国々を操っている。

 その男を信奉していた宗温は、きっぱりとそれを辞めた。

 斬られて漸く奴の本性を見たのだろう。

 それで正解だ。しかしそれは茨の道でもあった。

 次に事を起こす時は、あの力が敵に回るという事だ。

「かあさまー!」

 外から甲高い子供の声が聞こえてきた。花音だ。

 彼女の声は母親似でどこまでもよく通る。

 桧釐は苦笑した。

「帰ってきなすった」

 続いて、ばたばたとした足音。

「母さまぁ!杜音が蛙を捕まえようとして溝に落ちたぁ!!」

 泣き声はその杜音のものだろう。

「済まんな宗温、落ち着かない家で」

 腰を浮かせながら桧釐は言う。

「いえいえ。毎日楽しいですよ。声を聞いているだけで」

 宗温は笑って答えた。


 祥大と共に居る時でも隆統の口数は減った。

 日に日に憔悴の度合いが増していくのは見ていて明らかだった。だが祥大には何も出来ない。せいぜい、膝を抱えて丸める背中を撫でて励ますくらい。

 毎日、孥晋を始めとした役人達がここへやって来て彼を尋問する。

 決して隆統は口を開かない。それは元々なのだが、表情どころか視線一つ動かない。何も悟らせてはいけなかった。

 降りる沈黙の代わりに、大人達は聞くに耐えない話をしていく。母、華耶の事。如何に彼女がこの国にとって害を成したかを説明して。

 更に父、龍晶の事まで。如何に不出来で無力で、愚かな王であったかを話す。

 そして北州の事に話が及ぶ。疑惑を一つ一つ話し、それが真実であると頷かせようと。

 そして言う。殿下の実父は国家転覆を図る大罪人だ。そういう血筋なのだ。だからお前の養父も殺された。あれは毒を少しずつ盛られて体を弱め、病死させられたんだ。

 殿下はどちらの父に付くのか、と。

 日が暮れるまでそれを聞かされ、しかし全く反応しない子供に苛立ちを覚えて暴力を振るい、一日が終わる。

 俺が殴られてもお前は決して動くな、そう祥大は言い含められている。

 俺は慣れている。多少の事で痛みなんか感じない。刀の稽古で散々打たれてきたから。

 そう言われても、それを丸々飲み込む訳にはいかず。

 かと言って無力な自分が大人に立ち向かう事も出来ず、結局動けない。

 今も、殴られて椅子から引き倒されたまま動かない義兄に走り寄って様子を見る事しか出来ない。

 殴った相手は既にここから出て行っている。外は夕闇が迫っていた。

 床に突っ伏して、彼はどうにか息をしている。

「兄さま」

 声を掛けると、小さく頷かれた。案ずるなという意味だろうか。

「動けますか?寝台に」

 また頷いて、ずるりと体を動かす。

 四つん這いで寝台まで動き、祥大に支えられながら上に乗った。

 横に向いた顔に生気は無く、瞳は朦朧としている。

 最初の頃は大人達に対して刺すようだった反抗的な目が、今は終始意思の無い人形のような。

 夜になると時折、その目から涙が落ちる。嗚咽するでもなく、ぽろぽろと。

 それ以外で感情を表す事は無かった。

 いつしか気を失うように眠って、また苦しい朝を迎える。

 そうやって二十日が過ぎた。

 少年にはあまりに過酷な日々だった。

 この二、三日は起き上がる気力も無くして、寝台に伏せたまま尋問を受けている。

 その最中にも意識を失う。大人は怒って殴る。それを繰り返している。

 傍らで祥大は声も無く泣いている。あまりに義兄が可哀想だった。

 夜。夕餉が運ばれてきた。

 女官はいつも机に二人分のそれを並べてさっさと帰る。

 祥大が兄へ渡そうと皿を持つと、はらりと紙片が出てきた。皿の下に隠されていたのだ。

「兄さま、これ」

 すぐにその意図を察して義兄に見せる。

 隆統の目もその文字をなぞった。

『若君ご健在ならばこの紙を十六に折って皿の中に入れられたし』

 隆統は祥大に頷いた。

 祥大は紙を四回折った。目立たぬ大きさになった。そしてそれを食後の皿に入れた。

 誰かが自分達の行方を探してくれている。

 絶望的なこの日々に、僅かな希望が見えた。


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